第21話 双子の弟
蓄音機から流れる女性歌手の切ない歌声が流れる中、高臣は静かに口を開いた。
弟の高明は体が弱く、近衛隊に入ることができなかった。だが千里眼を持っていたので、高臣の相棒として怪異退治を手伝っていた。高明の千里眼の力は素晴らしいもので、どんな小さな異変でも見抜くので帝にも評価されていた。しかし高臣と違い、刀を持って戦うことはできない。高臣は千里眼を持たない代わりに刀を持って怪異と戦う。二人はとてもいい相棒だと、高臣はそう思っていた。
「ある時から、高明が急に元気になった。夜更かしもするようになり、熱も出さなくなった。それだけじゃない、僕に対して棘のあることを言ったり、イライラして物に当たったりすることが増えた。僕は高明の様子が変だと思い、高明に問いただした」
その時はうまくごまかされた為、高臣がそれ以上弟に何か言うことはなかった。だが高明の様子はどんどんおかしくなり、やがて部屋に閉じこもるようになって高臣や春江と会うことを拒んだ。いよいよおかしいと高臣が思ったある夜のこと。扉を蹴破って部屋に入った高臣が見た弟の姿は、以前の優しい弟の顔とはまるで違っていた。
目が血走り、だらだらと汗をかいていた高明は「入るな!」と高臣に怒鳴る。
「どうしたんだ、高明! 具合が悪いならすぐ医者を……」
「呼ぶな!」
高明に触れようとした高臣は、物凄い勢いで吹っ飛ばされた。床に転がった高臣の目に映る弟の姿は、暗闇に蠢く怪異そのものだった。
(まさか――)
千里眼のない高臣でも分かる気配。高明は既に全身が怪異に覆われていた。その強すぎる力は、高臣にも察知できるほどになっていた。
「怪異に取り憑かれたんだな!? なぜなんだ! 千里眼があれば怪異を避けられるはずだ!」
ベッドの上にいた高明は、はあはあと荒い息遣いで、体をがたがたと震わせながら高臣を見た。
「……すまない、高臣。僕の責任だ」
よく見ると、高明は涙を流していた。必死に怪異を抑え、自我を保とうとしているようだった。
「僕は、高臣が羨ましかった。僕に高臣の体があったなら、どんなに生きやすかっただろうと。丈夫な体が欲しくて、僕は……やってはいけないことをした」
「……まさか、怪異を自ら取り込んだのか!?」
高臣は呆然としながら呟いた。怪異に取り憑かれた者は、元々持つ能力以上に力を発揮することがある。見世物小屋の永田が高臣を軽々と投げ飛ばしたのも、怪異に取り憑かれたからだったのだ。
高明は怪異の特性を利用し、自ら怪異を取り込んで体を強化しようとしたのだ。怪異を上手く操り、自分のものにしようとした。だがそんなことが上手くいくはずもない。結局怪異の闇に飲み込まれた高明は、とうとう体中からあふれ出る怪異を抑えられなくなった。
高明は涙を流しながら、高臣に訴えた。
「高臣、お願いだ。僕を斬ってくれ。このままだと僕は完全に怪物になってしまう。そうなったら僕はお前を襲ってしまう。お前だけじゃない、春江だって……だから頼む。僕を助けてくれ」
「そんな……」
高臣は躊躇した。怪異に取り憑かれた弟を斬る意味を、彼はよく知っている。彼の目には映っていないが、恐らく怪異は高明の全身に取り憑いてしまっている。
「早くやってくれ。もう時間がない。乗っ取られそうだ……ううっ!」
高臣はぐっと唇を噛み、自分の部屋に走って刀を持ち出した。高明の部屋に戻ると、高明は床の上に転がり、もだえ苦しんでいた。
「後のことはよろしく頼む……高臣」
消え入りそうな声で、高明はそう呟いた。
「……今上様の命により、妙前高臣が怪異を……斬る」
青く光る刀に照らされた高臣の顔には、覚悟があった。ぐっと強く刀を握りしめた高臣は、その青い刀を最愛の弟に振り下ろしたのだった。
話し終えた高臣の瞳は、ほんの少し潤んでいた。
「――高明は、そのまま事切れていた。僕は急いで春江を呼び、事情を説明した。その後父上を呼び出し、対応を話し合った。怪異退治を仰せつかった妙前家の人間から、怪異に取り憑かれた者が出たことは決して周囲に知られてはならない。父と相談の上、高明は急病で亡くなったことにした。宮廷でもこのことは口外してはならないとなった。だから高明の死の真相を知る者は、ごくわずかだ」
「……そんな重要なことを、私に話してしまって良かったんですか?」
おずおずと尋ねる薫を見ながら、高臣は穏やかな顔で微笑んだ。
「あなたにだから、知って欲しい。あなたは僕の大切な人だから」
高臣はそっと薫の手を握った。薫は高臣に笑みを返し、もう片方の手を高臣の手に乗せた。
「私に高臣様の心を支えることが、できるでしょうか?」
「僕はもう、とっくに支えてもらっているよ」
二人は見つめ合い、お互いに微笑んだ。
薫は高臣の優しい目を見ながら、自分はこの人と結ばれるべき運命だったのかもしれないと思った。生まれも育ちも違っても、二人は心から結びついていると思えた。高臣と一緒にいるだけで、薫の心は温かい気持ちで満たされた。高臣の微笑みを見るだけで、薫の心は弾んだ。
高臣もその気持ちは同じだった。千里眼を目当てにした契約結婚のはずが、いつの間にか薫に惹かれていた。薫の為ならどんなことでもしてあげたい、薫の笑顔が見たいと思うようになった。不器用な愛情表現だったが、それは高臣にとっての精一杯だった。
「薫さん、結婚式を挙げないか?」
「結婚式ですか?」
きょとんとする薫に、高臣は頷く。
「僕は、あなたと『本当の夫婦』になりたいんだ。僕達の始まりは書類上だけのものだったから、けじめをつける意味でもそうしたい」
「で、でも……私のような平民と華族様との結婚式だなんて……」
戸惑う薫に、高臣はちょっと悲しそうな顔をした。
「僕との結婚式は、嫌?」
「とんでもない! 嫌というわけじゃなくて……その、私には呼ぶ親族も……」
「そのことなら心配しなくていい。あくまで身内だけの結婚式だ。みんな事情を知る者ばかりにするつもりだから、薫さんは何も気にしなくていい」
薫はようやくホッとしたように笑みを浮かべた。
「……分かりました。そういうことなら……」
「決まりだ。なら早速準備を進めないと……なんだか忙しくなってきたな」
高臣は嬉しそうに笑い、薫もつられて笑った。




