第17話 招かれざるお客様
妙前家の前に停まった自動車の助手席から、険しい顔の高臣が降りてきた。車は直弥のもので、運転席にいたのは直弥だ。直弥は急いでエンジンを切り、先に家の中へ向かう高臣を追いかける。
帰宅してきたことに気づいた春江が玄関を開けて外に出てきた。高臣は目に怒りを浮かべたまま春江に詰め寄る。
「なぜ薫さんの両親を家に上げたんだ!」
絞り出すような低い声で高臣は春江を責める。直弥は慌てて高臣の腕を掴んだ。
「春江さんを責めるなよ、高臣」
直弥の声にハッと我に返った高臣は、深呼吸をした。
「……すまない、春江を責めているわけじゃないんだ。だが……」
「いいえ、申し訳ありません。私も家に上げないよう随分引き留めたのですが……半ば強引に上がられてしまわれて」
「ならば警察でも何でも呼んで追い返してしまえばよかっただろう!」
「ですが……お二人は『娘に会わせてくれないのなら、妙前家の本家へ行く』とおっしゃっていて……」
「本家へ行く、だと……?」
高臣の表情がみるみる曇った。
(ようやく父上を説得できた所なのに、今薫さんの両親に引っ掻き回されたら、また父上の気持ちが変わってしまう)
薫が平民であることを理由に、高臣の父は二人の結婚に対してあまりいい顔をしていない。もっと血筋のいい令嬢に千里眼を持つ者がいれば、薫と離婚させてそちらと結婚すればいいと父は考えている。それを話し合いでようやく父に納得してもらったばかりだ。そこへ薫の両親が父の元へ押しかけ、父を怒らせるようなことでもすれば、二人の結婚生活は危うくなる。
「両親は一体、何の用で薫さんに会いに来たんだ。二人には十分な『結納金』を支払ったはずだ」
高臣の苛立ちは消えない。結納金という名のいわゆる『手切れ金』を妙前家は薫の両親に支払っていた。その金額はかなりのもので、その代わり薫には今後一切関わらないという誓約書まで書かせていた。その約束を破り、二人はわざわざ帝都まで出てきて薫に会いに来たのだ。だが薫がそれを知るはずがない。なぜなら薫は今、茉莉恵に誘われて出かけている。彼女が知っているのなら、今日出かけるはずがない。
(薫さんが出かけている時だったのは幸いだった。だが彼女はもうすぐ戻ってくるだろう。それまでに両親を追い返さなければ)
高臣は再び険しい表情に戻り、我が家を睨んだ。
「高臣、あくまでも穏便に。穏便にな?」
「分かってるよ。直弥も一緒に来てくれ」
「ああ、当然だ」
心配そうな春江と一緒に、高臣と直弥は家に入った。
高臣が応接室に入ると、薫の両親がソファに座っていた。父親は一ノ倉銀次。銀次の母親が開いた食堂を受け継いだが、店はあまり上手くいっていないようで、常に金に困っていた。母親は一ノ倉敏江。妙前家が調べた情報では地味な女だったはずだが、派手な着物と髪飾りをつけて随分金回りが良さそうである。
「おお! あなたが高臣様ですな! 一ノ倉銀次と申します。うちの薫がいつもお世話になって……」
「妻の敏江でございます。まあまあ、素敵な旦那様で……薫にはもったいない方ですねえ」
二人は同時に立ち上がると、高臣に対して媚びを売るような笑顔で挨拶をしてきた。高臣は無表情のまま挨拶を返す。
「……妙前高臣です。こちらは同僚の朝倉直弥。仕事を抜け出してきたもので、彼が同席することをお許しください」
高臣が後ろの直弥に視線を送ると、直弥は固い表情で「朝倉です。どうぞ僕にお構いなく」と一ノ倉夫婦に挨拶をした。一ノ倉夫婦は直弥がいることに不思議そうな顔をしたが、特に気にする様子もない。高臣が座るよう勧め、夫婦が座ると向かいに高臣が座った。直弥は高臣の隣に座り、緊張感の中で四人はテーブルを挟んで向かい合う。
高臣はちらりとテーブルに目をやった。テーブルの上に置かれた陶磁器の灰皿は、煙草を吸わない高臣には用のないものだが、来客用に置いてある。灰皿には既に数本の吸い殻があった。煙草の匂いをぷんぷんさせているのは銀次の方なので、彼が煙草を吸ったのだろう。
(この煙草も、妙前家が渡した結納金から買ったものか?)
妻の派手な着物といい、急に入った大金を彼らが自由に使っているかもしれないと思うと、全てが疑わしく見えてくる。高臣は応接室に入った瞬間、漂う煙草の香りがしたことに既に不快な気分である。
「お二人は、いつ帝都に?」
冷静を装いながら、高臣は二人に尋ねた。
「今朝、到着したばかりで。いやあ、夜汽車に揺られて一晩、大変でしたよ。何しろ尻が痛くてたまりません。まあ、高臣様には縁のない乗り物でしょうがね」
「僕も昔、西都に仕事で行ったことがありますから、長距離列車は乗ったことがあります」
「ほお、西都ですか! それはまた遠い所へ……」
「西都は綺麗な街らしいですねえ、いつか旅行で行って見たいものですよ。ねえ? あんた」
「西都かあ、悪くはねえな……」
高臣そっちのけで盛り上がる夫婦を見ながら、高臣は二人の目的を探っていた。
(まさか本当に、ただ娘に会いにきたというだけか? いや、それだけではないだろう)
ちらりと横を見ると、直弥も困ったような顔で小さく首を振った。その時、春江がお茶を持って入って来たので、会話が一旦途切れた。四人の前にお茶が並び、春江が出て行った後で高臣はとうとう話を切り出した。
「それで……今日は一体何のご用件でいらしたのですか? 妙前家と一ノ倉家で交わした『誓約書』のことはお忘れではありませんよね?」
高臣の問いに、銀次はまた媚びるような笑みを浮かべた。
「いやあ、あの時は俺達も動揺してたもんですからねえ! 妙前家の代理人だとかいう男が来て、急に薫が高臣様の所に嫁ぐことになったなんて言われて……もう頭が真っ白だったんですよ! わけもわからぬまま署名させられて……」
「そうですよ、高臣様! あたしら、署名をしたら二度と娘に会えないなんて思わなかったもんですから! でもおかしな話でしょう? 娘が結婚したのに旦那様にもお会いできず、旦那様のご家族にも会えないなんてねえ。ですから一度、妙前家の方々にご挨拶と、娘に一目会いたくて……」
妻の敏江は目をギラギラさせながら身を乗り出す。ふと見ると、敏江の指には宝石が輝く指輪が光っていた。
「お気持ちは分かります。ですが、誓約書とはそういうものです。うちの代理人がよくご説明したはずですが」
高臣の口調がきつくなっていることに、隣の直弥は心配そうな顔をした。
「そうでしたかねえ? どうだったか……ねえ? あんた」
「そうだなあ、俺達頭が悪いもんだから、どうもあなた達のような賢い人の話はよく分からんのでね……」
(嘘だな)
高臣は心の中で悪態をつく。妙前家の代理人からの報告は受けている。両親には丁寧に説明していた。怪異のことは隠しているが、薫の千里眼の力を必要としている為、高臣と結婚することになったと。彼らは理解し、納得していたはずである。両親には多額の結納金を渡し、今後一切薫とは関わらないと約束させた。
「……代理人の説明が足りなかったかもしれませんね。我々は宮廷に仕える身です。外には言えない仕事も多い。平民のあなた方を巻き込むことはできません。それをご理解いただきたかったのですが」
「そりゃあ、大変ですねえ。でも俺達は薫の親ですよ? 結婚したから知らんぷりってのは、ねえ……」
「そうですよ。娘に会いたい親の気持ち、高臣様も分かるでしょう?」
睨むような目で高臣はじっと二人を見た。
「お二人の気持ちはよく分かりました。それでは、お二人は薫さんに一目会ったら帰るということでしょうか?」
銀次と敏江はなぜか顔を見合わせ、含みのある顔をした。
「いや……それがですねえ……実はもう一つ、高臣様にお願いがありまして」
やはり来たか、と高臣は身構えた。
「実はですねえ、うちの店もだいぶ古くなったもんで、あちこち雨漏りがしてひどいんですよ。それで、そろそろ店を建て変えたいと思ったんですが、何しろ建て替えには相当の金がかかるわけでしてね……」
夫婦の狙いはやはり金か、と高臣は心の中で呟いた。結納金は夫婦の贅沢品に消えたのだろう。
(後先考えずに着物だの宝石だの買っていたら、結納金などすぐに底をつくだろうな)
高臣は敏江をちらりと見た後、口を開いた。
「失礼ですが、お二人には十分な結納金をお渡ししました。そのお金では足りませんか?」
「いやあ……色々と店の修理をしましたし、近頃売り上げが良くないもんで、方々から金を借りてましてね……その借金返済に結納金を充ててしまったんですよ」
銀次はすらすらと金が必要な理由を並べ立てていた。恐らくそれらの理由は嘘だろうと高臣は感じている。膝の上に置かれた高臣の拳が更に強く握られ、隣の直弥はその様子を見て高臣に顔を寄せた。
「落ち着け」
「分かってる」
小声で返した後、高臣は大きく息を吸った。
「申し訳ありませんが、あなた方に金は出せません。それともう一つ、薫さんはあなた方には会いません。どうぞお引き取りを」
銀次と敏江は高臣の言葉に顔を歪めた。
「……いくら薫の旦那とは言え、それはちょっと乱暴すぎやしませんかねえ? あんたは薫から生みの親を引き離そうとしてる。酷いことをしてると思いませんか?」
銀次の表情ががらりと変わり、高臣と直弥は思わず息を飲んだ。さっきまでの媚びを売るような笑顔はすっかり消え、銀次は憎々しげに高臣を睨んでいる。
「そうですよ。華族様だからって、あたしら平民のことを見下してるんじゃありませんか?」
敏江も銀次と同じように、眉を吊り上げ高臣を睨む。
「……別に見下しているわけではありません」
「おや、果たしてそうですかねえ? 心の中じゃ、俺達なんて金を掴ませておけば黙っておくとでも思ってたんでしょ?」
(何だ? この二人、急に雰囲気が……)
高臣は怪訝な表情を浮かべながら、横の直弥に視線を送った。




