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千里眼は闇を視る  作者: 弥生紗和


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第14話 一歩進む

 茉莉恵の後に続き、薫は庭園が見渡せる座敷へ入った。広縁ひろえんに椅子が二脚と小さなテーブルが置いてあり、椅子に座って見事な庭園を眺めることができる。障子は全て開け放たれ、通り抜ける心地いい風と、遠くから聞こえるシャワシャワという蝉の声。


「どうぞおかけになって? ここはいい眺めでしょう? ここに椅子を置くと決めたのは私なの」

「ありがとうございます……」


 勧められるまま、薫は椅子に腰かけた。女中がガラスのコップに入った冷たい煎茶を二人に出すと、一礼して去って行く。


 振り返り、女中がいなくなったのを確認した茉莉恵は、薫に視線を戻した。茉莉恵の顔は笑いをこらえているようで、今にも吹き出しそうである。


 何を言われるのかと薫が身構えたその時、茉莉恵は意外なことを口にした。


「あんな堅苦しい場にいると息が詰まるでしょう? 私も早く抜け出したかったの。薫さんを理由にあそこから出られて良かったわ!」


 茉莉恵は無邪気に笑うと、煎茶をごくごくと一気に飲んだ。彼女のお嬢様らしからぬ振る舞いに、薫は驚く。


「はー、美味しい! 夏はやっぱり冷えたお茶に限るわね。あ、薫さんも遠慮しないで?」

「は、はい……いただきます」


 困惑しながら煎茶を一口飲む。よく冷えていて、それでいてお茶の苦みと香りも良くとても美味しいお茶だ。


「美味しいです」

「良かった! ここは誰も来ないから、遠慮しないで寛いでね? 息が詰まった時、よくここで一息つくの」


 茉莉恵は薫の想像する『大金持ちのお嬢様』とは随分違っていた。気さくで明るく、よく話す女だ。


「修吾さんとお見合いした時は、高明さんが次期当主になると聞いていたの。妙前家の跡を継ぐことはないし、私も自由にしていいと言われたから結婚することにしたのよ。それなのに高明さんが亡くなってしまったでしょう? 突然次の当主が修吾さんに決まって、本家に引っ越すことになって……おかげで息が詰まりっぱなしよ」


 ため息をつきながら茉莉恵は薫に愚痴を言った。どうやら相当鬱憤が貯まっているようである。


「茉莉恵さんは、以前英国に行ったことがあるんですよね?」

「そうなの! 薫さんよくご存知ね。若い頃は父の仕事を手伝いたいと思っていたから、お父様に無理を言ってついていったのよ。大変だったけれど、とても楽しかったわ。またいつか英国に行きたいわね」


 茉莉恵は遠くを見ながら、懐かしそうに話した。茉莉恵は海外旅行を経験し、仕事もしたいと思っていたのだろう。そんな彼女が大きなお屋敷で、人形のように黙って座っている姿を薫は少し気の毒に思った。


 そんな薫の視線に気づいたのか、茉莉恵はけらけらと笑う。


「……でも、今の生活もなんだかんだ言って気に入ってはいるのよ! 可愛い息子もいるしね。そうだわ、さっきは修吾さんがあなたに失礼なことを言ってごめんなさいね。あの人ったらいつも高臣さんに張り合っているの。高臣さんのやることなすことケチをつけてばかりで……」

「いえ、気にしてないので大丈夫です」

「本当? 兄弟喧嘩に巻き込まれて、薫さんとんだとばっちりよね。今頃きっとあの三人、こーんな顔して睨み合ってるわよ」


 茉莉恵は眉間に皺を寄せ、わざとらしく顔をしかめる。その顔が面白くて、薫はつい笑ってしまった。上流階級のお嬢様で美しい女性なのに、茉莉恵は全く気取らない人だ。


「高明さんが生きていた頃は、あの三人ももう少し関係が良かったのだけど……残念ね」


 ふと、茉莉恵は遠くを見ながら高臣の双子の弟の話をした。薫は高明の話をあまり知らない。春江に少しだけ聞いたが、高臣にはなんとなく聞きづらい。迷いながらも薫は思い切って、茉莉恵に高明のことについて尋ねてみた。


「茉莉恵さん、高明様はご病気で亡くなられたと聞きましたけど……」

「ええ、そうよ。昔から身体があまり丈夫じゃなかったそうだけど、成人してからは怪異退治を手伝っていたみたいだし、元気になったと思っていたの。でも、ある時突然倒れてしまったみたいで……そのまま」

「そうですか……」

「高臣さんが、高明さんの棺に縋り付いて泣いていた姿、今でも忘れられないわ……本当にお気の毒だった」


 あの高臣が人前で泣くなんて、どれほど悲しかったのだろう。薫は高臣の気持ちを思って胸が痛んだ。


「思えばあの時から、高臣さんは私達に心を閉ざすようになってしまったの。高臣さんは恐らく、千里眼を持つ弟ではなく自分が生き残ってしまったと思っているのかもしれないわね……」


 茉莉恵は庭園を見つめながらため息をつく。高明が亡くなった後、母の鶴子は「千里眼の力が途絶えてしまう」と嘆いていたのだという。それを聞いていた高臣の心情を思えば、高臣が家族を遠ざけるようになったのも仕方がないことだと茉莉恵は薫に話した。


「おまけに修吾さんときたら、自分が妙前家の次期当主に繰り上がった後、どんどん謙虚さを失っているわ。何かというと『自分は次期当主だ』と威張ったりしているの。昔から高臣さん達に引け目を感じていたのよ、あの人は。怪異退治で成果を何度も上げていて、今上様への覚えもいい二人に比べて、修吾さんは……あ、ごめんなさい。ただの愚痴になっちゃったわね」


 茉莉恵は話しすぎたと思ったのか、ごまかすように笑った。


「だからさっきも二人は刺々しかったんですね」

「そういう事情なのよ。私からも後で修吾さんに釘を刺しておくけど、今度何か言われたら私に相談してね」

「ありがとうございます、心強いです」


 薫は茉莉恵に頭を下げた。妙前家の本家へ挨拶に行くと言われ気が重かったが、おかげで茉莉恵という素敵な女性と知り合えた。ここへ来て良かったと薫は思った。



♢♢♢



 薫と茉莉恵が話していると、女中が高臣を連れて部屋に入って来た。


「薫さん、話は済んだよ」

「高臣様」


 薫は椅子から立ち上がり、高臣を出迎えた。高臣からはさっきの険しい表情が消え、いつも通りの姿になっていた。


「高臣さん、あの頑固者達との話し合いは上手くいきまして?」


 高臣は茉莉恵に苦笑いを返した。


「ええ、茉莉恵さん。彼らには僕の気持ちをしっかりとお話しました。とりあえずは納得してもらえたはずです」

「まあ、良かったわね。志堂様も修吾さんも、本音では高臣さんの幸せを願っているはずよ」

「そうだといいんですが」


 ホッとする茉莉恵と笑顔で話していた高臣は、薫に向き直った。


「薫さん、さっきは不安な気持ちにさせてしまってすまない。実は、薫さんと契約結婚をすることを認めてもらう条件を出されていたんだ」

「……はい」


 薫は神妙な面持ちで高臣の話を聞く。


「千里眼を持つ僕の弟が亡くなったことで、僕が千里眼を持つ女性を妻にすることが、妙前家にとっての命題となってしまった。だが華族の中で千里眼を持つ女性の数はとても減っていて、候補はなかなか見つからない状態だった。そんな時に、僕はあなたを見つけ……両親は手放しで喜ぶと考えていたんだが、あなたが平民であることを気にして、なかなかいい返事をもらえなかった。このままだとらちが明かないと思い、折衷案として『別の候補者が見つかるまで』あなたを妻として認めるということになった……あなたにこのことを黙っていたことを、許して欲しい」


 高臣は薫に向かって頭を下げた。薫はその姿を見て慌て、茉莉恵は驚いた顔をした。


「高臣様、謝罪は結構ですから頭を上げてください」

「いいや。先に話しておくべきだったのに、黙っていた僕の落ち度だ。僕はあなたと結婚すると決めた時、他の誰が来ても相手を変える気などなかった。僕が結婚を軽々しく考えていると、あなたに思って欲しくなかった。僕にとっても、これは一生を決める話だ。いい加減な気持ちであなたに結婚を持ちかけたわけじゃない」


 薫は頭を下げたまま話す高臣を見ながら、困惑したように茉莉恵に視線を送った。茉莉恵は笑いをこらえたような顔で薫の背中にそっと手を添えた。


「高臣さんはどうやら本心から、あなたに謝っているみたいよ?」


 笑顔の茉莉恵に頷いた薫は、もう一度高臣に向かって「頭を上げてください」と声をかけた。高臣はようやく顔を上げて薫の顔を見る。眉を下げ、自信なさげな表情は今まで薫が見たことのないものだ。


「私は怒っていませんし、気にしないでください。高臣様の気持ちはよく分かりましたから……」

「……本当に?」

「はい。高臣様はご家族の前で、はっきりと言ってくれました。僕の妻は薫さんだと。その言葉が嬉しかったです」


 高臣は一瞬言葉を詰まらせると、ほんの少し笑みを浮かべた。その顔を見て、薫も自然と笑みがこぼれる。二人が見つめ合う姿を見た茉莉恵は目を細め、嬉しそうに見守っていた。




 薫と高臣は帰宅することになり、茉莉恵が見送りに出ていた。自動車に乗り込んだ薫と高臣に、車の外から茉莉恵が笑顔で声をかける。


「薫さん、またあなたとお話したいわ。今度帝都に行く機会があったら、ぜひお茶でもいかが?」

「もちろんです! 茉莉恵さん」


 笑顔で応じた薫は、高臣に視線を送る。高臣も穏やかな表情で薫を見た。


「茉莉恵さん、それではまた」

「ええ、またいつでもいらして? 今度来た時は修吾さんが失礼なことを言わないように、私からきちんと言っておきますから」

「頼みます」


 高臣は笑いながら答えた。二人が乗った車はゆっくりと動き出し、広い敷地を抜けて妙前家の正門を出る。


 高臣の実家を訪ねたことがきっかけで、薫は二人の夫婦関係が一歩進んだような気がしていた。これまではどこかおままごとのような、嘘のような夫婦関係であった二人が、本当の夫婦に少しだけ近づいた。


 薫はふと隣の高臣を見た。高臣の髪の毛が車窓から吹き抜ける風でなびいていて、その横顔は凛々しくもあり、表情は柔らかい。窓の外を眺めていた高臣の視線が不意にこちらに向きそうになり、薫は慌てて目を逸らした。

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