表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千里眼は闇を視る  作者: 弥生紗和


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/26

第11話 触れ合う手と手

 次の休日になり、高臣と活動写真を観に行く日がやってきた。先日三坂屋の外商からワンピースを買ったので、せっかくだからと薫はワンピースを着て出かけることにした。薫は普段着物ばかりで、ワンピースを着たのは初めてである。ひらひらしていて足元もスース―するワンピースには抵抗もあったが、実際に着てみると快適で動きやすい。

 髪の毛は後ろでひとつにまとめ、ワンピースと合わせて買った帽子を被る。ころんとした丸い形の帽子を被って鏡の前に立つと、薫はなんだか自分が上品な令嬢になったような気分だ。今日は春江に習った化粧もした。小ぶりで洒落た鞄にはハンカチと扇子を入れ、準備は万端である。


「とても素敵ですよ、薫様。高臣様が何ておっしゃるか楽しみですね」

「ありがとうございます、春江さん」


 鏡の前で自分の姿を確かめる薫に、支度を手伝っていた春江は微笑みながら声をかけた。


(高臣様、私の格好を見てどう思うかな……?)


 高臣が歯の浮くような褒め言葉を言うとは思えないが、何か反応してくれるかもしれないと薫は期待していた。




――玄関で薫と顔を合わせた高臣は、シャツの上にベストという夏らしい恰好をしていた。高臣の反応が気になった薫だったが、高臣は薫の格好をちらりと見ただけで何も言わない。


「用意ができたなら、出発しよう」

「はい……」


 どことなく落胆した気持ちで薫は答える。褒めてもらえるとは思っていないが、いつもと違う格好をしたのだから、せめて反応くらいは欲しいと思い、薫はなんとなく落ち込んだ。

 自動車は高臣が運転した。運転手の牧野は休日には休むので、高臣が直接運転することもある。二人きりで車に乗るのは初めてだったので薫は緊張したが、窓を開けていたおかげで彼女の緊張は少し和らいだ。




 劇場近くに車を停め、その先は二人で歩いて向かう。ここは帝都でも有数の繁華街で、ひっきりなしに人、人力車、自転車にバスなどの様々なものが通りを行き交う。すれ違う人々は皆お洒落をしていて、薫のように洋服を着ている女性も多い。薫の目には誰もが眩しく映った。

 薫は人混みが苦手だ。時折『怪異』の雰囲気を感じて、背筋が寒くなることがあるからだ。幸い今はそのような空気を感じないが、あの感覚は何度味わっても嫌なものだ。


「大丈夫か?」


 ふと隣を歩く高臣が薫に尋ねた。緊張していた薫は、いつの間にか顔色が悪くなっていたようだ。高臣に心配させたことに慌てた薫は無理に笑顔を作った。


「大丈夫です、人混みに慣れないものですから」

「気分が悪くなったらすぐに言いなさい」


 高臣は普段よりも優しい声だった。ふと薫は、高臣が自分に歩幅を合わせてくれていることに気づいた。


(私を気遣ってくれているんだわ)


 高臣の気遣いを感じた薫は、少し嬉しくなったのだった。




 劇場に到着すると、高臣が二人分のチケットを買いに窓口へ行く。高臣が戻るのを近くで待っていた薫は、高臣のことをチラチラ見ている女性達に気づいた。


(こうして見ると……高臣様って目立つのね)


 人混みに立つ高臣は、遠くからでも人目を引く立ち姿だ。すらりとした体格に姿勢の良さ、仕立てのいい服、整った顔立ち。彼が女性達の注目を集めるのは当然だろう。


(私みたいな女が横にいて、高臣様は平気なのかな)


 千里眼で結ばれた契約結婚とは言え、高臣は好きでもない女と夫婦になったことをどう思っているのだろう、そんなことを思いながら薫は高臣の後ろ姿を見ていた。



 チケットを買って戻って来た高臣と一緒に、薫は劇場の中に入った。劇場内には様々な活動写真のポスターが貼ってあり、中には多くの人がいた。


「どれがいいか分からないから、一番近い時間のものを選んだが構わないか?」

「はい、どれでもいいです……あ! これ『奥村真人おくむらまさと』の作品ですね!」


 チケットを改めて見た薫は、主演の名前を見て嬉しそうに話した。


「知っている俳優なのか?」

「ええ。新聞にこの人の特集記事が載っていて……とても面白かったので覚えていたんです。大人気の俳優さんらしいですよ」

「新聞を読んでいるのか?」


 高臣は不思議そうな顔で薫に尋ねると、薫は恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「はい……高臣様がいつも読んでいるものを、私も読んでみたいなと思って……私は高臣様のように賢くないので、せめて色々学べればと……」


 薫が俯く姿を見ながら、高臣は静かに言った。


「あなたは賢い人だ。そうやって自分を卑下するのは辞めたほうがいい」


 思わず薫は顔を上げ、高臣の顔を見る。近くで見る彼の顔は真剣そのものだ。


「はい、高臣様」

「……そろそろ次の回が始まる。席に行こうか」


 高臣はふっと薫から目を逸らすと、劇場内へと向かった。




 劇場内に隣り合って二人は座る。座席の間隔は狭く、二人の距離は近い。この状態のまま活動写真を一緒に観ることに、薫の緊張は一層高まる。活動写真は奥村真人演じる主役の男が幽霊の女に襲われ、それを退治するというちょっと怖い作品だった。それでも目の前に広がる大きなスクリーンに映し出された物語は素晴らしく、薫は夢中になって見ていた。ふと隣が気になって視線を横に移すと、高臣も真剣な表情で作品を観ているようだった。どこかホッとした気持ちで、再び薫は作品に目を移す。



 一方、高臣も薫が真剣に作品を観ている表情を見ていた。ガラス玉のような薫のキラキラした瞳は、真っすぐにスクリーンに向いている。見慣れない洋服は彼女によく似合っていて、高臣は何度も「素敵だ」という言葉を飲み込んでいた。


 薫に視線を気づかれないよう、高臣は彼女から目を逸らしてスクリーンに向けた。



♢♢♢



 劇場を出た薫の顔は明るい。


「とても面白かったです! あの幽霊、どうやって撮影したんでしょう? 本物にしか見えなかったです」

「そうだな、よく出来ていた」


 薫は活動写真がすっかり気に入ったようだ。薫の笑顔を見ると高臣の頬も自然に緩む。


「せっかくだから、近くのカフェーにでも入ろうか」

「はい! 私、カフェーに入るのも初めてなんです。どんな所なのか楽しみです」

「……実は僕もあまりカフェーには行かないが、直弥にいい店があると勧められたんだ」


 高臣は少し気まずそうな顔をした。直弥に薫を活動写真に誘ったと打ち明けたところ、まさか活動写真だけ観て帰るつもりかと呆れられ、カフェーくらいは行った方がいいと勧められた。直弥に勧められた店は劇場の近くにあり、活動写真を観た客がカフェーで珈琲を飲むのがお決まりだ。二人はカフェーに入り、窓際の席に案内されて座った。窓からは通りを行き交う人々が見え、店内は落ち着いた雰囲気で蓄音機からは音楽が流れていた。


「何が飲みたい? 薫さんは何でも好きなものを頼むといい」

「私は……そうですね、やっぱりこの『珈琲』というものを飲んでみたいです」


 飲み物はあっさりと決まったが、薫はメニューをじっと見ながら、まだ何か悩んでいるようだ。


「何か食べたいものがあるのか?」

「いえ! 大丈夫です」


 薫は慌ててメニューから目を離す。だが彼女がメニューに書いてある『アイスクリーム』に目が釘付けだったのは明らかだ。高臣は口元に笑みを浮かべる。


「薫さん、アイスクリームを食べたことは?」

「いえ、ありません」

「そうか。ならアイスクリームも頼もう」

「いいんですか?」


 遠慮する薫に構わず、高臣は女給を呼んで珈琲二つとアイスクリームを注文した。少し待つと女給が注文した品を持ってやってくる。薫は目の前に置かれた『アイスクリーム』を珍しそうに見ていた。それは少し黄みがかった丸い形のもので、ガラスの器に乗っていた。


「溶けてしまう前に、食べた方がいい」


 いつまでもアイスクリームを見ている薫に、高臣は食べるよう促した。薫はようやくスプーンを手に取ると、アイスクリームをすくって恐る恐る口に運んだ。


「……美味しい! 甘くて冷たくて……こんな美味しいもの食べたことがないです」


 アイスクリームの美味しさに驚いた薫は、高臣の顔を見て嬉しそうに笑った。薫はアイスクリームを一口一口大事そうに食べ進め、何度も美味しいと呟いては微笑む。その笑顔は無邪気で、高臣の知らない顔だ。


(……薫さんは、本当は明るい人なのだろうな。千里眼のせいで、幼い頃から自分を抑えて生きて来た人なのだろう)


 薫が嬉しそうな顔をしているのを見ながら、高臣はそんなことを思った。




「――美味しかったです、ありがとうございます」


 店を出た薫は高臣にお礼を言った。


「礼などいい。僕も一休みできて良かった。では、車に戻ろうか」

「はい」


 二人は並んで歩き出す。夕方になり、ますます人出は増えていた。人混みに慣れない薫は人を避けながらなんとか歩いていたが、とうとうすれ違う人にぶつかりそうになり、体がぐらりとよろける。


「危ない!」


 咄嗟に高臣は薫の手を取った。薫は高臣の行動に驚きながら「……すみません」と呟く。


「気をつけて」


 声をかけた高臣は、そのまま手を離さない。手を握ったまま歩く高臣は、ふと薫が指をきゅっと軽く握ってきた感触に気づき、身体じゅうが痺れるような感覚を味わった。


(なんだ、この感覚は)


 それは「愛おしい」と言う感情だった。高臣の全神経が薫と繋ぐ手に集中していた。二人は言葉を交わさず、お互いに前を向いたまま歩いていた。


 このまま薫の手を離したくない。高臣はこの時、初めてそう思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ