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ドアマット・ヒロインが、やり返さなくてイライラしたので代わりにやってみました  作者: 星森 永羽


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7/9

突然、日本へ



 夜会の会場は煌びやかなシャンデリアが輝き、貴族たちの笑い声が響いていた。

 私は淡い色の簡素なドレスを着て、ロベルトの隣に立った。


「信じられん。ドレス全部、売り払ったなんて」


「あなた怪我しててパーティー出れないし、要らないと思ったんだもん。早く売らないと、型も古くなるし」


 ロベルトは額を押さえた。


「はあ……まあいい。多めに作っておけば年末も着られる」


「そうね、今のうちに出ておきましょう。来年の社交シーズンは、国内をグルグル回るから」


 ロベルトが、ぎょっとした。


「俺は忙しいんだぞ。お前が政務しないせいで」


「そういう契約だもん。あなたは籠って働けばいい」


「書類仕事は、どこでもできる」


「まさか、ついて来ないよね?」


「一緒に行かないと、不仲だと思われるだろう」


 私は肩をすくめた。


「結婚式に参列した人たちは、私たちの間に修復不可能な亀裂を見たのよ。今更どうしろっていうの」


「……あそこから持ち直した俺を、世間は評価するだろう」


 私は呆れて深くため息をついた。

 この人は本当に、自分の評価のことしか考えていないのか。



 そうしてるうちに、貴族たちが次々と挨拶に来た。

 話題はどれもこれも──


「妃殿下のバーベキューが大評判でして」

「孤児院の子供たちが“ミア様のお弁当”と喜んでおりました」

「王都の食文化が変わったと噂です」


 ロベルトは横で、ずっと不満げな顔をしていた。

 自分より私の方が人気があるのが気に入らないのだろう。


 私は笑顔で応対しながら、内心でため息をついた。




 夜会が終わり、私は自室に戻った。本来の妻の部屋だ。交換をやめた。

 ロベルトもついてきて、勝手に椅子に座る。


「みんな“常識を打ち破った”って言いながら、私を非常識って言いたいのよ」


「そんなことくらい、わかってる」


「だったら機嫌、直しなさいよね。子供じゃないんだから」


「はあ……君は、これからどうするつもりだ?」


 私は淡々と答えた。


「友好条約がなくても戦争にならないように尽力して、終わったら離婚して母国に帰る」


 ロベルトの表情が固まった。


「……何? 離婚するつもりだったのか」


「逆に離婚したくない理由がない」


 ロベルトは言葉を失い、翡翠色の瞳が揺れた。

 その顔は、まるで世界が崩れた子供のようだった。


 ──でも、私の心は揺れなかった。


 この結婚は政治の道具でしかない。

 私の人生は、私が決める。


 ロベルトが突然距離を詰め、私はソファに押し倒された。

 逃げ場を塞ぐような動きだ。


「白い結婚の約束でしょ」


 私は努めて冷静に言った。


「1回、抱かれれば、お前は俺から離れられなくなるはずだ」


 ロベルトは自信満々に言い放つ。


 私は思わず吹き出した。

 でも、反論しようと口を開いたのに──声が出ない。


 ……え? なんで?


 焦る私を見て、ロベルトは勝手に解釈した。


「言い返してこないのは、俺を受け入れるということだな」


 ち、違──


 声にならない。


 その瞬間、視界が真っ白に染まった。


 ──白い世界……。


「お疲れ様」


 振り返ると、そこに“ミア”がいた。

 原作で読んだままの姿──金髪、アメジストの瞳、儚げな雰囲気。


「え……あなたは」


「原作のミアよ」


「……今まで、どこにいたの?」


「日本のあなたの体に入ってたわ」


「嘘でしょ?!」


 ミアは微笑んだ。

 どこか寂しげで、でも満足したような顔。


「では、もう交代だから。色々ありがとう」


「ちょ、ちょ、ちょっと待って──!」


 白い光が強くなり、私は思わず目を閉じた。



 まぶたを開けると、見慣れた天井があった。

 自分の布団、自分の部屋、日本の空気。


「……戻ったんだ……」


 胸の奥がじんわりと熱くなる。

 夢のような異世界の日々が、ゆっくりと現実から離れていく。






 翌朝。

 私はスーツに袖を通し、いつものように会社へ向かった。

 だが──エントランスに入った瞬間、空気がざわついた。


 社員たちが私を見て、ひそひそと囁き合っている。


 ……え? なんで、こんなに見られてるの?


 私は気にしないふりをして、セキュリティゲートに社員証をかざした。


 ──ピッ。


 赤いランプ。

 ゲートは開かない。


 え? え? なんで?


 もう1度かざす。

 また赤。


「何してるんですか!」


 鋭い声が飛んだ。

 振り返ると、黒縁メガネに無造作ヘアの青年──木沢が立っていた。

 身長は高め、スーツは皺だらけ、だが目だけは鋭い。


「木沢くん。久しぶり……じゃなくて、社員証が反応しないの」


「反応って……あなたはもうクビになったでしょう」


「え」


 頭が真っ白になった。




 会社近くの喫茶店。

 木沢はコーヒーを前に、信じられないという顔で私を見ていた。


「部長が抱えてたプロジェクト全部、自分でダメにしたんですよ」


「…………」


 私は絶句した。

 そんな覚えは一切ない。

 というか──私は異世界にいた。


「記憶が……? でも確かに変でしたね。今までの部長とは、まるで別人で。何があったんです?」


 本当のこと言ったらどう思われる?

 精神病棟? 強制入院?

 いや、さすがにそこまでは……。


 でも、嘘をつく気力もなかった。


「……あの……」


 私は深呼吸し、覚悟を決めた。


「今まであったことを全部話すね」


 異世界での生活。

 ミアとしての4か月。

 ロベルト、料理、オブアート、政治、そして“原作ミア”との交代。


 木沢は途中からコーヒーに手をつけるのも忘れ、ただ黙って聞いていた。


 私は話し終え、息を吐いた。


「……以上が、全部」


 私が異世界での出来事をすべて話し終えると、木沢は──絶句した。


 口を開けたまま固まり、しばらくしてから、ようやく声を絞り出す。


「……考えられない。けど、そう言われればわかるかも。だって部長、スマホの使い方すらわからなくて、1から教えたんです」


「あー……そこから……よく出社できたね」


「連絡取れなかったから家に直接、行きましたよ。死んでたら困ると思って」


「…………」


 私は頭を抱えた。

 異世界でミアとして生きていた間、現実の私は“完全に別人”として動いていたのだ。


 そりゃクビにもなる。


「これから、どうするんです? 同業は無理ですよ。もう評判、最悪なんで」


 木沢の言葉は容赦がない。

 でも事実だ。

 解雇されるレベルの失態を“自分がやったことになっている”のだから。


 関係ない業界に行くしかない……。

 この年齢でキャリア捨てるの、キッツイ……。


 私はコーヒーを見つめながら呟いた。


「しばらく田舎で飲食店やろうかしら」


「預金あるんですか? 賠償金かなり払ったでしょう」


「ば……」


 私は慌ててスマホを取り出し、ネットバンキングを開いた。


 ──残高:24万円。


 ……え?

 え? 7000万あったよね?

 なんで?


「嘘でしょ……」


 声が震えた。

 喫茶店のざわめきが遠くなる。


 木沢が眉をひそめる。


 私はスマホを握りしめたまま、言葉を失った。


 4か月。

 その間に、日本の私は──

 人生も、仕事も、貯金も、全部失っていた。




 どうやって帰ってきたのか、記憶が曖昧だった。気が付けば家の前──アスファルトの上に立っていて、街灯の光が私の影を細長く伸ばしていた。頬に触れる風は夏の匂いがして、現実に引き戻されるたび胸がざわつく。


 とにかく! 賃貸を解約しないと! 家賃が払えなくなる!

 あのヒロイン、何してくれてるのよ!


 私はスマホを握りしめ、不動産会社に解約の電話を入れた。画面に映る自分の顔は疲れ切っていて、目の下の影が濃い。けど、やるしかない。


 それから自宅でパソコンを立ち上げ、クレジットカードの使用履歴を確認する。画面に並ぶ数字を追った瞬間、背筋が凍った。カードが止められていて、未払いが120万。


「ええええ……」


 声が裏返った。3LDKのマンションに私の情けない声が響く。

 白い壁、間接照明、生活感のない部屋。何年も働いて積み上げてきたものが、たった4ヶ月の不在で崩れ落ちるなんて。


 ──住所があるうちに動かないと終わる。


 私は片っ端から派遣会社の面接を受け、即日働き始めた。

 スーツはクリーニングに出す余裕もなく、皺を伸ばして誤魔化した。鏡に映る私は、髪をひとつにまとめ、目だけが妙にギラついていた。生き延びるための顔だ。


 同時に、部屋にあるブランド品やインテリア家具を全てネットで売り払った。お気に入りのバッグも、奮発して買ったソファも、写真を撮って出品するたび胸が痛んだ。でも、カード破産せずに済んだ。


 しかし、新しく借りられた家は築60年の4畳1間のシェアルームで、風呂もトイレも共用だった。薄い木の扉、軋む廊下、共同キッチンから漂う誰かのカレーの匂い。

 派遣バイトは賃貸契約において無職に近い扱いで、保証人も預金もない私が借りられたのは、ここが限度だった。


 布団を敷くと部屋の半分が埋まり、天井のシミが目に入る。私は深く息を吐いた。こんなはずじゃなかったのに。けれど、泣いている暇はない。生きるために、働くしかない。




 銭湯からの帰り道、秋の夜風がまだ肌に残っていた。古いシェアルームの薄い扉を開けると、共同廊下の蛍光灯がちらついた。

 私はコンビニで買った弁当をテーブル代わりの段ボール箱に置き、割り箸を割る。湯気の立たない冷めた唐揚げ弁当を口に運びながら、深くタメ息をついた。


 この分じゃ今頃、異世界で改革したものも全部台無しにされてるだろう。あのヒロイン、本当にあり得ない。疫病神みたいな女。


 私は弁当の蓋を見つめたまま、胸の奥がじわじわと熱くなるのを感じた。悔しさと、虚しさと、怒りが混ざったどうしようもない感情。けれど、ふと手が止まる。


 でも……待って。あの時って確か、原作を読んで「私ならこうする」って強く思ったらミアに憑依したんだよね。ってことは、もう1度やれば……。


 私は姿勢を正し、スマホを手に取った。画面に映る自分は、湯上がりで頬が少し赤く、髪はタオルドライのまま肩にかかっている。目だけが妙に真剣だった。


 万一に備えて、クレジットカードと銀行は1つだけ残して解約しよう。公共料金の支払いは、全てコンビニか銀行引き落としにする。

 スマホは、パスワード式のロックに変更。そう。面倒臭がって全部、指紋認証にしたから、こんな目に遭ったんだ。もう、しない。


 私は弁当の最後の一口を飲み込み、空の容器をゴミ袋に押し込んだ。薄いビニールがくしゃりと音を立てる。狭い部屋の空気が、決意で少しだけ引き締まった気がした。


 やり直せるなら、絶対に取り返す。あの世界も、私の人生も。





 数日後。私は必要な準備を全て終え、古いシェアルームの薄い机にノートパソコンを置いた。蛍光灯の白い光が画面に反射し、狭い部屋が少しだけ明るく見える。深呼吸して、小説アプリを開いた。


 ページが表示された瞬間、私は目を疑った。ストーリーが……変わっている。ヒロイン・ミアが、自分を虐げようとした相手を容赦なく叩き潰していくのだ。


 ──ドアマット・ヒロイン、どこ行った?

 っていうか、これ、私の話じゃない?


「嘘でしょ……」


 私は画面に顔を近づけた。スクロールする指が震える。


 私と入れ替わった後のヒロインは、ロベルトの子を妊娠していた。けれど夫婦仲は冷えきっていて、文章から漂う空気が刺すように痛い。


「お前は、ミアじゃない。ミアになりすました魔女だ」


 ヒロイン──ミアは、夫のロベルトに言い返す。


「私が本物のミアです」


「いや、ミアはもっと強く、知略に長けている。それにキャラ弁も今までとデザインが、まったく違う」


「あれは! キャラ弁は、本当に私のアイディアで──」


「くそっ。俺の子を妊娠していなければ火炙りにしたのに」


「そんなっ」


 ここまで読んで、私は思わず小説を閉じた。


「このままでいいんじゃない? なんか、ちょっとだけスッキリした。いや、まだムカつくけど……寝よ」


 布団を敷いた4畳の部屋は狭いけれど、私はそのまま横になった。天井のシミを見つめながら、胸が軽くなるのを感じた。




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