離婚の原因は価値観の不一致
焼き上がったラザニアは、表面がこんがりと色づき、湯気と共にチーズの香りが広がった。
ホワイトシチューはとろりとした白い海のようで、深い香りが漂っている。
皆でテーブルを囲み、皿を手に取った。
「ミートソースに醤油を入れると酸味が消えて、ホワイトシチューに味噌を入れるとコクが出るの」
私が説明すると、ゾフィがスプーンを口に運び、目を細めた。
「んー美味しい」
傭兵たちは言葉もなくガツガツと食べている。
その勢いは戦場と変わらない。
ふと視線を感じて振り向くと、元からいる使用人たちが厨房の入口から覗いていた。
香りにつられて来たのだろう。
皆、遠慮がちに皿を見つめている。
「食べたいの? 王子宮にいる使用人、全員分のシチューならあるわよ?」
使用人の1人が驚いたように目を見開いた。
「良いのですか?」
「ええ、後で感想を聞かせてもらえると嬉しい」
その瞬間、使用人たちの顔がぱっと明るくなった。
ホワイトシチューとラザニアの香りが厨房いっぱいに広がり、元からいる使用人たちが次々と皿を手にしていった。
皆、最初は遠慮がちだったのに、一口食べた瞬間、表情がぱっと明るくなる。
「美味しい……!」「こんな味、初めてです……!」
涙ぐむ者までいて、私は思わず笑ってしまった。
「もっと美味しいものを食べたくない?」
「え?」
使用人たちは一斉に私を見た。
その目は期待と驚きで揺れている。
食後。厨房を出て廊下を歩くと、控えていたアルペが小声で話しかけてきた。
茶髪の青年は真面目な顔をしているが、目の奥には驚きが隠せていない。
「不穏な動きしている乳母派のメイド達を、まさかヒーイズル国に派遣するとは……」
「これで静かに暮らせるわね」
私は軽く肩をすくめた。
本当は使用人を全員入れ替えたい。
でも悪事の証拠がなければ解雇できないし、1人ずつ調べるには人数が多すぎる。
だから──怪しい人達を、まとめて国外へ飛ばすのが1番早い。
金髪碧眼のキルが、無邪気な笑顔のまま感心したように笑った。
「天才の所業です。ヒーイズル国に貿易会社を作れなんて。一生、帰って来られない!」
「鎖国中だから、斬られるかもしれないものね。うまく行かなければ、解雇しちゃえばいいし」
鋼の体格のガルドが腕を組んだ。
「どちらにせよ、もう帰って来られない」
ヒーイズル国は、船で片道半年~1年かかる。
路は海賊だらけだし、木製のちゃちな船は、嵐で簡単に壊れる。
ヒーイズル国に辿り着いても、入国できるとは限らない。入国できても異人差別が酷いはずだ。
キルが笑いながら続けた。
「使用人たちはヒーイズルが鎖国してると知らないから、むしろ栄転だと思ってますよ」
「滑稽よね」
王宮の空気が、少しずつ私の望む形に変わっていく。
──静かで、清潔で、裏切りのない場所へ。
夜の静けさを破るように、扉が勢いよく開いた。
「おい!」
ロベルトが車椅子のまま突っ込んでくる。
ハニーブラウンの髪は乱れ、翡翠色の瞳は苛立ちで濁っていた。
「着替え狙って入室してくるなんて変態よ」
「っ……! べ、別に、お前の着替え見たからって何とも思わん。それより、お前が部屋を片付けさせているせいで眠れないぞ」
私は深くため息をついた。
「なんだ、そのタメ息?」
「本来、あなたが命じてラーラのもの撤去させるのが筋よ。
あなたって、いつも逆ギレしてるわね。何の病気?」
ロベルトは口を開きかけて、閉じた。
翡翠色の瞳が揺れ、言葉を失っている。
「用事それだけ? 謝らないなら目の前から消えて」
ロベルトは悔しそうに唇を噛んだ。
「白いスープは、どこで習った?」
「ああ、昼間のシチューのこと? どこってわけじゃない。オリジナル」
「オリジナルで、あれを? オムライスというのは何だ?」
「えいっ」
私はロベルトの怪我している脇を殴った。
ロベルトは情けない声を上げ、車椅子ごと横に倒れ、床を転がった。
「ぐっ……!」
アルペが慌てて駆け寄る。
「本当に容赦ないですね……」
私は肩をすくめた。
──容赦なんて、する必要がどこにあるのかしら。
ミア邸の応接間は、王宮とは違う静けさに包まれていた。
私は自分で買ったこの家で、ようやく落ち着いた生活を取り戻していた。
そこへ、扉が乱暴に開く。
「お前がいないせいで、飯が不味くなった。ここで何をしてる?」
ロベルトが車椅子のまま乗り込んできた。
襲撃から1ヶ月ほど経過して、怪我は回復傾向にある。
「自分が買った自分の家で、暮らしてるだけだけど? 食事なら、料理人を呼び戻せば? まだ近郊都市にいるでしょう」
「……料理人が作ったものより、お前の発明の方が旨い」
「それで?」
「王子宮の料理係りに任命する」
「はあ……」
私はロベルトの脇を蹴ろうとしたが、護衛騎士が素早く盾を出し阻まれた。
「そう何度も同じ攻撃を食らうか」
「あなたオブアートは、どうしたの」
「描いてきた」
ロベルトは懐から数枚の紙を取り出した。
繊細な線、柔らかい色彩。
原作で“天才画家”と持ち上げられていた片鱗が、確かにそこにあった。
ロベルトは政治家としても画家としても優秀──というのが原作設定だ。
だが、物語の“優秀キャラ”は大抵優秀ではない。
ドアマット・ヒロインが夫(もしくは父)の仕事を押し付けられて、領地を立て直すテンプレストーリーが大量にある。
──それこそが矛盾である。
領地経営も商売も、基礎知識なしでは不可能だ。
執務室には法律書が並び、弁護士や法務官と会うのが普通。
宗教上離婚できない国でも、抜け道はある。
日本にだって駆け込み寺があった。
──つまり、優秀設定のドアマット・ヒロインは自分を保護する法や制度を知ってる、もしくは詳しく調べられるのに逃げない。
すぐ離婚できなくても、教会に訴えて別居するくらい出来るのに。
本当に優秀ならイージー・ゲームなはずだ。
中には自分が仕事しないと領民が困る、という理由で自己犠牲を発揮するヒロインもいるが、クズで無能な領主など交代させた方がいい。余計なことすんなって話である。
話を戻すとロベルトは、優秀という設定なだけで中身はゴミだと思っていたけど、絵を見ると意外に地頭はいいかもしれない。
「これ……匿名で出すの?」
「よくわかったな」
「王妃陛下に暗殺されたくないんでしょう」
ロベルトは側室腹。
王妃にとっては邪魔な存在だ。
彼はポテンシャルを見せると安全を脅かされるので、能ある鷹は爪を隠してるらしい。
「……やはり、間者を忍ばせていたとしか思えん。いいだろう、お前の味方を見つけ出してやる」
私は肩をすくめた。
原作の知識を言ってるだけなので、予め間者を入れてただけではない。
この世界に転生か憑依したのは、結婚式の時だもの。
それから王子宮の空気は、以前とはまるで別物になっていた。
ロベルトが「間者かもしれない」と疑心暗鬼になって、前からいた使用人を片っ端から解雇したのだ。
私は、その隙に自分で面接した使用人を次々と雇い入れた。
──願ったり叶ったりである。
王子宮は、ようやく“まともな家”になった。
裏切り者も、乳母派のスパイもいない。
料理も掃除も、すべてが清潔で静かで、私の望む環境に整った。
「王子宮も落ち着いたし、そろそろ自分ち帰るわ」
人の総入れ替えのため、女主人としての仕事が増えてしまい、王子宮暮らしに戻って2ヶ月経った。
私がそう言うと、ロベルトは椅子から跳ね上がった。もう怪我は、殆ど良くなっている。
「はあああ?! 俺を置いていくのか?」
私はコテンと首を傾けた。
「近くにいない方が、互いに幸せじゃない」
「っ……! お、俺のオブアートは誰が見るんだ?」
「食べる人」
「お、お前は見たくないのか」
「気にならないこともないけど、どうしてもってほどじゃない」
ロベルトの翡翠色の瞳が揺れた。
“見てほしい”という気持ちが透けて見える。
でも私は、あえて軽く流した。
するとロベルトは突然、胸を張って言い放った。
「お、お、俺は怪我が治ったから夜会に行くぞ」
私は思わず吹き出しそうになった。
──ああ、この人、本当にわかりやすい。
私が離れると言った途端、
“他の女に囲まれてやる”
とでも言いたげな、子どもみたいな意地。
でも、そんな脅しで私が動くと思っているあたりが、やっぱり甘い。
「行ってらっしゃい」
「お前も行くんだろう!」
翡翠色の瞳が焦りで揺れている。
「え、もう社交シーズン終わるじゃない。ドレス仕立てて終わる頃には皆、領地じゃないの?」
「夜会など自分で開けばいい。そこでオブアートの御披露目をする」
「匿名で?」
「違う。俺名義で。俺が世間に認められたら見直すか?」
私はため息をついた。
「見直して欲しいなら、まず私が許すまで誠心誠意謝りなさいよ」
「王族が間違いを認めてはならない」
「おやすみ、バイバイ」
ロベルトは言葉を失い、口をぱくぱくさせていた。




