料理で救う
石造りの厨房は朝の熱気で満ちていた。
王宮料理人たちがずらりと並び、緊張した面持ちで私を見ている。白いコック服に身を包んだ彼らは、この国で“腕は確か”と評判の者ばかりだ。
「今からオムライスとミートパスタ、牛すじビーフシチュー、英字ビスケットの作り方を教えるから、覚えてちょうだい」
料理人たちがざわめいた。
聞いたこともない料理名ばかりなのだから当然だ。
私は手際よく材料を並べ、1つずつ説明していく。
玉ねぎを刻む音、鍋の沸騰する音、香りが立ち上るたびに料理人たちの目が輝いていく。
「ケチャップライスは、炒めると大量生産できないからピラフにする。できたら、ケチャップで絵や文字を描くの」
料理人たちが息を呑んだ。
ケチャップで絵を描くという発想以前に、この世界にはケチャップが存在しなかったからだ。
私は笑って、鍋の蓋を開けた。
湯気が立ち上り、バターと玉ねぎの香りが厨房いっぱいに広がる。
昼近くなった頃、薬草の匂いをまとったグレイヴと、金髪に青い瞳の絵師リュシアンが姿を見せた。リュシアンは芸術家らしいゆったりした服を着ていて、指先には絵の具の跡が残っている。
「妃殿下が料理を?!」
リュシアンが目を丸くした。
その反応が少し可笑しくて、私は笑った。
「ええ、ちょうどいいわ。オムライス作るから何か描いてみて」
私は手鍋を火にかけ、バターを溶かし、卵液を流し込む。
オムレツタイプのオムライスを作るのは久しぶりだ。
卵がふわりと膨らむ瞬間、料理人たちが息を呑んだ。
「我々に教えてくださったのと違いますが」
「あれは一般に普及させるために、簡単にしたものよ。薄焼き卵タイプね。これは時間がある時に作るの」
料理人の1人が、手鍋を濡れ布巾に置く私の動きを見て首を傾げた。
「なぜオムレツを作るのに手鍋を一度、濡れ布巾に置くのです?」
「高熱に卵を入れると硬くなるし、焦げ目がつくからよ」
料理人たちが一斉に頷いた。
この世界にはない調理理論だから、彼らの目が輝いている。
私はふわとろのオムレツをケチャップライスの上に滑らせ、ナイフで切れ目を入れた。
卵がとろりと広がり、リュシアンが思わず息を呑む。
「さ、描いてみて」
リュシアンは真剣な表情でスプーンを手に取り、慎重に線を引き始めた。
金髪が光を受けて揺れ、青い瞳は絵に集中している。
その指先は繊細で、まるで絵画のキャンバスに向かう時と同じだ。
やがて──私の顔が、オムライスの上に浮かび上がった。
「うふふ。上手いわね。食べていいわよ」
「妃殿下の顔を頂くのは、畏れ多いのですが」
「私が許可したから、いいのよ。食べ終わったら打ち合わせしましょう」
リュシアンは恐る恐るスプーンを入れ、そして驚いたように目を見開いた。
味に感動しているのが一目でわかる。
私は料理人たちへ向き直った。
「あなた方は、貧民街に派遣します。今、教えた調理法を普及してきなさい」
料理人たちは驚きつつも、深く頭を下げた。
王宮料理人が貧民街へ行くなど前代未聞だろう。
でも──これで貧民そのものが減るだろう。まず、そこからだ。
夕陽が王都の中央広場を赤く染めていた。
石畳の上には騎士団が整列し、使用人たちも集まっている。鎧の金属音や、エプロン姿の使用人たちのざわめきが混ざり合い、いつもよりずっと賑やかだ。
一般の人々も「何事だ」と集まり始め、広場はあっという間に人で埋まった。
「王宮の料理人がいなくなったから、これから私たちで料理するわ。
とりあえず今夜は、バーベキューにしましょう。明日は、ビーフシチューでも作ろうかしら」
私が宣言すると、広場がどよめいた。
騎士たちが薪を運び、使用人たちが野菜を切り、傭兵たちが巨大な鉄板を担いでくる。
火が上がり、タレを絡めた肉が焼け始めると、甘辛い香りが風に乗って広場中に広がった。
ワイワイと皆で作り、焼き上がった肉は野次馬にも振る舞った。
焼き肉のタレを口にした瞬間、涙を流す者が続出した。
「う、うまい……!」「こんな味、初めてだ……!」
中には、皿を抱えたまま震える老人までいた。
大袈裟に見えるが、貴族は香辛料まみれ、平民は塩スープが通常の食事なのだ。
「どうやって作るんだ……? 教えてくれ……!」
頼んでくる市民に、私は笑って答えた。
「そうね、レシピを知りたいなら、うちの料理人になりなさい。それが条件よ」
広場がざわつき、何人かが本気で申し出ようとしていた。
王都の食文化は、今日を境に変わるだろう。
夜になり、私は妻の部屋に行った。
ハニーブラウンの髪を乱したロベルトは、翡翠色の瞳を疲れたように細めている。怪我だらけの体をベッドに預け、王子らしい威厳はどこにもない。
「ねえ、この調子だと国内から米がなくなりそうだわ。ヒーイズル国から苗を輸入してちょうだい」
「な、何て? 何が、どうなってる?
そして、夕食がパンと水だけだったのは、お前のせいか?」
「今日は広場でバーベキューしたの」
「……それで米を配ったのか? あの飼料用の不味い穀物」
私は首を振った。
持ってきた籠から、お握りを取り出し、ロベルトに差し出した。
「これよ」
ロベルトは目を見開いた。
白く輝く米粒がぎゅっと握られ、海苔の代わりに薄い塩がまぶされている。
この世界では見たこともない形だ。
「夜食用にとっておいたの。あげる」
白い米粒が光を受けて輝き、ほんのり塩の香りが漂う。
「毒が入ってるに決まってる」
「あっそう」
私はそのまま自分でかじった。
モグモグと噛む音が部屋に響く。
「ぬ……一口寄越せ」
「あら。王族なのに無作法ね。はい」
ロベルトは手を伸ばし、私の手からおにぎりを受け取った。
そして一口かじった瞬間、翡翠色の瞳が大きく開いた。
「っ! これが米? 前に試食したのと、全く違う」
「もしかしてパエリア食べた?」
「ああ」
「あー、それでパサパサだったのね」
「そうだ」
「米は炊くかリゾットにしないと」
「炊く?」
「料理しない人に言っても仕方ないじゃない」
ロベルトはおにぎりを見つめたまま、真剣な顔になった。
「いや、これを兵糧にできたら小麦粉を持ってくより、ずっといい」
「だったら、ジャポニカ米輸入してよ。そしたら教えてあげる」
「お前が使節団として行ってこい」
「いいの?! やったー! 10年に1回帰ってくるね」
「ちょちょちょ、何で10年?!」
「向こうを拠点にするから」
「お前はエレンガード国の王子妃だぞ? 一応な!」
「あなた次男じゃない。ラーラは流石に、もう処刑確定だけど。別の代役、探せば? 宮の中に、まだお手付きいるんじゃないの?」
ロベルトは言葉を失い、視線を逸らした。
その横顔は、王子らしい整った造形なのに、どこか子どもみたいに不器用だ。
「……オブアートは、どうする?」
「ヒーイズル国で流行らせる。キャラ弁も、ヒーイズル国の食材の方が作りやすいし」
「……行くとしたら、いつ行く?」
「明日」
「使節団は検討しておく」
「何で?!」
「俺とキャラ弁作るのが先だ」
私は思わず吹き出した。
「ふうん。一緒に遊んで欲しいのね。まあいいわ。明日からキャラ弁のレシピ考えるの。仲間に入れてあげるわ」
「……」
ロベルトは返事をしなかった。
でも、その翡翠色の瞳はほんの少しだけ、悔しそうに、そして嬉しそうに揺れていた。
翌朝、私はスケッチブックに描いた猫の顔をロベルトに見せた。
翡翠色の瞳がじっと絵を追い、ハニーブラウンの髪が揺れる。
「これは? 猫か?」
「そう。海苔がないから黒線はイカ墨パスタを作りましょう。
猫型の弁当箱つくって、それに入れて販売すれば、客は弁当箱を再利用できて一石二鳥よね?」
ロベルトはしばらく黙っていた。
王子らしい整った顔立ちが、理解と困惑の間で揺れている。
「……キャラ弁って、こういう物なのか?」
「抽象画描きたいならオブラートに描いていいわよ。キャラ弁で抽象画つくっても誰も食べないから。想像したのと違った?」
「いや……この猫の弁当を作って販売するのか?」
「そう。実際に、お弁当にして売るのは孤児院の子供」
「は? 公営食堂を開くのではなく?」
「え、だって私いまお金に困ってないもん」
私は肩をすくめた。
持参金も、嫁入り道具を売った金も全部自分の物。
日本円に換算すれば、数十億円分はある。
ロベルトは言葉を失い、翡翠色の瞳を細めた。
「後は頭巾ウサギと黄色い雷獣とリラックスしてる熊と、うーん、パンダがいいかも?」
デザインを考えていると、ロベルトは眉をひそめた。
「子供達に職業訓練させるのか」
「手に職をつけれない子供が、マフィアや娼婦になるのよ」
ロベルトは息を呑んだ。
王子としての教育を受けてきた彼には、あまりに現実的な言葉だったのだろう。
「……自分の利益を優先しないのか。これなら母国でも売れる」
「あなたみたいに自分の快を追及して、その邪魔になるものは虐げるっていう発想の人とは解り合えないと思うの。
あなたは、ただ自分の絵を多くの人に届けるためにオブアートすればいい」
ロベルトは黙り込んだ。
翡翠色の瞳が揺れ、何かを飲み込むように視線を落とす。
妻の部屋でキャラ弁のデザインを続けていると、扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。
白髪の執事が姿を見せ、眼鏡の奥の黒い瞳を細めて丁寧に頭を下げる。
「グレイヴが試作品を持って来ました」
「え、昨日の今日で?」
思わず声が上ずった。
あの薬師、やる気がありすぎる。
「客室に案内しましたが、こちらにお通ししましょうか」
「うーん、そうね、あちらの部屋に」
私は隣にある応接室を指した。
薬草の匂いが強いグレイヴを、怪我人の部屋に入れるのは少し気が引ける。
しかし──
「ここに通せ」
ロベルトが低い声で遮った。
私は肩をすくめた。
「……本人がそう言うなら、ここでいいわ」
執事が静かに頭を下げ、廊下へ戻っていく。
ロベルトは腕を組み、怪我だらけの体をベッドに預けたまま、どこか不機嫌そうに息を吐いた。
──どうやら、オブアートの進捗は気になるらしい。
少し待つと、薬草の匂いをまとったグレイヴが控えめに扉を叩いた。
緑髪の薬師は、いつもの怪しい笑みを浮かべている。
「まだかなり厚みがありまして、ご要望の薄さにできるまで1週間〜10日ほどみていただきたい」
「出来上がってから、持ってきてくれれば良かったのに?」
私が言うと、グレイヴは気まずそうに視線を逸らした。
「それが、えっと……実は……妃殿下の料理が食べたくてですね」
ロベルトの翡翠色の瞳がギラリと光った。
「なんだと? こいつに料理を振る舞ったのか?」
「そう。料理人にオムライス教えるついでにね」
「オム……なんだ、それ? 俺は昨日の夜から白パンと水だけなんだぞ?」
「え、充分じゃない? 私なんて結婚式の翌日、埃まみれの朝食だったけど?
あれが倉庫に閉じ込められてたら、もっと酷いもの──カビが生えて食べられないパンと泥水だったんじゃない?」
原作の主人公は、偶然見つけた抜け道のおかげで生き延びた。
あれがなければ確実に死んでいた。
「ひもじい食事は自業自得なんだから、白パンと水でも贅沢だわ。この、人殺し」
ロベルトは唇を震わせた。
「……俺は、そこまでやれとは指示してない」
「はあ……本当に脳がスカスカだわ。指示しなくてもしたのと同じなのよ」
ロベルトは言葉を失い、翡翠色の瞳を伏せた。
その横顔は整っているのに、どこか幼く見える。
「昨日たくさん作ったミートソースが残ってるから、ラザニア作りましょう。来てちょうだい」
私は立ち上がり、グレイヴの腕を軽く引いた。
薬師は嬉しそうに目を輝かせる。
ロベルトはベッドの上で呆然としたまま、私たちを見送った。
私は振り返らず、キッチンへ向かった。
王宮の広い厨房は、午前の光と火の熱で温かく満ちていた。
大柄な傭兵たち──鋼の体格のガルド、金髪碧眼で無邪気な笑みを浮かべるキル、深緑の瞳のゼルド──が、巨大なパスタ生地を伸ばしている。
その横で、薬草の匂いをまとったグレイヴが粉を量り、メイドたちが手際よく具材を切っていた。
「やっぱりパスタは男手あると助かる」
私が言うと、耳の大きなペルミが笑った。
「力仕事ですもんね」
琥珀色の瞳をしたゾフィは、優雅な所作でホワイトソースを混ぜながら微笑んだ。
「ここに来てから、美味しいもの食べられて幸せです」
「もう少ししたら酵母ができるからフカフカのパンも食べれるわよ」
リンゴの入った瓶を見せると、ガルドが目を見開いた。
「なんと!」
その反応が可笑しくて、私は笑ってしまった。




