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ドアマット・ヒロインが、やり返さなくてイライラしたので代わりにやってみました  作者: 星森 永羽


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3/9

掃除が大事


「ドライイーストは売ってなかったから、酵母を作るのに時間かかるし……メレンゲで膨らまそうか。重曹も買ってきたし」


 私は袖をまくり、キッチンの作業台に材料を並べた。卵、粉、塩、そしてさっき買ってきた重曹。キルとガルドを呼び、手分けして作業開始。


 キルは無邪気に笑いながら、卵を割り始めた。ガルドは無言で鍋を火にかける。2人とも手際は悪くない。さすが傭兵、応用力がある。


 私は砂糖を入れずにスポンジを焼いてみた。ふわっと膨らんだ。


「うーん……すごく美味しいってわけじゃないけど、あの白パンよりはいいか」


 キルが目を丸くして言った。


「卵を泡立てるなんて……すごい」


「え? メレンゲがないの?」


 ガルドが鍋をかき混ぜながら答える。


「泡立てた卵を食べる地域はあるが、白身と分けたりはしない」


 この世界では全卵が基本なんだ。

 なるほど。傭兵は仕事でいろんな場所に行ってるから、各地の知識があるのね。



 コンソメを煮詰めて、鍋底の茶色くなった野菜を出す。乾燥させれば、固形スープの素が完成。保存も効くし、戦場でも使える。

 余ったコンソメに香辛料とトマト、酢と砂糖を加えケチャップを作った。


「これ……戦場に持って行けば、士気が上がる」


 ガルドが、ぽつりと呟いた。

 大きい体にエプロンが可愛い。


「え、ケチャップで?」


 私は思わず聞き返した。


 ──やっぱり、食文化が乏しい。




「ロベルト殿下が、お目覚めになりました」


 執事の声が背後から届いた。私は瓶の蓋を閉めながら、首だけで振り返る。粗熱のとれたケチャップを、瓶に詰めていたところだ。


「ロベルト?」


 キルが横から口を挟む。


「昨日、結婚した相手でしょう?」


 そうだ、原作にもロベルトって書いてあった。


「ああ。おめでとう」


「いえ、あの……様子を見に行かれないんですか?」


 執事が困ったように言う。


「なんで?」


「えっと……妻として……」


「書面上だから」


 私は立ち上がり、執事に向き直った。


「それよりさ、昨日は──風呂に冷水溜めて入れっつったメイド沈めて、今朝も私の食事に埃入れたメイド引き回して供述書つくって、私に意見した執事殴って、傭兵帰そうとした騎士団地下牢に入れて、私の前に立ち塞がった料理長ぶん殴ったんだけど──あなたは、いつ仕事するわけ?」


 執事の顔から血の気が引いていくのがわかる。私は一歩、彼に近づいた。


「私が直接手を下す前に見つけて潰して報告するのが当然よね? っていうか、そもそもそんなゴミ雇うのがどうかしてる。ロベルトだかの指示で雇ったなら、教育しなさいよ。統制もとれないくせによくノコノコ顔を出せたもんね──この無能どもが!」


 執事は震えながら、かすれた声で答えた。


「す、すぐに調査を開始いたします……!」


「簡単よ。踏み絵をさせなさい。今すぐ王族の姿絵を用意して」


「は、それは……。……絵師を呼びます」


「何いってんの。玄関の壁にかかってんのでいーって」


「……あ、あれは有名な画家で、宮廷画家も務めたエオリアンの作品で……」


「ただの紙じゃない。燃やして見せればわかる?」


 執事は顔を引きつらせ、小さく頷いた。


「……すぐに外します」


「使用人全員、庭に集めて」


 ──この宮の空気を変えるには、まず“誰が主か”を知らしめる必要がある。




 庭に整列させた使用人たちを見下ろしながら、私は静かに言った。


「では、踏み絵を始めましょう」


 玄関から持ってこさせた王族の姿絵を、芝の上に広げる。


「この上を、順に踏んでいきなさい」


 ざわつきが広がる。誰も動かない。目を伏せる者、顔をしかめる者、震える者。


「……踏めません」


 1人の使用人が、泣きそうな声で言った。


「例え殺されようと、忠誠心は変わりません」


 私は腕を組み直した。


「では、あなたの忠誠心は間違っているのね」


「なに……?」


「結婚って、1人じゃできないのよ。知ってた?

 エレンガード王室は、私を嫁として受け入れた。にも関わらず、あなた方が私の命に背くということは──王の決定に従わないということよ。それこそ、不忠でしょう?」


 使用人の顔が引きつる。


「そ、それは……しかし、踏み絵など、あんまりです……!」


「はあ……」


 私はため息をついて、執事に目をやった。


「執事。さっき私が言ったこと、復唱して」


 執事は一瞬たじろいだが、すぐに背筋を伸ばして言った。


「ええ……はい……『昨日は──風呂に冷水溜めて入れっつったメイド沈めて、今朝も私の食事に埃入れたメイド引き回して供述書つくって、私に意見した執事殴って、傭兵帰そうとした騎士団地下牢に入れて、私の前に立ち塞がった料理長ぶん殴ったんだけど──あなたは、いつ仕事するわけ? 私が直接手を下す前に見つけて潰して報告するのが当然よね? っていうか、そもそもそんなゴミ雇うのが、どうかしてる。ロベルトだかの指示で雇ったなら、教育しなさいよ。統制もとれないくせによくノコノコ顔を出せたもんね──この無能どもが!』」


 私は頷いた。


「私に、こんな手間(踏み絵)をかけさせておいて『あんまりです』じゃないのよ。立場を知りなさい。私は容赦しない」


 腰の剣を抜く。陽光を受けて、刃が白く光る。


 その瞬間、空気が変わった。ざわめきが走り、1人、また1人と絵の上を踏み始める。顔を伏せ、歯を食いしばりながら。


 ──これでいい。忠誠とは、行動で示すもの。


 私は剣を肩に担ぎながら、最後尾の使用人が絵を踏むのを見届けた。




 客間の扉が開き、トケビア侯爵が資料の束を抱えて入ってきた。面長の顔が少し窶れてるのは、疲れか加齢か。まだ36歳だが、平均寿命50歳のこの国では若くない。


「不動産の資料を、お持ちしました」


「仕事が早くて助かるわ」


 私はソファに腰を下ろしながら、資料を受け取った。紙の端に香の匂いが残っている。


「お急ぎかと思ったので」


「そうね。減った使用人を、補充しなきゃならないし」


「……え?」


 侯爵が一瞬、灰色の目を瞬かせた。


「こちらの話」


 彼はそれ以上は聞かず、資料をテーブルに並べ始めた。間取り、立地、周辺の地図。どれも私の条件に合っている。


「物件の説明を部下から、お聞きになる間、私は庭を拝見しても?」


「血が飛び散ってるけど、平気かしら」


 彼の手が止まった。目がわずかに揺れる。


「あ……」


 察したようね。さすが、原作でクーデターを起こすだけの男。感情を表に出さないのは、貴族のたしなみ。


「それより、面白いものがあるわ」


 私は資料を閉じ、彼に視線を向けた。


「今朝、ロベルトが血塗れで発見されたの。さっき意識が戻ったんですって。良ければ、見に行かない?」


 侯爵の表情が、ほんのわずかに動いた。驚きか、興味か、それとも──共感か。


 彼の妻は、今や王の後宮にいる。

 令嬢の純潔は守られても、夫人になった後は“王の慰み者”にされることがある。

 ──彼は、それを黙って受け入れた。表向きは。


 だから、憎い王の子が怪我したとなれば、内心は嬉しいだろう。




 本来、私が使うはずだった部屋。

 扉を開けると、そこにはエレンガード王がいた。背筋を伸ばし、重々しい視線をこちらに向けてくる。


「あら、陛下。いらしてたのね」


 私がそう言うと、王は蜂蜜色の眉をひそめた。


「そなたは、夫が重傷だというのに──遊び歩いていたらしいな」


 私は首を傾げた。


「逆に、私が怪我した方だったら、このロベルトって人も同じことしたと思うけど?」


 王は言葉を失ったように黙り込む。

 その沈黙を破ったのは、トケビア侯爵だった。


「お見舞い申し上げます、陛下」


「ああ、トケビア侯爵。──まだ犯人がわかっていないのだ。この件は……」


「犯人なら、ロベルトの愛人が放った刺客よ」


 私がさらりと言うと、王の目が見開かれた。


「私が昨晩、彼と部屋を取り替えたの。で──ロベルトが寝てると、知らずに襲撃したんでしょうね」


「なっ……何故、彼女が犯人と言いきれる」


「勘」


 王の顔が引きつる。けれど、すぐに振り切るように命じた。


「……今すぐ、スピアリン男爵令嬢を取り調べろ!」


 その瞬間、ベッドの上から声が上がった。


「お、お許しください、父上! ラーラが犯人でも……命だけは……!」


 私は振り返り、にっこりと笑った。


「あ、元気そうね。トケビア侯爵が来てくれたわよ。ちゃんとご挨拶なさい」


「なっ……!」


 ロベルトの顔が真っ赤になる。トケビア侯爵は慌てて頭を下げた。


「お、お、お取り込み中、申し訳ございません。物件のことで足を運びましたところ、殿下が怪我されたと聞きまして……」


「み、み、見苦しいところを見せて、すまない……怪我はたいしたことな──イテテテ!」


 私は、彼の怪我した脇腹を叩いた。


「仮病じゃなかったのね。アハハ」


 笑いながら、私は踵を返す。


「それじゃ、私──物件の見学に行くから」


 扉を開けると、廊下の空気がサラリと流れ込んできた。




 春風が、トケビア侯爵邸の庭を優しく撫でていた。

 咲き始めた花々の香りと、陽光に照らされた白い壁。

 私はバルコニーに立ち、深く息を吸い込んだ。


「とっても素敵ね。気に入ったわ」


 隣に立つトケビア侯爵が、静かに頷いた。


「良ければ家具も、そのままお使いください。使用人も」


「いいの?」


「ええ。すべてセットでも、頂いたティアラを考えれば……お釣りを出さないと」


「そうね。では──釣りはとっておいて」


 侯爵が、灰色の目を瞬いた。


「……あなたは、不思議な方ですね」


「そうかしら? 私は、ただ正しいことをしてるだけだけど?」


「それが1番、難しいのですよ」


 私は彼の横顔を見つめた。

 造りは端正だが、疲れている。

 でも、まだ心は折れていない。だからこそ──。


「ふうん。ならば、あなたはここに共に住みなさい」


「……はい?」


「本当に難しいのか。あなたが勝手に難しくしてるのか。

 ここに住んで、私を手伝いながら考えなさい。命令よ」


 侯爵は言葉を失ったまま、私を見つめていた。

 私は微笑んだ。


 この邸宅はクーデター資金のために売られる、と原作を読んで知っていた。

 私は、彼にクーデターを起こして欲しくない。──だって、それは失敗するから。




 夜。私がロベルトの部屋で書類を整理していると、扉の外から声がした。


「殿下が、お呼びです」


 メイドが頭を下げる。私はペンを置き、顔を上げた。


「お前が来いって言って」


「……あの、怪我されてますので……」


「ああ、そっか。動けないのね」


 私は立ち上がり、ローブを羽織った。

 ──まあ、動けないなら仕方ない。行ってあげましょう。


 


 ロベルトの部屋に入ると、彼はベッドに横たわったまま、私を見た。


「何の用?」


 私が訊くと、彼は弱々しく呟いた。


「……ラーラが吐いた」


「そうでしょうよ。昨日から地下牢にいて、正常な精神じゃないもの」


 私は椅子に腰を下ろすこともなく、ただ立ったまま答えた。

 ロベルトの愛人が、刺客を送ったことを認めたらしい。


「すべて……仕組んだのか?」


「私が? どの部分を?」


「俺を暗殺するつもりで、ラーラを利用したのか?」


 ちょっと何言ってるのか、わかんない。


「うーん? あなたの感情で、現実を歪ませないで。事実だけ並べて」


 ロベルトが言葉を失う。


「そして、そんなこと言うために、私の貴重な時間を使わせないで」


 私は踵を返し、続き扉を開けた。






「ねえ、これから催しをするのだけど、一緒に行かない?」


 朝の光が差し込む部屋で、私はカーテンを開けながら軽く声をかけた。

 ベッドの上のロベルトは、眉間に皺を寄せて私を睨む。


「……俺が重傷だと知っているか? それより、王子妃の仕事をしろよ」


「え? 舞踏会でもあるの?」


「いや、書類仕事だ。俺の代理として、俺の分もやってくれ」


 私は一瞬、目を細めた。

 ──原作では、こういう内向きの雑務は全部ラーラ(ロベルトの愛人)がやってた。

 彼女が牢にいるから、代わりに私に押しつけようってわけね。冗談じゃない。


「私を倉庫に閉じ込め、正妻の部屋をラーラに与えようとしたのに、書類仕事しろって? 私がするのは公務と家政だって、結婚式で言ったでしょ。書類は捌かない」


 ロベルトが口を開く前に、私は続けた。


「ふうん? ──今日の夕方になっても同じことが言えるなら、言ってみればいい」


 彼の顔が引きつる。もう気品も美貌もあったもんじゃない。


「な、なにする気だ?」


 私は微笑んだ。


「さーね」


 



 王都の中央広場。

 朝から人が集まり、ざわめきが空を震わせていた。

 昨日捕らえたメイドや騎士団が、拘束されたまま並ばされている。

 その前に立ち、私は声を張った。


「これら戦って勝った者に、同じポジションを与える」


 群衆がどよめいた。

 王宮で働くことは、平民にとっては夢のような出世。

 それを、戦いで勝ち取れと言ったのだ。

 つまり、身分に関係なく登用するということ。


 しばらくして、群衆の中から数人が名乗り出た。

 鍛冶屋の娘、元兵士、旅芸人上がりの女……。

 それぞれが、拘束されていた者たちと1対1で戦う。


 剣が交わり、土煙が上がる。

 観衆は息を呑み、勝者が決まるたびに歓声が上がった。

 会場は熱気に包まれ、大盛り上がり。


 ──そして、すべてが終わったとき。

 新しい使用人たちが、私の前に跪いた。


「ふふ、いい顔ね」


 そのとき、背後から声がした。


「妃殿下は……魅力的な方ですな」


 振り返ると、鋭い目をした男がいた。

 深緑の髪と瞳。鎧を身につけたまま、静かに一礼する。


「ゼルド・カーヴァス。元王宮騎士団長にして、現在は傭兵です」


 初対面のはずなのに、どこか懐かしい空気を纏っていた。真面目そうだが、年齢以上の色気がある。トケビア侯爵よりは年下だろう。


 その隣で、金髪碧眼の美男子キルが、にこにこと笑って言った。


「僕は、もう惚れましたけどね」


 私は肩をすくめた。


「そう。ありがとう。私は、嫌いなものが嫌いなの」


 そして、くるりと踵を返す。


「さ、キッチンに行って昼食を作りましょう」







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