最初から反撃
私はイライラしていた。
このヒロインは、なぜ虐げられてもやり返さないのか。それでも、エンディングでは幸せになるのだろう、と我慢して読み続けた結果──なんと、死亡エンドだった。そんなバカな!
小説「姫だけどバイトしてます」を閉じた瞬間、胸の奥に黒いもやが広がった。怒りとも、虚しさともつかない感情が、喉元までせり上がってくる。
「……は?」
思わず声が漏れた瞬間、夕陽とは違う、白く鋭い光が視界を満たす。
私は立ち上がる間もなく、その光に包まれた。
高い天井から差し込む光が、白い大理石の床に神聖な模様を描いていた。荘厳なパイプオルガンの音が静かに鳴り響き、聖堂の空気は張り詰めている。
牧師が厳かに言葉を紡ぐ。
「ロベルト・エレンガード。汝は、健やかなる時も病める時も妻を愛し、死が2人を分かつまで、敬い慈しみ、貞節を守ることを誓いますか?」
「誓います」
私の隣に立つ新郎は、即答した。
気品ある整った顔立ちに微笑を浮かべ、金糸の刺繍が施された白の礼装に身を包んでいた。翡翠の瞳がまっすぐ前を見据えている。
堂内に、微かな安堵の空気が流れる。
「ミア・レナンペレット。汝は──」
……え? 今、なんて言った? ミア? ミア・レナンペレット? それって、さっきまで読んでた小説「姫だけどバイトしてます」の弱々主人公じゃん。
いやいや、夢だよね? 寝落ちしたんだ、私。
はいはい、ヤってやりましょ。夢なら何でもアリでしょ。
私──ミアは牧師を真っ直ぐ見据えた。
「愛は誓いませんが、結婚はします。ただし、これが正当な結婚なら」
聖堂がざわめいた。貴族たちの視線が一斉に、こちらに注がれる。
「まず、結婚契約書を」
私は父王の従者に向かって言った。彼は目を丸くして動けない。
「王女である私の命令が聞けないの?」
「こ、ここに……」
震える手で差し出された契約書を受け取り、私は続けた。
「持参金は白金貨1万枚、嫁入り道具は家具、宝飾品、絵画、馬車、衣装一式。まずこの嫁入り道具を、全て売ります。
──アメリフィット伯爵」
名前を呼ぶと中年男が立ち上がる。
「あなたはエレンガード国で3番目に大きい商会を、お持ちですね? 全てあなたに売ります。
嫁入り道具は、第2王子宮の庭にある倉庫に入ってますから、そちらから引き取ってください。代金は小切手でお願いします」
アメリフィット伯爵の顔がみるみる青ざめていく。
「な、何を言っている? 嫁入り道具を全て売るなど!」
父が声を荒げた。レナンペレット国の王だ。
「私の物を、どうしようと私の自由でしょう」
「なっ……」
父王の言葉が詰まる。
「『なっ』ではありません」
私は、祭壇の前から踏み出した。
「今まで私にお金を使わず後宮の角に捨て置いておいたのに、体裁を整えるためだけに用意した嫁入り道具に囲まれて暮らせ、と仰せですか。胸くそ悪い」
その言葉に、聖堂の空気が凍りついた。王族の婚礼とは思えぬ言葉遣いに、貴族たちがざわめく。
「そんなデタラメを!」
父王が怒声を上げた。だが、私は微動だにしない。
「ああ、そうですか。ならば裁判所で答え合わせをしましょう。私が王宮に監査人を紛れこませてないと思うのであれば、好きなだけ嘘の証言をなさってください。廃位になるのは間違いありませんね」
ハッタリだ。気が付いたのは、ほんの数分前。監査人を雇う時間などなかった。でも、いける。呑まれてる。やったれ。
万一裁判になっても、優秀な弁護士と探偵を雇って事実を証明すればいい。不正を暴く手段は、いくらでもある。
父王は言葉を失ったまま、唇を噛みしめている。
「しかし父上、私は鬼ではありません。あなたの1番、優秀な影をください。
ここに呼び、『これからはミアが主だ』と命令してくれればいいのです。
それとも、娘にまともな護衛もつけず、敵国に放り込む非道な王として名を馳せますか?」
沈黙が落ちた。やがて、王が低く呟く。
「……影」
その言葉に応じて、聖堂の柱の陰から1人の男が現れた。黒ずくめの装束に身を包んでいる。
「ここに」
「娘の言うとおりに」
「承知」
その瞬間、空気が変わった。王の影──王宮最強の密偵が、背後に静かに立つ。
アメリフィット伯爵に視線を向けると、彼は顔を引きつらせたまま、そそくさと会場を後にした。ドアの近くで使用人に何やら指示を飛ばしている。聖堂は王宮の敷地にあるので、すぐに戻ってくるはずだ。
「続いて口座です。シーファ殿下、あなたの国の銀行に全て預けます。今すぐ口座を作るのに協力して頂けますか?」
私は振り返り、シーファ王子に向き直った。浅黒い肌に映える金茶の髪、ラピスラズリの瞳が私を見下ろしている。王族らしい気品と、どこか遊び慣れた余裕を纏った男だった。イケメンというよりハンサム。
小説通りの見た目で他国の貴賓席にいたので、確かめずともわかった。
彼は一瞬だけ目を細め、すぐに唇の端を上げた。
「銀行家を呼べ」
「ありがとうございます」
私は軽く頭を下げ、視線を親族席へと向けた。あの男──原作では、私の持参金を取り上げ、ミアをただの駒として扱ったエレンガード国王。
「では、肝心の持参金を返していただきたい」
堂内が再びざわつく。私は構わず続けた。
「持参金というのは財産分与ですから、子供ができて尚且つ離婚して初めて婚家に渡るものであって、それまでは私に管理する権利があります。
今すぐ返して頂けないなら、この婚姻はエレンガード国側の不法行為により無効です。
もちろん婚約も破棄します。慰謝料として持参金の5倍を、お支払ください」
王の顔が引きつった。そして、すぐに従者に命じる。
「……小切手を用意しろ」
「シーファ殿下。お手数ですが、預かって頂けますか? 銀行家が来て口座ができたら、そのまま全額預けます。殿下と、ここにいる全員が証人です」
「いいだろう。大金を預かるのは、我が国にとっても有益だ。
ただ──後日、デートして欲しい。良いだろうか」
その言葉に、私は少しだけ目を見開いた。けれど、すぐに笑みを浮かべる。
「もちろん。喜んで、お受けいたします」
その瞬間、ロベルトの声が割り込んだ。
「何、言ってるんだ? 正気か、夫の前で」
整った顔立ちに、困惑と怒りが滲んでいる。
「まだ夫では、ありません。
ついでに、あなたにはラーラ・スピアリン男爵令嬢がいるではありませんか。
ほら、そこにいる白いドレスの非常識な女。
週刊紙に連日載ったのを、ご存じないのですか? それとも、我が国を侮辱するのですか?」
ロベルトの顔が引きつる。
「ラーラとは……もう終わっている」
私は吹き出した。我慢できなかった。腹の底から笑いがこみ上げてくる。
「ふふっ……あはははっ、なるほど。ならば、妻の部屋にあるものは全て私の物ということですね。
アメリフィット伯爵、第2王子宮の妃の部屋にあるものも全て売ります。今すぐ、ご案内いたします」
会場に戻ってきた伯爵にそう告げると、彼は無言で頷き、再び外へ向かおうとした。
そのとき、甲高い声が響いた。
「待って! 冗談じゃないわ! あれは頂いたものだけじゃない、実家から持ってきた家宝もあるのに!」
ラーラが錆色の髪を揺らし、白いドレスの裾を握りしめて叫んでいた。化粧が崩れかけている。
「どういうことだ、ロベルト殿下」
父王の声が低く響く。
「それは……何かの手違いで……」
アメリフィット伯爵の部下が、書類を手に現れた。
「倉庫の嫁入り道具、確認できました。こちらが買い取り表です」
「ええ、間違いないわ。ところで、これ、どこにあったかしら?」
「え、第2王子宮の倉庫ですが?」
私はゆっくりと振り返り、エレンガード国王の方を見た。
「なぜ、新婦の嫁入り道具が倉庫にあるのですか? 正室の部屋ではなく」
沈黙。重い沈黙。やがて、エレンガード国王が低く呟いた。
「……ロベルトの個人資産を、レナンペレット国への賠償金とする。ラーラ・スピアリン男爵令嬢は、地下牢に連行しろ」
「父上! そんな!」
「黙れ! お前のせいで、友好条約が無効になるぞ!」
ロベルトの顔が青ざめる。
「ヘルテーイ男爵。あなたのギルドから、最も腕の立つ傭兵を5人送ってください。代金は──これで」
私は耳元からイヤリングを外し、男爵の前に差し出した。大粒のダイヤと白金の細工が施されたそれは、王家の紋章が刻まれた由緒ある宝飾品だった。
「おい、待て! それ、いくらすると思ってんだ!」
ロベルトが声を荒げた。だが、私は振り返らない。
「私が貴族なら、王族から貸し与えられたものを下げ渡すのは不敬でしょう。
でも、私も王族です。失礼な相手に失礼なことをして、何が悪いんですか」
ロベルトは言葉を失ったまま、唇を噛みしめている。
「さて。ではトケビア侯爵。
お宅の不動産で、王都の中心、商店街から近く、私が使用人と暮らすのに程よい物件を売ってください。
代金は──これで」
今度は、頭からティアラを外した。王家の象徴とも言える宝冠。宝石が光を反射し、聖堂の天井に虹色の光を散らす。
「それは王家の秘宝──!」
エレンガード王が立ち上がり、怒声を上げた。
「黙りなさい」
私は威厳を持って言った。その声は聖堂の隅々まで響いた。
「ロベルトの個人資産は、レナンペレット国への賠償金になるのでしょう? ならば、私個人への賠償金は?
一国の王女を、それも友好条約の証として嫁いだ者を倉庫に閉じ込めるなど、本来なら王子の首を差し出さねばならない案件。
──それを物で手打ちにしてやってるんだから、感謝しなさい」
エレンガード国王は、何も言えなかった。その顔から血の気が引いていくのが、遠目にもはっきりとわかる。
私はティアラを侯爵の掌に置いた。彼の灰色の瞳は、二心を抱えながらも 従順だった。支配者を理解しているのだ。
「さてと、結婚式の続きをいたしましょう。婚姻届にサインね」
私は祭壇の上に置かれた羊皮紙にさらさらと名前を書き入れ、ペンをロベルトに差し出した。彼の手は震えていた。顔は青ざめ、唇は引きつっている。
「お、お、お前のような女とは結婚したくない!」
叫ぶような声だった。堂内に響き渡るその言葉に、貴族たちが息を呑む。
「奇遇ですね。私も、あなたのような屑が戸籍上であれ夫だなんて、反吐が出ます。
──あなたの有責で、婚約破棄しましょう」
私は淡々と告げた。怒りも悲しみもない。ただ、冷たい事実を並べるだけ。
「ロベルト! バカ! サインしろ!」
エレンガード王が怒鳴った。だが、ロベルトは首を振る。
「し、しかし父上、このような虎を我が家に引き込んでは滅ぼされます!」
私は思わず、くすくすと笑ってしまった。
「身内でない方が潰しやすいと、わかりませんか? 次に戦争が起これば、私は軍師として従軍しますよ。さて、どちらが勝つでしょう?」
聖堂の空気が、まるで葬式のような沈黙に包まれている。誰もが息を潜め、私の言葉を待っていた。
「この婚約はロベルト殿下の有責で破棄です。慰謝料は、持参金の5倍いただきます。すでに殿下の個人資産は我が国のもの。あなたは無一文どころか借金王ですね」
ロベルトの顔が引きつる。
「あ、そうだわ。いいこと考えた。父の後宮に、人質として入りなさい。
そうすれば、友好条約は保持されるわ」
私は従者に目配せし、契約書の準備を指示した。
「ならん、ダメだ! 結婚しろ、ロベルト! 床に手をついて詫びろ! 彼女を自国に戻したら、本当に我が国が滅亡する!」
エレンガード王の叫びが、聖堂に響き渡った。威厳も何もない、ただの焦りと恐怖に満ちた声だった。
ロベルトは震えながら、私の前に膝をついた。白い礼装の裾が床に広がり、額が石の床に触れる。
「婚姻を……お、私と……」
私は彼を見下ろしながら、冷たく問いかけた。
「あなたと結婚してあげるメリットは、何かしら?」
ロベルトは顔を上げたが、何も言えない。口を開きかけて、また閉じる。
「それは……」
「公務はやるし、報酬も貰う。王子宮の女主人も私。
後は自由にする。それは恋愛も含めて。もちろん白い結婚。子供は、次男なのだから要らないでしょう。
──あと、ラーラ・スピアリンの今後は、私が決める。
それでいい?」
「……わかった」
その言葉を聞いた牧師が、静かに口を開いた。
「ならば、婚姻届にサインを」
ロベルトは震える手でペンを取り、羊皮紙に名前を書き入れた。
「誓いのキスと指輪交換は?」
牧師の問いに、私は即座に答えた。
「そんなもの要らないわ。
──では、披露宴に移動しましょう」
私はウェディングドレスの裾を翻し、聖堂を後にした。背後で誰かが息を呑む音が聞こえた。




