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【短編小説】ババアの目

掲載日:2025/12/22

 そいつは人生だったんだ。

 閉店間際のスーパーで安くなっているお勤め品の鯵を見ながら「お前も俺と同じなんだな」と言う感傷すら擦り切れて何も感じなくなった。

 その時ようやく、鯵のパックを手に取って、家に帰ったら酒蒸しにしようと考えられるようになった余裕に気づく。

 いや、それは慣れと順応かも知れない。

 裏切られた青年のできあがりだ。


 おれがそうなってしまった事に、疲労とか閉塞とか、誰が政治しているとかは関係が無い。

 そいつが人生ってやつだ。


 そのおれはいま、閉店間際のスーパーにある鮮魚売り場に立っている。

 そのおれをババアがこちらを見ている。

 ババアがおれを見ているとき、おれもババアを見ている。

 ババアだ。

 おれはババアを見るたびに自身を喪失する。

 夕方の交差点だったのか、もしくはスーパーの鮮魚売り場なのか分からなくなる。


 ババアは生きているのか?

 ルームミラーに赤いサイコロ型のクッションを下げたハイエースが跳ねたのがそのババアで、おれは空中を舞うババアと目を合わせていたのかも知れない。

 それとも賃労働に痛めつけられた店員が貼るシールを待ちづけて鬱血した足が見せた幻想なのか?



 だがババアはそこにいる。

 そのババアはいつからそこにいたのか。



 もしかしたら中学生の頃に本屋で成人誌を立ち読みしているおれを見ていたのがそのババアかも知れない。

 高校生の頃に駅のゴミ箱からマガジンやサンデーを回収してホームレスと喧嘩をしているおれを見ていたのがそのババアかも知れない。



 とにかくそのババアが鮮魚売り場で鯵を手に取ったおれを凝視していた。

 おれもババアを凝視している。

 その目はどこまでも黒い。木の洞や海岸の洞窟に似ている。

 そのババアの目を見る度に、おれは中学生に戻ったり高校生になったりする。

 おれはその瞬間の続きをしなければと思うが、そう思った頃には現在に戻っている。

 人生はクソだ。

 やり直せるはずなんてない。



 おれはあの時の続きを、上手くやれているのだろうか。あの時とは違う選択肢を通ってここに立っているのだろうか。

 本屋から成人誌を盗んで走り、追いかけてきた店員を四つ角で振り向きざまに挑発して民家に投げ込んだ成人誌を持って帰って読んだ可能性に生きたおれが存在するのか?

 駅のゴミ箱からその日に発売のマガジンやサンデーを回収してホームレスと喧嘩になり、ムカついて線路に投げ捨てたマガジンやサンデーを拾おうとしたホームレスに蹴りを入れたおれが存在するのか?



 ババア。

 おまえはおれの人生を見ていやがるな?

 ババア!

 おまえはおれの人生を覗いていやがるな?

 ババアは首を振る。


 手の中の鯵は静かに腐り、賃労働に痛めつけられた店員が黙って回収する。

 ババアの目にも似た暗い従業員出入り口に消えていく店員を見送りながら、おれはまた選択を間違えてやり直す事をできずに生き続けているのだと思った。


 

 ババアは消えた。

 おれはスーパーを追い出された。

 その帰り道で見た花屋の店先に並んでいた女が、将来的には誰かのババアになるんだと思うとおれ憂鬱になり、月を見上げるひまわりに対する恐怖が膨らんでいくのだった。

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