9. 上と話をつけてくるけぇ
王都の下町に、ソースの焦げる香ばしい匂いがすっかり定着していた。
お好み焼きもどきはまたたく間に庶民の胃袋を鷲掴みにした。
銅貨一枚で腹一杯になるその粉もんは労働者たちの活力源となり、人の流れを変えた。
閑古鳥が鳴いていた路地裏は今や王都で一番の活気を見せる商店街へと変貌を遂げている。
未亡人たちが切り盛りする屋台が並び、その周りには常に人だかりができている。
パンクたち自警団が目を光らせているおかげで、酔っ払いの喧嘩も食い逃げも起きない。
実に素晴らしい、平和なシマの完成である。
――と、満足していた矢先のことだ。
新たな火種が燻り始めたのは。
「王女様、勘弁してくださいよ! あいつら、俺たちのやることにいちいち難癖つけてきやがるんです!」
下町の屋台でパンクが泣きそうな顔をして訴えてきた。
どうやら騎士団との軋轢らしい。
あの腐れ外道だった前騎士団長が失脚した後、騎士団は一時的に指揮系統が麻痺していた。
だがさすがは国の軍事組織だ。
新しい体制が整い始めると、ようやく本来の業務である街の警備を再開し始めたのだ。
問題は、これまで見向きもしなかった下町――ワシらがシマとして守っている地域にまで、彼らが顔を出し始めたことにある。
人が集まれば金が動く。金が動けば管理する者が必要になる。
騎士団からすれば、王都の治安維持は自分たちの管轄だという自負があるのだろう。
一方でパンクたち自警団からすれば、一番苦しい時に見捨てておいて、景気が良くなった途端に我が物顔で入ってくる騎士団が面白くない。
昨日も、もめごとの仲裁に入った自警団に対し、騎士団が「素人は引っ込んでいろ」と介入して一触即発の事態になったという。
「どこの世界でも、組織同士の縄張り争いは世の常じゃのう」
ワシは茶を啜りながら呟いた。
「王女様、どうしましょう? このままじゃ、いつか若い連中が騎士団とやり合っちまいます」
パンクの懸念はもっともだ。
血の気の多い元ゴロツキと、プライドの高い騎士。
ぶつかればタダでは済まない。下手をすれば自警団は反乱分子として潰される。
組織と組織の衝突を避けるにはどうすればいいか。
答えは簡単だ。
トップが話をつけ、盃を交わして手打ちにするか。
――あるいは、一つの組織として飲み込んでしまうかだ。
「……パンク、安心せい」
ワシは茶をことりと置いた。
「ワシが、ちいと上と話をつけてくるけぇ」
翌日。
ワシは謁見の間を訪れた。
国王は玉座に座り、両脇には数人の重臣が控えている。
「マフィか。褒美の件、決まったようだな」
「はい、お父様」
ワシは一歩前に出て、はっきりと告げた。
「騎士団の最高顧問にしてください」
謁見の間が静まり返った。
重臣たちが目を丸くしてワシを見ている。
「……なんと?」
国王も一瞬、言葉を失ったようだった。
「騎士団の運営に口を出せる立場が欲しいのです」
ワシは淡々と続けた。
「下町の治安が回復したのはいいことですが、自警団と騎士団の間で揉め事が起き始めています。このまま放っておけば、いずれ大きな衝突になりかねません」
「それは聞いている。だが、最高顧問となると……」
国王が言い淀んだところで、重臣の一人が割って入った。
「陛下、いくらなんでも五歳の王女様には荷が重うございます!」
白髪の老臣だ。
声を震わせながら続ける。
「騎士団は国防の要。その最高顧問ともなれば、戦略的な判断を求められる場面も多々ございましょう。幼い王女殿下には……」
「左様でございます」
別の重臣も声を上げた。
「国王陛下の御息女とはいえ、大切な騎士団を預けてしまうのはいかがなものかと。せめて成人なされてからでも……」
重臣たちの反対意見が次々と上がる。
当然の反応だろう。
五歳のガキに軍事組織の顧問を任せるなど、正気の沙汰ではない。
ワシは黙って成り行きを見守っていた。
国王がどう出るか。
それを見極めたかった。
「静まれ」
国王の一言で、重臣たちが口を閉じた。
「マフィ」
「はい」
「お前の願いを聞き届けよう。明日より騎士団最高顧問に任ずる」
重臣たちがどよめいた。
「陛下!」
「お考え直しを!」
だが国王は手を挙げて制した。
「これは王命である。異論は認めぬ」
有無を言わさぬ口調だった。
重臣たちは不満げな顔を隠しきれなかったが、それ以上は何も言えなかった。
「……ありがとうございます、お父様」
ワシは深々と頭を下げた。
だが、内心では少し意外に思っていた。
――臣下の意見を聞き入れず、強引に進めた?
王はもっと慎重に事を運ぶものだと思っていた。
重臣たちの反対意見にも一理ある。
それを無視してまでワシの願いを通す理由は何だ?
……まあ、深く考えても仕方がない。目的は達成された。
「では、失礼いたします」
ワシは礼をして謁見の間を後にした。
◇
マフィが退出した後も、謁見の間には重苦しい空気が漂っていた。
「陛下、本当によろしいのですか」
老臣が恐る恐る口を開いた。
「五歳の王女殿下を騎士団の最高顧問に据えるなど前代未聞です」
「お考え直しいただけませんか。今からでも遅くはございません」
重臣たちが口々に進言する。
国王はしばらく黙って聞いていた。
そこへ一人の重臣が低い声で呟いた。
「やはり、陛下もお気づきでしたか」
その言葉に他の重臣たちが怪訝な顔を向けた。
「何のことだ?」
「陛下、何かお気づきのことが?」
国王は玉座の肘掛けに腕を置き、遠くを見るような目で言った。
「皆、マフィの目を見たことがあるか」
「目、でございますか?」
「あれが本当に五歳の娘の目だと思うか。五歳の娘が放つ気迫だと思うか」
重臣たちは顔を見合わせた。
「それは王の御子でございますから。血筋というものが……」
「世辞はよい」
国王は静かに、しかし有無を言わさぬ口調で遮った。
「『そういう次元』の違いではない。あれは英雄というよりは修羅の眼だ」
謁見の間に沈黙が落ちた。
国王は続けた。
「おそらく、何かが乗り移ったのだろう」
「乗り移った……?」
「あの子は、我々と同じ『人間』と呼んでよいのかどうか」
国王の声が低くなる。
「私は、ときどき迷うのだ」
重臣たちは息を呑んだ。
王の言葉は、彼らが薄々感じていながらも口にできなかったことだった。
「魂に、別の何かが混ざっている」
国王は淡々と語った。
「転生か、英霊か、憑依か……名はどうでもよい。ただ、常人ではない。それだけは確かだ」
重臣たちは言葉を失っていた。
国王は続けた。
「しかし、この国の状況を考えてみよ。魔王軍は虎視眈々と我らを狙っている。騎士団は腐敗の後遺症から立ち直りつつあるが、まだ万全ではない。中央諸国からの支援も心許ない」
国王は重臣たちを見回した。
「他に頼るべきものがあるか?」
誰も答えられなかった。
「だからこそ、マフィには好きに動かせることにした」
国王は玉座に深く身を沈めた。
「あの子が何者であれ、この国を守ろうとしているのは間違いない。ならばその力を最大限に活かすのが王としての判断だ」
重臣たちは黙って頭を垂れた。
五歳の王女の中に宿る、得体の知れない何か。
それが今、この小国の命運を握ろうとしている。
「神の使いか、修羅か。そのどちらに転ぶか、見極めねばならぬ」
謁見の間には、重い沈黙だけが残っていた。




