8. 一体何をしたのだ?
下町の改革も一段落し、王都の治安は目に見えて改善していた。
満足感を感じながら自室で茶を啜っていた時のことだ。
王城の侍従が慌てた様子で飛び込んできた。
「マフィ王女殿下、国王陛下がお呼びです!」
なんじゃまた厄介ごとか。
ワシは面倒臭さを隠そうともせず謁見の間へと足を運んだ。
◇
謁見の間には国王と妃殿下が並んで座っていた。
なんだか空気が重い。
特に妃殿下の方は眉間に深い皺を刻み、こめかみを押さえている。
「マフィよ。下町の件、ご苦労であった」
国王が口を開いた。
「お前の奇抜な……いや、独創的な策により治安は劇的に回復した」
褒めているようだが、語尾が少し震えている気がする。
五歳の娘が「腕を切り落とす」と脅して元犯罪者を手下にしたのだ。複雑な心境なのだろう。
「礼には及びません。お父様。ワシは自分のシマ……領分を守ったまでですけぇ」
ワシが殊勝に答えると、妃殿下が割って入る。
「……マフィ。その言葉遣いです」
妃殿下が震える声で続けた。
「あなたは一国の王女なのです。それなのに、なんですかその荒くれ者のような口調は!それに最近では路地裏の男たちと親しくしすぎです。あのような場所に入り浸って……」
妃殿下は頭を抱えた。
「このままでは嫁の貰い手がなくなってしまいますわ!」
……嫁の貰い手か。
今のワシには想像もできん話だが、貴族社会とはそういうものかもしれん。
国王が咳払いをして話を継いだ。
「ということでなマフィ。お前には明日からみっちりと『淑女教育』を受けてもらうことになった」
「淑女教育、ですか」
「うむ。王女として相応しい立ち居振る舞い、言葉遣い、そして教養。これらを身につけるのだ。これは王命である」
国王の言葉にワシは少し考え込んだ。
今生の母である妃殿下を見る。
この人はワシが馬車から飛び降りた時も、酒を飲んで倒れた時も、本気で心配してくれておった。
五歳のガキの体で無茶をする娘を必死に案じてくれる母親。
「……分かりました」
ワシは静かに頭を下げた。
「淑女教育、ちゃんと受けます」
国王が目を丸くしている。素直に頷くとは思わなかったのだろう。
「お父様とお母様の言うことには従いますけぇ」
今生の父母がワシのことを本気で案じてくれている。
その想いに応えるのも悪くはないと思った。
前世、組の運営には様々な興行との関わりもあった。
芸能関係、映画関係、そういった連中と付き合いもあった。
演技なら任せておけ。完璧な淑女を演じてやろう。
――そう。目指すは極道の妻。
あの芯の通った佇まい。どんな修羅場でも取り乱さず、夫を立て、家を守る女の覚悟。
あれこそが淑女の究極形だとワシは思う。
「明日からの淑女教育、楽しみにしとります」
そう告げると、国王は安堵したように息を吐いた。
◇
翌日。
王城の一室では淑女教育を担当する教師が落ち着かない様子で待機していた。
マダム・エレノア。
王都の貴族令嬢たちを何十人と一流の淑女に育て上げてきた、名うての教育者である。
「マフィ王女殿下……」
エレノアは窓の外を眺めながら、事前に聞いていた情報を反芻していた。
妃殿下が嘆かれるほどのおてんば姫。
街のゴロツキを自ら捕らえ、騎士団長を失脚させ、挙句の果てに大食堂で酒を一気飲みして倒れたという。
五歳にして、である。
(容易な相手ではない)
エレノアは目を細めた。
それでも自分には自信があった。
どんなじゃじゃ馬でも、このマダム・エレノアの手にかかれば三日で淑女に仕立て上げてみせる。
五歳という幼さなど関係ない。むしろ幼いうちに矯正してしまう方が良い。
(今日から容赦なく教育してやりましょう)
そう決意した時だった。
扉が静かに開いた。
「――失礼いたします」
低く、落ち着いた声が響いた。
五歳児のものとは思えない妙に据わった声だ。
エレノアは息を呑んだ。
扉の向こうに立っていたのは、確かにフリルのドレスを着た幼い少女だった。
だが、その佇まいが尋常ではない。
背筋は一本の槍が通っているかのように真っ直ぐで、足運びには一切の無駄がない。
いつでも敵の襲撃に対応できるかのような油断のない歩み。
そして何より――その目だ。
五歳の少女が発してよい眼光ではなかった。
底知れぬ深淵を覗き込んでいるかのような暗く重い光。
全身から立ち上る気配は殺気にも似た圧倒的なオーラとなって部屋を満たしていく。
(な、なんですの、これは……!)
エレノアは知らず知らずのうちに後ずさっていた。
淑女という言葉から最もかけ離れた存在がそこにいる。
いや、違う。
これはもはや人間の範疇ではない。
(まるで戦の女神ヴァルキリーの降臨……!)
神話に語られる、戦場を駆ける女神。
死を恐れず、敵を屠り、勝利をもたらす神聖なる存在。
その化身が、今、目の前に立っている。
エレノアの脳裏には、そんな幻想すら浮かんでいた。
「本日より淑女教育を受けさせていただきます、マフィ・オズにございます」
王女が深々と頭を下げる。
その所作は完璧だった。
角度も、速度も、一分の隙もない。
だが、完璧すぎるがゆえに、かえって異様な迫力を放っている。
「どうぞ、お掛けください……」
エレノアは震える声でそう言うのが精一杯だった。
王女は静かに席に着いた。
その動作一つ一つが、まるで型にはまった武術の動きのようだ。
お茶会の練習が始まった。
エレノアは必死に平静を装いながら、紅茶の注ぎ方、カップの持ち方、会話の作法などを説明しようとした。
だが、声が出ない。
王女がこちらを真っ直ぐに見ている。
その視線を受けるだけで、喉が締め付けられるような圧迫感がある。
何か話さなければ。教師として、何か指導しなければ。
しかし、言葉が出てこない。
結局、お茶会の練習は一言も会話がないまま進行した。
紅茶を注ぐ音。
カップを置く音。
菓子を口に運ぶ音。
それだけが、静寂の中に響いていた。
◇
――ふむ。思うておったんと違うのう。
ワシは内心で首を傾げていた。
女性のお茶会というから、もっと華やかに会話が弾むものだと予想しておった。
前世で知る限り、女性の集まりというのはとにかく賑やかなものだ。
噂話や世間話で花が咲くのが常だった。
だが、このお茶会は違うらしい。
誰も何も喋らない。
ただ静かに茶を啜り、菓子を食べる。
――なるほど。茶の湯に近いもんなんじゃな。
茶の湯は静寂の中に精神性を見出す。
無駄な言葉を排し、一杯の茶に集中する。
この国の淑女教育もそういった類のものなのだろう。
ワシは満足して茶を啜った。
◇
お茶会が終わった後、エレノアは自室に戻り、椅子に崩れ落ちた。
(なんだったんですの、あれは……)
これまで数え切れないほどの令嬢を教育してきた。
どんなじゃじゃ馬も、どんな高慢な令嬢も、自分の指導の前には膝を屈してきた。
だが今日の王女は次元が違った。
会話をしない。させない。
圧倒的なオーラで場を完全に支配し、他者の介入を一切許さない。
あれは……あれこそが、本当のお茶会術ではないのか。
(私が今まで教えてきたことは、所詮は表面的な技術に過ぎなかったのかもしれない……)
エレノアは頭を抱えた。
(言葉など必要ない。ただその場に在るだけですべてを掌握する。これが真の淑女の在り方……?)
――エレノアは一人で盛り上がっていた。
◇
ワシは再び国王に呼び出された。
「マフィよ……」
国王は困惑しきった顔で報告書を読んでいた。
「エレノアから報告があった。『マフィ王女殿下はすでに完成されています』とな」
国王は顔を上げた。
「お前、一体何をしたのだ?」
「何も。ただ、お茶を飲んでいただけですが」
「……会話は?」
「一言二言、挨拶をした程度です」
国王は頭を抱えた。
報告書には『沈黙の支配者』『呼吸するだけで周囲を平伏させる覇気』などと詩的な表現が並ぶ。
「まあ、よい。エレノアが太鼓判を押すなら、淑女教育は合格ということだろう」
国王は溜息交じりに言った。
「褒美に何かお前の願いを聞こう。欲しいものがあれば後日申せ」
「ありがとうございます、お父様」
ワシは深々と頭を下げた。
内心ではうまくやれたと満足していた。
極妻の演技、大成功じゃ。
◇
その夜。
妃殿下の私室では、侍女が慌ただしく胃薬を用意していた。
「……無言お茶会」
妃殿下は虚ろな目で呟いた。
「一言も……誰も一言も話さなかった……」
そんなお茶会は前代未聞である。
「だというのに、エレノア先生が『私が教えることは何もございません』ですって?あの厳格なエレノア先生が……?」
意味が分からない、と首を振る妃殿下。
「マフィ、私はあなたをどう育てれば良いのかしら……?」
王女の淑女教育は成功したことになったらしい。
だが、妃殿下の胃は、これからもしばらく痛み続けるのであった。




