45. エピローグ――人類の英雄
城門の前で繰り広げられていた死闘。
その終わりは唐突に訪れた。
フリント伯爵は振り下ろそうとした剣を空中で止めた。
目の前にいた魔王軍の兵士が突然動きを止めたからだ。
一人だけではない。
戦場を埋め尽くしていた無数の白い兵士たちが、まるで糸の切れた人形のように一斉にその場に立ち尽くしたのだ。
「な、なんだ……?」
「奴ら、動かないぞ?」
オズ王国軍の兵士たちの間に動揺が走る。
罠か?
それとも何かの儀式か?
緊張が極限まで張り詰める中、静寂だけが荒野を支配する。
その沈黙を破ったのは、重厚な城門が開く音だった。
ギギギギギ……。
巨大な扉がゆっくりと左右に開いていく。
オズ王国の兵士たちが固唾を飲んで見守る中、その暗がりから小さな影が現れた。
――マフィ王女だ。
傷だらけのケイトを従え、堂々と歩いてくる。
「マフィ!」
静寂を裂いて、ポニーナの声が響いた。
彼女はシロの腹を蹴り、一目散に駆け寄った。
「無事だったのね! 怪我はない!?」
「おう、ピンピンしとるわ」
マフィは心配そうに覗き込むポニーナに笑って見せた。
「パンクはどうじゃ?」
「出血は止めたわ。今は気絶してるけど……命に別状はないはずよ」
ポニーナの言葉に、マフィは荷馬車の方へ視線をやった。
そこには全身包帯まみれで大の字になって眠るパンクの姿があった。
その顔は血と泥で汚れていたが、どこか仕事をやり遂げた男の満足げな寝顔だった。
「そうか。……ならええ」
マフィは安堵の息をつくと後ろを振り返った。
そこにはケイト以外に、もう一人の影があった。
その顔は整っているが、ボコボコに腫れ上がって見る影もない男。
背中には白い翼。
魔王軍の兵士と同じ特徴を持つその男がマフィの後ろにおとなしく控えていた。
マフィが顎をしゃくる。
すると、そのボコボコの男が一歩前に進み出た。
その瞬間だった。
ザッ!!
荒野を埋め尽くしていた数万の魔王軍が、一糸乱れぬ動作でその場に跪いたのだ。
波が引くように白い軍勢が平伏していく。
その視線はオズ王国軍ではなく――マフィ王女へと向けられていた。
その光景を見て兵士たちは悟った。
王女が勝ったのだ、と。
マフィは軍勢を前に大きく息を吸い込んだ。
「野郎ども! 戦争は仕舞いじゃ!」
幼い声が朗々と戦場に響き渡る。
「これより魔王軍はワシの手下じゃ! こいつらは今日からマフィグループの傘下に入った!」
一瞬の空白。
そして、爆発的な歓声が沸き起こった。
「うおおおおおお!」
「勝った! 俺たちが勝ったんだ!」
「マフィ王女万歳! 任侠姫万歳!」
兵士たちが抱き合い、武器を掲げ、涙を流して喜んでいる。
――長きに渡る人類の脅威が、今ここで終わったのだ。
マフィはその歓声を聞きながら、跪く魔王軍に向かって言う。
「おい、てめぇら! 今まで散々暴れ回ってくれたのう!」
マフィが凄む声を静かに聞く魔王軍たち。
「暴れた分をこれからワシに奉仕して返せ! 死ぬほど働いてもらうけぇの! 分かったか!」
その命令に対し、兵士たちが声を揃えて答えた。
「「「承知した。人類の代表よ」」」
地鳴りのような返答。
そのあまりの従順さに、横にいたフリント伯爵が呆気にとられている。
ボコボコの顔をした魔王がマフィにボソリと耳打ちした。
「……盟約を書き換えた。人類は『家畜』から『約束を守る主人』へ。そして、人類の代表であるお前の権限を、私の権限より上位に設定した」
魔王は淡々と言った。
「これより全個体はお前の命令を最優先事項として処理する」
「……上等じゃ」
マフィは満足げに頷くと、踵を返した。
そして、高らかに叫んだ。
「帰るぞ! 凱旋じゃ!」
◇
帰還の行軍は、歴史に残る奇妙で壮大なパレードとなった。
先頭を行くのは王女マフィと騎士団長ケイト。
その後ろには腕を吊ったパンクが荷馬車の御者台でふんぞり返り、ポニーナが愛馬シロの手綱を引いて誇らしげに歩く。
フリント伯爵率いる正規兵とマフィグループの荒くれ者たちが続く。
そして、その最後尾には――魔王軍が粛々と従っていた。
だが、その姿は以前とは異なっていた。
王都の城門が見えてきた頃、出迎えに出てきた市民たちは驚愕に目を見開いた。
彼らが見たのは恐怖の象徴だった「白い翼」ではなかったからだ。
兵士たちの背中にある翼は全て漆黒に染まっていた。
「なんだあれは……?」
「黒い……魔王軍?」
ざわめく市民たち。
その理由は凱旋前の一幕にあった。
マフィは従順になった魔王軍を見渡し、不満げに鼻を鳴らしたのだ。
『お前らの白い羽、気に入らんわ』
白は降伏の色か、それとも死装束か。
どちらにせよ組に入るには似つかわしくない。
『ワシの色に染まれ』
マフィがそう命じると、魔王は「承知した」と短く答えた。
次の瞬間、魔王軍全員の純白の羽が墨汁を垂らしたようにじわじわと黒く変色していった。
魔法か、それとも生体機能の書き換えか。
ともかく彼らは名実ともに「マフィの色」に染まったのだ。
王都の大通りは蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
恐る恐る遠巻きに見る市民たちの前でマフィは立ち止まった。
黒いマントをはためかせ、黒い翼の軍団を背負った七歳の王女。
彼女は一歩前に歩み出た。
それだけで、魔王軍を含む全兵士が一斉に頭を垂れる。
「よう聞け、お前ら!」
マフィの声が王都の空に響く。
「魔王軍は成敗し、傘下に下した! こいつらは今日からワシの身内じゃ!」
マフィは魔王軍を指差した。
「もうこの国で怯える日々はない! 枕を高くして寝ろ!」
一瞬の静寂の後、王都が爆発した。
歓声が、悲鳴に近い喜びの声が、津波のように押し寄せる。
人々は抱き合って勝利を祝った。
マフィはその光景を見渡し、ニヤリと笑った。
これが、王女が守りたかった景色だ。
◇
戦後の世界は大きく揺れ動いた。
マフィ王女が魔王軍を討ったという事実は瞬く間に各国へ伝わった。
当初、他国の者たちの中には冷ややかな反応を示す者もいた。
「所詮は辺境の小競り合いだろう」
「魔王軍など、大した敵ではなかったのではないか?」
そんな声も囁かれた。
だが魔王の口から語られた事実は衝撃的なものであった。
「無垢なる分身たちも少しずつ学習し、進化する」
魔王は淡々と語った。
「人類がバラバラであり続けたなら、人類の脅威となり、そして全てを飲み込むこともあったであろう」
実際、魔王軍は『転生』を戦術に組み込み始めていた。
人類は滅亡の淵ギリギリに立っていたのだ。
あと少しマフィの行動が遅れていれば、世界は終わっていたかもしれない。
その事実が知れ渡るにつれ、マフィ王女への評価は変わっていく。
『人類の英雄』
『救世の聖女』
そんな仰々しい呼び名で称えられることもあった。
さらに世界を驚かせたのは、その後の魔王軍の扱いだった。
「お前らは今日から土木工事の担当じゃ!」
マフィは傘下に収めた魔王軍を戦後復興のインフラ整備に投入したのだ。
彼らは疲れを知らない。
眠る必要もない。
食事も摂らず、文句一つ言わずに二十四時間働き続ける。
壊れた城壁は瞬く間に修復され、街道は整備され、荒れ地が開拓されていく。
究極の労働力。
それを一手に握ったオズ王国の国力は急激に向上する見込みとなった。
これには周辺諸国も気が気ではない。
特に、最大の大国であるナギナ帝国が強い関心を寄せる可能性がある。
オズ王国への支援の返礼をどう求めるか。
強大化していくオズ王国とどう付き合っていくか。
国家間のパワーバランスは激変し、新たな火種も生まれつつあった。
しかし――。
当事者であるマフィ王女の関心事は、目下そこにはなかった。
◇
「酒じゃ! もっと酒を持ってこい!」
マフィは広間の中央で指示を飛ばしていた。
その目は爛々と輝いている。
「国を挙げての戦勝祝いはワシもしたことがない! 派手にやるぞ!」
そしてマフィは用意された杯を手に取った。
「魔王とは親子盃を交わすんじゃ! これで手打ちにして本当の家族になるんじゃ!」
マフィの隣では顔の腫れが引いた魔王が相変わらず無表情のまま杯を持たされている。
どうやら彼はこれから行われる「サカズキ」という儀式の意味を学習させられるらしい。
「姫様、ほどほどにしてくださいよ」
パンクが苦笑いしながら酒樽を運んでくる。
下町のマフィグループの面々も、今日ばかりは無礼講と城に招かれていた。
そんな賑やかな様子を、部屋の隅から見つめる影があった。
王妃だ。
「……本当に、無事でよかったわ」
王妃の目には涙が滲んでいた。
ボロボロの姿で、それでも堂々と帰ってきた我が子。
マフィが母の視線に気づき、照れくさそうに頭を掻いた。
「お母様。約束通り、ちゃんと帰ってきました」
マフィが歩み寄ると、王妃はマフィを強く抱きしめた。
「本当によく帰ってきてくれました」
温かい母の腕の中。
マフィは戦場では決して見せなかった子供のような表情でその温もりを受け入れた。
しばしの沈黙。
親子の感動的な再会。
そして王妃は体を離すと、スッと表情を切り替えた。
先ほどまでの涙はどこへやら、そこには厳格な母親の顔があった。
「それはそうと、マフィ」
「は、はい?」
嫌な予感がしてマフィが身構える。
王妃はマフィが手に持っていた杯を取り上げ、ニッコリと、しかし目の奥は笑っていない笑顔で言った。
「あなたはお酒を飲むと倒れるほど幼いのですから、お酒は禁止ですよ」
「なっ……!?」
マフィが絶句する。
「そ、そんな殺生な! 盃事もせにゃならんのに!」
マフィの悲痛な叫びが広間に響き渡る。
それを見て、国王やパンク、ケイト、ポニーナたちがドッと笑った。
平和が戻ったオズ王国。
だが、マフィの戦いは終わらない。
国の復興、外交、そしてお母様の小言。
それでも彼女は背筋を伸ばして歩いていく。
愛する『家族』を引き連れて。
――ヤクザな王女様は、今日も今日とて、仁義を切って生きていくのだ。
第一部完結です!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
短編を書いた時、「これで終わり」のつもりでした。でも「続きを読みたい」という声をいただけて、気づけば45話。あの時コメントをくれた方、評価を入れてくれた方——あなたのおかげでここまで書き続けることができました。本当にありがとうございます。
マフィが「一代記」と呼ばれるだけの生涯を歩むには、まだまだ道のりがあります。
第一部で物語として一度きれいにまとまりましたが、もし皆様から「もっと読みたい」という声をいただけるなら、続きを書きたい気持ちもあります。
「面白かった」と思っていただけたら、★評価やブックマーク、感想、レビュー、SNSでの紹介など、何でも嬉しいです。皆様の声が次の物語を動かす力になります。
それでは、また会えることを願って。




