44. てめぇら、仁義ってもんを教えちゃる
城の中は墓場のように静まり返っていた。
ワシは無人の回廊を歩く。
コツ、コツと、ワシとケイトの足音だけが空虚に響く。
すべてが白一色で塵一つ落ちていない。
清潔だが、そこには決定的に「生活」というものが欠落していた。
ここには、血の通った生き物の匂いがせん。
外の廃墟となった城下町の方が、まだかつて人が住んでいたという温もりの残骸を感じられたほどだ。
長い階段を登りきると、突き当りに巨大な扉が現れた。
ここが最奥。
この向こうに全ての元凶がいる。
「邪魔するぞ」
ワシは両手で重厚な扉を押し開けた。
ギギギ、と蝶番が軋む音を立てて、扉が左右に開く。
そこは広大な謁見の間だった。
やはり白一色の空間。
その一番奥、高く設えられた玉座に一人の男が座っていた。
背中には魔王軍の兵士たちと同じ純白の翼。
顔立ちは彫刻のように整っている。
だが、その態度は兵士たちとは違った。
片膝を立てて座り、気だるげにこちらを見下ろしている。
そして何より――あの薄気味悪い笑みを浮かべていなかった。
その顔は能面のような仏頂面だった。
「ようこそ、人類の代表者よ」
男が口を開いた。
その声は透き通っており美しかったが、感情という色が含まれていなかった。
「人類を束ねて、よくここまでたどり着いた」
まるで予定調和の来客を迎えるような口ぶりだ。
ワシはケイトを手で制して後ろに控えさせると、玉座の真下まで歩み寄った。
「おどれが魔王か」
ワシが問うと、男は静かに頷いた。
「魔王……人類にはそう呼ばれているようだ」
落ち着き払っている。
自分が殺されるかもしれないという状況で、微塵も動揺していない。
「今まで、よう外道の行いを繰り返してくれたのう」
ワシは睨みつけ、凄んでみせた。
並の人間ならこの眼光だけで震え上がるはずだが、こいつは眉一つ動かさなかった。
「……外道?」
男は不思議そうに首を傾げる。
「お前らの手下は人間を『家畜』と呼び、魂を啜って『美味い』と笑いよった。それが外道でなくてなんじゃ」
ワシの問いかけに、魔王は淡々と答えた。
「……家畜、か。盟約に定められた定義だ」
「定義じゃと?」
「ああ。『約束を守れぬ者は家畜と同義』と」
魔王はあたかも「空は青い」と言うのと同じ調子で続けた。
「我々は約束を守る存在だ。約束を守れぬ存在は、守れる存在より下等——それが盟約の論理だ」
ワシは奥歯をギリと噛みしめる。
「……じゃあ、魂を啜って『美味い』と笑いよったのは何じゃ。あれも盟約か」
「罰の執行だ」
悪びれる様子など微塵もない。
「無垢なる分身たちが快感を覚えるのは、任務を正しく遂行した報酬として設計されているからだ。彼ら自身はそれを『美味しい』と認識しているが……実態は、契約の履行に対する報酬系への刺激に過ぎない」
設計? 報酬?
こいつの口から出る言葉はまるで機械だ。
ごまかそうとか言い逃れしようとか、そういう小賢しい真似をしているわけではない。
ただ、こいつにとっての「真実」を述べているだけだ。
それが余計に腹立たしい。
ワシは魔王の座る玉座の目の前まで歩み寄った。
そして、その場にドカッとあぐらをかいて座った。
対話じゃ。
当初の魔王軍の指揮官には通じなかった言葉が、こいつになら通じるかもしれん。
「まず、その『盟約』とはなんじゃ」
門番たちも言っとった。
盟約、試練、約束。
こいつらを縛り付けとる根本のルール。
「昔……どれほどの昔かは忘れてしまったが。『盟約』を交わしたのだ」
魔王は遠い目をした。ここではないどこかを見上げるように。
「誰かと何かの約束を交わしたのか」
「ああ。『人間が互いを守らなくなった時、お前が罰を与えろ』と」
魔王は視線をワシに戻した。
「私は人類の営みをここから見ることができる。お互いに争い合い、奪い合い、守ることを忘れた人類。それに罰を与えるベく、無垢なる分身たちを放っている」
ワシの知るところだと、オズ王国ができるよりも遥か昔から人類は魔王軍と戦っていると聞く。
「……いつからじゃ」
「忘れてしまった。もう人類の世代が百回は変わっただろうか」
百回。
気が遠くなるような時間じゃ。
その間、こいつはずっとここで人間を見張り、罰を与え続けてきたというのか。
「そんな昔のことを、なぜまだやっとる」
「約束だからだ」
即答だった。
「誰との約束じゃ」
「忘れた。人類の王か、人類を作った創造主か……。だが、約束は約束だ」
「……なるほど。筋を通しているだけと言いたいんか」
「筋? 私は盟約を守り、罰を与えているだけだ」
魔王は無表情のまま続ける。
「罰を与えるだけのつもりだから、人類が一丸となったら突破できる程度の分身しか出していない。お前が人類を束ねてここまで来たんだろう、人類の代表よ」
試練、か。
人類が団結して立ち向かってくれば、それは「互いを守る」状態に戻ったということ。
だから罰は必要なくなる。
そういう理屈か。
なるほど、筋は通っとるわけだ。
――だがのう。
「……約束を守るんは筋が通っとる。立派なもんじゃ」
ワシは立ち上がって言う。
「だが、相手がおらん約束をいつまで守る気じゃ。それは『仁義』やない、ただの『意地』じゃ」
「意地?」
魔王が初めて感情のようなものを声に滲ませた。
「私が意地を張っているというのか?」
「ああ、そうじゃ。相手の顔も名前も忘れて、それでも約束にしがみついとる。それを意地と言わずしてなんと言う」
「……そうか。そうかもしれない」
魔王はふっと視線を落とした。
「人類の代表が初めて到着した。条件は満たされた。……だから、この罰をやめることにしよう」
あっさりと、魔王は言った。
まるで今日の夕飯の献立を変えるくらいの軽さで。
その軽さに、ワシの中で何かが切れた。
「待て」
ワシは低く唸った。
「やめる、だと? それで仕舞いか?」
「盟約の解除だ。何か不満か?」
「止めるだけじゃ収まらんのじゃボケが!」
ワシは大声を張り上げた。
広間にワシの怒号が反響する。
「お前らが奪った日常。その落とし前もつけてもらうぞ!」
「オトシマエ?」
魔王は聞き慣れない単語を口の中で転がした。
「戦いの責任を取らせに来たんじゃ!」
「責任か。……人間は争ったときに、責任として相手を殺すのだろう。私を殺すのか?」
魔王は抵抗の意思を見せるどころか、ゆっくりと両手を広げた。
無防備な姿。
「確かに、人類の代表に従い、ここで機能を停止する。死ぬのが正しいのかもしれないな」
そんなことを、魔王は抑揚なく言う。
自分の命すら、タスクの一つでしかないような言い草。
――ダメじゃ。
こんな気の抜けた奴を殺しておしまい?
それでは死んでいった者たちが浮かばれん。
ワシは魔王のところまで歩み寄り、玉座の前に立った。
魔王は静かに目を閉じている。
ふざけるな。
ワシは拳を固めた。
前世から磨き上げてきた拳を唸らせる。
ガッ!!
乾いた音が室内に響いた。
「っ……!?」
魔王の顔面が弾かれ、白い肌が赤く腫れ上がる。
口の端から血が流れる。
魔王は驚いたように目を見開き、自分の頬に手を当てた。
「……殴ったのか?」
「当たり前じゃろうが!」
ワシは魔王の胸倉を掴み、無理やり引き寄せた。
「お前が与えた『罰』が何なのかを、理解しとんか!?」
ドスッ!
もう一発、顔面に拳を叩き込む。
「っ……」
「お前が『家畜』と呼んで殺した者たちにも、家族がおったんじゃ! 帰りを待つ場所があったんじゃ!」
バキッ!
さらに一発、顔面へ。
魔王の端正な顔がボコボコに歪んでいく。
血が飛び散り、白い服を汚す。
だが魔王は反撃しない。
「……抵抗もせんのか!」
「する……理由がない。お前は人類の代表だ。その行動に従うだけだ」
殴られるたびに体が揺れるが、魔王は人形のようにそれを受け入れ続ける。
ワシは殴り続けた。
何度も、何度も。
ワシの拳の皮が破れ、血が滲む。
ワシが手を止めた時、ワシの手は真っ赤に腫れ上がり、魔王の顔は無残なほど腫れ上がっていた。
魔王は玉座の上でぐったりとしている。
ワシは荒い息を吐きながら、血まみれの手で再び魔王の胸倉を掴み上げた。
「お前は『人』と言うものを理解して『罰』を与えたんか!? そう言えるんか!?」
「……人類と私は、違うものだ。理解など……機能にない」
「じゃあ、見て学べ! 人の道を! 『仁義』を!」
ワシは叫んだ。
「痛みを知らん奴に罰を与える資格はない! 今のおどれは、落とし前をつける資格さえないんじゃ!」
魔王の瞳が揺れた。
今まで無機質だったその瞳に、初めて「困惑」という色が浮かんだ。
「学ぶ……?」
「そうじゃ。死んでチャラにしようなんて甘いんじゃ」
ワシは魔王を突き放し、仁王立ちで見下ろした。
「新しい約束をワシとせえ」
「新しい……約束だと?」
魔王が腫れ上がった目でワシを見る。
「おう。これからはワシのシマを守れ! ワシの下につけ!」
ワシは宣言した。
「ワシがてめえらに、『仁義』ってもんを教えちゃる!」
魔王は呆然としていた。
殺されるとでも思っていたのか。
破壊されて終わりだと、そう思っていたのか。
だが、ワシが突きつけたのはそんな楽なものじゃない。もっと面倒で、もっと重い要求だ。
「ああ……。人類の代表に従い、人類を知るのか……」
魔王は呆けたまま、困惑したまま言う。
「私に、別の生き物の理を理解できるだろうか?」
「……させる! ワシが叩き込んじゃる!」
ワシは自分の血まみれの拳を突き出した。
「お前がそれを理解した時、ワシが本当の落とし前をつけちゃる! それまでは死ぬことなんぞ許さん!」
魔王はその拳を見つめた。
赤く腫れ、血が滲む、小さな拳。
魔王はゆっくりと体を起こし、玉座から降りた。
そして、ワシの前で膝をついた。
「……分かった」
魔王はワシの拳に、自分の額を押し当てた。
「新しい盟約を結ぼう」
その声には、先ほどまでの機械的な響きはなかった。
微かだが、確かに「意志」が宿っているように感じた。
「上等じゃ」
ワシはニヤリと笑った。
「ワシと一緒に来い!」




