41. ここが辛抱どころじゃ
走り続けて丸二日が過ぎた。
ホルシアの名馬とはいえ、さすがに限界が近い。
荒い息遣いが鞍を通して伝わってくる。
馬の背中からは湯気が立ち上り、汗が白く泡立っていた。
ワシら人間も同様だ。
極限の集中力で駆け抜けてきたが、疲労は隠せない。
それでも誰一人として音を上げる者はいない。
ホルシアの騎馬と兵士の士気によって、ギリギリのところでこの強行軍を成立させていた。
「……そろそろか」
ワシは目を細めて地平線を睨んだ。
魔王軍の奴らが死んでから生き返るまでの時間を考えれば、ここらで本丸が見えてくるはず。
――もしこれ以上進んでも影も形も見えんようなら、一度引き返して後続の歩兵部隊と合流せんといけんかもしれん。
そう覚悟を決めかけた、その時だった。
「姫様! あれを!」
先頭を走るケイトが叫んだ。
ワシの視線の先に異様な光景が飛び込んできた。
荒野の果てに忽然と姿を現した巨大な城。
真っ白だ。
汚れ一つない、病的なまでに白く輝く城壁。
それが鉛色の空の下に鎮座している。
「あそこか……!」
ワシは呻いた。
城だけではない。
その周囲には広大な城下町が広がっていた。
だが、その光景はあまりにも不気味だった。
城下町の建物はボロボロに朽ち果て、屋根は落ち、壁は崩れている。
完全な廃墟だ。
人の気配はおろか、ネズミ一匹の気配すらしない。
その中心に、まるで墓標のように美しくそびえ立つ白亜の城。
生と死が逆転しとる。
本来なら賑わうはずの町が死に絶え、権威の象徴である城だけが永遠の時を刻んでいるような。
「……気持ちの悪い場所じゃ」
ワシは吐き捨てた。
生活の匂いがせん。
かまどの煙もなければ市場の喧騒もない。
奴らは飯を食わんのだ。
「……こりゃあ豪勢なお出迎えだな」
隣を走るパンクが顔を引きつらせる。
城の前には白き軍勢が蟻のように群がっていた。
その数は今まで戦場で見てきた比ではない。
五倍、いや十倍はおるかもしれん。
道中で狩った奴らがここで復活し、吹き溜まりのように滞留しているのだ。
それに加えて、元から本丸を守っていた連中もおるんだろう。
そりゃあ、この数にもなるわけだ。
奴らはワシらの姿を認めると、一斉にこちらを向いた。
その顔には、相変わらず薄気味悪い笑みが張り付いている。
「こんなところまで家畜たちが来ているぞ!」
「わざわざ魂を献上しに来たのか?」
「旨そうな魂をたくさん啜れそうだ!」
――敵が本拠地まで来ているのに、何じゃその反応?
緊張感のかけらもない。
まるでピクニックの弁当が勝手に歩いてきたような様子。
どこまでも不気味でふざけた連中じゃ。
「……ここが辛抱どころじゃ!」
ワシは大声を張り上げた。
「ビビって足止めちゃいけんぞ! 魔王の城まで一気に突破するけぇの!」
「応ッ!!」
騎馬隊が加速する。
最後の戦いが始まった。
◇
ドガァァァァン!!
衝突の瞬間、凄まじい衝撃が走った。
分厚い壁にぶつかったかのような手応え。
だが、ホルシアの馬の突進力と帝国製の鋼の切れ味で無理やりこじ開ける。
「邪魔だァ!」
パンクが戦斧を風車のように振り回し、白い翼をへし折る。
ケイトが正確無比な剣捌きで喉元を貫く。
だが、敵の数が多すぎる。
一人倒しても、次から次へと白い波が押し寄せてくる。
まるで底なし沼だ。
騎馬の足が鈍り始める。
「右翼が薄くなっている! 第二班、カバーに入れ!」
フリント伯爵の叱咤が飛ぶ。
老練な指揮でなんとか陣形を保っているが、このままではジリ貧だ。
勢いが止まれば、囲まれてすり潰される。
ワシは瞬時に計算した。
――このままじゃ全滅じゃ。
誰かが城まで駆け抜け、魔王の喉に食らいつくしかない。
ワシは叫んだ。
「フリント!」
「はっ!」
「全員で抜けるのは無理じゃ! ワシらだけで行く!」
フリントがギョッとしてこちらを見た。
「姫様、危険です! 護衛を減らして敵の本丸に突っ込むなど正気の沙汰ではありません!」
「黙れ!」
ワシは一喝した。
「ここで全軍が足止め食ろうてみい! 消耗戦で全滅じゃ! こいつらを引き付けとる間に、ワシらで大将の首を取る!」
ワシはフリントの目を真っ直ぐに見据えた。
フリントは唇を噛みしめた。
数秒の葛藤。
しかし、彼は歴戦の将だ。
今の状況で何が最善手か理解していた。
フリントは覚悟を決めた顔で、剣を胸に当てて敬礼した。
「……御意! この場の敵は一兵たりとも城へは通しません!」
そして、全軍に向かって吠えた。
「陣を組め! 姫様の道を切り開く盾となれぇ!!」
オズ王国軍の動きが変わった。
突破の陣形から、その場に留まり敵を食い止める防衛陣形へ。
彼らが自ら囮となり、白い波を受け止める防波堤となったのだ。
その一瞬の隙に、ワシらは飛び出した。
「行くぞ!」
メンバーは最小限。
ワシとポニーナが乗るシロ。
先陣を切るパンク。
そして護衛のケイト。
わずか三騎での敵中突破。
「どけやああああ!」
パンクが鬼神の如く暴れ回る。
邪魔な敵兵を馬ごと体当たりで吹き飛ばし、血路を開く。
「姫様には指一本触れさせない!」
ケイトが左右から迫る敵の槍を弾き、切り伏せる。
彼の剣技はもはや達人の域に達していた。
だが、敵の包囲網は分厚い。
シロの足取りが重くなる。
疲労はピークに達していた。
前方から新たな敵の集団が立ちふさがる。
「……っ!」
ポニーナが手綱を握る手に力を込めた。
彼女は馬の首に顔を寄せ、祈るように囁いた。
「……あと少し! あと少しだから、頑張って!」
それは命令ではなく、家族への願いだった。
ブルルッ!
シロが大きく鼻を鳴らした。
限界を超えているはずの脚に再び力が漲る。
名馬のプライドか、それとも主人への愛か。
シロは爆発的な加速を見せた。
「いけぇぇぇぇッ!」
ワシも叫んだ。
ドオンッ!
シロは最後の敵兵を弾き飛ばし、包囲網を食い破った。
パンクとケイトもそれに続く。
視界がパッと開けた。
後ろから怒号と悲鳴が聞こえるが、振り返らない。
フリントたちが命懸けで作ってくれたこの道を、無駄にするわけにはいかん。
ワシらは一目散に駆け抜けた。
廃墟の町を通り過ぎ、ついに魔王の城の正門前へとたどり着いた。
◇
城門の前は奇妙なほど静かだった。
あれほどいた雑魚兵士たちの姿はない。
代わりに、二つの影が門を守るように立っていた。
今までの連中とは明らかに違う。
身に纏う鎧の装飾が豪華だ。
そして、その瞳には知性の光が宿っていた。
ワシらが馬を止めると、二人の敵将はゆっくりとこちらを見据えた。
「長かった……ついに、ついに人間がこの城までたどり着いたか」
右側に立つ男が厳かな声で言った。
その表情には今までの連中のような嘲笑はない。
あるのは、探究者のような冷徹な観察眼だ。
「我々は『盟約』を理解していない他の有象無象とは違う。……主が交わされた、古き約束をな」
左側の敵将が続く。
その手にはガラスのように透き通った長槍が握られている。
「盟約じゃと?」
ワシは眉をひそめた。
また面倒くさい言葉が出てきよった。
「人類よ。最後の試練だ」
男が剣を抜いた。
その刀身からは、禍々しい魔力が立ち上っている。
「ここを通りたければ押し通れ。力なき者に魔王との謁見は許されぬ」
どうやら、訳知り顔の幹部の登場らしい。
問答無用で襲ってくるわけでもなく、試すような口ぶり。
余裕か、それとも何かの儀式か。
だがワシには関係ない。
「試練じゃと? 偉そうに上から物言いやがって」
ワシは鞍の上で立ち上がった。
「どけと言ってもどかんのじゃろう?」
パンクとケイトに目配せをすると、二人は無言で頷いて武器を構える。
「なら、力ずくでこじ開けるまでじゃ。覚悟せいや!」
最後の門番との戦いが、今始まろうとしていた。




