40. 狙うは魔王の首ひとつ
荒野を吹き抜ける風が、マフィの黒いマントを激しくはためかせていた。
マフィはポニーナが手綱を握る白馬・シロの鞍の前方にちょこんと座った。
幼女と少女の二人乗り。
一見すれば微笑ましい光景だが、その周囲には殺気立った精鋭たちがひしめいている。
ポニーナの手は微かに震えていた。
無理もない。
彼女は馬を愛するただの王女であり、前線で敵陣と衝突するのは初めてなのだ。
マフィは視線だけを少し後ろに向け、低く声をかけた。
「おい、ポニーナ」
「……っ、な、なに?」
「震えとるんか」
「震えてないわよ! 武者震いよ、これは!」
矛盾した強がりを言う声が裏返っている。
マフィは鼻で笑うと、ポニーナが握りしめる手綱に自分の小さな手を重ねた。
「おどれの馬を信じぃ」
静かな、しかし確信に満ちた声だった。
「こいつは誰よりも速く走り抜けた名馬じゃ。お前が育てたんじゃろうが」
「……シロ」
ポニーナはハッとしてシロのたてがみを見つめた。
シロは主人の不安を感じ取りながらも、一歩も退かずに前を見据え、荒い鼻息を吐いている。
その力強い鼓動が鞍を通して伝わってくるようだ。
ポニーナの瞳に力が戻る。
震えが止まった。
彼女は手綱を握り直し、前を見据えた。
「……そうね。ホルシアの名馬は世界一なんだから!」
覚悟が決まった顔だ。
マフィはニヤリと笑い、前方へ向き直った。
マフィは大きく息を吸い込み、腹の底から号令を放った。
「全軍、突撃ぃ!!」
その瞬間、大地が悲鳴を上げた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
ホルシア王国の名馬たちが一斉に大地を蹴る音はまるで雷鳴のようだった。
狙うは一点突破。
雑魚には目もくれず、敵陣の中央を食い破り、最奥に座する魔王の元へ最短距離でひた走る。
最も重要なのは大将の首だ。
周りの兵隊など相手にしている暇はない。
「行くぞオラァ!」
パンクが野太い声を上げて馬を飛ばす。
その横にはケイト率いる騎士団、そしてフリント伯爵の精鋭部隊。
マフィを中心にした鏃のような陣形が、猛スピードで荒野を疾走していく。
数瞬の後。
黒い奔流は、白い魔王軍の最前線へと激突した。
「おや、こんなところに人間が来るとは珍しい!」
魔王軍の兵士たちは人間など恐るるに足らずとばかりに薄ら笑いを浮かべていた。
彼らは「死」を知らない。
恐怖を知らない。
「魂を啜られるために来たのかな?」
白い翼を持つ異形の兵士たちが戯れるように手を広げて立ちふさがる。
だが。
ドガァッ!!
重厚な衝撃音が響き、魔王軍の兵士たちがピンボールのように弾き飛ばされた。
ホルシアの馬は伊達に名馬と呼ばれていない。
その筋肉の塊のような馬体が生み出す突進力は、生半可な歩兵など紙屑同然に蹴散らす威力を持っていた。
「どけええええ!」
先陣を切るパンクが吠える。
彼が振るうのはナギナ帝国製の巨大な戦斧だ。
ブンッ!と空気を切り裂く音と共に、数人の敵兵がまとめてなぎ払われ、宙を舞った。
「道を開けろやァ! そこ退かんかい!」
パンクの戦い方は、騎士のそれではない。
完全に喧嘩殺法だ。
だが、その荒々しさが今の乱戦には最適だった。
洗練された剣術よりも、暴力的なまでの突破力が道を切り開いていく。
「王女殿下の道を塞ぐな!」
反対側では、若き騎士団長ケイトが鋭い剣閃を走らせていた。
かつてマフィに横っ面を張り倒され、根性を叩き直されたひ弱な青年はもういない。
正確無比な刺突が敵を貫き、返す刀で別の敵を切り伏せる。
帝国製の鋼の切れ味は凄まじく、魔王軍の鎧をバターのように切り裂いていく。
「左から来るぞ! 第二小隊、迎撃!」
フリント伯爵の声が戦場に響く。
前線を守り続けた将の目は、砂塵舞う乱戦の中でも冷静に戦況を俯瞰していた。
敵の増援が厚い箇所を瞬時に見抜き、的確に避けて一行を進める。
彼の指揮のおかげで、突撃の速度は一向に落ちない。
マフィたちの勢いは止まらない。
まるで熱したナイフが氷を溶かすように、魔王軍の白き海を切り裂いて進んでいく。
マフィはシロの背から身を乗り出し、行く手を阻もうとする敵兵を睨みつけた。
「どけい!狙うは魔王の首ひとつじゃ!」
七歳の少女の咆哮。
だが、その声に含まれた覇気は大人でもたじろがせるほどの圧力を持っている。
騎馬隊はついに敵の前衛を突破した。
魔王軍の陣形を貫通し、その後方へと抜け出したのだ。
「抜けたぞ!」
「このまま本丸へ直行だ!」
魔王軍は翼を持っているが、空を飛べるわけではない。
そして彼らには機動力となる騎馬がない。
一度突破してしまえば、足の速さで圧倒的に勝るホルシア騎馬隊に追いつく術はなかった。
砂塵を巻き上げ、マフィたちは魔王の居城を目指して一直線に駆け抜けていく。
◇
取り残された魔王軍の兵士たちは呆気にとられたようにその後ろ姿を見送っていた。
「なんだあれは?」
「行ってしまったぞ?」
「面白い!活きがいい人間だな!」
恐怖を知らぬ彼らはすぐに気を取り直してニタニタと笑い始めた。
「追いかけてみるか?」
「後ろから襲えば、魂が啜れるかもしれん」
「そうだ、挟み撃ちにして遊ぼう!」
彼らが踵を返し、マフィたちを追おうとした、その時だった。
ズズズズズ……。
再び、地響きが聞こえてきた。
マフィたちが来た方角からだ。
「ん?まだ何か来るのか?」
魔王軍が振り返ると、そこには無数の荷馬車が土煙を上げて迫ってきていた。
ヒョーラント共和国の食料輸送に使われていた頑丈な馬車だ。
だが、今それに乗っているのは食料ではない。
「止まれぇッ!」
号令と共に荷馬車が停止し、荷台からぞろぞろと人間が降りてきた。
全員が黒いマントを羽織っている。
かつてパンクの下についていたゴロツキたち。
そしてマフィの「仁義」に惹かれて集まった、マフィグループの歩兵部隊だ。
「姫様たちは追いかけさせない!」
彼らは武器を構え、魔王軍の前に立ちはだかった。
「なんだ、また人間が魂を啜られにやってきたぞ?」
魔王軍の兵士たちが嘲笑し、襲い掛かろうとする。
だが、歩兵たちの動きは奇妙だった。
彼らは剣を抜いていたが、それを突き刺そうとはしなかった。
代わりに、投げ縄や網、鎖といった捕縛道具を構えていたのだ。
「できるだけ殺すな! 生け捕りにしろ!」
隊長の男が叫ぶ。
「殺したら転生して魔王の元に戻っちまう!先行した姫様たちの邪魔になる!」
そう。
これがマフィの策。
魔王軍は死ねば魔王の元で蘇る。
つまり、ここで彼らを殺せば、それは敵の戦力を本拠地へ「転送」させてしまうことになる。
これから本丸へ攻め込むマフィたちにとって、それは敵の増援を送る利敵行為にしかならない。
ならばどうするか。
答えは単純。
殺さず、自由を奪い、ここに釘付けにするのだ。
「殺すな! 縛れ! 手足をへし折ってでも動きを止めろ!」
「へへっ、喧嘩なら任せとけ!」
元ゴロツキたちは殺し合いよりも喧嘩のプロだ。
相手を殺さずに痛めつけ、無力化する技術にかけては騎士団よりも長けている。
「うりゃあ!」
一人の兵士が網を投げ、敵兵の動きを封じる。
すかさず別の二人が飛び掛かり、関節技で地面に押さえつけた。
丈夫な鎖でぐるぐる巻きにする。
「これは姫様の通る道の『掃除』だ!」
「姫様の作戦だ、信じろ!」
次々と無力化されていく魔王軍。
殺しても死なない恐怖の軍団が、ただの「動けない肉塊」へと変えられていく。
「よし、あらかた片付いたな!」
あらかたの敵を簀巻きにして転がした後、隊長が声を上げた。
「野郎ども、乗れ! 姫様を追いかけるぞ!」
「おう!」
仕事を終えた歩兵たちは、手際よく再び荷馬車に飛び乗った。
無力化された魔王軍を荒野に放置し、彼らはマフィたちの後を追う。
いわば、移動式の露払いだ。
後方から迫る敵の脅威は消えた。
マフィたちの背後は、この頼もしい「家族」たちが鉄壁の守りで支えるのだった。




