35. 覚悟しとけ
帝城の大広間は煌びやかなシャンデリアの光で満たされていた。
壁際には各国の要人たちが並び、談笑している。
だがその空気はどこか妙な緊張感を孕んでいた。
広間の中央でナギナ帝国の大臣がグラスを片手に声を張り上げているからだ。
「嘆かわしい!誠に嘆かわしいことです!」
大臣は大げさに天を仰いだ。
「我が帝国は周辺諸国との友好を深めんがため、こうして夜会を催したというのに!あろうことかオズ王国は姿を見せぬ!」
「彼らは我々の善意を踏みにじったのです!我々は友好の証として、支援を倍増させてもよいとまで伝えていたのに!」
大臣の芝居がかった口調に、事情を知らぬ他国の者たちは同情的な視線を送っている。
大臣は心の中でほくそ笑んでいた。
これでいい。
オズ王国は来ない。来るはずがない。
招待状が届く頃には、すでに旅程が間に合わない。
早馬を使って不眠不休でこちらを目指しても、街道には手練れの暗殺者を放った。
万が一にもたどり着けるはずがないのだ。
これで堂々と支援を打ち切り、弱体化したところを骨の髄までしゃぶり尽くせる。
「オズ王国には友好を結ぶ気など最初からなかったのだ!彼らは野蛮で、礼儀知らずな……」
大臣がそこまで言った時だった。
ガァン!!
大広間の扉から、突如として爆音が響いた。
扉が何者かによって蹴り開けられたのだ。
「な、なんだ!?」
「敵襲か!?」
悲鳴が上がる中、現れたのは――泥と汚水にまみれた小さな影だった。
ドロドロになったドレス。
髪からは下水特有の強烈な悪臭が漂っている。
だが、その瞳だけはシャンデリアよりも鋭くギラギラと輝いていた。
「……臭いのう」
現れた彼女は鼻をつまみながらドレスの裾を絞った。
ボタボタと汚い水が磨き上げられた大理石の床にシミを作る。
会場が凍り付いた。
誰もが言葉を失い、この異様な侵入者を凝視している。
彼女はぐるりと会場を見渡し、演説中だった大臣に視線を止めた。
「よう、狸オヤジ。随分と景気のええ話をしとるじゃないか」
「き、貴様は……!?」
大臣が目を剥く。幽霊でも見たかのような顔だ。
「裏口の鍵が開いとったけぇ、勝手に入らせてもろうたぞ」
そして泥だらけの足で一歩踏み出すと、貴族たちが悲鳴を上げて道を開けた。
「衛兵!何をしている!この薄汚い浮浪児をつまみ出せ!」
大臣が泡を食って叫ぶ。
だが、衛兵たちが動くよりも早く会場の隅から声が上がった。
「おお!あれはマフィ王女殿下ではないか!」
声を上げたのは恰幅の良い男――ヒョーラント共和国の大統領だった。
その隣にはブレントもいる。
「父上、間違いありません!あれはマフィです!」
ブレントが目を輝かせて身を乗り出した。
娘の姿を見て興奮しているようだ。
「マフィ……だと?」
「オズ王国の王女が、なぜあんな姿で……」
ざわめきがさざ波のように広がる。
ヒョーラント国王の証言により、確定してしまった。
彼女の正体がオズ王国の王女――マフィ・オズであると。
大臣の顔色が、赤から青、そして白へと変わっていく。
◇
「遅れてすまんのう。道中、ちとゴミ掃除に手間取ってな」
ワシは背後向かって声を上げる。
「パンク!連れてこい!」
「へい!」
パンクは威勢のいい声で返事をしてやってくる。
ズルッ…ズルッ……。
湿った重い音。
床で引きずられているのはグルグル巻きにされた黒装束の男だった。
意識はなく、ぐったりとしているが、微かに胸が上下している。
「きゃあああああ!」
「死体か!?」
令嬢たちが悲鳴を上げ、紳士たちが顔をしかめる。
「いや、まだ息があるぞ」
「なんだあれは……黒装束?」
各国の首脳たちが困惑する中、ナギナ帝国の貴族たちだけが明らかに狼狽していた。
見覚えがあるのだろう。自分たちが雇った「掃除屋」の姿に。
ワシは懐から適当な小瓶を取り出して掲げ、大臣たちの目の前で振ってみせた。
「こいつはお前らの差し向けたやつらがワシに使おうとしたものじゃ」
大臣の喉がヒュッと鳴った。
「……さっき、ワシがこっそりそこいらの酒に混ぜたかもしれんぞ?」
ワシがテーブルの上のワイングラスを顎でしゃくった。
「なっ……!?」
その瞬間、今まで優雅にワインを傾けていた帝国貴族たちの顔色が土気色になった。
「お、おええええ!!」
「うっ、ぐぷっ!」
数人の貴族がその場で嘔吐しようと膝をつく。
自分たちが暗殺者に持たせた毒がまさか自分たちに向けられているとは。
疑心暗鬼が恐怖を呼び、会場はパニック寸前となった。
その様子を見て、ワシはケラケラと笑った。
「冗談じゃ!ビビりすぎじゃろうが!」
ワシは小瓶を放り投げた。
パリン、と軽い音がして瓶が割れる。中から漂ったのは毒々しい臭気ではなく、ツンとしたミントの香りだけだった。
ただの気付け薬だ。
「……だが、何があったかは語るに落ちたのう!」
ワシのドスの利いた声が広間に響き渡る。
「暗殺者まで用意してご苦労なことだが、ここまで来た友好の証にきっちり支援を増やしてもらおうか!」
その言葉の意味を理解し、各国の首脳たちが一斉にざわめいた。
「暗殺未遂だと……?」
「夜会の招待客を殺そうとしたのか?」
「帝国が他国の王女を……?」
非難の視線が嘔吐しかけていた帝国貴族たちに集中する。
もはや言い逃れはできない。
大臣はパクパクと口を開閉させるだけで、言葉が出てこないようだった。
――その時だった。
パチ、パチ、パチ……。
場違いにも、乾いた拍手の音が響き渡った。
ざわめきが消える。
全員の視線が広間の最奥にある玉座へと向けられた。
そこには一人の男が座っていた。
足を組み、頬杖をつき、興味深そうにこちらを見下ろしている。
ナギナ帝国皇帝。
年の頃は二十代半ばか。皇帝に就任したにしては妙に若い。
そして端正な顔立ち。銀の髪に切れ長の瞳、女なら一目で恋に落ちるような甘い美貌を持っている。
だが、その身に纏う空気は異質だった。
上等な服を着て玉座に座ってはいるが、その目は温室育ちのボンボンのものではない。
あれは――ワシと同じ目だ。
泥水をすすり、裏切りと暴力の中で生き抜いてきた獣の目。
修羅場で十年以上を過ごさねば身につかぬ『本物』の目だ。
「見事だ」
皇帝は拍手をやめ、立ち上がった。
「大臣が支援を削ろうと裏で動いていたのは知っていたが、暗殺まで企てていたとはな」
「陛下!これは誤解で……!」
大臣がすがりつこうとするが、皇帝は冷ややかな目で見下ろしただけだった。
「黙れ。結果が全てだ」
皇帝の声は低く、しかしよく通った。
「大臣どもが『隣国への支援を減らして、この国をもっと富ませる』と言っていたのは聞いている。俺は黙認した。結果を出せば認めてやるつもりだったからな」
皇帝は階段をゆっくりと降りてくる。
「だが、お前たちは失敗した。しかも子供一人に全てひっくり返された」
皇帝が指を鳴らす。
「この国は完全な実力主義でな。弱者は地下を這いずり回るのが掟だ。俺がこの国の皇帝なのも、誰よりも強く、この国を富ませ、有能さを認められたからに過ぎん」
皇帝の視線が這いつくばる大臣たちに向けられる。
「そこでみっともなくゲロを吐いているカエルどもは弱者だ。この場にいる資格はない」
皇帝が短く命じた。
「明日からはスラム行きだ。財産は没収する」
「ひぃぃぃ!お助けを!陛下、お慈悲を!」
「嫌だ!あんな場所に行きたくない!」
大臣たちが泣き叫ぶが、すぐに屈強な衛兵たちが現れてゴミのように引きずっていった。
会場の誰もが、その冷酷で迅速な粛清に息を呑んでいた。
皇帝はワシの前まで歩いてきた。
至近距離で見るとその迫力は凄まじい。
だがワシは一歩も引かずに睨み返した。
「……今回の一件は、実力主義であるこの国の皇帝として、前線で戦っているというオズ王国の価値を測っていた側面もある」
皇帝はワシの泥だらけのドレスを見ても眉一つ動かさない。
「お前はうちの大臣を打ち倒し、この会場に現れて価値を示した」
そして、皇帝はニヤリと笑った。
獲物を見つけた肉食獣の笑みだ。
「おい、オズ王国の姫と言ったか?お前のような強い為政者は、強いものと共にあるべきだ」
皇帝がワシに手を差し伸べた。
「俺の妻となれ」
広間が今日一番の静寂に包まれた。
パンクが「はあ!?」と素っ頓狂な声を上げる。
「……ふざけているのか?」
ワシは皇帝の手を叩き落とした。
「ロリコンかおどれは」
「年齢など関係ない。魂の格の話をしている」
皇帝は手を叩かれても怒るどころか、楽しそうに目を細めた。
「それより、あの大臣たちがお前の名前でここに来れば支援を増やすと言っておったがな。そっちはどうなるんじゃ」
ワシが話題を戻すと、皇帝はあっさりと頷いた。
「ああ、魔王軍などと言うものと戦っているらしいな。支援などいくらでも増やしてやるから、さっさとその雑魚共を根絶やしにしろ。我が国の武器の性能試験にちょうどいい」
話が早い。
独裁者特有の即断即決だ。
これでオズ王国の目的は達成された。
だが。
「……気に食わんのう」
ワシはボソリと呟いた。
「なんだと?」
ワシは皇帝を真っ直ぐに見上げた。
「お前のやり方は気に食わん。弱い者を切り捨てるのがお前の『実力主義』か。失敗した部下をゴミのように捨てるのがお前のやり方か」
「それが強さだ」
皇帝は傲然と言い放つ。
「俺はあらゆるものを掌握し、自身の実力でここに立っている。弱者に情けをかけていては国など守れん」
「違うのう」
ワシは言い切った。
「本当に強い奴は弱い奴を食い物にするんじゃなくて、守ってやるもんじゃ。それが『仁義』ってもんじゃ」
二人の視線がバチバチと火花を散らす。
こいつは強い。
だが相容れない。
こいつの国では弱者は永遠に弱者のままだ。
ワシが連れてきたスラムの連中もこいつにとってはただの廃棄物なのだろう。
「だが、今はおどれと戦っとる暇はない。魔王軍を片付けたら、また来る」
ワシは皇帝に背を向けた。
「その時は、この国そのものを変えに戻るけぇの。覚悟しとけ」
ワシの身体から立ち昇る気迫に、周りの各国の首脳たちが思わず後ずさった。
しかし、皇帝はひるまなかった。
楽しげな、それでいて凶暴な声が飛んでくる。
「いいだろう。いつでも殺しに来い」
皇帝は笑っていた。
「来ればお前を屈服させて俺の後宮に入れてやる。それまで死ぬなよ、愛しいマフィ」
「……寝言は寝て言え、クソガキが」
ワシは中指を立ててやる。
パンクが、引きずっていた暗殺者を会場の中央に放り投げた。
ドサッ。
それが別れの挨拶代わりだ。
ワシらは会場を後にした。
誰も止める者はいなかった。
汚泥の足跡と共に、ナギナ帝国への支援増額という巨大な手土産を持って。
◇
城の外へ出ると、夜風が心地よかった。
城門の近くの暗がりから、ぞろぞろと人影が現れた。スラムのギャング団だ。
彼らは不安そうにワシらを待っていたようだが、ワシらの姿を見るなり駆け寄ってきた。
「王女様!無事だったんですか!」
「おう、約束通り、豚共を一泡吹かせてきたわ」
ワシはニカっと笑った。
「おちょくってきた大臣共は明日からスラムの隣人じゃ」
大臣はこれから、スラムの住人にたっぷりと可愛がられることだろう。
リーダーたちが顔を見合わせて歓声を上げた。
「さあ、帰るぞ」
ワシはパンク、そして新しい「家族」たちを見渡した。
「オズ王国へ。そこには美味い飯と、守るべきもんが待っとるけぇの」
「はいッ!」
こうしてワシはオズ王国へと帰還する。
ヒョーラントで得た、兵の腹を満たし気力を養う「兵糧」。
ホルシアから託された、戦場を疾風の如く駆ける最強の「足」。
そしてナギナ帝国からぶん捕った、敵を粉砕する極上の「牙」。
何より、ワシの背中を預けられる、最高の『家族』たちが揃った。
やるべきことは全部やった。
ワシはこれからの大仕事に思いを馳せていた。




