33. ワシらの国に来んか?
帝都の城門で門前払いを受けたワシらは、ひとまず近くにあった馬宿へ向かった。
宿の主人に金貨を数枚握らせ、シロを預ける。
「この馬は名馬じゃ。傷一つつけたらタダじゃおかんぞ」
ワシがドスを利かせて言うと、主人は金貨を噛んで本物であることを確認し、卑屈な笑みを浮かべて頷いた。
「へいへい、分かってまさぁ」
信用はできんが、金貨の威力があるうちは無下には扱わんじゃろう。
シロの鼻先を撫でて別れを告げ、ワシらは通りへと戻った。
日が沈み、帝都の闇が濃くなっていく。
表通りは夜会へ向かう貴族たちの馬車の明かりで煌びやかだが、一歩路地裏に入れば別世界のように暗い。
「……どうするんすか、王女様?」
パンクが不安げに尋ねてきた。
正面突破がダメなら、他に手があるのか。そう言いたげな顔だ。
ワシはニヤリと笑った。
「おいパンク、お前は自分ことを元ドブネズミと言うとったな」
「は、はい……」
「ワシは大マムシと言われとったんじゃ」
前世の二つ名だ。
「ま、まむし?なんすかそれ?」
パンクが怪訝な顔をする。
この世界にマムシはおらんのか。
「……所詮、ワシらの住む古巣は地下っちゅうこっちゃ」
ワシは視線を暗い路地の奥へと向けた。
「おそらく、これだけスラムがでかい国には王城と通じとる奴もおるはずじゃ。ゴミ捨てか、横流しか……何かしらのパイプがあるもんじゃ。潜るぞ」
「潜るって……まさか」
「スラムじゃ」
そう言うと、ワシは被っていたボロボロの外套を脱ぎ捨てた。
下から現れたのは泥と血で汚れているとはいえ、明らかに上等な生地で仕立てられたドレスだ。
「姫様!何してるんですか、目立ちますよ!」
「目立つためにやっとんじゃ」
ワシはドレスの裾をはたいた。
こんな格好のガキは、スラムの連中からすれば格好のカモだ。
身代金目当てか、あるいは着ているものを剥ぎ取るためか。
いずれにせよ放っておくはずがない。
「これでガラの悪い連中が集まってくる。向こうから来てくれた方が話が早いけぇの」
ワシはそのまま路地裏へと足を踏み入れた。
地下住人としての鼻を使って、より危なそうな、より深そうな方向へと歩を進めていく。
◇
案の定、路地裏を少し歩いただけで物陰から視線を感じるようになった。
最初は小手調べとばかりに、スリやこそ泥のような連中が近寄ってくる。
すれ違いざまに体をぶつけてきたり、ワシのドレスを掴もうとしてきたり。
「邪魔だ」
パンクが慣れた手つきでそいつらを殴り倒していく。
拳一つで沈めていくその様は、さすが元締めといったところか。
パンクが五人目を殴り倒し、肩を回した時だった。
「……よう、この辺りで好き放題暴れてくれたようだな」
通りの奥から低い声が響いた。
五人の男たちが手に錆びたナイフや棍棒を持って現れた。
どうやら、この辺を牛耳っているギャング団らしい。
「懐かしいのう、パンク。お前らもこんな感じだったのう!」
ワシが軽口を叩くと、パンクは苦笑しながら構えた。
「はい。でも、こいつらの方がもう少しひどいみたいですね」
確かにそうだ。
囲んできた奴らは見るからに痩せこけている。頬がこけ、目がぎょろりと落ちくぼんでいる。
まともに飯も食えていない様子だ。
着ているものも酷い。布切れを巻き付けただけのような恰好の奴もいる。
そして、目を見ればわかる。
こいつらはパン一欠片のために人を殺す顔だ。
この国のスラムの荒れている様子が手に取るように分かる状態だった。
「……気に食わんのう」
ワシが呟く間にも包囲網は狭まってくる。
リーダーらしき男がナイフの切っ先をワシに向けた。
「こいつらを殺して身ぐるみを剥げ。女のガキは奴隷商に売り飛ばせ!」
殺伐とした命令が下る。
男たちが一斉に飛びかかってきた。
「やらせるかよオラァッ!」
パンクが前に出る。
三人がかりでパンクに斬りかかる。
「ぐっ……!」
パンクが一人目を殴り倒した拍子に顔をしかめた。
昨日、暗殺者と戦った時にできた左肩の傷口が開いたのだろう。包帯に血が滲むのが見えた。
だが、相手はまともに飯が食えていない素人だ。
動きにキレがない。力もない。
パンクにとって片腕が使えなかろうが、手負いだろうが関係なかった。
ドゴッ!
重い蹴りが男の腹に突き刺さる。
パンクが瞬く間に賊を制圧していく。
「チッ!使えねえ野郎どもだ!」
リーダーが舌打ちをし、叫んだ。
「ガキの方を押さえろ!そいつを人質にすりゃあいい!」
その言葉に反応して小柄な奴が一人、ワシに向かって突っ込んできた。
手には短いナイフが握られている。
「ガキがぁ!」
男がナイフを突き出しながら、ワシの腕を掴もうとする。
――遅い。
ナイフを持っているとはいえ、ヒョロヒョロで腰が引けている。
動きなんぞ止まって見えるわ。
素人という意味ではヒョーラント共和国のぼんぼん、ブレントとどっこいじゃな。
いや、栄養失調で足元がふらついている分、こいつの方が与しやすいかもしれん。
男の手がワシのドレスに触れようとした瞬間。
シュッ!
ワシは左手を蛇のように走らせた。
親指を突き立て、男の目に突き刺す。
「ぎゃあっ!?」
目つぶしだ。
男が悲鳴を上げて顔を覆い、たたらを踏む。
怯んだその隙を、ワシは見逃さない。
「寝とれ!」
狙うは股間。
ワシは右足を振り上げ、金玉を潰すつもりで蹴り上げた。
ドスッ!
鈍く、嫌な音が響いた。
「ひぐっ……!?」
男は声にならない悲鳴を上げ、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
口から泡を吹いて痙攣している。
当分起き上がれんだろう。
「……ふん」
ワシがドレスの汚れを払って顔を上げると、パンクの方も終わっていた。
手下たちは全員地面に転がっている。
立っているのはリーダーらしき男が一人だけだ。
「なんだお前らは……!」
リーダーが後ずさりする。
その顔には明らかな恐怖が張り付いていた。
「お前らとお話しようと思ってのう」
ワシがそう言うと、パンクが無言でリーダーとの距離を詰める。
「来るな!」
リーダーがナイフを振り回すが、パンクはそれを素手で叩き落とす。そのまま首を掴んだ。
「がはっ……!」
パンクの怪力に締め上げられ、顔がみるみる赤くなっていく。
ワシはゆっくりと近づき、リーダーを見上げた。
「お前らんところで、帝城と取引をしとらんか?どうなんじゃ!」
ドスの利いた声ですごむと、リーダーが苦しそうに首をかくかくと縦に振った。
――当たりじゃ。
「ワシらはちょいと城に入りたくてのう、手伝ってもらおうかのう!」
ワシはそう言ってパンクに目配せする。
パンクは心得たとばかりに手を離した。
ドサッ。
リーダーはその場にへたり込み、喉を押さえてゲホゲホと激しく咳き込んだ。
涙目でワシらを睨み上げてくるが、そこに反抗の意思はない。あるのは恐怖だけだ。
「……無理だ」
リーダーは掠れた声で言った。
「そ、そんなことしたら俺たちが殺される……。城の連中は俺たちのことなんか虫けらだと思ってるんだ。少しでも怪しい真似をしたらスラムごと焼き払われる……!」
体が震えている。
ワシらへの恐怖よりも、城の権力者への恐怖の方が勝っているようだ。
まあ、そうだろうな。
こいつらは長い間、そうやって支配され、搾取され続けてきたのだ。
「今ここで殺されてぇのか!」
パンクがすごみ、拳を振り上げる。
リーダーが「ひいっ!」と悲鳴を上げて頭を抱える。
だがワシはパンクを手で制した。
「よせ、パンク」
ワシはしゃがみ込み、リーダーと目線の高さを合わせた。
先ほどまでの威圧的な態度を消し、少し優しい声音を作る。
「お前、ここで部下たちを食わせるために必死で生きとったんだろ」
リーダーがびくりと肩を震わせ、おずおずと顔を上げる。
「見りゃ分かるわ。お前、自分もガリガリじゃけぇの」
こいつの服もボロボロだ。
自分だけいいものを食っている様子はない。
空腹の部下たちを率いて、泥水をすするような生活をしてきたのだろう。
「がんばったのう……。 だが、このままではジリ貧じゃ」
ワシはリーダーの肩に手を置いた。
「今日はワシらに返り討ちにされたが、明日も明後日も、そうやって命を削って奪い合いを続けるんか?いつか野垂れ死ぬのを待つだけか?」
リーダーは何も言えない。
こいつらは未来が見えないまま、ただ今日を生き延びるためだけにもがいている。
「ワシらの国に来んか?」
「……え?」
リーダーがぽかんとする。
「ワシらの国で護衛の仕事をしてもらう。お前ら、根性はありそうじゃけぇの」
ワシはニカっと笑った。
「代わりに毎日飯が食えるようにしてやる。腹いっぱいにな」
「は、腹いっぱい……?」
リーダーの目が揺れた。
それは彼らにとって、夢物語のような言葉だったのだろう。
「ああ。肉も野菜もあるぞ。ワシのシマじゃあ、働いた分だけ報われる」
飴をちらつかせる。
そして、ここからが本題だ。
「その前に、この国でお前らをゴミのように扱っとる豚共に一泡吹かせんか?」
ワシの声が低くなる。
「ワシを城に入れてくれたら、豚共をここに引きずり下ろしてやる」
リーダーの目に微かな光が宿る。
それは希望であり、そして長年抑え込んできた怒りの炎でもあった。
「この話を蹴ったら、お前らは一生この地下で明日もしれんままだ。どうしたいか、今決めろ」
ワシは立ち上がり、冷たく突き放すように言った。
威圧して黙らせ、優しくして諭し、最後に時間を切って長考させない。
ヤクザ時代によくやった手だ。
相手に考える隙を与えず、こちらのペースに巻き込む。
少しの沈黙が流れた。
路地裏に風が吹き抜ける。
やがて、リーダーはゆっくりと口を開いた。
「……下水道だ」
「ほう?」
「城の地下の下水道で、俺たちと取引している城の人間がいる……。廃棄物を流すついでに、横流しの品を受け取って……」
決意の籠った目でワシを見上げて話し始めた。




