30. 売られた喧嘩は買うもんじゃ
最前線の砦でワシは地図を睨みつけていた。
食料事情はヒョーラント共和国との外交で劇的に改善された。
機動力についても、ホルシア王国の名馬たちのおかげで別次元の強さを手に入れたと言っていい。
だが、まだ足りん。
決定的に足りんものが一つある。
「……武具じゃ」
ワシは地図上で巨大な領土を持つ『ナギナ帝国』を指差した。
ナギナ帝国。
世界最大の経済大国であり、大陸随一の軍事国家だ。
我がオズ王国の剣や鎧の多くは、この国から輸入されたものだ。
だが、この国のあり方は歪んでいる。
ナギナ帝国の貴族や商人は煌びやかな生活を送っているという。
しかし、その繁栄を支えているのはスラムに押し込められた貧民たちだ。
彼らは馬車馬のように働かされ、雀の涙ほどの給金で酷使される。
時には「貧民だから」という理由だけで賃金を踏み倒されることすらあるという。
そして、生活に耐えかねた彼らが暴動を起こそうとすれば、帝国自慢の良質な武具で武装した兵士たちが鎮圧する。
貧しき者から搾取し、暴力で押さえつけ、その上で成り立つ繁栄。
「気に食わんのう」
極道の世界でも、シマの住人を泣かせて肥える組は長続きせん。
だが、今は個人の感情を挟んでいる場合ではない。
「魔王軍の領域に攻め込むには良質な武具が必要じゃ」
しかし、武具の支援を増やしてもらうというのは簡単ではない。
魔王軍を討伐した後、その強力な武具で逆に帝国から攻め込まれる可能性もゼロではない。
相手にとっても繊細な物資のはずだ。
だが魔王軍が「死」を戦術に組み込むまで時間もない。
奴らが本格的に狂い出す前に、こちらから仕掛けて殲滅する必要がある。
ワシは思案する。
今回の相手は光と闇がはっきりと分かれた国だ。
表の外交だけでは見えない真実があるかもしれん。
情報収集するには、地下――スラムに溶け込める人材が必要だ。
荒っぽい連中の中にも溶け込み、ワシの意図を汲んで動ける信頼できる身内。
適任は一人しかおらん。
ワシは控えていた伝令に告げた。
「パンクを呼べ」
◇
「お呼びですか、姫様」
「おう。ちと頼みたいことがあるんじゃ」
ワシはナギナ帝国への外交の件、そしてそれに伴う裏の事情を探る必要があることを説明した。
「今回はお前の力が必要になるかも知らん。だが、今のお前はマフィグループのまとめ役。前線を抜けてワシについてこれるか?」
パンクはマフィグループの要だ。
彼が抜ければ、現場の指揮系統に乱れが出るかもしれない。
ワシがそう懸念を口にすると、パンクは笑って胸を張った。
「姫様のおかげで、前線は俺一人が抜けた程度でどうにかなるほどやわじゃありません!」
――頼もしいことを言うてくれる。
「それに、スラムの臭いを嗅ぎ分けるなら元ドブネズミの俺以上の適任はいませんぜ」
「言うたのう。なら、頼むぞ」
「はい!地獄の果てまでお供します!」
こうしてワシはパンクを連れて王都へ帰還し、ナギナ帝国への外交準備を進めることとなった。
◇
王都に戻ったワシは文官を通じてナギナ帝国へ『友好と交流』を名目とした使節団の派遣を打診した。
あくまで表向きは平和的な交流だ。
だが、その裏で武具の供与拡大を交渉するつもりだった。
そして今日。
先方からの返書が届いたのだが――。
玉座の間には、重苦しい沈黙が流れていた。
国王が手紙を握りしめ、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
手紙は慇懃無礼な言葉で飾られているが、要約すればこうだ。
『五日後に我が帝都にて各国を招いた社交会を開催する予定である。
そこに貴国の王族が出席してくるならば、友好の証として今まで以上の良質な武具の支援を約束しよう。
しかし、もし来てもらえないならば、友好を深める意思がないと判断し、遺憾ながら現在の支援もすべて打ち切らせていただく』
事実上の脅迫状じゃ。
「表の『交流』などの建前を飛ばして提案してくるとはな……」
王が難しい顔で呟く。
こちらの動きは察知されていると見るべきだろう。
馬の支援、兵糧の増強。
傍から見れば、オズ王国が防衛から侵攻へ転じようとしているのは明白だ。
ナギナ帝国にとって戦争は飯の種だ。
我々が魔王軍と泥沼の消耗戦を続けてくれれば、それだけ武器が売れる。
だが、我々が一気に戦争を終わらせてしまえば巨大な市場を失うことになる。
だからこそ、支援をちらつかせつつ実際には妨害工作に出たわけだ。
「しかも五日後の夜会とは。その夜会は戦時中ということでオズ王国は出席を遠慮したはずだ。来ないと分かっていてこの文章を送ってくるとは……」
王の言う通りだ。
オズ王国の王都からナギナ帝国の帝都までは早馬でも七日はかかる。
どうあがいても五日後の夜会には間に合わない。
向こうの狙いは透けて見える。
『招待したがオズ王国は来なかった。だから支援を打ち切る』
という大義名分が欲しいのだ。
我々が支援を失って弱体化し、再び魔王軍に押し込まれて武器を乞うようになるのを待つつもりだろう。
「来れないことを見越して送ってきた手紙だ。支援を増やす気はないのだろう」
王が吐き捨てるように言った。
ナギナ帝国からすれば、我が国は良い金づるでしかない。
生かさず殺さず、永遠に搾取し続けるつもりか。
――上等じゃ。
人の命を金儲けの道具にし、あまつさえ平和への道を閉ざそうとするその性根。
腐りきっておる。
連中は距離や時間を計算して、この盤面を用意したつもりだろう。
だが。
連中には一つだけ、致命的な誤算がある。
「お父様」
ワシは静かに声を上げた。
王と妃殿下、そして重臣たちがワシを見る。
「諦めるのは早いです」
「しかしマフィ、物理的に間に合わんのだ」
ワシはニヤリと笑った。
「ホルシアの名馬ならここから帝都まで三日でたどり着きます」
場がざわめいた。
七日の道のりを三日で?
常識では考えられない速度だ。
だが、ホルシアの馬は常識の枠には収まらない。
彼らは国宝として門外不出とされ、今まで他国へその真の能力が知られることはなかった。
だからナギナ帝国もただの「良い馬」程度にしか思っていないはずだ。
ホルシアの名馬は、風のように、いつまでも、どこまでも走り続ける。
三日あれば十分にたどり着ける。
「現在、オズ王国の王族は私とお父様とお母様のみ」
ワシは指を折って数える。
「私が行こう」
王が立ち上がりかけるが、それを制して言う。
「王に何かあればこの国は終わる。お父様が行くべきではありません」
王が反論する前に続ける。
「それに、今回は馬車を使えるような余裕はない。不眠不休で駆ける強行軍です。大人二人乗りでは馬が疲れてしまいます」
王妃と護衛が乗れば、いくら名馬でも速度は落ちる。
「六歳の私の体重なら大丈夫でしょう。パンクの後ろに乗っても、大人一人分より遥かに軽い」
ワシは結論を告げた。
「私が一人で行きます」
ワシの言葉に、王は冷静に反論する。
「今回の件は明らかにおかしい。来れないと分かって招待するなど、何か罠が張っているに決まっている!」
「そうです、マフィ!そんな危険なところにあなたを行かせるわけにはいきません!」
妃殿下も青ざめた顔で反対する。
親としては当然の反応だ。
「それでも行かねばならないのです」
ワシは二人の目を真っ直ぐに見つめた。
「『家族』を守るために」
王が言葉に詰まる。
「許可がなくても行かせていただきます」
ワシは踵を返した。
議論している時間すら惜しい。
一刻も早く出発せねば間に合わなくなる。
「待ちなさい!マフィ!」
背後で妃殿下の悲痛な声が響く。
「せめて護衛を連れて行け!」
王が食い下がるが、ワシは首を振った。
「ぞろぞろと兵を連れて行けば目立ちます。王族が帝都に向かっていると知れれば、それこそ道中に妨害に合うかもしれない。秘密裏に向かう必要があります」
少人数で風のように駆け抜ける。それだけが唯一の解だ。
ワシは呆然とする両親を残し、玉座の間を後にした。
◇
厩舎へ向かうと、すでにパンクが準備を整えて待っていた。
「準備万端です。いつでも出せます」
「おう、行くぞ」
ワシが馬に近づこうとした時だった。
「私も行くわ!」
藁の山から飛び出してきたのは、ポニーナだった。
「ポニーナ……お前、またか」
「だって!こんな無茶な強行軍、馬のケアができる人間がいなきゃ潰れちゃうわよ!」
「さすがに今回は連れていけん」
ワシはきっぱりと言った。
「王都に連れ帰った他の名馬たちの世話は誰がやるんじゃ?あいつらのコンディションを維持できるのはお前しかおらん」
「それは……他の飼育員に指示を……」
「それに、今回は馬に負担のかかる強行軍。お前が行くと、負担のかかる馬が増えるがええんか?」
ポニーナは唇を噛みしめ、悔しそうに俯いた。
馬のことになれば、誰よりもシビアな計算ができるはずだ。
「……分かったわ」
ポニーナは顔を上げ、ワシの乗る馬の鼻先を優しく撫でた。
「無事で帰ってきてね……マフィも、この子も」
「おう、まかせぃ」
ワシは短く答え、パンクの手を借りて馬上に飛び乗った。
パンクが手綱を握り、ワシはその前に座る。
子供の体はこういう時に便利だ。
パンクの腕の中にすっぽりと収まる。
「行くぞ、パンク!」
「はいッ!」
パンクが手綱を振るうと馬が矢のように飛び出した。
王城の門をくぐり、大通りを抜け、街道へと出る。
風景が飛ぶように後ろへ流れていく。
五日後の夜会。
そこで高笑いしているであろうナギナ帝国の古狸どもの、驚愕に歪む顔が目に浮かぶようだ。
売られた喧嘩は買うもんじゃ。
しかも相手が予想もせんような最高級の「土産」を持ってな。
「順調にいきゃあ二日の余裕がある。何事もなけりゃあええんじゃがの……」
ワシの呟きは、疾走する風にかき消された。




