3. 兄弟の盃
王城の大食堂はちょうど昼食の真っ最中だった。
今生の父である国王と取り巻きの重臣たちが優雅に食事を楽しんでいる。
この国が最前線で魔王軍とやらに睨まれているのに、なんとも呑気なことだ。
ワシは扉を蹴破るように開けた。
バーン!と轟音が響き渡る。
食堂内の全員の視線が一斉にワシに突き刺さった。
当然だろう。五歳の王女が昼食会に殴り込んできたのだ。
それも、頬を腫らし、口から血を流し、高価なドレスを泥と血で汚した姿で。
ワシの後ろでは護衛の騎士たちが数珠つなぎにしたゴロツキどもを引きずっている。
「……マフィ?」
国王が手に持った銀のナイフを皿に取り落とした。
ワシは食堂の真ん中まで進み出て、連中を睨み据えた。
その目つきは、五歳児のそれではない。
魔王軍とやらが相手かは知らんが、こちらは何十年も修羅場をくぐってきたのだ。その眼光は歴戦の傭兵よりも鋭かったはずだ。
「お食事中に失礼します。お父様」
ワシがドスの利いた声でそう言うと、食堂は水を打ったように静まり返った。
「陛下!王女殿下が、その……」
そこへ、息せき切って騎士団長が転がり込んできた。
ワシが「面白い見世物がある」と伝言させたからだろう。
だが、その騎士団長も食堂の異様な光景とワシの姿を見て絶句した。
「おどれも来たんか。ちょうどええわ」
ワシは騎士団長を一瞥し、国王に向き直った。
「お父様。こいつらは街で女に乱暴しとったクズどもじゃ」
ワシはゴロツキどもを指差す。
「ワシが護衛に捕らえさせようとしたら、どういうわけか騎士が動かんかった。それどころかワシはこのザマじゃ」
ワシは腫れた自分の頬を指差した。
国王の顔が怒りで赤く染まっていく。
「騎士団長!どういうことだ!」
「はっ!こ、これは……」
騎士団長が慌てて言い訳を探す。ワシはそれを待たずに続けた。
「簡単な話じゃ。こいつがこのクズどもから賄賂でも貰うとったんじゃ。街の女どもがどうなろうと見て見ぬふりをするよう部下にも命じとった。そういうこっちゃ」
ワシは騎士団長を真っ直ぐに睨みつけた。
その場の空気が凍り付く。
「団長、真か」
「滅相もございません!そのような事実は断じて……!」
「ほうか?こいつらはワシを殴った後、こう言うとったぞ。『騎士団長閣下のお墨付きだ』とな」
そんなことは言っていない。ハッタリだ。
だが、ゴロツキどもはワシの気迫に押され、青い顔で俯くだけで何も反論できない。
騎士団長の顔から今度こそ血の気が引いた。
これで罪は白日の下に晒された。こんなゴミを要職から外さん理由はあるまい。
さっさとこいつのクビを刎ねて、組織を立て直さんといかん。
しかし、場にはなんとも言えない沈黙が流れた。
騎士団長は、顔を青くしたり赤くしたりと忙しない。
しばらく続いた沈黙を破ったのは国王だった。
「騎士団長の罪は分かった。だが今は戦時下。魔王軍と対峙するこの状況で、騎士団長を失うのは痛手だ」
国王は隣に座る大臣らしき男に視線を移した。
「法務卿よ、そなたの見解を聞こう」
法務卿は咳払いを一つして立ち上がった。
「はっ。今はまさしく戦時下でございます。王女殿下が傷つけられたことは誠に遺憾なこと」
その言葉とは裏腹に男の目は冷めている。
「しかし、騎士団長を失えば騎士団の指揮系統は乱れましょう。そうなれば、最前線が崩壊する恐れも…」
「……して、どうせよと?」
「このゴロツキどもは極刑に。騎士団長には監督不行き届きとして重い減俸処分。これにて騎士団の士気を保ちつつ、一応の責任も果たせると愚考いたします」
――甘い。
ひどく甘ったるい沙汰だ。
その裁定を聞き、騎士団長はホッと安堵の息を漏らした。
そして恭しく頭を下げて見せた。
「王女殿下。この度は申し訳ございませんでした。部下の不始末、心よりお詫び申し上げます」
謝罪の言葉を口にする。
だが、その目は全く笑っていなかった。
「しかし、これは『戦時下の些細な問題』にございます。国家存亡の危機において、国内の小さな揉め事で騎士団の士気を下げるわけには……」
――舐めとんのか、このクソが。
ワシはギリ、と奥歯を噛みしめた。
この場でこいつを殺すのもありかもしれん。
前世ならこんな舐めた態度を取る餓鬼はその場で半殺しにしていた。
だが、ワシが動くよりも早く状況が勝手に動き出した。
「陛下、よろしいでしょうか」
声を上げたのはさっきの法務卿とは別の、初老の大臣だった。
「暴漢による被害の訴えは我らの元へも再三上がっておりました。しかし、騎士団から『問題なし』と突き返されていたのです。どうも我々貴族の意見すら軽んじられている節が……」
「私のところにも、団長の周囲で妙に羽振りの良い連中が増えたと悪い噂が……」
「都の治安悪化を懸念する声も広がっております。このままでは領地経営にも差し支え……」
次々と声が上がる。
ほう。
ワシの予想以上にこいつは嫌われとるらしい。
連中はワシを盾にして、溜まっていた不満を吐き出し始めたか。
職権を乱用し、他の貴族の利権にまで手を突っ込んでいたのかもしれん。
ワシは一歩前に出た。
「おい、団長」
「……なんでしょうか」
「これが些細な問題か?」
ワシは血の滲む口でニヤリと笑ってやった。
「足元が腐っとる組織が外敵に勝てるわけがなかろうが!民を守れん騎士団が国を守れるか!」
ワシの言葉がとどめとなった。
「王女殿下の仰る通りだ!」
「そうだ、治安の乱れこそが国の乱れ!」
「団長を罷免しろ!」
食堂は騎士団長を非難する声で埋め尽くされた。
騎士団長は「待て!誤解だ!」と何かを叫んでいるが、もはや誰の耳にも届いていない。
国王はその光景をしばらく黙って見ていたが、やがて静かに立ち上がった。
「……あやつの腐臭にはとうに気づいていた」
静かだが、よく通る声だった。
「だが戦は待ってくれぬ。魔王軍の脅威を前に、国内の粛清は後回しにせざるを得ないと目をつむってきた」
国王はワシの姿を真っ直ぐに見つめた。
「それが、間違いであったのかもしれぬな」
そして騎士団長に向き直る。
「――王女までも危険に晒したとなれば話は別だ。もはや、これ以上は許せぬ」
国王は護衛の兵士に命じた。
「騎士団長を解任する!職権乱用の容疑で、事情聴取のために地下牢へ放り込め!」
「はっ!」
「やめろ離せ!陛下お待ちください!私はぁ!」
騎士団長はわめき散らしながら兵士たちに引きずられていった。
ゴロツキどもも、その後に続いて連行されていく。
嵐が過ぎ去った食堂で、貴族たちはわっと拍手喝采した。
何人かがワシの元へすり寄ってきた。
「マフィ王女殿下はなんとご立派な!」
「さすがは陛下のお子。勇敢な姫君だ!」
「これで都の治安も元に戻りましょう!」
その顔はワシへの媚びで歪んでいる。
ワシはこみ上げてくる怒りと吐き気を抑えていた。
こいつらの中には騎士団長の件でうまい蜜を吸っていた奴もいるかもしれん。
そうでなくとも、見て見ぬふりを続けていた連中だ。
それが形勢が変わったとたん、これだ。すぐに手のひらを返し、新しい権力にすり寄る。
こんな状況で本当に魔王軍とやらに勝てるのか?
「……うるさいわ」
「へ?」
「お前らも同罪じゃ!」
ワシは腹の底から声を張り上げた。
食堂が再び静まり返る。
「今、団結して敵軍に立ち向かわないかん時に、なぜあの男の行いを黙って見とったんじゃ!」
「そ、それは……」
誰も答えられない。
ワシは一番近くにいた給仕を呼びつけた。
「おい、そこの」
「は、はい!」
「清酒……いや、ワインでええ。ここにいる全員に配れ。今すぐにじゃ」
給仕たちは慌ててワインを注ぎ始めた。
貴族たちは何が始まるのかと、戸惑った顔でワシを見ている。
やがて全員の手に赤いワインが満たされたグラスが行き渡った。
国王も戸惑いながらグラスを受け取っている。
ワシも給仕からグラスを受け取った。
五歳の体には不釣り合いに大きなグラスだ。
「ええか、よう聞け」
ワシはグラスを掲げた。
「こりゃあ、『兄弟の盃』じゃ」
「……きょうだい?」
「ワシがクズどもをまとめ上げ、仕切る。そしてお前らを何としても守っちゃる」
ワシは一人一人の目を見て言った。
「だがお前らも、ここにいる家族のために、為すべきことを為せ。この盃は、その誓いじゃ」
ワシはニヤリと笑った。
「ここにいる家族のために死ね!その覚悟がないもんは、この盃を受けるな!」
しん、と食卓が静まり返った。
極道の仁義。
連中には意味が分からんだろうが、その場の異様な迫力だけは伝わったはずだ。
誰もがワシの気迫に圧倒され、動けずにいる。
しかし、一人のいかつい顔をした中年の貴族が立ち上がった。
「……面白い」
男はグラスを掲げた。
「どうせ、我が領地は魔王軍の領域と隣接する最前線。敵軍が進軍すれば真っ先に潰される」
男はワシの目を見てニヤリと笑った。
「勇敢な五歳の姫君と『家族』になるのも悪くない。やってやろうじゃないか!」
男はグラスのワインを一気に飲み干した。
それを皮切りに最前線に近い領地を持つ貴族たちが一人また一人と立ち上がり、盃をあけていく。
「俺も乗った!」
「どうせ死ぬなら派手にやろう!」
その熱が食堂全体に伝播していく。
さっきまですり寄ってきた連中とは違う、本物の覚悟を持った男たちの目だ。
国王がその光景を満足げに眺め、そして立ち上がった。
「マフィの言う通りだ」
国王もグラスを高く掲げた。
「今のオズ王国に必要なのは、その覚悟だ。皆、この五歳の娘の覚悟に応えてくれるか?」
国王の言葉に、残っていた貴族たちも全員が立ち上がり、グラスのワインを飲み干した。
ワシはその光景を見届け、満足げに頷いた。
そして、ワシも自分のグラスを掲げ、一気に呷った。
国王がそこにいるというのに、この場の空気を支配していたのはどう見てもワシの方だった。
「……ぷはぁ。悪くない酒じゃ」
ワシがそう呟いた、その時だった。
「あっ!」
それまでワシの行動に圧倒されていた国王が、素っ頓狂な声を上げた。
場の空気に飲まれて、誰もが忘れていた。
ワシがただの五歳児だということを。
しかも、顔を殴られて貧血気味のところに酒を飲んだことを。
ワシの意識はそこでぷっつりと途絶えた。
小さな体が床に倒れ込む。
国王の絶叫と貴族たちの慌てる声が大食堂に響き渡った。
場はさっきとは別の意味で騒然となったのだった。
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これからもマフィ王女の仁義ある戦いを、どうぞよろしくお願いいたします。




