25. 地獄の一丁目へようこそ
ホルシア王城に滞在して数日が過ぎた。
ワシはその間、ただ漫然と過ごしていたわけではない。この国の病巣がどこにあるのかをじっくりと観察させてもらった。
そしてすぐに違和感に気づく。
王と王女は着るものも質素にし、食事も質素に済ませている。民の痛みを分かち合おうという姿勢は本物だ。
だが貴族どもはどうだ。
王城ですれ違う貴族たちの腹は風船のように膨れ上がっていた。
国の危機だというのに、こいつらからは悲壮感の欠片も感じられん。
どういうことか調べてみれば、答えは簡単だった。
どうやら、この国の不作は突然の天災というわけでもないらしい。
聡い貴族たちは事前に不作を予見し、食料を買い占めて倉庫に備蓄したのだ。
そして飢饉で食料価格が高騰したタイミングを見計らって、少しずつ市場に流して暴利を貪っている。
民が飢えれば飢えるほど、こいつらの懐は温まるという寸法か。
「……なるほどな」
ワシは一人ごちた。
国王は人が良すぎて、身内の貴族が悪どい商売をしていることに気づいていないのだ。
「気に食わんのう」
ワシは窓から手入れのされていない庭を睨んだ。
貧富の差が開きすぎている。
金はあるところには唸るほどあるのだ。ただそれが回っていないだけ。
ふんぞり返った豚どもからどうやって銭を吐き出させるか。
力づくで奪うのは簡単だが、それでは王家の威信が失われるだろう。
あいつらが喜んで財布の紐を緩め、気づいた時にはすっからかんになっている――そんな仕掛けが必要じゃ。
ワシの視線が草を食む馬たちに止まった。
速く、強く、美しい馬たち。
この国の唯一の資源。
その時、ワシの脳裏に閃くものがあった。
――そうじゃ。あれをやればええんじゃ!
前世、金を賭けて熱狂した男たちの顔が蘇る。
人間の射幸心というのはどんな時代でも変わらんけぇの。
◇
「競馬……ですか?」
ワシの提案を聞いたホルシア王はきょとんとして目を瞬かせた。
この世界には「競馬」という概念そのものが存在しないらしい。
「はい。簡単な柵でコースを作り、そこで馬を走らせるのです」
ワシは身振り手振りを交えて説明した。
「観客はどの馬が勝つかを予想して金を賭け、当たれば配当金がもらえる仕組みです。国はそこからテラ銭……いや、運営費を徴収するのです」
公営ギャンブルじゃ。
国が堂々と胴元になれるシノギ。これほど美味しい商売はない。
ホルシア王が「なるほど……」と顎に手を当てた、その時だった。
「ふざけないで!」
バン!とテーブルが叩かれた。
ポニーナ王女が顔を真っ赤にして立ち上がっていた。
「馬を走らせて賭け事ですって?そんなの馬への冒涜よ!」
彼女はワシを睨みつけた。
「あの子たちは見世物じゃないわ!あなたはあの子たちの気持ちなんて何も分かってない!」
――また出たか、この『馬鹿娘』。
純粋なのは結構だが現実が見えておらん。
ワシはため息をつき、静かにポニーナを見返した。
「冒涜、じゃと?」
ワシの声が低くなる。
ポニーナがビクリと肩を震わせた。
「お前は国ごと傾いて、二束三文で売られるのが馬のためになると思っとるんか!?」
「それは……」
「それにのう」
ワシは一歩、ポニーナに近づいた。
「お前は馬が好きだと言うたな。なら聞くが――走りたくない馬がおると思うか?」
「え……?」
「あいつらは走るために生まれてきとんじゃ。風を切って誰よりも速く駆け抜ける。その本能を持っとんじゃ!」
ワシは窓の外を指差した。
「その晴れ舞台を作ってやり、大勢の人間がその姿を見て熱狂し、称える。それがなんで冒涜じゃ!」
ワシの一喝が部屋に響いた。ポニーナは呆然としてワシを見ていた。
「馬は走ってこそ馬じゃ。厩舎で飾られるだけの人生が本当にあいつらの幸せか!?」
「……っ」
ポニーナが唇を噛んだ。
馬を愛しているからこそ、ワシの言葉が図星だと分かったのだろう。
反論できずに俯いてしまう。
悪い子ではない。
ただの馬鹿正直な「馬好き」じゃ。
ワシは少し声を和らげた。
「そこまで心配なら、お前が馬を守る立場で関われ」
「え?」
「騎手の教育、馬の健康管理、厩舎の環境整備――それらはお前の仕事じゃ」
ワシはポニーナの肩をポンと叩いた。
「馬を酷使せんよう、お前が監視役になれ。それなら文句はないじゃろ?」
ポニーナの瞳が揺れた。
馬を守れる。そして国も救えるかもしれない。
彼女の中で葛藤があったようだが、やがて決意したように顔を上げた。
「……分かったわ」
彼女は強く頷いた。
「やるからには徹底的にやるわ!ホルシアの馬たちが最高の状態で走れるように私が責任を持つ!」
単純なやつじゃ。
だが、こういう熱意のある奴が現場を仕切れば上手くいく。適材適所というやつじゃな。
◇
それからの一ヵ月程度、王城の裏手にある荒れ地は熱気に包まれた。
ワシは前世の知識を総動員してコースの設計図を引き、土建屋の真似事をして柵を作らせた。
一方、ポニーナ王女の働きぶりは凄まじかった。
「馬のブラッシングが甘いわよ!」
「今日の飼い葉の配合はこれにして!」
泥だらけになって厩舎を走り回る王女。
騎手候補の若者たちを集め、熱血指導を行っている。
ポニーナ王女は本当に馬のことしか頭にないらしい。
だが、そのおかげで馬たちの体調は維持され、騎手たちの顔つきも真剣なものに変わっていった。
――ええもんが出来そうじゃの。
ワシは完成しつつある競馬場を見下ろしながら、ニヤリと笑った。
そして、ついに『ホルシア王立競馬場』が開場した。
初日のメインスタンドには招待された貴族たちがずらりと並んだ。
彼らは最初は退屈そうにしていた。
馬など見慣れている、と言いたげな顔だ。
だが、ゲートが開き、一斉に馬が飛び出した瞬間――空気が変わった。
ドドド……!
地響きのような蹄の音。
砂煙を上げて疾走する馬の美しさと迫力。
先頭が入れ替わるたびに、スタンドから自然と声が漏れる。
「おおっ!」
「行け!そのまま!」
そしてゴール板を駆け抜けた瞬間、歓声が爆発した。
ビギナーズラックで配当を手にした貴族が興奮して叫んでいる。
外れた貴族は悔しそうに地団駄を踏み「次は絶対に取り返す!」と鼻息を荒くしている。
――地獄の一丁目へようこそ。
ワシは貴賓席からその様子を眺めて笑う。
一度味を占めれば、もう止まらん。
あいつらは暇と金を持て余しておるんじゃ。
最高の娯楽を提供してやれば喜んで金を落とす。
効果は劇的だった。
競馬にのめり込んだ貴族たちは、賭け金を作るために倉庫に眠らせていた食料や財産を売り払い始めた。
市場に食料が出回れば、当然価格は下がる。
高騰していた小麦の値段が下がり、一般市民の手にも届くようになった。
さらに、噂を聞きつけた他国の富豪や旅人たちが「珍しい興行がある」と観光に訪れるようになった。
彼らが宿に泊まり、飯を食い、土産を買う。
街に金が落ち、活気が戻ってくる。
死んでいた王都が、息を吹き返したのだ。
◇
さらに競馬場の開場から一ヵ月後。
競馬場の貴賓室でホルシア王がレースを見下ろしながら涙を流していた。
「信じられん……」
王の手には、競馬場の収益報告書が握られている。
そこには馬を売るよりも遥かに大きな金額が記されていた。
「我々の先祖が代々築き上げ、血と汗で受け継いできた『名馬』という誇り高い文化を……この先も残していけるのだな!」
その言葉には万感の思いがこもっていた。
単に金が儲かったということではない。
先祖への義理でもある「馬文化」を手放さずに済んだ。
その安堵が、王の双眸から堰を切ったように涙を溢れさせていた。
隣に立つポニーナも、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら王に寄り添った。
「はい、お父様……!あの子たちの嘶きがこの国から消えずに済みました。これからもずっと、私たちは胸を張って馬と共に生きていけるのです!」
「マフィ王女。君は……この国の救世主だ」
「よしてください。私はただ、遊び場を作っただけです」
ワシはそっけなく答えた。
感謝されるような高尚なことはしとらん。
コースでは最終レースの馬たちが歓声を浴びて疾走している。
その姿は躍動感に溢れ、生命の輝きを放っていた。
これでホルシア王国は持ち直すだろう。




