17. お前らは今日から左官屋じゃ!
◇ フリント視点 ◇
捕らえた指揮官から話を聞き出した翌日、王女様は砦に駐屯する全兵士を中庭に招集した。
一度は後方へ下げた若い兵士たちも呼び戻され、騎士団も合流している。
戦力としては十分だ。
壇上に立った小さな王女様の口から飛び出したのは、俺たちの耳を疑うような命令だった。
「よう聞け。今日から方針を変える」
王女様は戦場を見下ろすように、冷徹な瞳で言い放った。
「今後、あいつらをみだりに殺すな」
……え?
中庭にどよめきが走った。当然の反応だ。
魔王軍を殺すなとは一体どういうことか。慈悲でもかけるつもりなのか?
しかし、俺のそんな甘い予想は王女様の目を見た瞬間に氷解した。
もともと六歳とは思えない壮絶な眼光と迫力を持つ姫様だった。
だが今のその目にはさらに害虫を踏み潰す時のような、底冷えする冷酷さが宿っていたからだ。
「あいつらは死んでも魔王とかいうやつから生まれ直すらしい。殺したところで元気な状態で戻ってくるだけじゃ」
王女様は淡々と昨日の尋問で得た情報を口にした。
「だがのう、手足をもがれた状態で帰ったらどうなる?しばらくは動けんじゃろ」
王女様はニヤリと笑った。
その笑みには慈悲など欠片もなかった。
「一人殺すより、一人動けんようにした方が敵の手間は増える」
その言葉に最前列にいた古参兵の一人が息を呑んだのが分かった。
確かに戦術論において「死者より負傷者の方が厄介だ」と言われることがある。
「ゴキブリと同じじゃ。あいつらは殺すだけ武器の無駄じゃ」
王女様は吐き捨てるように言った。
「できるだけ『戦闘不能』にして放り出せ。捕まえた敵も木の箱にでも詰めて崖から突き落とせ。生死やその後の動静は確認せんでええ」
騎士たちが顔を見合わせている。
騎士道精神とは真逆の、あまりにも効率的で残酷な指令。
「矢にはすべて毒を塗れ。即死させる猛毒はいらん。傷が化膿し、高熱が出る程度の毒をたっぷり塗って撃て」
王女様は続ける。
「敵を痛めつけるのもやめろ。武器が錆びるだけじゃ。他人の痛みを知らん奴らじゃ。どうせ自分の痛みすら知らんのだろう」
そう言って王女様は昨夜捕縛したあの指揮官を連れてこさせた。
指揮官はまだヘラヘラと笑っていた。「おや、解放してくれるのですか?」などと戯言を口にしている。
「手本を見せちゃる」
王女様はそう言うと、部下に命じて指揮官を『戦闘不能』にした。
そして、ゴミでも扱うかのように要塞の城壁から蹴り落とした。
俺の背筋に冷たいものが走った。
以前、王都で王女様が「腕一本でゴロツキのケジメをつけようとした」という噂を耳にしたことがある。
当時は尾ひれのついた噂話だと思っていたが……どうやら本当に、やろうと思えば顔色一つ変えずに実行できるらしい。
愛らしいフリルのドレスを着た、過激で冷徹な王女様。
彼女のその姿に、敵への恐怖よりも深い畏怖を感じた兵も少なくなかったはずだ。
だが、その戦術は劇薬だった。
王女様の指示と指揮により、戦線は激変した。
魔王軍が攻めてくる。
我々は殺さない。手足を狙い、毒矢を射る。
そして動けなくなった敵兵を、次々と谷底へ、あるいは敵陣の方へ投げ返す。
動けない仲間が邪魔で進軍速度が落ち、治療のために後方へ下がる兵が増える。
「無限に現れた敵が、徐々に減っている……?」
一ヶ月も防衛戦を続けていると、その変化は顕著になった。
あれほど圧倒的だった敵の数が、目に見えて減っているのだ。
戦線は徐々に楽になり、こちらの死傷者も見る見るうちに減っていった。
「あの王女様はすごいな……」
「一体何者なんだ……?」
最初は残酷な指令に戸惑っていた兵士たちも、目の前の「結果」を見て考えを改めたようだった。
生き残れる。勝てる。
その確信が、畏怖を揺るぎない忠誠心へと変えていった。
今や兵士たちは王女様が通るだけで直立不動の敬礼をし、その命令一つで火の中へも飛び込む覚悟を決めた顔をしている。
◇
戦況は好転した。
だが、問題はまだ残っていた。
激戦で傷ついた要塞そのものの限界だ。
「あとは、このぼろぼろの壁をどうするかじゃ」
王女様は腕を組み、敵の攻城兵器で崩れかけている要塞の城壁を睨みつけていた。
石積みは崩れ、応急処置の木材でなんとか穴を塞いでいる状態だ。大規模な攻撃があれば、ここから突破される可能性もある。
そこへ息を切らせた伝令の兵士が駆け込んできた。
「ご報告します!本要塞になにやらガラの悪そうな……兵士?が多数やってきました!」
「ガラの悪い兵士?」
「はい!援軍にしては装備もバラバラで、妙なやつらでしたが……」
俺が首をかしげていると、王女様がパッと顔を輝かせた。
「通せ!」
王女様の指示で城門が開かれる。
そこに入ってきたのは、確かに兵士とは呼び難い集団だった。
薄汚れた作業着のような服を着て、手には武器とも呼べない農具などを持っている。そして全員が目つきが悪い。
「マフィ様!王都の治安を守っても手が空く状態ができ始めたので、応援に参りました!」
先頭に立つ男――パンクが王女様の前でビシッと敬礼した。
彼らが噂の自警団、『マフィグループ』か。
「ええところに来たの、パンク!お前らは今日から左官屋じゃ!」
「さ、さかん……?」
聞き慣れない言葉にパンクたちが顔を見合わせる。
王女様はニヤリと笑い、崩れかけた城壁を指差した。
「懐かしいのう!昔は若いもんを、こうやって土建工事に駆り出したもんじゃ!」
そんな不思議なことを言いながら、王女様は自警団を次々と割り振っていく。
石材の調達班、石灰を練ったものを作る班、足場を組む班。
その指示は的確かつ専門的だった。
「そこ!石の目が違うわ!もっと噛み合うように積め!」
「モルタルの配合が甘い!もっと練らんかい!」
どこでそんな技術を得たのか、王女様は不思議なことに土木工事がお得意だった。
六歳で体力はないため、ご自身は高いところから指示に徹していたが、その怒声は現場監督そのものだった。
パンクたち元ゴロツキも、王女様に怒鳴られると嬉々として重い石を運び、壁を塗り固めていく。
「……要塞が直っていく?」
俺は呆然とその光景を見ていた。
崩れかけていた要塞が見る見るうちに修復されていく。それも以前よりも堅牢になっていくかのように。
一度に現れる魔王軍の人数は減り、兵たちは経験を積み、要塞は堅牢になっていく。
崩壊しかけていた前線は完全に持ち直していた。
王女様が前線に来て、半年のことであった。
◇
そんな頃、王都から早馬が届いた。
王命によるマフィ王女の帰還命令だった。
むしろ遅かったぐらいだろう。
彼女の圧倒的な迫力と実績で誰も口に出さなかったが、そもそも六歳の王女が最前線で指揮を執っていることの方が異常なのだ。
帰還前日の夜。
王女様は城壁の上に立ち、星明かりの下で敵陣の方角を睨んでいた。
「仲間を助けん。本気も出さん。仁義のないあいつらは所詮は雑魚じゃ」
王女様は夜風にドレスをたなびかせながら言った。
「あいつらとの戦を見とったが、奴らはとにかく頭数が多い。だが個々が弱い。連携もない」
王女様はこちらを振り向いた。
「だからこそ、自警団に渡せるだけの十分な武器があれば。もしくは追加の兵がおれば、奴らのねぐらへ攻め込むこともできるはずじゃ」
攻め込む。
魔王軍の圧倒的な物量の前に、我々は防衛することだけで精一杯だった。未だかつて人類側から反攻作戦など考えたこともなかった。
――しかし、この王女様なら。
この要塞を立て直し、敵を翻弄したこの幼い怪物なら、本当にやってのけるかもしれない。
そんな気にさせる「何か」を彼女は持っていた。
「なのに、なぜ今までそれができんかったか」
王女様の目がすうっと細められる。
「そもそも、この小国だけで戦っていることもおかしい。世界の危機じゃと言うのに、他国の支援は雀の涙じゃ。おそらく政治的に天秤を保っとるやつが人間側にもおるんじゃ」
俺は息を呑んだ。
薄々とは感じていた。
我々が必死に戦っている間、後方の国々が政治的な思惑が働いていることを。
「ワシは王都に帰り、人類を束ねてくる」
王女様は不敵に笑った。
「それまでワシの『家族』である騎士団と自警団はフリント、お前に任せる。何とか堪えてくれ」
王女様から託された、重く、そして誇り高い任務。
俺はその場に膝をつき、深く頭を下げた。
「はい。この命に代えてでも、王女様がお戻りになるまでこの場所を守り抜きます」
「頼んだぞ、兄弟」
王女様は俺の肩をポンと叩いた。
その手は小さく、温かかった。
翌朝、マフィ王女は少数の護衛と共に王都へと発った。
俺たちが見送るその背中は小さい。
だが、その背中には間違いなく、人類の未来が背負われていた。




