16. おどれらには仁義を切らん
地下牢の空気は淀んでいたが、一点だけ異質な輝きを放つものがいた。
さきほど捕らえた魔王軍の指揮官だ。
白い肌と金色の髪は暗闇の中でぼんやりと発光して美しい。
背中の翼の存在感だけで、ここが現実の牢獄であることを忘れさせるほどだ。
ワシはその「天使もどき」の前に立った。
鉄格子の向こうで優雅に胡坐をかき、まるでピクニックに来たかのようなリラックスした様子でこちらを見上げている。
――腹が立つツラじゃ。
だが、ワシは努めて冷静さを保った。
戦というのは双方に言い分があって始まるものだ。ワシのシマを荒らした落とし前はきっちりとつけさせる。それは絶対だ。
しかし、ワシがこの世界に来る前からこの国は魔王軍と睨み合いの状態にあったという。ならば、こちらがつけるべきケジメもあるのかもしれん。
まずは相手の腹を探る。それが交渉の第一歩だ。
「おどれは魔王軍の指揮官だったようじゃの」
ワシは低い声で切り出した。
「話し合いが必要かと思ってな、わざわざ出向いてやったんじゃ」
指揮官の男はきょとんとした顔でワシを見た。
「おや、小さな家畜が話しかけてきた?これは珍しいな」
……家畜?
ワシの眉がピクリと跳ねる。
こちらのことを家畜と呼ぶのか。随分と舐めた口を利く。
だが、今は堪える。話し合いが先だ。
「……今、おどれらとワシらは戦争状態にあるが、何を求めて戦っとる?」
ワシは問いかけた。
「領地か?労働力か?欲しいもんがあるなら言うてみぃ」
戦争の理由は大概そんなものだ。
土地が欲しい、資源が欲しい、人が欲しい。
それならまだ、交渉の余地はある。利害を調整し、手を打つこともできる。
だが、指揮官は心底不思議そうな顔をして首を傾げた。
「え?家畜を従えるのに理由が要りますか?」
会話が噛み合わない。
こいつ、本気でワシらを対等な交渉相手として見ていないのか。
「……質問を変えよう」
ワシは檻に近づき、鉄格子を握りしめた。
「なぜ家畜を必要とする?家畜と言うことは人間から何かを搾取したいのか?労働力として使いたいんか?」
指揮官はあどけない子供のような笑みを浮かべた。
「ああ、そういうことですか。簡単なことですよ」
彼はうっとりとした表情で舌なめずりをした。
「人間の魂を啜るのがたまらなくおいしいのですよ!」
――は?
「魂を啜る……じゃと?」
「ええ。人間は他の生物と比べて感情が複雑でしょう?その複雑さが混ざり合った魂の味ときたら……もう、極上なのです」
まるで高級ワインの味わいを語るソムリエのような口調だった。
ワシは隣にいたフリントに視線を送った。
「どういうことじゃ?」
フリントは苦渋に満ちた顔で呻くように説明した。
「……魔族に魂を啜られた人間を過去に何度か救出したことがあります」
フリントの手が震えている。
「彼らは目が虚ろになり、言葉も話さず、ただヘラヘラと笑うだけの人形になってしまうのです。二度と正気には戻りません」
フリントの声が低く沈んでいく。
「生きながらにして中身だけを食い尽くされるのです」
……なるほど。
ワシの脳裏に、前世の記憶が蘇った。
シャブ漬けにされて廃人になった人間の姿だ。
脳を焼かれ、ただ快楽を求めるだけの肉の塊にされた成れの果て。
あれと同じか。いや、さらにタチが悪いのかもしれない。
「……腐った外道のやり口じゃのう」
ワシの腹の底で、ドス黒い怒りが渦を巻き始めた。
だが、まだだ。まだ対話を止めるべきじゃない。
「……おどれらは人間の魂を啜らなければ死ぬのか?」
生存本能による捕食なら、まだ理解の範疇だ。
狼が羊を襲うのを罪とは言えん。
「いいえ?」
指揮官はあっさりと否定した。
「別においしいから食べているだけですよ。おいしい果実を食べるのに理由が必要ですか?あなたがたも目の前においしそうな果実があったらもいで食べるでしょう?それと同じです」
娯楽。嗜好品。
ただそれだけのために、人間を廃人にするのか。
「だが、そのために進軍して、それなりに被害を受けていたじゃろ」
ワシは指摘した。
さきほどの戦いでも、騎士団の突撃で多くの魔王軍が死んだはずだ。
「戦争で仲間が死ぬのでは、いくらおいしくても努力に見合わんじゃろ」
指揮官はきょとんとした後、腹を抱えて笑い出した。
「あははは!あの戦争ごっこですか?」
ごっこ。
こいつ、今、戦争をごっこと言いやがったか?
「あれも娯楽の一つですよ。楽しいですよね」
こいつは何を言っているんだ?
狂気を孕んだ様子でワシを見つめてくる。
「人間を追い詰め、狩り立てる。人間を狩る狩猟ゲームですね。暇つぶしの一つです」
「……暇つぶし?」
ワシの声が震えた。
「暇つぶしじゃと?そちらの軍に死人が出てもか?仲間が殺されても、それがゲームだと言うんか!」
「ええ。死人が出ることの何が悪いのですか?」
指揮官は心底不思議そうに首を傾げた。
「死んだもんを悲しむ気持ちはないんか!」
「何を悲しむのです?」
感情が欠落している。
――いや、そもそも個としての執着がない?
「……じゃあ、お前は死ぬのが怖くないんか?」
ワシは凄んだ。
殺気をぶつけてもこいつは平然としている。
「そりゃあ、死んでもまた魔王様から生まれ出るのに、何を怖がるのです?」
……あ?
「魔王様から生まれる?」
「ええ。我らは死ねば魂は魔王様のもとへ還り、また新たな肉体を持って輪廻して生まれるのです」
そう言って、指揮官はニタニタと笑った。
「そういえば、あなたがた家畜は命を大事にするのでしたね。たった一度きりの使い捨ての命だからですか?不便な生き物ですねぇ」
――ああ、そうか。
ワシの中で、何かが冷たく冷え固まっていくのを感じた。
だから、こいつらは仲間も、指揮官である自分自身さえも見捨てるのだ。
助けない。守らない。
遊びのように、暇つぶしとして戦っていた。
飽きたら「今日のゲームはここまで」とばかりに戦線を勝手に降りて帰る。
根本的に生物として違う。
個の命に価値がない。
死に対する恐怖がない。
喪失に対する悲しみがない。
おそらく、交渉も何も通用しないことだろう。
恐怖で脅すことも利益で釣ることも、情に訴えることもできない。
こいつらは、ワシらとは違う理屈で動く、災害だ。
「……あまり人間を刺激して、大事な魔王様のところまで攻め込まれるかもしれんとは思わんのか?」
ワシは最後の問いを投げかけた。
一種の警告だ。
これ以上ワシらのシマを荒らせば、元まで断ちに行くぞという脅し。
そう言うと、指揮官はきょとんとした後に、プッと吹き出した。
「あはは!面白い冗談ですね!」
彼は涙が出るほど笑った。
「未だかつて魔王様のところまで辿り着いた家畜はいませんよ?家畜がどれだけ吠えたところで、主人の寝室までは届かないのですよ」
……なるほど。
家畜と呼び、こいつらはワシら人間を根本的に舐め腐っとるんじゃな。
対等な敵ですらない。
ただの餌。ただの玩具。
「……なるほど、よう分かった」
ワシは檻から一歩下がった。
「おどれらと話しても、意味がないということが」
ワシの目が、冷酷な光を帯びる。
それは五歳の少女のものでも、任侠の親分のものでもない。
「おや、もうお話はおしまいですか?もっと遊んで……」
「黙れ」
ワシは一喝した。
もう、こいつに掛けるものはない。
情けも、慈悲も、敬意も。何一つ必要ない。
ワシは出口へと歩きながら、背後の「天使もどき」に言い放った。
「おどれらに仁義はない」
極道の世界には、最低限守るべきルールがある。だが、ルールが通じるのは同じ人間だけだ。
「ワシもおどれらには仁義を切らんと決めた」
戦争じゃ。
これはシマ争いなんて生易しいもんじゃない。
生きるか死ぬか。
食うか食われるか。
全滅させるまで終わらない、殺し合いの始まりじゃ。




