14. 守るって言うたろ
魔王軍の攻撃は、日を追うごとに激しさを増すばかりだ。
俺――フリント伯爵は砦の城壁から眼下に広がる人波を見下ろして舌打ちをした。
視界を埋め尽くすのは魔王軍。その数はこちらの兵力の倍はありそうだ。
「数が多いな」
俺の領地はオズ王国の最北端。魔王軍の領域と直接国境を接する、文字通りの最前線だ。
開戦から十数日。俺たちはこの要塞に籠り、圧倒的な物量を誇る敵軍を相手にどうにか持ちこたえてきた。
だが、それも限界が近い。
じりじりと削られる兵力。破壊されていく防壁。
敵を押し返すことはおろか、現状を維持することすら困難になりつつある「ジリ貧」の状態だ。
俺はふと半年以上前のあの日のことを思い出していた。
安全な王都のきらびやかな大食堂での光景を。
◇
あの日、昼食会に乱入してきたマフィ王女の姿は俺の人生で最も衝撃的なものだった。
豪奢なドレスを泥と血で汚し、顔を赤く腫らして現れた五歳の幼女。
だが、その口から飛び出したのは甘ったるい泣き言ではなかった。
『民を守れん騎士団が国を守れるか!』
『ここにいる家族のために死ね!』
腐敗しきっていた騎士団長をその場で断罪し、政治的な駆け引きにしか興味のない貴族たちを一喝したのだ。
正直に言えば、俺は笑いをこらえるのに必死だった。
俺はずっと最前線で魔王軍と睨み合い、泥水を啜るような思いで領民を守ってきた。
兵を失い、友を失い、それでも歯を食いしばって耐えてきた。
だというのに、安全な王都から届くのは「もっと成果を出せ」「予算を削減しろ」という、現場を知らない無責任な書簡ばかり。
そんな腑抜けた連中が五歳の姫様に説教されているのだ。
これほど痛快なことはなかった。
あの幼女の目を見た瞬間、俺の直感が告げたのだ。
――この王女になら、ついていける、と。
だからこそ、俺はあの静まり返った食堂で、誰よりも先に声を上げたのだ。
「勇敢な五歳の姫君と『家族』になるのも悪くない。やってやろうじゃないか!」
そう言って飲み干したワインの味はどんな高級酒よりも美味かった。
そしてその直後、王女が酒を飲んでぶっ倒れるというオチまで含めて、俺の生涯で忘れられない一日となった。
◇
王女は単なる威勢のいいだけの子供ではなかった。
有言実行。
彼女は王都を、そしてこの国を変えていった。
自領に戻った俺の元にも改革の噂は風に乗って届いていた。
自分を殴ったゴロツキを従え、自警団を作り上げて王都の治安を劇的に改善したという話。
腑抜けた騎士団を叩き直し、遠征討伐隊を組織して街道の安全を確保したという話。
俺は報告書を読むたびに、膝を打って喜んだものだ。
実際、彼女の改革がなければ、この砦はとうの昔に落ちていただろう。
街道の治安が良くなったおかげで、王都からの補給物資が滞りなく届くようになった。
以前なら途中で盗賊に奪われたり、横領されたりして届かなかったはずの兵糧や武器が確実に俺たちの元へ届いている。
マフィ王女。
あんたは本当に、俺たちを見捨てなかった。
あの日の「守っちゃる」という言葉は、嘘じゃなかったんだな。
――ドォォォォン!!
腹に響くような轟音が俺を現実に引き戻した。
要塞の東側の壁に敵の投石が直撃したのだ。
「……だが、それもそろそろ限界か」
俺は深いため息をついた。
いくら補給が続いても、肝心の兵力が足りない。
敵の攻勢は止むことを知らず、要塞のあちこちで悲鳴が上がり始めている。
次の本格的な攻勢が来れば、この砦は落ちる。
俺の勘がそう告げていた。
この砦を放棄して、前線を下げる頃合いか……
苦渋の決断だ。
だが、ここで全滅すれば後方の村々まで魔王軍の侵入を許すことになる。
一度退き、態勢を立て直すべきだ。
王都には早馬で援軍を要請してある。
だが、距離がある。どんなに急いでも到着にはあと十日はかかるだろう。
敵の攻勢は、明日にも始まるというのに。
間に合わない。
俺は決断した。
民の避難は既に済んでいる。
あとは、兵をいかにして無傷で撤退させるかだ。
そのためには――誰かがここで時間を稼ぐ必要がある。捨て石が必要だ。
俺は窓の外を見た。
砦の中庭で白髪混じりの兵士たちが黙々と剣の手入れをしている。
親父の代からこの家に仕えてくれている、古参の兵たちだ。
彼らは分かっているのだ。自分たちの役割を。
「領主様」
背後から声をかけられた。
振り返ると、年老いた副官が立っていた。俺がガキの頃から剣を教えてくれた、親代わりとも言える男だ。
「次の攻勢が始まったら、若い連中を裏門から撤退させてください。私たちがここで敵を引きつけます」
「……ああ」
俺は言葉を詰まらせた。
そして、副官は俺の顔を見て皺だらけの顔をほころばせた。
「我らも領主様と一緒に、守るべきもののために死なせてください」
その目には、恐怖も迷いもない。
「……馬鹿野郎」
俺は目を閉じた。
瞼の裏に、あの大食堂の光景が浮かぶ。
『ここにいる家族のために、為すべきことを為せ』
血まみれの五歳児が叫んだあの言葉。
ああ、王女様。
俺たちは、あの盃で誓った約束を、最期まで果たしてみせましょう。
◇
そして翌日。
太陽が昇ると同時に、魔王軍の三度目となる大規模な攻勢が始まった。
大地を揺らす足音が傷ついた要塞へと押し寄せてくる。
「総員、構えッ!」
俺は剣を抜き放ち、最前線に立った。
隣には副官がいる。古参の兵たちがいる。皆、死に場所を得た男の顔をしていた。
数は圧倒的に不利だ。
補修が間に合っていない城壁が、敵の攻城兵器によって容易く砕かれていく。
「怯むな!一歩も通すな!」
俺は叫び、目の前の敵を斬り伏せた。だが、多勢に無勢。
一人倒せば二人が現れる。
次第に防衛線は下がり、ついに要塞の正門が轟音と共に突破された。
王女様……あとは頼みます。
俺は心の中で祈った。
どうか、人類が勝利しますように。
――その時だった。
戦場の喧騒を切り裂くような、乾いた音が響いた。
続いて、地響きのような蹄の音が、敵の背後から迫ってくる。
「なっ……!?」
魔王軍の後方が混乱に陥っている。
その中を銀色の矢のような集団が突き進んでくるのが見えた。
翻る旗。
そこに描かれているのは、オズ王国の紋章。
「き、騎士団……!?」
俺は目を疑った。
王都からの援軍。だが、早すぎる。
要請を出してからまだ数日しか経っていない。あと十日はかかるはずの距離だぞ!?
だが、現実は目の前にある。
その数は騎士団の半数以上にも上るだろうか。
彼らは魔物の群れを紙屑のように蹴散らしながら、一直線にこちらへ向かってくる。
その勢いは凄まじく、あっという間に城門付近の魔王軍を排除してしまった。
「よう守ってくれたの、兄弟!」
戦場には不釣り合いな甲高い声。けれど、その底にはドス黒い迫力が満ちている。
「半年鍛えた分、騎士団の行軍も早くなっとったな!何とか間に合ったようじゃ!」
護衛騎士の馬に相乗りしているのはフリルまみれのドレスを着た小さな少女だった。
「マフィ王女殿下……!?」
俺はへたり込みそうになる膝を必死に支えた。
幻覚かと思った。
だが、その眼光は間違いなくあの日のものだ。
「援軍感謝いたします。ですが、まさか自らいらっしゃったのですか!?ここは最前線ですよ!」
「おう、ワシは騎士団の最高顧問じゃからな!現場視察に来て何が悪い!」
王女はニカッと笑った。
そして、周囲の魔王軍を見回した。
「それにしても、あれが『魔王軍』とやらか!思っていた見た目と違うのう!」
敵を指差し、値踏みするように言う。
「王女様、危険です!お下がりください!」
俺が叫ぶと、彼女はゆっくりとこちらを振り返った。その瞳に、燃えるような闘志を宿して。
「ワレは『家族』じゃ!守るって言うたろ!」
その瞬間、俺の目から熱いものが溢れ出した。あの日の約束を守るために、本当に来てくれたのか……!
「さあ、反撃じゃ!ワシらのシマを荒らした落とし前、きっちりつけさせちゃる!」
六歳となった王女の号令が、戦場に響き渡った。




