10. 誰か氷を持ってこい。
騎士団最高顧問。
肩書きだけは立派だが、実情は飾り物に過ぎない――とは、誰もが思うことだろう。
だがワシは飾り物になるつもりなど毛頭なかった。
組織のトップに立ったからには、自分の手足となる人間を掌握せねばならん。それが上に立つ者の義務であり責任だ。
しかし、問題が一つあった。
ワシは騎士団の内情など、何一つ知らんということだ。
誰が実力者で、誰が派閥の長で、誰が不満を持っているのか。
人事ファイルや組織図を眺めたところで、そんな生の情報は見えてこない。
「手っ取り早くあぶり出すしかないのう」
自室で分厚い名簿を放り投げてニヤリと笑った。
組織の澱みはかき混ぜてみれば浮き上がってくる。
強引な人事を断行し、それにどう反応するかで「骨のある奴」を見極める。
前世で何度も使った手だ。
ワシの脳裏に、ある若造の顔が浮かんだ。
先日、路地裏で唯一まともに動こうとしたあの若い騎士。
名前は確か――
◇
翌日。
王城の練兵場には、数百人の騎士たちが整列していた。
鎧が擦れ合う金属音と、土埃の匂い。
男たちの視線は練兵場の壇上に設けられた小さな台の上に注がれている。
ワシは踏み台の上に立ち、眼下に広がる男たちの群れを見下ろした。
どいつもこいつも、死んだ魚のような目をしていやがる。
「よう集まったのう」
ワシは声を張り上げた。
「ワシが新しく騎士団の最高顧問に任命された、マフィ・オズじゃ。以後、よろしゅう頼む」
ざわめきが広がった。
噂の「暴れん坊王女」が本当に騎士団を仕切るのかという困惑と、所詮は子供のお遊びだろうという侮蔑が入り混じった空気。
ふん、今はそれでいい。
ワシは最前列に並んでいた一人の騎士に指を突きつけた。
「おい、そこの。お前じゃ。前へ出え」
指名された騎士はきょとんとして自分の顔を指差した。
あの時、路地裏で剣を抜いた若造だ。
「わ、私ですか?」
「おう。早うこっち来い」
若造は戸惑いながらも、壇上の前まで小走りでやってきて跪いた。
「お前、名はなんと言う?」
「はっ! ケイトと申します!」
ケイトか。まだ線は細いが、その目には他の死んだ魚どもとは違う光がある。
ワシは騎士団全員に聞こえるように宣言した。
「ケイト! ワシは今、お前を騎士団長に任命する!」
一瞬の静寂。
その直後、練兵場が爆発したような騒ぎになった。
「なっ……!?」
「ケイトだと? あいつはまだ入団三年目の新人だぞ!」
「序列を無視するにも程がある!」
「正気か!?」
怒号と困惑が渦巻く。
当然の反応だ。年功序列も階級も無視した大抜擢。納得できるはずがない。
ケイト本人も顔面蒼白で震えている。
「王女殿下、滅相もございません!私ごときにそのような大役は……!」
「黙っとれ」
ワシはケイトを一喝し、騎士たちを睨みつけた。
「静まれえぃ!!」
空気がビリビリと震えるような怒声。
練兵場が水を打ったように静まり返る。
「ガタガタうるさいわ!ワシが知っとる中で、唯一『騎士の仕事』をしたんがこの男なんじゃ!」
ワシは仁王立ちになり、並み居る騎士たちを見回した。
「文句があるなら聞いちゃる。もし、この人事に反発して『あんな若造がやるぐらいならワシがやる!』いう気骨のある奴がおるなら名乗り出ろ!」
さあ、どうだ。
ここで「俺がやる」と手を挙げる奴こそがワシの求めている人材だ。
組織への不満、現状への危機感、そして己の実力への自負。それらを持った男が出てくれば、そいつを副団長に据えてもいいし、あるいは競わせてもいい。
ワシの挑発に、数人のベテラン騎士たちの顔色が変わった。
歴戦の猛者と思しき、いかつい男たちが一歩前に出ようとする。
――ほう。おるじゃないか。
ワシが期待に目を輝かせたその時だった。
「おいよせ馬鹿!」
前に出ようとした男の腕を隣にいた同僚が鬼の形相で掴んで引き止めたのだ。
「離せ、こんな理不尽許せるか!俺が直訴して……」
「死にたいのか!?あの王女の噂を知らんのか!」
ひそひそ話のつもりだろうが、壇上のワシの耳にはよく聞こえてくる。
「噂だと……?」
「先日、路地裏で逆らった男の話だ……王女は顔色一つ変えずに『両腕を切り落とせ』と命じたらしいぞ……」
「なっ……」
「それだけじゃない。逆らった者は全員行方不明になったとか……」
「俺が聞いた話じゃ、許しを請うために五人の生贄を捧げたらしい……」
「悪魔だ……あれは人の皮を被った悪魔だ……」
前に出ようとしていた男の顔から、さっと血の気が引いていく。
彼は震える足で、すごすごと列に戻っていった。
他の場所でも似たような光景が繰り広げられていた。
怒りに燃えていたはずの男たちが、仲間の忠告を聞いた途端、恐怖に引きつった顔で俯いていく。
――はぁ?
ワシは呆気にとられた。
両腕を切る?生贄?
なんじゃその尾ひれのつきまくった噂話は。
ワシはただ、ちょっとばかり「ケジメ」の話をしただけじゃろうが。
それに何より。
そんな根も葉もない噂ごときにビビって、自分の信念を引っ込めるのか?
この国の騎士は。男たちは。
そこまで、去勢されとるんか。
プツン。
ワシの中で何かが切れる音がした。
「なんじゃ、この腑抜けた集団は」
低い声が漏れた。
それがマイクを使ったかのように練兵場全体に響き渡る。
「噂ごときに踊らされ、自分の意思ひとつ示せんのか。お前らキンタマついとんのかオラァ!!」
王女の口から放たれた品のない言葉に騎士たちがギョッとして顔を上げた。
だがワシの怒りは収まらない。
「気合が足らんのじゃ気合が!小隊長クラスは前へ出ろ!全員、一列に並べ!」
ワシは踏み台から飛び降りた。
ドレスの裾をまくり上げ、仁王立ちで待ち構える。
「注入してやるけぇ、顔貸さんかい!」
意味が分からずおろおろする騎士たち。
だが、ワシの殺気に押され、小隊長たちが恐る恐る列を作った。
先頭の男が前に立つ。
「歯を食いしばれ!」
ワシは叫ぶと同時に、跳躍した。
五歳児の背丈では届かない。だから飛ぶ。
全体重と、遠心力と、ありったけの怒りを込めた右の掌底。
パァァァン!!
乾いた破裂音が響き、小隊長の巨体がよろめいた。
「次ぃ!」
男のその後の反応も確認せず、ワシは次の男を睨んだ。
パァァァン!!
「次ぃ!」
パァァァン!!
右手が熱い。ジンジンと痺れるような痛みが走る。
当然だ。こちらは柔らかい五歳児の手。相手は鍛え抜かれた軍人の頬肉。
叩けば叩くほどワシの手の方がダメージを負っていく。
何人叩いただろうか。五十人を超えたあたりから感覚がなくなってきた。
手を見ると、まるでクリームパンのようにパンパンに赤く腫れ上がっている。
指が曲がらないほどだ。
それでもワシは叩き続けた。
中には、ワシの小さな手が赤く腫れ上がっていくのを見て、何かを感じ取ったような目をする者もいた。
百人近い小隊長全員を張り倒し終えた時、ワシは肩で息をしていた。
腫れ上がった右手がズキズキと脈打っている。
静寂。
だが、先ほどまでの澱んだ静寂とは違う。
熱を帯びた、張り詰めた静寂がそこにあった。
小隊長たちの気合を入れなおしながら、ワシは考えた。
この玉無しどもに足りないのは実践じゃ――
噂に怯え、一歩を踏み出せない。
そんな腰抜けになったのは、実戦から遠ざかっていたからだろう。
王都の中で安穏と過ごし、本当の戦いを知らない。
だから、得体の知れない「恐怖」に負けるのだ。
実践の場に投入し、根性を叩き直さんといかん……!
ワシは決意を固めた。
……それはそれとして右手がめちゃくちゃ痛い。
誰か氷を持ってこい。




