とある編集部での会話1
「殺ピってさあネットで買い物する人?」
きっかけは私に声をかけてきたチーフでした。へらへらした痩身の中年で、よれよれのシャツにボサボサの髪の毛、咥えタバコ。この業界であればあり得なくもないですが、他業種であれば不審者か、浮浪者な見た目です。
でも何故か仕事だけは超絶できる人なので一応、尊敬していました。
多分、頼まれていた記事がひと段落してぼーっとネットサーフィンをしていたのを眼をつけられたのだろうと思います。相変わらずめざといなと思います。
「チーフ、殺ピって略さないで下さい」
「いいじゃない。殺人ピエロよりも殺ピの方が親密感増すじゃない。彼ピみたいで」
チーフは私のことをライターネームを変なふうに略して読んでくるのでいつも指摘するのですが直してくれません。
勿論、四十代のおじさんが彼ピとか言うのやめた方が良いですよ。無理して若者言葉使ってるみたいで痛いですし何よりキモいのでという言葉は飲み込みました。
今更忙しい振りをしても仕方ないので、あきらめてマウスから手を離すとデスクのエナドリに手を伸ばしてプルタブに指をかけました。
「というかこのご時世ネットでモノを買わない人の方が珍しいんじゃないですか? お年寄りだってmamasonくらい使いますよね」
mamasonーー総合オンラインストアの最大手。
日用品、衣類、食料、書籍、地域限定品。サイトをのぞけば何でも売っている。違法な品でなければ買えないものはないし、それだって手段を選ばなければ手に入るかもしれません。
とにかく今は指先ひとつ動かすだけで欲しいものが手元に届く便利な時代なのです。
mamasonの始まりはその名称が表す通り最初は小規模な母子家庭の為の宅配サービス事業だったとwikiを開けば教えてくれる。それが紆余曲折を経て、今ではどんな場所にも注文した商品を届けてしまう世界最大のオンラインストアとなった。その規模はもはやインフラと言っても過言ではありません。
実のところ今、私が眺めていたノートパソコンのスクリーンに映っているのもmamasonストアのページでした。良さそうな新作のスニーカーがないか眺めている最中でした。
「じゃあレビューは読んだりする?」
チーフは手にした吸い殻をカップコーヒーで鎮火した後、当たり前のようにぐびっと飲み干しました。この上司は見た目も大概ですがおおよそ日常の所作においてもイカれたところが散見されることがある人物でした。
「購入者の商品のレビューですよね?」
「そう」
「うーん。正直評価ポイントくらいしか参考にしてませんね」
ご存知な方には説明するまでもない話ですが、mamasonのストアサイトには商品ごとに評価とレビューが存在します。
満足度を★印で五段階で示した評価は集計された数値がページトップに表示され、購入検討者にとっての大きな判断材料のひとつとなります。
レビューは、商品の良し悪しを感想を言葉として残したもの。数字だけでは伝わりづらい細やかな情報を記すことで、他の購入検討者にその見識を伝えることができます。
ただ私自身は後者のレビューを参考にすることはあまりありません。
「あれって基本的に雑感じゃないですか。結局素人だしどこまで参考にしてもいいものか」
レビューといえば聞こえはいいですが、所詮は一消費者の独断と偏見による「感想」に過ぎません。なんの見識も責任もなく不満を垂れ流すだけというのは言い過ぎでしょうか。
実際、今見ているスニーカーのページにも自称玄人のコメントが散見されます。蒐集欲を刺激しがちな商品は特にそういったレビューが集まりがちで、聞き齧った知識や経験や体験に基づく見識めいたことを吐き出したくなる気持ちは分からないでもないので、余計に鼻について忌避してしまうのでした。
「俺さレビューをじっくり読んじゃう派なのよ。この前もペットのオムツ買うだけなのに三時間くらい掛かっちゃってさ。知ってる。あれってオスとメスで種類が違うんだよ。レビュー読んで初めて知ってさ。他にも色々蘊蓄が書いてあってへえそーなんだあって読み込んでたら奥さんに『もういいです。ドラックストアいってきます』ってさ」
「はあ」
このおじさん何が言いたいんでしょうか。話し相手が欲しいだけなら喫煙所で暇な人を見つけて欲しいな。無駄話をしているくらいならネット画面に戻りたいと思ってしまうのは私がZ世代だからでしょうか。
「ちょっと脱線しちゃったけどさじっくり読んでるとなかなか味わい深いレビューというのも幾つか見つかるんだよ」
「それっていわゆるmamasonレビュー文学というやつですか?」
レビュー文学。
通販サイトのレビュー欄を利用して、個人的な体験談や思い出、感情などを綴った文章も多くあり、なかでも出来が秀逸なものがそう呼ばれていることは知っていました。
少し前にネットニュースでゴキブリ撃退用スプレーについて面白おかしい語り口で評価するレビュワーがちょっとした話題になっていました。
「そういう芸達者な文も確かに面白いね。『第二十四回参加者(34歳無職)』みたいな熱量があるのとか。でも『なんだコリャ』って方も興味深いわけよ」
「なんだこりゃ、ですか?」
「そう。一見何の変哲もないんだけどちょっと違和感みたいなものがあるレビュー。レビューってのは本来、商品の感想が主体となるんだけどその端々から歪な個が見えちゃう」
「歪な個」
「普通はまあそれだけで終わるんだけどさ、最近は便利だからアカウントから履歴を追えるじゃん?」
だから追ってみるんだよそいつが他にどんなレビューを書いてるか覗いてみるの。とチーフはぽつりと遠い目で呟くように言いました。
「そうやって時系列で手繰ってみると点と点がつながってくる、ことがある」
「点と点ですか?」
「複数のレビューから浮かび上がってくる人物像とか、何かしらの事件性とかね」
「……事件性」
「事件という事件ではないのかもしれないけれど、いわゆる背景、バックストーリーって言い換えてもいいのかもしれない」
それを見つけた瞬間がたまらなく面白いんだよと告げてくるチーフの顔には微かな愉悦が混じっていました。顔の至る場所にある細かな皺がわずかに深まりひしゃげてのびていて、ちょっとゾッとしたのを覚えています。
ネットショッピングって消費社会の極地じゃん。ポチって届いてそれで終わり。簡略化され過ぎて味気ないし閉じられてるから可視化もされない。でもそういう無味乾燥な仕組みのなかでレビューってのは数少ない物語の場所だと思うんだよね、などと続けて曰う彼はいつも以上に饒舌でした。
一方で私は「……そう言われるとちょっと面白そうですね」と相槌を打つので精一杯でした。
「じゃあこの後、殺ピのところに『ご褒美アイスさん』のurn送るよ。俺ちゃんのオススメ。面白いレビューが読めるから」
チーフはそれだけ言うと自分のデスクに戻ってしまいました。てっきり何かしらの仕事を振る為の前振りだと思っていたネットショッピング談義ですがただの雑談で始終してしまい肩透かしを食らった気分でした。
ただ今にして思えばですが、あの時のチーフの雑談がこのレビューウォッチを始めるきっかけ、『私がオンラインショップで見つけたおかしなレビュー』なる記事を書くきっかけだったのだと思います。