とある編集部での会話4
「顔色悪いなあ。夜中またレビュー漁りしてたろ?」
「すいません」
ここ最近、廊下の突き当たりにある休憩所で挨拶みたいにテンプレになりつつあるやりとりでした。
「前にも言ったけど睡眠だけはとれっての」
「チーフこそ最近カフェイン摂り過ぎじゃないですか? 昨日もコーヒーガバガバ飲んでましたよね」
「おれはちゃんと寝てるからいいんだよ」
いつものように煙草を指で挟みながら持ったエナジードリンクを美味しそうに啜っているチーフ。
その脇を抜けて、カップ飲料の自販機の前にたどり着くと硬貨を入れます。
すこし迷いましたがホットで砂糖多めのブラックコーヒーのボタンを押します。疲れた脳には糖分が必要です。
確かにあれだけカフェインを摂取しているくせに眠ろうと思えばきっちり眠れるのは羨ましい体質だなと思います。
「でも何だってこんなにおかしなレビューが見つかるんですかね」
私の寝不足の原因は間違いなくmamasonレビューを読み漁っているせいでしたが、調子が良いくらいに目的の『面白いレビュー』が見つかるせいもあり、嬉しい反面困りものでした。
手応えがなければ「もうやめようか」となるのですが次々と見つかるせいで調査と記事を書く手が止まらないのです。
取り出し口にカップが置かれる乾いた音がすると、遅れてドリンクが注がれていきます。
「SNSなら分かるんですよ。いろんなことを思い思いに言える場所だからおかしなこと言ってんなって人は大勢いますもん。
商品について語る場所で何でこんなおかしなレビューが見つかるのかなあって思うんです」
「逆じゃねえかな」とチーフ。
「逆ですか」と私。
「SNSは着飾るのが前提の世界だろ。自画像や話を盛ったり、映えることで承認欲求を満たすことが全ての世界だ。逆に着飾ってるからボロを出さない。出せない。出せば謗りを受けるし受けないものは路傍の石だ。つまりは歪な個を潜ませてどれだけ孔雀の羽を広げられるかの競争社会なんだよ」
「……なんていうかチーフのSNS評って独特ですね」
「うるせえよ。例えば今すぐSNSで何か発言してみ、って言ったらやれる?」
「何でもいいんですよね。まあできますけど?」
「いやはやデジタルネイティブってのは怖いね。昭和生まれの俺はできない芸当だよ」
「そういえばチーフ、SNSの投稿しませんよね」
彼はこうやって職場ではペラペラ喋る癖にアカウントだとおとなしめです。基本は他人のリポスト。そうでなければ仕事関連の告知と宣伝で始終しています。
「まずSNSのアプリを立ち上げるだろ。自分のアカウント画面のコメント入力画面を見るだろ。で頭が真っ白になる」
「はあ」
よく分かりません。
「おれみたいな繊細な人間はさ、第一に投稿する意味を考えちゃうのよ。有意義なことを発言しよう。とか。他人が反応するようなリアクションが得られる様な過激で面白いことを言わなくちゃいけない。とか。でもそんなもの思い浮かばない。思い浮かんでも仮に外しから痛いだけだ。それよりも炎上したらどうしよう。知り合いが見ていたら生きていけない。そんなことを考えたら頭が真っ白になる」
お昼に焼きそば食べましたって書けばいいのでは?
私ならその日に買ったものとか道端に落ちていた変なものとか適当に投稿します。
取り出し口から熱々のコーヒーを気をつけながら持ち上げます。これ無理だから一旦冷まそうと思いテーブルに置きました。
「でも投稿すると飛ぶんだよ」
「何がです?」
「『だから?』ってクソリプだよ」
「誰からですか?」
熱心なアンチでもいるのでしょうか。
それとも浮気を疑う粘着質な奥さんでしょうか。
そうツッコミをするとチーフは苦笑いをして「違う違う」と誤魔化します。
「自分自身からだよ。脳内でダメ出しが出るんだよ。いやそもそも投稿しても現実にはそんなリプすら飛んでこない。二分後に画面を開いて確認してもリツイートもいいねもない。インプレッションすら自分自身だけ。そして自問自答に陥るの。これに何の意味があるのかと。自己顕示欲なんか満たされることはない。ただただ孤独を味わうだけだ。そもそも俺には世間に向かって叫びたいことなんかひとつもなかったんだ。そうやって気づいてそっとアプリを閉じる。までがテンプレな」
「SNSのたった一つの投稿で、考えすぎというか悩みすぎじゃないですかね」
心療内科にお世話になった方がいいのでは?
「まあそういう人たちだっているって事だよ」
「いやあ小心過ぎませんかねえ」
というかこれ何の話でしたっけ。レビューについてじゃなかったでしたっけ。と寝不足でぼやけた思考で考えます。
「一方でレビューは違うんだよ。目的がある。ちゃんとお題があるんだよ。ネットショップは買った商品をレビューして欲しいんだ。だから書く側は文章に正当性が持てる。筆は進む。別に長々書く必要がないのも良い。買ったものが良かったか悪かったかを書くだけで非常にシンプルだ。すると水を得た魚みたいに筆が進む。この場合は比喩表現だけどSNS投稿できなかった分の憂さを晴らすが如くエンジンがかかる。結果、品質と品質を評価する間隙にそっと織り込まれるんだ」
「何がですか?」
「歪んだ個だよ」
ここまで聞いてようやく、これまでの話が面白いレビューが世の中に出回っている理由についてのチーフなりの講釈なのだと理解しました。
どうにも大袈裟すぎるし個人の感想の域を出ないけどなんとなく言いたいことは分かる気はするかもと思いながら、カップコーヒーに口をつけました。
「それでさ。企画の名前だけど『商品レビューで構成されたホラーです。』ってどうだ?」
「あ、シンプルでいいと思います。私ネーミングセンスないんで助かります」
「じゃあ決まりな。名義はおれので行くからよろしく」
そう言われて、ああはい了解と言いそうになった後、自分の耳を疑いました。
「え、それってチーフが書いたことにするってことですか……?」
「いやさ殺ピってろくにレビュー数稼ぐような記事書いてないじゃん
それはそうですが。
「ほぼ無名のライターが書いた記事なんて誰も読んでくれないと思うのよ。その点おれの名義ならバズり易くなるしせっかくの記事も活かせるだろ?」
これまでしていたたわいない会話から生まれていたほのぼのした雰囲気が霧散していきます。
こわばっていく頬を必死で緩ませながら、背筋に余計な力を入れてしまいみしりとしなったみたいな嫌な感覚に抵抗します。
この後に及んで私はチーフの言葉が何かの冗談か私のことを考えた親切心によるものだと信じており、その意図を確認する為に何とか声を上げようとしていました。
ですがこちらが何か言うよりも先に、待ったと手で制されました。
「勿論、手柄を独り占めするつもりはないさ。フェアに行こう。ちゃんとアシスタント:殺人ピエロって入れるからそれでいいっしょ?」
良いはずがありません。
チーフは何もしていないにも関わらず手柄を横取りしようとしています。まるで最初から最後まで自分が仕上げたかの如く、記事の終わりに自分の名前を入れようとしているのです。
あれは私が見つけたレビューを私が独りで読み物にしてまとめた私の企画です。
私は辿々しくなりながらも必死で言葉を紡いでそう反論すると、チーフは顰めっ面になり不機嫌そうに舌打ちをしました。
「……あのさー。おれが教えなかったらおまえはご褒美アイスさんのことすら知らなかったじゃん? ほぼおれが立てた企画みたいなもんじゃん?」
それは違う。断じて違う。と大声を上げそうになりました。
実際にはか細い唸るような声しか出ませんでした。
私のご褒美アイスのレビューだってチーフはただ見つけただけではないですか。あのレビューも記事も彼のものではないのです。すべては私のものなのです。
確かにきっかけはチーフだったかもしれませんがそれ以外には一切の貢献をしていないのです。
「でもこれ決定事項だからさ」と急に声のトーンを落として告げてきます。
「嫌だっていうなら企画自体ボツな。つか今週までにあと一本記事あげてこいよ?」
チーフは指に挟んでいた煙草を捻り潰すように灰皿に押し付けると、これ見よがしに近くのテーブルにあった私のカップコーヒーのなかに捨てました。
独り残された私はどうすることもできませんでした。
その場を去ろうとするチーフの顔を顔を上げて見るもできず、ただただ必死で湧いてくる憤りとか恐怖とか己の無力さちかを握り潰すように拳を震わせていました。
そして子供のように口を尖らせテーブルのカップの黒い水面に浮かんだ吸殻が沈んで行く様子を、涙で視界が滲んで見えなくなるまで睨みつけていました。




