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わたしのあなた

 「ねえ、今私が考えていること、わかるんでしょ?」

知っているはずのないことを知っている。疑念から確信は早いもので気が付けばもう取り返しのつかないところにいた。もしかしたらお互いに人間不信だったのもここまで悪化した原因なのかもしれない。ドラマでたまにある他人の心が読める人、自分がそうだと分かったのは小学校に上がってからだった。みんなも聞こえているものだと思って怪訝な顔をされた。みんな相手が自分をどう思うのか分かるものだと思っていた。友だちのこころが次第に嫌悪に変わったのをよく覚えている。苦しかった。みんなはこの苦しみも聞こえていないのだと思うと余計に苦しかった。いま、わたしはその子たちと同じ事を、たった一人のあなたにしてしまった。思い出されるのは楽しいことばかり。夏には屋台の焼きそばを分け合い花火を見た。泊りがけで冬の澄んだ夜空に流星群をみた。お互いの親同士も仲が良く、キャンプ場に行ったこともある。お泊り会だって何回もした。いっしょのベッドでふれる腕の温かさに眠る夜の心地よさは、わたしが心を読めるからというだけではなかったハズなのに。

 こぼれる涙の熱さで頬はやけどしそうになるけれど、それでも言葉は何も出てこなかった。どうしてあなたは、こんなわたしを前に、わたしと同じことを思い出しているの、どうして。

 とても長いあいだ、わたしたちは夕日の差し込む放課後の教室で、じっと見つめあっていた。わたしの赤い眼を見るあなたの眼も燃えるようで怖いのに、やっぱりあなたは――。気が付けば長くのびた影は重なり合って、しょっぱい涙の味はあまくて苦くて、鉄の味がした。「ゆるしてね、ごめんね」とあなたは謝るけれど、まるでわたしのことみたいに、ことばの出ないわたしの代わりに言ってくれているようで、ふと母さんのことを思い出した。保育園で友達のクレヨンを折ってしまったとき、謝り方を知らなかったわたしの代わりに友達に謝ってくれた。友達のお母さんにも。あなたのお母さんにも。

「好きよ、これまでも、これからも」

「不公平だわ。あなただけ私の気持ちが分かるなんて」

「違うの、ちがうのよ。わたしがあなたを好きなのよ。これがわたしの気持ちなのよ。言わなきゃ伝わらないって、でも怖かった。言ってしまえば、ただの言葉になってしまう。ただの音になってしまう。こころを直に感じられないのは、温度を色に変えて見るだけみたいに冷たい感じがして、こわかったの。まるで重なる肌のあたたかさをわたしだけが知っているみたいで、まるでわたしだけが痛くてみんなは痛がっているだけみたいな……」

「……震えてる。また噛んであげようか」

机越しのチョコレートみたいな痛みを受け止めきれず、思わず仰け反ろうとしたのを汗ばんだ腕に力強く抱き留められて、またあなたの気持ちを感じるだけなんてできなかった。そっとあなたの頬にふれた指はまだ震えていたけれど、あなたはわたしを感じているみたいに腕を緩めて、普段よりもっといたずらな笑みで「どうぞ」と濡れたくちびるだけを動かした。

 盲目の人は赤色が何色か知らない。聞こえない耳の代わりにスピーカーの振動を手で感じてもベートーベンの旋律を耳で聴くのとはちがう。こころを感じられない人が言葉や行動からがんばって想像したこころも、ほんとうのこころとは全然ちがう。

 それならわたしはこころが分かって、何かしてあげられた? 今だってむこうから来るのを待っていた。みんなはほんとうのこころを知らないけれど、わたしはみんながこころを感じられないことを、どこまでわかったつもりでいた? わたしはことばでしか気持ちを感じられないあなたにどれだけ声を掛けられていただろうか。行動や表情から読み取れることしか知らないあなたに、どれだけわたしのこころを伝えられただろうか。

「わたし、ズルしてた」

「そうよ、あなたはズルいのよ」

「わたしも噛んでいい?」

「ダメと言ったら、してくれないの?」

「わたしのウチに来てくれるなら」

「……ホントにズルいのね」

帰り道、並んで歩く商店街はもうどこも閉まっていて、西の山は夕陽で輪郭だけが燃え上がるように照らされていた。


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