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今回の夜会の為に、アニタは王都に住む叔父夫婦の世話になっている。なかなか子宝に恵まれなかった夫妻は、我が子が生まれるまでアニタの事をとても可愛がってくれていた。もちろんそれは今も続いており、アニタとしても叔父夫婦は第二の親の様であり、ようやく生まれた一人娘のパティはアニタにとって妹に等しい存在だ。
「おねえさまはいつごろかえるの?」
同じソファに腰を掛けた状態で、パティが半分以上アニタの膝の上に身を乗り出してそう尋ねてくる。今年五歳になったばかりの従姉妹はとても可愛らしく、アニタはパティの頭を撫でてやりながら考え込んだ。
当初の予定としては長期で滞在するつもりでいた。せっかくの王都だ、できる限り人脈を広げておきたい。領地の特産品を広めるための動きはまだ何一つ進んでおらず、せめて少しでも手応えを得て帰るのが今一番の目標だ。
「おじさまもおばさまもずっとお出かけなんでしょう? だったらおねえさまもずっとこっちにいたらいいとおもうの!」
アニタの父は現在販路拡大の為に隣国へ出ている。母が代理として領内を見つつ、やはりこちらも販路をどうにか広げるためにと常に出ており忙しい。せめてその手伝いになればと、夜会への参加ついでにアニタも王都で人脈を、と来ているのだが、パティにはその辺りの事情はまだ理解ができていない。
単純に遊び相手がいなくなるのが寂しいのだろう。なので、アニタが少しでも領地へ帰る素振りを見せるとすぐにこうしてしがみついてくるのだ。
うちの従姉妹が可愛い、とアニタはたまらなくなるが、それと同時にどうして自分が早々に帰りたいと思っている事がバレているのかと驚いてもしまう。子どもの勘の良さ、にしても良すぎではないだろうか。それとも自分があまりにも筒抜けすぎなのだろうかと不安になってしまう。
そういえば侯爵様にも色々筒抜けていたしな、とふと赤毛の騎士を思い出し、アニタは慌ててその姿を頭の中から消す。
当初の予定を無くして領地へ帰ろうか、との考えに至ってしまったのは彼が原因に他ならない。これ以上巻き込まない様にすると言ったあの言葉に嘘はないだろうし、アニタとしても本当に、心の底から巻き込まれるのは遠慮したい。つい、その場の空気に流されて何か手伝える事はないかと口にしてしまったが、二日ほど過ぎて落ち着いた今となっては赤面物の発言でしかない。
自分ごときで何が出来るというのか。あとそもそもからして、あの与太話を本気で信じているというのか。
ない、ないわあ、とアニタは自嘲の笑みを浮かべる。「おねえさま?」とパティが不思議そうに見上げてくるのに、アニタはなんでもないわと笑って誤魔化した。
「ちょっと予定を早めて帰ろうかなとは思うけど、でももう少しだけパティの所にいさせて? まだこっちで色々勉強したいことがあるの」
「うん、いいわよ! パティもおねえさまといっしょにおべんきょうする!」
アニタの領地はなにしろ田舎の方なので、都会の流行とはだいぶ遅れている。今何が人気なのか。それを知るのもアニタにとっては必要であり、その為に王都の街を見て回るのは重要項目の一つで、そうやって街中へ出るアニタに付いて回るのがパティの楽しみになっている。
「ほんとうにぃ~? 遊びに行くんじゃないわよ~?」
「ほんとうに! おべんきょうするんだから!!」
小さなパティの身体を膝の上に完全に乗せ、まるで子犬にでもする様に髪の毛をワシャワシャと掻き混ぜれば、途端に楽しそうな声が膝の上からあがる。
そんな昼すぎの穏やかな時間は、しかし一通の封書によってあえなく霧散してしまった。
叔母が血相を変えてアニタとパティがいる部屋へ入ってくる。その手にあるのはアニタへ宛てられた封書であり、それ自体は別に珍しくもなんともない。アニタがこの屋敷に長期滞在する時はこちら宛てに送ってもらう様にしているので、今回もそれだとばかり思っていたが、それにしては叔母の様子がおかしすぎる。
不思議そうにしているパティを隣に、アニタは封書を受け取った。そして唐突に嫌な予感に襲われる。あ、これなんか絶対よくない感じがする、とクラリとした目眩を感じつつ、それでも見ないわけにはいかないと裏を返せば予感的中。
封蝋に刻まれたのは、アニタですら知っている王家の紋章で。うっそでしょ、と飛び出そうになった言葉をどうにか飲み込んで、アニタは恐る恐ると封を切る。じっと見詰めてくる叔母の視線が不安の一色でしかない。それはそうだろう、預かっている大事な義兄夫婦の娘宛に王家からの封書である。何事かと身構えるのも当然だ。
巻き込まない様にする、とあれだけはっきり口にしていたのだから、きっとこれは侯爵関連ではないはず、と思いたい。が、しかし彼以外に王家を通じてアニタ宛てに手紙を送ってくる様な人物は他にはいない。
なんだろう、これ、やっぱり手伝って欲しいことができたとかそういうのかな……その場合断るって選択肢あるのかな……
グルグルと思考が空回る。封は開け、中身は取り出したが恐ろしすぎて文書に目を通す事ができない。
「アニタ……?」
「おねえさま?」
固まったまま動かないアニタに不安げな、そして不思議がる二つの声がかかる。その声にアニタは覚悟を決めた。どれだけ目を反らしていても、現物が手の中にある以上無視などできるはずもない。もしかしたら改めての詫び状とかそういったものかもしれないじゃない、とアニタは一縷の希望を抱いて二つに折られた便箋を開いた。
「アニタ……アニタどうしたの?」
「おねえさまお顔がわるいわ? だいじょうぶ?」
心配してくれる叔母とパティの声が今のアニタには遠くに聞こえる。
侯爵からの詫び状ではなかった。それどころか侯爵からですらない。
それはまさかの、王太子の婚約者であるケイトリンからの茶会の招待であった。