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 人生とはままならない。

 たいした年月を生きたわけでもないけれど、アニタはそう思わずにはいられない。

 ロニーからの突然の婚約破棄。この問題をどうにか自力で解決しようとしていたはずが、何故かとんでもない形で収束してしまった。

 いやだから本当にどうしてこうなった、とアニタは揺れる馬車の中で半分以上意識を飛ばしていた。






 叔父夫婦の帰りは何の妨害かと泣きたくなるほどに延びに延びた。パティの発熱が治まってようやく帰路に着こうとすれば今度は突然の嵐が襲い、道中に架かっている橋が濁流に流された。馬車で移動するにはその橋を通るしかなく、それにより叔父夫婦の帰宅が延びてしまったのだ。大きく迂回すれば馬車が通過できる道もあるそうだが、病み上がりの幼子がいる状態で無理はさせられない。アニタは不安に押し潰されそうになりながらも、叔父夫婦にはいっそ旅行だと思ってゆっくりしてきてはどうかと手紙を書いた。

 そうやってマレーナと二人どうにもできない苛立ちと不安の日々を過ごしていた六日目の朝、シンシアから是非とも話したい事があるとウィッキンズの屋敷への招待状が届く。

 何事かと翌日迎えに来た馬車に乗り訪問すれば、そこにはシンシアの他にもう一人見慣れぬ令嬢がおり、アニタにとっては三度目になる突然号泣されるという目に遭った。


 令嬢の名はミーサ・バーバラ。王都で長年宝石商を営んでおり、顧客の中には件のダイアナもおり、さらには上客であるそうだ。あ、なるほど彼女はダイアナの取り巻きの一人、と理解はしたものの、では何故そんな人物がシンシアと共にいるのかが分からない。さらにはどうしてこんなにも号泣しているのか。

 失礼にならない様気を付けながらアニタは令嬢の顔を見る。そう言えば見覚えがあるような、と懸命に己の記憶を遡れば、しばらくしてようやく思い出した。


「あの時の!」


 はい、といまだ嗚咽を漏らしながら令嬢――ミーサはこくりと頷く。シンシアのドレスを汚そうとして、間違ってアニタにグラスの中身をかけてしまった彼女。あの時もこちらが気の毒になるくらい驚きと後悔に満ちた顔をしていたので、そこまで悪い人では無いのだろうと思っていたが、どうやらそれは当たっていたようだ。アニタに泣きながら謝罪を繰り返すので、シンシアと二人がかりで宥め落ち着かせるのに結構な時間が掛かってしまった。


「色々とご事情もあったのでしょうから、どうかお気になさらないでください」


 ようやく落ち着いた頃にアニタは改めてそうミーサに伝える。

 お得意様の伯爵家のご令嬢相手に逆らえるはずも無い。ましてや彼女の威圧感は傍目からみても中々に凄かった。あれに意見するなどアニタだってきっとできない。だからミーサがした事も、まあ、仕方がなかったのだ。

 これで解決、終わりにしましょう、とニコリと微笑みかければ、ミーサも同じ様に笑みを浮かべた。


「アニタ様は本当にお優しいですね……だからこそ、エヴァンデル侯爵もあれ程心をお寄せになっているんだと思います」


 シンシアが普段から愛飲しているという紅茶をまさに口にしようとした瞬間の、不意打ち且つ強烈すぎる言葉にアニタは危うく吹き出しかけた。神の温情でもあったのか、奇蹟的にも琥珀色の飛沫が舞う惨劇は免れたが、アニタの受けた衝撃は計り知れない。


「えっ……え!?」


 何故この流れで侯爵の名前が出てくるのか。驚き固まるアニタに、ミーサはどこかうっとりとする様な眼差しを向けてさらなる爆弾を投げ付けた。


「ハイネン伯爵家の夜会にエヴァンデル侯爵も参加なさっていたんです」

「ハイネン伯爵夫人はダイアナの遠縁の方なの。ダイアナの事はもちろん、エリナの事も可愛がっていて……だから、その夜会にはエリナとお相手も参加していたそうなのだけど」


 お相手、とはもちろんロニーの事だろう。こちらからの連絡は全て無視しておきながら、優雅に夜会に参加とは、と怒りは湧くが今はそれ以上に気になる点が大きすぎる。

 会話の流れからいっても導き出される答えは一つしかないのだが、アニタはそれを怖くて聞きたくない。つい反射的にイヤイヤと首を横に振ってしまうが、今もうっとりとしたままのミーサが一切合切容赦なく切り捨てる。


「アニタ様の不名誉な噂を流している二人を、エヴァンデル侯爵がその場で糾弾なさったんです!!」


――バレたあああああっ!!


 飛び出そうになったその叫びを、アニタは死に物狂いで飲み込んだ。          

どれだけ動揺を押し隠そうとしてもアニタの身体がガタガタと目に見えて震えている。そんなアニタの様子に気付く事なく、ミーサは次から次に恐ろしい事実を突きつけていく。


「アニタ様のあの勇姿が忘れられなかったんです。きっと初めてお会いしたであろうシンシア様を颯爽と庇って……それだけではないです、あの場でわたしを責めることだって、いいえ、騒ぎを大きくすることだってできたのに、それすらなさらず穏便に済む様にと……」

「……そこまでお褒めいただくようなものではなく……」


 さっさと逃げようとしたのはとにかくダイアナが恐ろしかったからだ。目を付けられでもしたら面倒、とできるかぎりの速度で逃げた。結局それは全くの無駄であったわけだが。


「シンシア様にとってはもちろんですが、わたしにとってもアニタ様は恩人なんです。そんな貴女が、謂われの無い誹謗中傷を受けているのが悲しくて……そしてそれをどうにもできない自分の非力さが悔しくて……」

「そのお気持ちだけで充分です! 本当に! わたしにはもったいないくらい!!」

「あの噂の原因はわたしがアニタ様のドレスを汚した時のものですから、だから、わたし、畏れながらもエヴァンデル侯爵に訴え出たんです!」


 あーっ!! とアニタは叫んだ。心の中で。なんてことをー!! と思う気持ちも呼吸と共に飲み込む。彼女は丸っと全部善意でそうしてくれたのだ。アニタだって立場が違えば同じ事をしていたと思うので、ここは全身全霊で耐えるしかない。


「……でも、それでは、ダイアナ様との仲が拗れてしまったりはしませんか?」


 ミーサの取った行動はアニタの名誉を回復させる為のものではあるが、それは逆にエリナとロニーを追い詰め、そしてエリナの親友であるというダイアナにとっては許しがたい離反行為ではないのだろうか。それにより今後ミーサが酷い事になるのではないか。それがアニタは心配でならない。

 けれどミーサはさらに笑みを深める。


「もういいんです。家のため、だなんて言い訳をしていましたけど、結局はわたしが萎縮して嫌々従っていただけなんですから。だから、アニタ様に勇気を貰って行動できたのがわたしはとても嬉しくて。あ、両親にもきちんと話をしました。そうしたら、これまでダイアナの言う通りにシンシア様や……他のご令嬢に嫌がらせをしていたことを怒られましたけど、今回の件についてはよくやったと褒められたんです!」

「アニタの為に勇気を出したミーサに私もとても感動したの……これからは出来る限り私も支えていくわね」


 それはつまりはウィッキンズ伯爵家がミーサの実家に付くという事だ。ならば一安心かとアニタはホッと息を吐く。


「ヒューベルト様もお助けくださるそうだから、ミーサのご実家も安泰ね」

「はい、これ程心強いこともありません!」


 その安心も即座に吹き飛ばされたが。

 ゴハッ、と咽せるアニタにミーサとシンシアの波状攻撃が繰り出される。


「アニタは知っていて? ヒューベルト様ったら王宮でも屈指の夜会嫌いなのよ。どれだけ誘われても原則お断りするの」

「そんな侯爵様が、アニタ様の話を聞いた途端すぐに予定をお調べになって、エリナ達が参加する夜会に姿を見せたんですよ! わたしもその場にいたんですけど、もう……本当にすごかったんです!!」

「アニタが傷付けられている事にどうしても我慢できなかったんでしょうね……ええ、その気持ちは私も良く分かるわ……大切な友人が、愛する人がそんな状況だと知ってはいてもたってもいられないもの」


 きゃあ、とミーサが一際高い声を上げる。


「やっぱりそうなんですね!? うわぁ……素敵……」


 誤解が増えた。この場合は仕方がないかもしれない。何しろシンシアの言い方がすこぶる不味い。これで誤解するなと言うのが無理な話だ。


「いえ……あの……侯爵様は正義の方なので……純然たる善意で動いてくださっているだけで……」


 それでもアニタは否定をする。だって本当に、二人が考えている様な秘められた恋だとかなんだとか、そういった甘ったるい感情は欠片も存在していないのだ、二人の間には。


「あの時の侯爵様のお姿をアニタ様にも見ていただきたかったです……まるで物語の主役の様でしたよ!!」


 それを直接目にできた者の責務だから、とでも言わんばかりにそこからミーサは怒濤の勢いで話し始めた。




 いかにエヴァンデル侯爵がアニタを愛しく思っているかという話を。                                                              

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