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急ぎ用意したお茶の席。マレーナが買ってきてくれたナッツたっぷりのクッキーはアニタが大好きな物だ。淹れてくれた紅茶もこの家で一番のお高い一品である。伯爵令嬢であるシンシアが普段飲んでいる茶葉と比べれば到底足元には及ばないかもしれないが、それでも出来る限りの品でもてなそうという心意気。しかし今はそれどころではない。
お互い向かい合ってソファに座っているが、シンシアはずっと涙を零している。その横ではマレーナがシンシアの背を優しく撫でながら慰めつつ、アニタに対しては「今すぐあのド屑に絶縁状を叩きつけてやりましょう!!」と息巻いてくる。えええ、とアニタは困惑するしかない。
なんだろう、これ、なんかあの夜の侯爵様との時みたい、と若干遠のきそうになる意識の中そんな事を考えていると、ようやく気が落ち着いたのかシンシアが小さな声で「ありがとう」とマレーナに笑みを向ける。
お互い初対面のはずなのになんだかとても親密だ。
「……シンシア様はマレーナのことを前からご存知だったんですか?」
「いいえ、今日が初めてよ」
え、とアニタは驚くが、すかさずマレーナが口を開く。
「マルタンでたまたまお会いしたんです」
「ああ、マルタンはたしかシンシア様の所の」
ウィッキンズ家は王室御用達の乳製品を持っている。マルタンはそれを取り扱う事のできる王都でも有名な老舗の菓子工房だ。富裕層が主な客ではあるけれど、庶民にも手が届きやすい菓子が数多くある。マレーナが買ってきてくれたナッツ入りのクッキーもその店の人気商品の一つだ。
「新しい商品ができたから、それの試食に招かれていて……ああそうだわ、これがそうなのだけれど、アニタもよかったら食べて感想を訊かせてくださらない?」
「え!? よろしいんですか!?」
小さな白い箱を差し出されアニタはパァッと顔を輝かせる。マルタンの新商品、しかもまだ店頭には出ていない物を試食できるだなんて喜びしかない。形だけでも遠慮してみせるのがマナーであるのかもしれないが、アニタは素直に受け取りいそいそと中身を開く、寸前、いやそうではなくてと我に返った。
「どうしたの? 中身はチーズをふんだんに使ってフワフワ柔らかにこだわった一口サイズのケーキよ。アニタはあまり好きではないかしら?」
「大好きです大好物ですありがとうございますシンシア様! なのでこちらは後でじっくり時間をかけていただきます」
今すぐ食べて味わいたいのは山々なれど、それよりも話を聞くのが先であるとアニタは己の欲望を必死に堪える。
「マルタンでマレーナとご一緒になって、それでここへ……?」
「そう! そうなんですお嬢様! 私が思わずド屑に殴りかかりそうになった所を止めていただいてですね」
「待って。うん、待ってマレーナ」
突如溢れる情報の暴力にアニタは思わず真顔で突っ込む。
「ド屑ってロニーよね? ロニーのことよね!?」
「あの男以外にド屑なんていませんよ!」
「概ね同意なんだけど、ってそうじゃなくて! え? ロニーがマルタンにいたの? そしてマレーナはどうして殴りかかりそうになってたの!?」
慌てふためくアニタに、さらに追い撃ちといわんばかりに再びシンシアが涙を零す。
「シンシア様!?」
「ご……ごめんなさいアニタ……私のせいで貴女がこんな目に……!」
「え!? なにがです!? どうされたんですかシンシア様!?」
「エリナ・オールソンの相手が貴女の婚約者の方だと知らなかったの! 本当にごめんなさいアニタ!!」
「シンシア様はなにも悪くありませんよ! 悪いのは丸っと全部あのド屑のロニー・マグレガーです!! ね、お嬢様!」
「え……うん……そう、なんだけど」
初めて耳にするエリナ・オールソンとは一体誰なのか。アニタにはさっぱり分からないが、すぐに尋ねるには場の空気が乱れっぱなしだ。それになによりもシンシアを泣き止ませるのが先だろうと、アニタはひとまずハンカチをそっと差し出した。
「……ありがとうアニタ……」
美人は泣いていても美しいな、と軽く現実逃避にアニタはそんな事を思ってしまう。そういえば侯爵様も号泣していたけれどもあの美形っぷりは揺るいでなかったなあと、余計な記憶も蘇るが、それは首を横に振って頭の片隅に押し込める。
「お嬢様だけでなく、シンシア様までこんなに傷付けるなんて本当にあのド屑の屑っぷりが酷すぎます! 私やっぱり今からマグレガー家に行って」
「うん、その前にまず話を聞かせてもらっていいかしらマレーナ! マルタンにロニーが居たのは分かったけど、なにがそんなにあなたを怒らせているの?」
「あのド屑、自分の事なんて完全に棚に上げてお嬢様の事をばい……とてつもなく侮辱する言葉を大声で話していたんです!」
マレーナは言い止まってくれたがまあ「売女」呼ばわりされたのだろう。はは、とアニタの口からは乾いた笑いしか出ない。
「今時売女って」
「お嬢様そこじゃないです」
「そうね」
たしかに突っ込む点はそこではない。アニタは力強く頷く。
「ってことはなに? まさかロニーはわたしに送りつけてきた手紙と同じ様なことをマルタンの店内でも言っていたってこと!?」
マルタンは商品の並んだ奥にカフェエリアが存在する。流石にそこは貴族などの身分のある人間しか利用できないようになっているが、まさかそんな場所で醜聞でしかない話をしていたのかと、アニタは怒りと同時に呆れ果ててしまう。




