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淑女達のお茶会に乱入するなど紳士のする事では無い。しかしこれは緊急事態であるのでやむなしというところか。
ヒューベルトの登場にアニタは卒倒しそうだし、シンシアはまあ、と驚きに目を丸くしている。そんな中ケイトリンだけがたいして驚いた素振りもなくヒューベルトに非難の眼差しを向ける。
「ヒューったら顔も声も怖いわ。それにノックも無しに入ってくるなんて失礼よ」
「それは後で気の済むまで詫びを入れる……が、今はそれよりも」
「そんなにアニタに会いたかったのね?」
「ケイト、それだ」
そう、それ、とアニタも激しい目眩を感じながらも頷いた。とにもかくにも今もこの瞬間続いているケイトリンの誤解をなんとしても解かねばならない。
「俺とダルトン嬢は」
「ヒューとアニタはとってもお似合いだと思うわ!」
ケイト、とヒューベルトの声が一音低くなる。ケイトリンはそこでようやく口を噤んだ。表情が「しまった」と後悔しているのは、彼がこういった声音の時によく叱られていたからだ。
「人の話は最後まで聞く様にと、昔から言っているだろう?」
案の定のお説教にケイトリンは小さく「ごめんなさい」と声を漏らす。
「俺とダルトン嬢はケイトが思っている様な間柄ではないから。あまり先走った事を口にするんじゃない」
「そう。そうですよケイトリン様。勘違いしていただいたのは身に余る光栄ですが、それはあくまで勘違いです。全力で、渾身の、これっぽちも可能性のない勘違いなんです」
アニタは必死だ。かなり失礼な事を口走っている自覚はあるが、それに構っている余裕など今はない。とにかくケイトリンの誤解を解き、その後できれば早急にこの場から立ち去りたい。
「そうなの……?」
しょんぼり、と大層残念そうな顔でケイトリンはアニタとヒューベルトを見比べる。二人は同時に力強く頷いた。
「でも、それではどうしてヒューベルト様はアニタのハンカチを今も大事に持ってらっしゃるの?」
思わぬ伏兵はシンシアだった。ぎょ、とした顔でシンシアを見るヒューベルト、それだわ! と途端に顔を明るくするケイトリン、うわーっ!! と叫びそうになるのを必死に堪えるアニタ、と場はちょっとした地獄絵図だ。
「それは……!」
ヒューベルトが言い淀む。それはそうだろう、アニタという異物と出会えた喜びに感極まって号泣してしまったから、などと言えるはずもない。かといって即座に別の言い訳が浮かぶ程彼も落ち着いているわけではない様で、動揺しているのが嫌でも伝わってくる。思わずアニタはチラリとヒューベルトを盗み見る。するとタイミング良くというかこの場合悪くと言うべきかでバチリと重なってしまった。慌てて視線を反らすが、これまた最悪の誤解を招く結果にしかならない。
あら、とシンシアの喜色に富んだ声がそれを物語り、ケイトリンはまるで自分の事の様に頬を赤く染めて口元を両手で隠している。
「いや……違う、そうじゃないから」
ヒューベルトは否定するが、ほんのりと目元が赤くなっている状態では説得力など皆無だ。 付き合い始めたばかりの初々しい二人が照れてムキになって否定している。又は、お互い両片思いで、今日初めて相手の気持ちを知った、とでも思われているのか。ケイトリンとシンシアが向けてくる視線はそういった手合いの、恋人同士を見守る友人の色がとても強い。 これは一体どうしたらいいのか、どうすればこの場を治める事ができるのだろうかと、アニタも懸命に考えるが悲しいかな何一つ浮かんではこない。
「ねえ、ヒュー……わたくしとても嬉しいの、貴方にもやっと心を預けたくなる相手ができたということが」
「だからケイト、それは違うと」
「もう観念なさったらヒューベルト様。今もそうして、アニタから貰ったハンカチを大切に胸ポケットに忍ばせていらっしゃるのに。いくら照れ隠しでも、あまりに否定なさるとアニタが可哀相です」
「いえ……お気遣いなく……」
シンシアの追撃にアニタは力なくもなんとか否定の言葉を口にする。ああもうこれ駄目かも、と半ば遠のく意識の中、ポン! と大事な事を思い出した。
「――そう、あの、そうです、わたし、一応婚約者がいますので!! だからエヴァンデル侯とはそういった関係では! ないのです!!」
この瞬間まで綺麗さっぱり忘れていた婚約者様ではあるけれど。最早婚約解消が秒読みなのではなかろうか、と思われる程の付き合いでしかないけれど。それでもまだ辛うじて現状はアニタの婚約者であるロニー・マグレガーの存在を今こそ使うしかない。
どうやら三人はアニタに婚約者がいた事は知らなかった様だ。驚きの空気に室内が満ちる。よしよしこれで流石に誤解は、とアニタが一安心したのも束の間、新たな地獄が待っていた。
「まあ……まあ、どうしましょう! ごめんなさいねアニタ、貴女に婚約者がいただなんてわたくし知らなくて……ええでもそうよね、アニタの年齢ならいてもおかしくなかったのに、ちっともその事に考えが至らなかったわ」
「いえ、あの、わたしもこんな感じなので、そう思われても当然です」
「この事は他の誰とも話したりはしていないから安心してね? ああっ、けれど貴女と婚約者の方にはとても不愉快で失礼な話よね……」
ケイトリンは目に見えて狼狽えている。先程まで興奮で赤らんでいた頬が今は真っ青になっており、なにもそこまで、とアニタは口を開こうとした。
「それにヒュー! わたくし貴方にもとても酷い事をしてしまったわ! 本当にごめんなさい!! 貴方の秘めた思いをアニタに直接伝えるだなんて……!」
それよりも先にケイトリンからとんでもない暴投が飛んできた。不意打ち、且つ急所への直撃でも喰らったかの様な衝撃に、アニタは口からごふっと空気の固まりを吐き出す。
「アニタにも重ねてお詫びをするわ……本当にごめんなさい」
誤解がさらにとんでもない誤解を招いている。何か言わねばならないと思うのに、アニタの思考は空回るばかりで。なんとか救いを求めて赤毛の騎士様にもう一度視線向けるが、彼はどこまでも遠い目をして立ち尽くしていた。
「――俺の事は、まあ、どうでもいい」
ヒューベルトは諦めたらしい。これ以上余計な事を言って事態が悪化するくらいなら、自分の片思いである、と誤解されたままの道を選んだ様だ。捨て身がすぎやしませんか、とアニタは思わずそう突っ込みたくなったが、かといって他に上手い策が浮かぶわけでもなく、ただただ申し訳ない気持ちを胸にこの場の流れに身を任せる。
「それより、とんだ茶番に巻き込んでしまって申し訳ないダルトン嬢」
「お……お気遣い、なく」
最早それ以外に返す言葉が出てこない。こんな小娘相手に片思い――しかも、婚約者がいる相手に、という横恋慕だ。ヒューベルトにとっては不名誉でしかないだろうに、彼は身を挺してアニタをこの茶番の席から連れ出そうとしてくれている。まあ、彼がいまだにアニタが貸したハンカチを大切にしており、あげくそれを持ち歩いているのがそもそもの原因ではあるのだが。
しかしそれも仕方がないだろうとアニタはどうにか自分を納得させる。あの話がある以上、彼が心の拠り所にしていた事にどうしても強くは責める事ができない。
「ケイトはそろそろ時間だろう? シンシアも」
ヒューベルトの言葉に二人はハッとなってアニタを見る。
「そうだわ……ごめんなさいねアニタ、わたくしたちこれからドレスの試着があるの」
「もしかして王太子様との結婚式のですか?」
「ええ」
「わ、それは素敵ですね! ケイトリン様のドレスとても楽しみです!!」
わたしのことはお気になさらず、とアニタは心の底からそう口にした。それにケイトリンは「ありがとう」と嬉しそうに笑みを返す。
「こんなバタバタしたお茶会になってごめんなさい。そして貴女と婚約者の方に本当に失礼な誤解をしていてごめんなさいね」
「私も謝罪するわアニタ」
「いえいえいえいえ、ケイトリン様とシンシア様の誤解が解けたのならそれで充分です」
「これだけ失礼な事をした上で、ではあるのだけれど……またお茶会に誘ってもいいかしら?」
「はい、またお会いできる日を楽しみにしています」
これも心からの言葉だ。アニタにとっては色々と恐怖や打算から始まった茶会ではあったけれど、この二人と過ごした時間は純粋に楽しくもあった。本来なら距離を取った方がいい相手だと頭で理解はしているが、それでも「癒やしの聖女」の肩書が外れたケイトリンの楽しそうな姿が、それを見て喜んでいるシンシアの姿が、アニタはどうしても忘れられない。そんな二人の役に立てるのであれば、少しくらい付き合ってもいいと思った。




