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 幸いケイトリンは何とも思わなかったようだ。シンシアも笑みを浮かべたままなので、アニタの悲鳴は聞こえなかったのだと思いたい。


「そんなに驚かないでアニタ。ええと……その、ね、無理に答えなくてもいいの! だから一つだけ尋ねてもいいかしら!?」


 無情かな、やはり悲鳴は聞こえていたらしい。それを流してまで、ケイトリンはどうやら訊きたい事があるそうで。

 なんだかとてつもなく嫌な予感に襲われ、つい「駄目です」と答えそうになるが、相手はなにしろ王太子の婚約者。さらには件の人物の幼馴染みでもある。拒否などできるはずも無く、しかし「どうぞ」と返す心の余裕はアニタには無い。チラリと視線を動かしシンシアに助けを求めてみるが、彼女もまたケイトリンと同じ立場でアニタの答えを楽しみにしている様だ。詰んだ、とアニタは天を仰ぐ。そこにケイトリンからとんでもない質問が飛んできた。


「アニタは、ヒューとお付き合いしているのかしら!?」


 ブハッ、と吹き出さなかったのは奇跡である。しかし盛大に身体は揺れてしまった。見事なまでに動揺するアニタの姿は、ケイトリンとシンシアの目にはどう映っただろうか。


「……やっぱりそうなの!?」


 ケイトリンがグ、と前のめり体勢で詰め寄ってくる。完全に誤解を招いた。これは即座に否定をしなければならないが、その気持ちばかりが急いてしまいアニタの思考は空回る一方だ。


「そうなのね!」


 ついには断定ときた。これには慌てて首を横に振る。その様子にシンシアが苦笑と共にケイトリンに声を掛けた。


「あまり問い詰めてはだめよ」

「でも」

「二人の恋だもの、外野は静かに見守るのが筋でしょう?」


 違う、そうじゃない、とアニタはさらに首を横に振る。動かしすぎて若干気持ちが悪くなりそうだ。しかしそんなアニタを二人は微笑ましく見詰める。恥ずかしがっているのねと、とんだ勘違いだ。


「ごめんなさいねアニタ。癒やしの聖女だなんてご立派な名前で呼ばれているけれど、本当のケイトリンはこういう子なの」


 クスクスと笑うシンシアはとても嬉しそうだ。何故に、とアニタは不思議に思うが、それに構わず彼女はさらにケイトリンをからかう。


「昔から恋愛小説が大好きで、他の人のそういった話もすぐに訊きたがるのよ」

「またそうやって馬鹿にする」

「馬鹿になんてしていないわ。恋を夢見る乙女よねって言っているの」

「だからそれが馬鹿にしているのよ! ね、アニタだってそう思うでしょう?」


 突然話題を振られてもアニタは答えられない。癒やしの聖女様と伯爵令嬢、の会話にしてはあまりにも気安いというかなんというか。まるで自分と友人の会話の雰囲気の様だとアニタは驚く。


「ほら、貴女があんまりにも素を出しているからアニタが驚いているわ」


 うう、とケイトリンは軽く俯くと、気を落ち着かせるためにかティーカップに手を伸ばした。一口含み、ふう、と溜め息を一つ。そうしてゆっくりとアニタに視線を向ける。


「呆れちゃった……?」


 何故に、と飛び出かけた言葉をアニタは飲み込む。言葉遣いが不敬であるとか、自分ごときに呆れられようとなんともなくないですか、だとか、そもそも呆れる様なことではないでしょう? という気持ちからだったが、ここでアニタは気が付いた。先程シンシアがとても嬉しそうにしていた理由が分かった、ような、気がしたから。


 癒やしの聖女だの王太子の婚約者だのと言った立場に追いやられ、それに相応しい態度でいなければならない彼女が、素を出せている。それがきっとシンシアは嬉しかったのだろう。

「呆れたりなんてしていません。それどころか……ええと、あの、失礼になるかもですが、なんだかケイトリン様がとても身近に感じられて嬉しいなって思いました」


 だからアニタも素直に思いを伝える。恋の話で楽しそうにしているケイトリンの姿は、彼女に纏わり付くご大層な立場が消えた、ごく普通の、自分とそう変わりのない一人の人間でしかない。勝手ながらに年の近い友人の様にさえ思えてしまう。

 アニタのその言葉にケイトリンは目に見えて喜びを露わにする。心の底から嬉しいのだろう、まさに輝かんばかりの笑顔を浮かべて小さく胸の前で両手を叩く。


「本当に!? そう言ってもらえてとても嬉しいわ! あのねアニタ、わたくし、あなたとお友達になりたいの!」


 突然ありがたくも恐れ多いお強請りが豪速球で飛んできた。アニタは軽く仰け反る。その反応に自分が先走ってしまった事に気が付いたケイトリンは慌てて謝罪をする。


「ああっ! ごめんなさいアニタ! そうじゃなくって、いえ違わないんだけど!」

「落ち着いてケイト、貴女が混乱しているとアニタはさらに困ってしまうわ」


 そう宥めるシンシアも、しかし若干興奮しているのか瞳がキラキラとしている。これは間違いなく「じゃあ私ともお友達に」という流れがくるのは間違いない。

 嬉しいと思う。光景だとも。ただあまりにもこう、色々と圧と勢いが強すぎる。


「……わた、し、でよろしければ……ぜひ……」

「本当!? わたくしとお友達になってくださる!?」

「じゃあ私も」

「その前に! お尋ねしたいことがあるんですが!」

「なにかしら? なんでも尋ねて!」


 にこにこと笑みを浮かべるケイトリンは可愛らしく、その隣でこれまた嬉しそうにしているシンシアは美しい。この中に自分が混ざるのかと思うと軽く目眩が起きそうだ。しかしおそらくこれはもう逃れられないのだとアニタは腹を括る。ここで仮に断ったとして、気を悪くする様な二人では無いだろう。だが、それでこの二人、というか、ケイトリンとの関わりが途絶えるかが分からない。今日だってなんだかよく分からない不可視の力でも働いたかの様に引き合わされたのだ。ここで逃げたとて、次が無いとは言い切れない。

 だったら少しでも友好的に繋がっておくのが得策だろう。友人に、だなんて、身分の低いこちら側からしたら有り難い事この上ない申し出だ。さらにはシンシアとも繋がりができる。これはアニタが一番目標としていたのだから喜びこそすれ、断る選択肢は存在しない。

 ただ、それらを念頭に置いたとしてもつい二の足を踏むのはただ一つ。


「ケイトリン様が、わたしを友人にと仰るのは……その、わたしがエヴァンデル侯とお付き合いをしていると」

「やっぱりそうなのね!?」

「いえだから違いますよ! まったくこれっぽっちもそんなことありませんからね!?」 


 この際言葉遣いは容赦してもらうしかない。恐ろしすぎる誤解を解かねばならないのだ、お上品な口調でそれを成し遂げられる程アニタは立派な淑女ではなかった。


「これっぽっちも……?」

「ええ、そうです! そもそも侯とお会いしたのだって先日の夜会が初めてでしたし!」

「でも……でもでも、ケイリュードの花はダルトン家の紋章に使われているのよね? それを刺繍したハンカチなら、アニタの物でしょう?」


 ケイリュードは白く小さな花弁を持つ、鈴蘭によく似た植物だ。鈴蘭と違い毒性は無いが花の香りも弱いので、特産品とするには今ひとつ決め手に欠けている。それでもダルトン家の領地であるコーウェズでは昔から身近にある花なので大切に育てられており、夏になると湖の周辺の群生地で見事な景色を見せてくれる。そんな領地で愛されている花は領主の紋章にも使われており、アニタが最初に覚えた刺繍の模様はこのケイリュードの花の模様だった。


「え……はい、たぶん、わたしのもので……」


 す、と最後の言葉はアニタの口から出る前に消えた。大きく目を見開いたまま固まるアニタに、ケイトリンとシンシアは揃って不思議そうな視線を向けるが、アニタはそれに気が付かない。あれだ、あの時の、侯に渡したハンカチだ、とアニタの背中にはダラダラと冷たい汗が流れ落ちる。


 迂闊だった。自ら侯爵との繋がりを残してしまっていた。その事に今更気が付いたところで手遅れで――


「そのハンカチをね! ヒューったらとても大切に、いいえ、あれはもう愛おしそうに見つめているの、毎日!」


 ぎゃあ、といっそ叫びたいアニタである。恥ずかしい。何が、かはよく分からないけれどもとにかく恥ずかしくて堪らない。瞬時に顔に熱が集まる。そんな反応をしてしまえば一体どうなるか、だなんて考えるまでも無い。


「ヒューは見ての通り格好いいし素敵でしょう? でもね、お小言が多かったり女心に鈍かったりもするの。だからこれまで全くそんな素振りがなかったから、そんなヒューにもやっとお付き合いする様な方ができたんだわって思ったら嬉しくって! しかもそれが、わたくしの親友を助けてくれたアニタだなんて」

「ですから……! それは誤解ですってば!!」

「そうなの……? まあ、そうなのね! それじゃあこれはヒューの片思い……!」


 ただでさえアニタにとっては恐ろしすぎるケイトリンの誤解が、さらにとんでもない方向に進んでしまう。最早泣きそうな勢いでアニタは首を横にブンブンと振るが、ケイトリンは年上の幼馴染みが片思いをしているという事実、という名の妄想に大はしゃぎをしている。


「アニタは今お付き合いしている方はいるのかしら? ヒューはお小言が多いけれど、でもそれはそれだけ相手を良く」

「ケイト!!」


 扉が壊れるのではないかという勢いで突然開かれた。そして響き渡る声。黒を基調とした騎士服に、炎の様な赤い髪が揺れる。黒と蒼の瞳はきつくケイトリンを睨み付けているが、わずかにその目元が朱を刺しているのは気のせいか。

 ヒューベルト・ファン・エヴァンデル侯爵の登場にアニタは椅子ごと後ろに倒れそうになった。




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