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 人間慣れない事はするものではない――アニタは後にそう語る。







 アニタ・ダルトン子爵令嬢はそもそも今日の夜会には可能な限り参加をしたくはなかった。こういった華やかな場は極力避けたいと思っているのに、それが王家主催ともなれば尚更足も気持ちも遠のく。が、王家主催だからこそ気軽に逃げるわけにもいかず、今日という日まで領地でひたすらグダグダと愚痴ばかりをこぼしていた。

 それでもどうにかこうにか参加を決めたのは、とある目的のために人脈を少しでも広げておきたいと思ったからだ。そして、一応の婚約者であるロニー・マグレガーとの親睦を深めるため。


 婚約者なのに親睦を深めるとはこれいかに、とアニタでなくとも笑ってしまうだろう。そして実際笑うしかない状況なのだから本当にもう、とアニタは乾いた笑みを浮かべるしかない。


 エスコートをしてくれるはずの婚約者様は、当日になって急な体調不良を訴えて欠席となった。いやまあそんな気はしてたけど、とアニタは一言「お大事に」とだけ使いの者へ伝え、夜会には叔父に同伴する形で参加となった。

 婚約者であるロニーもまた同じ子爵家であるが、最近の彼、というか、おそらくはアニタと婚約の話が出た辺りからずっととある伯爵家のご令嬢と親密であるらしい。らしい、と言うのは聞きたくもない噂やらなにやらと、そして悲しいかな彼の到底誠実とはいえない素行の数々からまあそうなのだろうなと推察される。

 お互い貴族の出である以上、心から通じあっての結婚がむしろ珍しいとは思うけれど。それでも少しでも心を通わせて、せめて親愛を育めるような家庭を築けていければと、そう思ってもいたのだがどうやら無理の様だ。いっそ婚約破棄でもしてくれないだろうかとアニタは願いもするが、そうなった時に非を押し付けられても困る。


 せっかくの華やかな宴の席であるというのに、一人壁際に立ちそんな事ばかりを考えているアニタはこの場においてかなり可哀相な存在であった。つい、今までは。

 ふと気付けばすぐ隣に煌びやかなご令嬢達が集まっていた。流石都会のドレスは洗練されている、と思ったのも束の間、そこから聞こえてくる話にアニタは震え上がる。


 曰く、そのドレスの色は何かしら、王太子の髪色と瞳の色を身に纏ってまるで自分が婚約者とでも言わんばかりね? などという、どこをどう聞いても難癖でしかない。あげく、そのドレスの色が相応しいのはこのばに置いてどなたかだなんて、いくら貴女でもお分かりになるでしょう? と数人が代わる代わるに一人の――緑を基調とし、青い糸で刺繍の施されたドレスに身を包んだ令嬢を吊し上げるかの様に囲んでいる。


 こっわ、とアニタはそれを真横で聞いて戦いた。会話の中身もさることながら、この様子が一見すると仲の良い友人同士で歓談しているかの様に見えるからだ。

 声を荒げず、不快感をあらわにした表情などおくびにも出さず、ただにこやかに、時折笑い声を上げたりしながらたった一人をいたぶっている。

 え、ほんとに怖い、とアニタはじりじりとその場から離れるべく壁伝いに動く。その動きに、少しばかり後方にいた、おそらくはこの場の中心人物であろう令嬢と目が合った。

 チラリとだけ一瞥され、そしてなにも見なかったかの様に視線を反らされる。自分の様な田舎者は相手にする必要など無いという事かと、本来であれば怒る場面であろうがアニタはその意に感謝した。

 だって自分も絡まれている令嬢と同じく緑のドレスに青い糸で刺繍が入っている。彼女ほどの立派な刺繍ではないけれども。

 なにはともあれお目こぼしをいただいたのだ、不当に責められている彼女には申し訳ないが、かといってこの窮地を救ってやれるような技量をアニタは持ち合わせてはいない。せめてもの償いで、友人と歓談中の叔父を急いで呼んでくる事くらいしかできない。ごめんなさい、と心の中で詫びつつ、徐々に彼女達との距離が離れる。

 ふと、その時視線が重なった。ひどく泣きそうな顔をしつつ、それでも懸命に耐えているかのご令嬢と。

 そして彼女は小さく、他の人間に気付かれない様にアニタに向けて指を動かした。


 ――はやくここから離れて


 人間不思議なもので、この瞬間まで逃げる気であったというのに、いざ目の前で我が身を犠牲にしてまで助けようとしてくれる相手がいると、はいそうですかと逃げる気にはならない。むしろ貴女をお助けしますよちょっとどうやったらいいかよく分かりませんけどね! と頭で考える前にアニタの足はずかずかと動く。令嬢達の輪に向かって。


「お……おひさしぶりです!」


 ぐい、とアニタは同じ緑のドレスの彼女の腕を引いた。それがまさかの事態を招く。

 パシャ、と飛沫の音がする。そしてじわじわと広がる冷たい感触にアニタは驚いて自分の腰元を見た。

 緑の生地の部分が不自然に濃く広がっていく。いくらなんでもここまでする!? とアニタは顔をあげるが、その先にいたのはグラスを軽く傾けたまま恐怖に身を竦めている令嬢が一人。彼女を少し避ける様に輪が広がっており、どうやらこれは彼女自身も本当にグラスの中身をかけるつもりはなかったようだ。アニタが突如現れたものだから、驚きのあまり加減ができなかったのだろう。

 それにしたって人前でそんな真似をすること事態がどうかという話だが、今はそれどころではない。相手が呆然としている内に逃げるのが最善だ。


「覚えてらっしゃいます? あ、覚えてない? ですよねわたしもそんな感じですってことですこしあちらでお話でもしませんかしましょう今すぐしましょうそうしたらわたしとあなたはこれで友人ですねやったー!」


 この場の主人であったろう令嬢が口を挟む、より先にアニタは緑のドレスの彼女を連れ立ってその場を後にした。

 ひとまず廊下へと出て、どこか部屋を借りて彼女を落ち着かせつつ自分もドレスの始末をしたい。「あの」と戸惑う声が聞こえるがなによりも安全が確保される場所へと、アニタは一目散に廊下へ続く扉を目指す。

 グン、と猛烈な力で腕を引かれたのはその時だった。


「っ、いた……!」


 思わず痛みを感じるほどの強い力。顔を顰めて振り返れば、至近距離に赤が広がっていた。そして次に飛び込んできたのは黒と蒼の二色。

 え、とアニタは絶句する。共にいたもう一人の令嬢も短く息を飲む声が聞こえたので、彼女も理解したのだろう。この目の前に立つ相手が誰であるのかを。


「――エヴァンデル侯……?」


 ポツリと呟かれたその名に、アニタはやはり間違いなく、自分の腕を掴んで離さないこの男性が、王太子とその婚約者の幼馴染みであり、国内最強の騎士と謳われるヒューベルト・ファン・エヴァンデル侯爵であるのを知る。

 いやだからってなんでそんな人がわたしの腕を掴んで!? そう狼狽えるアニタはどうにか腕を引き抜こうとするが、元より男女の力の差の前では無きに等しい抵抗だ。

 アニタは驚きに目を見開く。が、それと同じくらいに目の前の侯爵も驚いた顔をしている。互いに見つめ合った様な状態で固まることしばし。周囲のざわつく声にようやく我に返ったアニタはもう一度腕を引き抜こうとした。するとその動きに侯爵も反応する。


「こちらのご令嬢を頼む」


 近くにいた衛兵にそう声を掛けるとアニタの腕を掴んだまま歩き出す。アニタは盛大に狼狽えたまま、侯爵に連れられて足を動かすしかなかった。



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