さかいめの和菓子屋においで
橋をわたる女の子がいる。渡月橋と呼ばれる橋を。
赤い振袖を着た、数え十三の女の子だ。すっきりとした顔立ちで、和装がよく似合っているが、表情はけわしい。
女の子が不機嫌なのには、変わったわけがある。歩く女の子の後ろから、ふつうの人には見えない妖怪やゆうれいが、女の子を呼んでいたからだ。
「かなん、かなん」と。化けものたちは笑いながら、女の子の名前を呼んでいる。
女の子はたくさんの呼び声を、つんと無視して、橋をわたりきった。
古くから現代の世にまで続くならわし、十三参り。
数え十三になる子の成長を祈り、お寺から知恵や徳をさずかる晴れの日。
京都の嵐山地方では「かえりの橋をわたるまではふりかえるな」というルールがある。ふりかえれば、せっかくさずかった知恵が落ちてしまう。大人たちはいじわるで後ろから子を呼ぶ。
いじわるにもまけずに「ふりかえらず橋をわたれ」というルールを守った女の子は、知恵と徳と、それからおまけに、化けものたちにすえながく好かれる運を、菩薩さまよりいただいた。
◇◇◇
滋賀県には、四百万年の時を知るびわ湖があり、そのびわ湖を臨める旧東海道には、「月千堂」という和菓子屋がある。
月千堂は、もち菓子を中心に売っている和菓子屋で、創業百年の店だ。あとつぎは中学生の娘。
店先には三笠焼きやそばまんじゅうのほか、赤飯や、おそなえ用の丸もちが並ぶ。春先の今は、桜もちも。品数はそう多くないものの、ほかほかのもち米や餡の香りにさそわれて、今日もお客がやってくる。
和菓子屋「月千堂」のあとつぎ娘である千堂果南は、中学校からかえってくるなり、店の裏口へまわった。そしてひとり働いている、若い店員に呼びかけた。
「キリさん、ただいま。さ、なんか手伝おうか?」
「桐村」という名札をつけた角刈り頭の店員が、三白眼で果南をにらんだ。
「いいから宿題してください」
彼は、三笠の皮にあずき餡をつめている最中だった。
果南はひとつ結びのお団子ヘアーをゆらしながら、にこにこしている。強面でちょっと怒っているように見えるキリさんに、えんりょなく話しかけていく。
「キリさん、そない言わんと」
「お嬢に手伝ってもらわなくても、十分まわせます」
「でもわたし、学校で勉強して、あと百人一首やって、めっちゃ疲れてんのや。まだ宿題したくない」
「なんで学校で百人一首しているんですか」
「ぶかつ」
果南はあれこれいいながら、キリさんの手仕事を観察した。もくもくと餡をつめている。
「おかんもおとんも、配達中やろ? 人手が足らんのんちゃう?」
「足りなくても、雇われの俺が、お嬢をつかえるわけないでしょうが」
「そこをなんとか」
こうばしく焼けた三笠の皮に、色濃いあずき餡がつめられていくさまは、見るだけでおいしい。
キリさんは、三笠に餡をつめおわると「しゃあないな」といった。
「なら、届けものしてきてくれますか? 神さんたち、お嬢がいくとよろこぶし」
「やった。ほな着がえてくる」
「すぐに準備します」
レジ横のまねき猫がにんまりわらって、ふたりを見ていた。
果南は届けものの準備がおわるのを、店先で待った。
店先にいれば、きちんとならんだまんじゅうや、お菓子を買いにきたお客さんたちがよく見える。
三笠焼き、大福、そばまんじゅう、桜もち。店にならぶ和菓子たちは、練り菓子のような華やかさはないものの、洗練された美しさがある。
どら焼きとも呼ばれる三笠焼きが斜めにならんでいるのは、山々がつらなっているようだし、白いそばまんじゅうは満月のようにまるい。三笠の山にいでし月かも。
果南は店のお菓子が売れていくのを、満足そうにながめた。
「お嬢、おまたせしました」
キリさんが果南のところにやってきて、藤色のふろしきをわたした。中から甘い香りがする。
「これ頼みます。お地蔵さんたちへ届けてください。失敗した三笠の皮は、ほかのやつらに」
「『ほかのやつら』って。キリさん口わるいなぁ」
「『ほかのやつら』で十分です。お嬢も、あんまり連中と、口きかんほうがええですよ」
「はぁい」
ふろしきの結びめから、白い丸もちと、はしがこげた三笠の皮が見えている。
「わたし、皮がこげたの、大好物やねん。あまったら、もらってええ?」
「お好きに」
果南ははじけるような笑顔で、店を出た。
◇◇◇
春の気候は、散歩するのにちょうどいい。うららかな四月の日差しを浴びると、どこまでも歩ける気がしてくる。
果南はふろしきをかかえて、旧東海道の路側帯をあるいた。そして店を出てふたつめの交差点で立ちどまり、そこにいたお地蔵さまの前でしゃがむ。
「お地蔵さん。いつも見まもってくれて、ありがとうございます」
ていねいな仕草で、お地蔵さまに丸もちをそなえた。
それから果南は、道路沿いのお地蔵さまのところを全部たずねた。キリさんからあずかった丸もちを、おそなえしていく。
道すがら、電信柱の影や植木の根元といった暗いところに、こげた三笠の皮のかけらをおいた。三笠の皮は、ひとめがないときに、影に吸いこまれる。
届けものが終わったので、果南は家へ帰ろうと、Uターンした。そして、友だちがうろうろしているのに、気がついた。
「瞳子」という遠縁の親戚で、小学四年生の女の子。黒曜石のような深い黒色の目だから「瞳子」という名前がついた。
長い髪をおろしているのが好きで、いつも背を丸めていて、つまさきが内に向いている。見るからに気が弱そうな女の子。
ただし果南は瞳子と目を合わせるのが苦手だ。はじめて深い黒目を見たとたん、背筋がぞわぞわした。ひとじゃないと気がついた。
果南はすこしためらったあと、瞳子に近づいた。
「こんにちは、瞳子」
「……あ。果南ちゃん」
声をかけられた瞳子が、びくりと体をちぢめた。
果南はにっこりした。
「さっきからこのへん、うろうろしてるけど。……なにかさがしてんの?」
瞳子は黙ったまま、こくんとうなずいた。
「いっしょにさがそうか?」
「………」
瞳子が長い前髪のすきまから、果南をうかがった。彼女の目は夜空より黒く、虚空を見つめているような気分になる。
瞳子はもじもじしたあと、こういった。
「果南ちゃん……わたし、実は……ひいおばあちゃんの目玉を、落としちゃったの」
「また、えらいもん落としたな」
「三日間さがしている」
「……それ、もう、見つからへんのうちゃう?」
果南はつい、思ったままを口にした。
瞳子の目から、涙がぽろぽろとこぼれた。
「かんにん! 泣かんとって! これあげるから!」
果南は、あまっていた三笠の皮を、瞳子にさしだした。
「いらない。それ失敗作やん」
瞳子は両手で顔をおおった。
果南は気まずさから、解決策を考えた。なんとしても、瞳子が落とした「ひいおばあちゃんの目玉」を見つけねば。
果南は電信柱の影や植木の根元に向かって「あんたたち」と、呼びかけた。
とたんに、真っ黒だった影の中から、猫の耳や犬の鼻先が出てきた。
「なぁ、あんたたち。このあたりで瞳子のさがしもの、見かけへんかった? ……こう、ビー玉くらいの、ひいおばあちゃんの目玉や」
影の中で、猫の耳や犬の鼻先がぴこぴこと動く。果南はため息をついた。
「……見てへんって、言うてるわ」
「果南ちゃん、動物の霊ともお話できるの? すごい」
「今はそんなことええ。瞳子、ここら以外で、心あたりある場所は?」
「ええと……」
瞳子が涙をふいた。
「あとは、湖岸かな。先週、びわ湖沿いを歩いたから」
「よっしゃ。絶対に見つけたるから、一緒に湖岸にいってみよ」
果南は瞳子の小さな手をひいて、びわ湖のほうにむかった。
◇◇◇
「見つからへんな」
旧東海道から歩いて五分の、整備された湖岸。
果南は瞳子と湖畔に座り、夕暮れのびわ湖を見つめていた。
「ごめん瞳子。そろそろ帰らんと、おかんとキリさんに怒られるわ……」
瞳子は背中を丸めて、しょぼくれていた。
びわ湖の水面には、夕日が山に沈んでいくさまが、映っていた。
「……瞳子。なんで、ひいおばあちゃんの目玉なんて、持ちあるいてたん?」
果南は、気になっていたことを聞いた。
「あの目玉は、代々伝わる、お家の宝物やろ?」
水面で夕日がゆれている。
「……うん。なくしたことがばれたら、お父さんにも、お母さんにも、怒られる」
果南は瞳子の家に呼ばれたとき、「ひいおばあちゃんの目玉」を見せてもらった。
木箱に保管されているその眼球は、ガラスのように透きとおっていた。飴玉みたいでおいしそうだなと、ほんのすこしおもった。
「学校でいやなことがあったときとか。お母さんに怒られたときとか。ひいおばあちゃんの目を持つと、わたし、とても安心するねん。ひいおばあちゃんに会ったことないのに、なんでやろうな。もっとがんばろうって、気持ちが明るくなる」
「そっか。お守りにしてたんやな」
「うん」
瞳子は背を丸めたまま、びわ湖を見つめていた。きっと心の中では、なくした宝物を、思いうかべている。
「こっそり持ちだして、お守りにして……落としてもうた」
びわ湖に映る夕日は小さくて、今にもとぷんと消えそうだ。
果南はしばらく瞳子と夕日を見ていたが、夕日が山にかくれると、すっくと立ちあがった。
「このままたそがれていても、らちがあかん。瞳子、こうなったら最終手段や」
「え?」
瞳子がまばたきをした。
「さがしものは、いったんおいといて。まずはお家のひとたちにあやまろう」
「え……」
「瞳子。なくしてごめんなさいって、あやまろう。で、一緒にさがしてもらう。それが一番や」
「……いや。そんなん、かなわんわ!」
「だって、ひいおばあちゃんの目玉、三日も探したんやろ? さがしもの、もう見つからんかもしれん。早いうちにあやまったほうがええやろ」
瞳子は「いやや」と、頭をかかえた。
「今なら、わたしも一緒にあやまったる」
「こわい。絶対いやや」
散歩道をあるく通行人がちらちらと、果南たちを見ている。
「それに果南ちゃん、なんも悪くないよ。一緒にあやまらんでええやん」
「なんも悪くないこと、ない。瞳子がそんなに心細くしてるの、ぜんぜん、気づかへんかった」
「……果南ちゃん」
「せやから」
果南が藤色のふろしきをほどいた。中からこげた三笠の皮を取りだし、両手で持つ。
「まずは、あんたのひいおばあさまに、ごめんしよか」
ちょうどびわ湖やし、と果南はつづけた。
「え、まさか、ひいおばあちゃん呼ぶの? ……来るの?」
「わからんけどなぁ。かわいいひ孫と、うちのお菓子があるし。やってみる価値はあるやろ」
「お菓子って、その失敗した三笠の皮、おそなえにするの?」
「これしかないねん」
「やめて果南ちゃん」
「これ、おいしいで」
「味の問題やない」
「瞳子は気ぃ小さいな。水神のひ孫とは、思えんわ」
果南はあわてふためく瞳子を横目に、びわ湖に向かって呼びかけた。
「水神さん、水神さん。月千堂の果南です。水神さんのひ孫も一緒です。話あります。おいしいお菓子も持ってきましたので、どうぞ、姿をお見せください」
果南の呼びかけにこたえて、びわ湖の湖面が、大きく波打った。
急にあたりが曇り、にわか雨が降りだす。
湖岸を散歩していたひとたちは、雨にぬれないところへと、走っていった。びわ湖にいた水鳥たちは、ゆれが大きくなった湖面におどろいて、ばさばさと飛びたった。
うすぐらい湖面を見つめているのは、果南と瞳子だけだ。
瞳子は果南の背中に隠れて、がたがたとふるえている。果南はしゃんと立ち、水神があらわれるのを待った。ただ雨がふる。
やがて湖面の波紋の下に、大きな影がうかんだ。
「……ひいおばあちゃん」
瞳子は果南に隠れながら、大きな影をのぞいた。
果南はびわ湖にあらわれた影に向かって、三笠焼きの皮をかかげた。
「おばあちゃん!」
瞳子が呼びかけると、湖面にぷかりと、枝分かれの二本角があらわれる。続いて、ごつごつとした額が。
瞳子は水神――びわ湖からあらわれた老龍と、向かいあった。
老龍は、両目の部分に、ぽっかりと穴があいている。音に反応して、首をうごかしていた。
盲目の龍を前に、瞳子は、足をふるわせた。
「おばあちゃん。はじめまして……。ひ孫の瞳子です。それから、あの、ごめんなさい」
ふりしきる雨の中、瞳子はひざをついた。
「ひいおばあちゃんの目玉、わたしが落としてもうた。家の宝やったのに、ごめんなさい。……ほんまに」
「すいません。一緒に探したんですが、見つかりまへんでした」
果南が、老龍に聞こえるように水音をたてて、三笠の皮をびわ湖にいれた。
老龍は湖にうかぶおそなえものを、ひと口で食べた。そしてすぐに、びわ湖へと沈んでいった。
「あ、待って!」
瞳子が必死に呼んだが、老龍は水底に消えた。
びわ湖には雨でできた波紋がうかぶだけ。
「………ひいおばあちゃん。あきれて、ものも言えなかったんかな」
「や、そんなことない」
にわか雨がやんで、空から光が差す。
果南は落ちこむ瞳子の肩をささえ、湖面を指した。
「見てみ」
果南が指した湖面には、水色のお守り袋と、透きとおった球体がうかんでいた。
「……ひいおばあちゃんの、目玉や!」
瞳子が明るい声を出した。感きわまった顔で、湖面の球体を見つめている。
「水神さん、びわ湖に落ちていたのに気づいて、保管してたんやって。かんたんに返しに行かれへんから、困っていたらしい」
「果南ちゃん、ありがとう!」
瞳子が上着を脱ぎだした。
「わ、やめえ!」
果南が力ずくで瞳子を止めた。
「あんた、なにする気や」
「ほら、おばあちゃんの目、早く取らな」
「泳いで取る気か。四月に泳ぐアホがおるか。やめて!」
びわ湖の水鳥たちが、老龍の目玉を、波打ち際まではこんだ。
昔々、びわ湖に住まう一頭の龍が、へびを助けた漁師に恋をした。
龍は人間の女に化けて、漁師の男と結ばれた。
しかし漁師に己の正体がばれた女は、もうここにはいられないと、夫と生まれたばかりの赤ん坊をおいて、びわ湖へとかえってしまう。
龍の女房はびわ湖にかえるとき、「乳のかわりに吸わせて」と、自分の目玉を片方、漁師にわたした。赤ん坊が片目をなめつくしたので、龍はもう片方の目玉も、赤ん坊にさしだした。
それからというもの、漁師は二度と、龍の女房に会うことはなかった。
土地神たちは、この夫婦を気の毒に思い、龍と人間の子孫を見まもった。
そして、もっと交流を深めようと、人間とそうでないものの仲介人となる者を、いつの時代にもおいた。
現代の仲介人のひとりは、夫婦と縁のある血筋で、和菓子屋「月千堂」のあとつぎ娘である、千堂果南。
◇◇◇
「……ただいま」
果南は月千堂ののれんを、そっとくぐった。
店内には、果南の父と母の姿もあった。「おかえり」という声がかえってくる。
「雨、大丈夫やったか?」
「ん、そんなにぬれてない」
他愛もない会話のあと、果南は厨房にむかった。
「キリさん、ただいま。おそくなったけど、届けもの、すませてきたで」
キリさんは大鍋を片づけているところだった。
「……おかえんなさい」
「瞳子に会って、遊んでいたら、おそくなったわ」
「丸もちと菓子は、全部くばったんですか?」
「うん。ちゃんとくばったで。……こげた三笠の皮、わたしのぶん、残らんかった」
「お嬢、気前いいですね」
「せやろ?」
キリさんはだまって、果南のまえに、みかさの皮がのったお皿をおいた。みかさの皮は、はしっこが黒くこげている。果南の好きな焼きかげん。
「とっときました」
「まだあったん? キリさん、やるな!」
「失敗したもん出してるだけなんで、ほめんとってください」
果南が冷蔵庫に走り、バターをとってきた。
そして三笠の皮がこげたところに、たっぷりバターをのせた。こげた皮は甘いだけでなく、ちょっと苦い。まろやかなバターがよく合う。
果南はバターつきの三笠の皮を、口いっぱいにほうばった。時間をかけて噛みしめる。
「そんなにおいしいですか」
キリさんは鍋をはこんでいる。
「水神さんにも好評やったで? 三笠の皮のこげたやつ」
「お嬢。今日、なにしてきたんですか?」
キリさんはあやうく、鍋を落としそうになった。
「危ない真似は、よしてくださいよ」
「なんも危なくない。めっちゃ楽しかったで」
果南は三笠の皮を食べながら、今日あったできごとを、キリさんに話した。
まねき猫がじっと、ふたりを見まもっていた。
(終)