第九四話 待ち伏せ(船舶・航海、戦闘機動、兵器)
前話は、第九三話 再出発(船舶・航海、リアクションホイール、ロリエの過去)です。
〇〇〇〇の交代時間をもって操縦桿を預かったグーンは、その後〇四〇〇の第二食まで、ずっと操縦席にいた。なにしろ水分はボトルで常備しているし、紙オムツのおかげでトイレに行く必要もないからだ。
もっとも行う仕事は当直監視任務だけだし、それより主だった仕事は反復練習……つまり立ったり座ったり操船のフリをしたりだ。おかげでだいたい二十秒前後で着座できるようになった。気がする。
その一方で遭難者の容体を世話するはずのライフリーは、現在遭難者のそばにはいなかった。世話を現在行っているのは、業務時間外のはずのリリーフとサルバであった。
「なんかすんません、社長」
「まぁいいってことよ」
リリーフは、三十分に一度のサルバによる容態確認を、後ろから監督する役目だ。
本来この時間は、第三班が業務を行って良い時間帯ではない。緊急時ならともかく、彼等にも一日の終わりのやるべきことが残っているのだ。第三班の就寝時間まであと二時間。そろそろお願いできる限界の時間帯だ。
そんな第三班のサルバに第一班のグーンが話しかけた。
「にしても、どこ行ったんスかね」
「外にでも出たんじゃねぇのぉ」
「外行って何すんスか先輩、減速推進中ッスよ」
彼らの話には、主語の「ライフリー船長は」というのが省略されていた。そう、第一班で現在グーンとバディを組んでいるライフリーは不在だった。トイレが使用中でない以上、船内に隠れる場所などありはしない。
ということは外出したとしか考えられなかったが、そんな当たり前のことが重要なのではない。一般的に、推進中の宇宙船から外に出る行為は、それが前提とされた設備がない船ではあり得ないことだった。設備とはつまり、推進方向を勘案した足場と手すり、階段などのことである。これらがないと、推進重力で人間は船尾方向に落ちてしまう。
そんな危険を押してまで何故どこに何をしに行ったかをグーンは問うていた。
そこにリリーフが口を挟んできた。
「てゆーかよ新人、周りの船の配置見て、ライフリーがいない理由気付かねえか?」
「え、周りッスか。てことはまた救難信号送ってる船が?」
リリーフは一瞬叱り飛ばしそうになったが、グーンはそういう教育を受けた訳ではないことを思い出して、ため息で済ませることにした。新入社員と新兵は違うのだ。
「……まあつまり、挙動が怪しい船がいくつかあるから警戒してるってことだよ」
言われてグーンはディスプレイパッドを見直した。ほとんどはシアリーズのどこかの港への入出港コースをなぞっていたし、待ち合わせなのかシアリーズ周回軌道や太陽周回軌道に乗っている船もあった。
怪しいとも怪しくないともなんともわからず、グーンは首をひねった。
つまりライフリーはグーンに分からない怪しさを見取り、どこかで何かをしているのだろう。その怪しさはリリーフも感じ取っており、二人の共通点は軍教育だ。
「俺にゃ判別つかないッスけど、つまりメリ建の船が何モンかに狙われてるって事ッスか」
「正確には遭難船が、な」
「なんか訳アリっぽいッスね。了解ッス」
そうしていると、ディスプレイパッドからアラームが鳴った。
「おっと社長、十五号から連絡ッス」
その言葉にリリーフは、サルバによる世話の監督を中断して操縦席に取り付いた。
『十七号社長、こちら十五号。左舷側沿岸警備隊を名乗る船から入電。内容は、遭難船を受け取るので停船せよ、以上です。指示願います、どうぞ』
「ほぉら来た」
シアリーズ沿岸警備隊には、遭難船については報告は入れてあった。しかし通常そうした船は本星の衛星軌道上に到着してから引き渡すものだった。例外はよほど素性が怪しい船だとか、危険な船だとか、つまり民間の手に余る船だと判明した場合である。
そしてリリーフたちは手に余る報告を行っていなかった。実際には民間の手に余る事態だったとしてもだ。
とすれば、現在受け取りに来ている船は、沿岸警備隊に渡している以上の情報を持っている船と言うことだ。例えば遭難船にドール制御システム海賊版の現物があることを知っているとか、それが大規模ドールスーツシステムとして組まれていることを知っているとか。
「十五号、こちらリリーフ。相手の位置を報告。オクレ」
実は少し前から、メリ建船団に接近する船は逐一報告されてきていて、その中に対象の船も含まれていた。
『社長、こちら十五号。相手は単艦、船籍番号不明。距離約六〇〇キロ、船首角度二ー九ー四、俯角二二度の船。これをマーキング願います。どうぞ』
ゴソゴソと操縦席に這い上がりながら、リリーフは通信報告を聞いてグーンに指示を出した。
グーンはゴクリと生唾を飲んだ。通信で明確にエネミーという単語を使っていたからだ。
「新人、今の諸元を入力特定、トレース。急げ」
「ラ、ラジャー」
グーンが先ほどの数値をディスプレイパッドに入力すると、その条件に一致する光点と過去十五分刻みの運航履歴がピンク色にロックされた。これはテレビ信号と同時に流されている、シアリーズ港湾局が各所の灯台で光配信している位置情報を、船内コンピュータが蓄積していた情報だ。
ピンク色の光点は、太陽周回軌道、つまりシアリーズ星から見てほぼ静止した位置から変わっていなかった時間が長く、つい先ほど動き出したように見えた。
これが軍出身の二人が感じた怪しさだったか!とグーンは気が付いた。
「はいニセモノ確定」
ピンク色の光点を見て、リリーフは独り言を小さくつぶやいた。
航路の怪しさについて納得したグーンはそれでも、何故ニセモノと断定できるのかまでは納得できなかった。沿岸警備隊特有の航路の傾向から外れているのか、もしくは待ち伏せ特有の傾向が見られるのか、それとも両方か。元軍人にしかわからないはずだ。遭難者と共にいるサルバに振り向いて顔色を見ても、やはり気付いていない様子だった。
リリーフは正操縦席に着座してシートベルトを締めながら、この船団だけに通用する接触回線で通信を行った。
「十五号、こちらリリーフ。不明船のマーキングが完了した。オクレ」
『社長、こちら十五号。返答はどうしますか。どうぞ』
「十五号、こちらリリーフ。相手への返答は、沿岸警備隊本隊への問い合わせを行うので待機せよ、との内容にしろ。細かくは任せる。オクレ」
『社長、こちら十五号。沿岸警備隊への問い合わせの意向、了解。どうぞ』
「十五号、こちらリリーフ。追加指示。同時に各船の連結器遠隔開放準備、その後待機しろ。続いて許可。十五号は、不明船に動きがあったら独自判断で船団解散すること。各船は、分離後は各自判断の行動とすることだ。頼んだぞ。復唱の要ナシ。オクレ」
『社長、こちら十五号。了解。通信オワリ』
十五号船からは、了解の一言が送られてきただけだった。
対象の船が沿岸警備隊の船なら、その本部に問い合わせを行われても、相手には何ら後ろめたいことはない。しかし沿岸警備隊の船でないならば、偽装して勝手な停船勧告を出していることが露見することは、相手にとって非常にまずい事態となるだろう。
そうなれば相手が強硬策に出てくることはほぼ確定となる。
そのことに思い至った瞬間、グーンは耳の周りの血流が急激に速くなった感触に、心がざわめいた。
「ライフリー船長、こちらリリーフ。以後コードネーム社長とする。聞いてたな。オクレ」
『社長、こちらライフリー。以後コードネーム船長とします。聞いてました。オクレ』
「ええっ、船長いつの間に!」
「新人うるせえ。通信中だ」
「サ、サーセン」
心がざわめいたままつい口を挟んでしまったグーンは叱られた。
「船長、こちら社長。連結解除のあと、こちらはひたすら推進するから、操船任せる。復唱の要ナシ。オクレ」
『社長、こちら船長。宜候。オワリ』
突然聞こえてきたライフリーの声に、グーンは戸惑った。
「なんで船長が? どこに?」
「遭難船の中だよ」
ライフリーはいつの間にか遭難船に乗り移っていたらしい。
「さぁてまず一手目は威嚇射撃って相場は決まってるけどな。おい新人、さっき言った通りにひたすら推進しろよ」
「へっ、ウ、ウッス」
「サルバ、女子二人を起こしとけ」
「了解、犯します」
「フザケ入れんならクビにすんぞ」
「すんません、起床させます」
やがてロリエとエリスも起床して、切羽詰まったサルバの様子に何事かが起きたことを察したらしい。
寝袋から抜け出した姿は、ロリエはロングドカジャンを脱いだだけの鳶装束、つまりソフトスーツ着用で、一方でエリスはハードスーツを脱いでのジャージだった。だからサルバはエリスにすぐさまハードスーツを着せるために準備を始めた。
「サルバ先輩、私の世話より遭難者を……」
「エっちゃん、優先順位間違えちゃいけねぇぜ。社長にわざわざ命令してもらう余裕ねんだわ今」
「わ、わかりました」
宇宙空間で守るべきは、一番目に自分、二番目に同じ乗組員、三番目に他船の仲間で、最後にそれ以外だ。これは小型船舶でも航宙士でも免許取得テキストの真っ先に教えられることだ。
さっきは余計な冗談を言う余裕を見せたサルバは、ずうずうしくも真面目ぶった。これも含めてツッコミ待ちの高度なギャグなのだろうが、誰もがそれを放置した。
サルバとロリエとエリスの三人がかりでハードスーツ装着が終わったことを見届けたら、リリーフから指示が飛んだ。
「よし空気抜くぞ。サルバは遭難者を救命カプセルに入れろ。ロリエはエアロック内扉開放。女子は乗務員室の浮遊物固定。急げよ」
そのリリーフの指示が終わった後の少し息をつける僅かな時間、グーンはその指示の意味を質問した。すると社長は解説してくれた。
「撃たれた時の延焼防止に、キャビンの酸素を抜いとくんだよ。覚えとけ」
「ウッス」
撃たれた時の心配とは!
遭難船を救助したことは褒められるべきことなのに、何故こんな羽目になるんだろう。
グーンはこれから始まる事態に戦々恐々としていた。いずれも学校では習わなかったし、これまでのメリ建での業務でも習わなかった。
しかし一方で、こんな非常事態でも淡々と最適な行動ができるリリーフとライフリーに、グーンは頼もしさと尊敬を感じていた。
エアロックが開放されると、リリーフはおもむろに空気ポンプを作動させた。
十七号船内の空気はどんどんと吸い出されていき、やがてバイザーガラスがパキンパキンという音を出した後、沈黙が訪れた。もっとも操縦席を伝って各部の音は伝わってきたし、船内だけで有効な程度の短距離通信は生きていた。
そして船内空気が吸い出されてしばらくしたころ、具体的には〇五〇二の早朝だった。
「不明船発砲! 各船、こちら十五号船、〇五〇二、不明船が発砲。命中弾ナシ。威嚇射撃の模様。連結解除のあと、通信封鎖します。各自の判断で行動してください。復唱の要ナシ。通信オワリ」
そのセリフが終わる前に連結器はリモートコントロールによって、ガキンという硬い音とともに解除された。停泊時以外はロックボルトも艫綱も結わえていないので、これで各船は自由行動が出来るようになった。
いつの間に推進剤や酸化剤を補給していたのか、遭難船が逆噴射を始めた。十七号船もそれにあわせて逆噴射を行ったが、当然そのコンマ何秒かのずれによって船はピッチ方向に傾いた。
『グーン、こちら船長。全力加速準備、オクレ』
「船長、こちらグーン、準備完了、どうぞ」
『三、二、一、ナウ。続いて横転、ナウ』
「くくぅ」
シュボアアアアアアア。十七号船に装着された四基のロケットエンジンが全力運転を行っている音は、グーンが聞くのは二度目だ。遭難船のロケットエンジンもまた全力運転を行っていて、その音が構造材を通じて混じりあった。
もうじきシアリーズに到着する頃合いであることからも分かる通り、十七号に残された推進剤と酸化剤の量は決して多くない。つまり自重が軽いので加速が良いのだ。
くくりつけられた十七号船と遭難船は、同時に全力加速を行ったことで、実に十七メートル毎秒毎秒もの加速を得ていた。さらにその直後に遭難船だけが横転機動を行ったせいで、船全体がみそすり運動に移行していた。そのため船の航跡は螺旋を描いていた。
『社長、こちら船長。〇五〇三、敵二射目着弾、場所本船の右エンジンナセル、損害なし』
不明船が発砲したのはレーザーカノンだった。これについて少々説明しよう。
レーザーカノンはいわゆる光学兵器で、主に極小惑星やデブリの排除に使う。光学兵器とは膨大な熱量を一点に集めて対象を融解・蒸発させるものだ。どんな素材の装甲も無力化でき、かつ安価でデブリの出ない理想的な兵器だ。時間を無視すればの話だが。
しかし戦闘機動中の船にとっては、ただ横転しておくだけで一点を晒し続けることは避けられるので、とりあえずの防御策にはなるという、比較的対処法が簡単な兵器だ。
加えてライフリーがやったように、横転させたまま噴射を止めたり再開したりして、目標がランダム機動をとると、こうなれば光学兵器であってもなくても狙撃は不可能となり、面制圧や空間制圧での攻撃が必要となる。
だからこそ鉛玉をばら撒く実弾兵器は空間戦闘でも非常に有効だった。もっとも、命中しなかった実弾兵器はその瞬間スペースデブリとなってしまうため、当たり前だが厳しく規制されていた。ミサイルや岩塊もこのカテゴリーに含まれる。
なので着弾してすぐに損害を与えられ、かつ外してもデブリとならない新しい兵器として粒子砲というものが作られた。これはサイクロトロン加熱された重金属の微粒子を内から外のリング状に亜光速で回転させた極小のバレット列を、実弾兵器と同程度の射出速度でそっと押し出す兵器だ。粒子が触れた個所はその高エネルギーでぐずぐずに崩れるが、空間に漂う推進ガスや太陽風によって減速されるために射程距離自体は長くなく、よってデブリにもなり辛いという理想的な宇宙兵器だ。当然民間に販売されているような代物ではないが、その理論自体は実は、メインベルトで普及している化学ロケットエンジンとほぼ同じだ。
結論として、レーザーカノンなどというデブリの狙撃にしか使えなさそうな兵器を使っている時点で、沿岸警備隊の艦船であるはずがないという推論に落ち着く。平たく言えば、お里が知れるという奴だ。
メリ建の各船は蜘蛛の子を散らすように拡散していって、自称沿岸警備隊の不審船は十七号船を追尾する軌道に乗ってきた。
十七号船の平均加速は八メートル毎秒毎秒といったところに落ち着いた。
ただし乗っている人間には地獄だった。
「おげぇぇぇ」
十七号船の船内、主にサルバとエリスが阿鼻叫喚となっている中、しかしグーンは未だに操縦桿を握っていられた。正操縦席のリリーフもまた、きっちりと操縦桿を握っていた。
一方で壁にマジックテープで固定された遭難者の救命カプセルと、それに付き添っていたロリエは比較的マシな状況にあったようで、悲鳴は聞こえてこない。
ディスプレイパッドには、青い光点の十五号船から二十号船までと、ピンクの光点の不明船、黄色の光点のその他船が表示されていた。いずれもまだ接触事故や爆発四散などには至っていない。
「ちっくしょ、本当に撃つやつがいるかよっ」
リリーフがヘルメットの中だけで毒づいた。
ピンクの光点は、真っすぐ十七号船に近寄ってきていた。当然だ。遭難船を背負っているのは十七号船だけなので、誰にだって目標が分かる。そして遠方からのレーザーカノンを無効化する技量を持つ相手と察しているのだろう。
となれば次の相手の手は……
「ま、乗り込んで強制停船、拿捕だろうなぁ。白兵戦ったって銃持ってねぇし、どうすんべ」
そのリリーフの情けない声に、質問の声が飛んだ。ロリエだ。
「社長、遭難船に使えそうな装備ないのかい」
「あるわけねえだろ」
リリーフは遭難船にあった謎装備のことを思い出したが、あれは動かし方が不明だ。ぶっつけ本番でなんとかできるはずがない。だから即座に否定した。
そしてそれを聞いて、ロリエは社長のいる場で舌打ちをした。
「ちっ、しょうがねえ。グーン、席代われ」
ライフリーによるランダム機動を一瞬で読んで、ロリエは反動を利用して壁を蹴り、床から操縦席に取り付いて見せた。八メートル毎秒毎秒もの高加速の中、二・五メートルの操縦席に自称身長一五〇センチのロリエが飛びつくのは、リリーフにもグーンにも尋常ではないことに見えた。
「ええっ、戦闘機動中ッスよぉ?」
「いいからどけよ」
「あああっ!」
そしてシートベルトを外されて、操縦席から下に蹴り落とされるグーン。これで二回目だ。そして今回は床で受け止めてくれるべき者は誰もいなかった。何しろ二・五メートルの高さから二〇〇キロの物体が八メートル毎秒毎秒で、不規則な軌道で落ちてくるのだ。誰も潰されたくない。
「ぐえっ」
それでもグーンはゼロG空手の姿勢制御で一瞬のうちに安定させ、ショックが身体全体に分散するように受け身姿勢で着地できた。これは十七号船乗組員の他の誰にも出来ない技術だろう。
そんな悲しみの天丼ギャグに、何を思ったのだろうか。エリスの同情に満ちた視線が、グーンには痛かった。
一方でロリエはすでにシート調節とシートベルト装着を済ませていた。その姿にリリーフの問いかけが響いた。
「お前、何する気だよ」
「船舶格闘」
「マジかお前!」
「ドールアームが残ってりゃ楽だったのに……」
船舶は格闘するものではない。出来るものではない。しかしロボットアームを使用した船舶同士の揉み合いというものは、船乗り同士の与太話としては過去にもあった。実際にそれを行った物好きの例もあるにはある。
だが実戦で行ったという話をリリーフは聞いたことがなかった。
「船長、こちらロリエ。応答せよ、どうぞ」
『ロリエ、こちら船長。感度良好。簡易通話許可。オクレ』
「船のロボットアームで近接格闘を試みる。協力求む」
『はぁ!? 無理だろそれ!』
ライフリーも同様に船舶格闘などという与太話が出来るとは思っていないようだ。
しかしロリエは怒鳴り返した。
「無理でもなんでも、やんなきゃコッチが拉致られんだよ。二度と嫌だぞあんな体験!」
次話は、第九五話 拿捕(船舶格闘)です。