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第九話 初筋トレ(リアクションホイール)

前話は、第八話 初ベクトル変更(航路・船舶、ドール、リアクションホイール)です。

「さ、これで二班は本格的に終了だ、エっちゃんおつかれ」

「あ、はい、お疲れ様です……」


 まだエっちゃん呼びを続けるのかな、と言いたげなエリスに、サルバも声をかけた。


「悪いなエっちゃん、コーヒーチューブ捨てといてくんな」

「あ、できれば俺も。エリスごちそうさん」

「はぁい」


 またエっちゃん呼びをされたエリスは、ちょっとだけ口をとんがらせて答えた。

 グーンとサルバはエリスにコーヒーチューブのカラを手渡したが、その際にグーンだけはエリスをエっちゃん呼ばわりしなかった。それによって好感度を稼ごうという姑息なことを考えていたグーンだったが、エリスはそれに気付いているのかいないのか、受け取ったゴミをただゴミ箱に入れた。

 ゴミ箱と言われているが、正式にはリサイクル箱だ。メインベルトは人の手が入らないと何も生み出せない不毛の地なので、こういった小物類もリサイクルしやすい素材でできていた。


一七〇〇(ヒトナナマルマル)交代……っと。ソフィさん日報です」

「あいよご苦労さん。でも食事の後片付けも三班が済ませちまって、この後仕事がねぇんだよなぁ、何させとっかなぁ」


 コックピット(操縦室)とキャビン(乗務員室)には仕切りがないので、声は筒抜けだ。

 正操縦席に座っていたサルバは、キャビンのソフィに振り向いて話した。


「んじゃさ姐さん、筋トレでもさせたら?ちょうどホイール運動量さっき回収したし」

「ああ、いいねぇ、やるか」


 グーンもエリスも、この船にはランニングマシーンのような筋トレ設備がないことを、すでに確認していた。それなのに筋トレ?

 グーンはサルバを見上げて質問した。


「筋トレ設備ないのに、何するんスか?」

「気になる?」

「そりゃまぁ」

「当直の合間にキャビンの二人の様子見てな。いずれお前もやるんだし」

「はぁ……」


 当直監視任務の合間にグーンがチラリチラリと視線を送っていると、ギャレー(調理室)から大きめのクランクを持ち出したソフィが、キャビンに姿を見せた。

 ソフィは、キャビンの荷物を置いていない側の壁をまさぐってカーペットの一部をはがし、そこにクランクを刺した。

 壁のカーペットにはモニターパッドがマジックテープでひっ付けられて、何かの回転数が表示されていた。


「んじゃ筋トレモード、作動させるっすよー」

「いいよー」


 サルバの声にソフィが返事をした。筋トレモード?学校の船にはそんなもん無かったし、航宙機に詳しかったクラスメイトの話でも聞いたことがない。

 グーンが難しい顔で考え込んでいると、サルバがタネ明かしをした。


「リアクションホイールの加減速の動力って、学校じゃどう習った?」

「あー、電力ッスね」

「他には?」

「習ってないッス」

「習ってねっか。……じゃ電力全喪失したら、リアクションホイールってどうなると思う?」

「いや動かないッスよ、普通に」

「この船は元々軍の舟艇だからよ、そんな言い訳効かねんだわ。ならどうする?」


 グーンはちょっと考えて答えた。


「バーニアでカバー……?」

「ブブー」


 バーニア(小出力スラスタ)は確かに手作業での使用を考慮して、電源全喪失でもタンクに圧力さえ残っていれば、コックをひねって噴射だけはできるように作ってあった。酸化剤と推進剤に点火できればなお良しだが、噴射だけでも推力は得られるのだ。

 とはいえ手作業バーニア噴射で姿勢を安定させるには、事前の複雑な筆算もしくは試行錯誤が不可欠で、それはサバイバビリティの低下に繋がった。姿勢制御しているうちに推進剤の圧が尽きました、では話にならないのだ。


「じゃあロケットのタービン軸出力を取り出す」

「全喪失じゃロケットエンジンも動かねぇだろ、ブブー」


 動いていないロケットエンジンの始動には、圧縮タービンを動かすための電力がまず必要だった。おまけにこの船は電動タービンなので、そもそもタービン軸出力を取り出すことはできない。

 つまり電源全喪失の時の緊急移動手段は、もっぱらバーニアの役目となってしまうのだ。


「これも違うんスか、えー、それじゃまさか人力?」

「ピンポーン」


 リアクションホイールは、推進剤が目減りしないのがいい。たとえ遅くても回転さえさせられれば姿勢制御ができるのもいい。それらの安心感によって心に余裕が生まれる点もいい。そして、それら足りていない速度を人数と気合でカバーできる点は最高だ。

 人力で駆動できる仕組みを、軍が採用するのもうなずけた。


「うわぁ……脳筋組織……なんでも力と根性で解決……」

「体育科卒が何言ってんだ」

「学校自体は工業系ッスから」

「自分からバカ学校って言ってたじゃねぇか」

「それはそれ、これはこれッス」


 グーンとサルバがそうこう言っている間にも、ソフィとエリスはマジックテープ付きサンダルを履いていた。上履きの上に履けるタイプの安っぽい奴だった。

 そしておもむろにクランクを挟んで向かい合わせに立ち、床のカーペットを踏みしめて足を固定した。


 リアクションホイールには駆動用のモーターが内蔵されていて、それを回生ブレーキ(発電の抵抗力でモータの回転数を下げる)として使うことができた。人力で回転させたトルクを再びゼロにすることができるのだ。

 しかしゼロに戻るわずかな間にもトルクは船に伝わり、姿勢を乱す。

 そこで活躍するのが、他ホイールによる相殺だ。リアクションホイールの一軸一基が回転しても、他のリアクションホイールの合成でそのトルクはある程度相殺可能なのだ。

 もちろん相殺するには色々と条件があるのだが、最も大きな条件は、相殺するリアクションホイールの駆動ぶんの余分な電力がある場合、というものだ。なにしろ一基の相殺のために対面の一基は最低でも必要で、ジャイロ効果が見込めないほど低回転の場合は歳差運動(みそすり運動)を始めるので、複数のホイール駆動が必要なのだ。相殺のための緻密(ちみつ)なコントロールを実現するコンピュータの駆動電力も含めて、全く割に合わない。

 とはいえ人力リアクションホイール駆動は、筋トレの手段として、非常時のための訓練として、コストは安いものだった。

 なお当然だがこの筋トレモードは、船が方向転換している最中は使えない。


 ソフィとエリスは、一心にクランクを回していた。

 最初は遅く、徐々に早くなるクランク。そのたびに遠くエンジンブロックの方面から聞こえる音の音程が、少しずつ上がっていき、休むと低くなっていった。しかし船体はビクともしなかった。


 だんだんと上気する二人の体温、はずむ息。

 香る女性の汗のにおい。

 時折聞こえる押し殺した声。

 こもる熱気を逃がすためにはだける首元。

 そしてはだけた首元からチラチラ見える胸。


 あ、やべ。


 ふっくらしかけた己の息子を気にしながら、グーンはサルバを見上げると、サルバもまた鼻の下を伸ばして振り向き、女性二人を見つめていた。

 まさかこの展開を予想して提案したんじゃないだろうな、この人……。

 これはまずいと思い、自分の気を後ろからそらすためにも、グーンは質問していた。


「先輩、人力リアクションホイールの駆動の仕組みを」

「あ?聞いてどうすんだよ、そんなの」


 邪魔するんじゃねぇオーラを露骨に漂わせながら、サルバがひどく不機嫌な顔つきでぶっきらぼうに返事した。だが、グーンにも引けない理由があった。


「……頼んますよ、話合わせてくださいよぉ、俺この船に居らんなくなるッスよ、初仕事で女子の汗のニオイに勃起してたなんてバレたら」

「いいじゃねぇの、おっ立てとけ」

「勘弁してくださいよぉ、嫌われたくねぇんスってば」

「お前、肝っ玉小っちぇーぞぉ?大丈夫だよ、バレねぇって。あでもさすがに盗撮はすんなよ?」

「やんねッスよ!」

「おう、さっきから何コソコソ話してんだー?」


 キャビンから見上げるソフィの言葉に、グーンとサルバは内心飛び上がった。

 ソフィもエリスも息を弾ませて額の汗を拭いていた。


「いや、リアクションホイールのこと解説して貰ってましたぁ!」

「そ、そうそう!俺らもあとでやんなくちゃなーって、な、グーン」

「そッス、先輩!」

「ふーん?まぁいいや、当直監視怠るなよー」

「イエスマム!」


 二人は慌ててモニターコンソールに向き直り、進行方向である後方の監視を始めた。


一七三〇(ヒトナナサンマル)、右舷後方異常なし」

一七三〇(ヒトナナサンマル)、左舷後方異常なし」


 その間もソフィとエリスはせっせとクランクを回し続け、その汗の香りはキャビン中に充満していた。

 グーン十八歳、サルバ二十一歳。いずれも性欲旺盛なお年頃であり、しかも退屈な当直監視任務中。二人の頭の中と股間は、モンモンと妄想をたくましくしていた。

 タイミング悪く、グーンはトイレに行きたかったのだが、なんとなく遠慮してしまっていた。今行ったら十中八九「あ、オナニーだ」と思われてしまう。なにしろ膀胱と直腸よりも、体面こそが大事なお年頃だった。


 そんな状況下、サルバはグーンに、おもむろに声をかけた。


「ちっとトイレ行ってくんわ」

「えっ、俺先に……」

「ロックしてあっけど勝手に操縦すんなよ」

「……了解ッス」


 この野郎、トイレで一発抜いてくるつもりだ!グーンは魂で理解した。

 俺はそんな恥知らずな真似しないぞ、同僚をオカズにするなんて。バレたとき気まずいってレベルじゃねーぞ!

 大体ソフトスーツ着たままトイレって何考えてるんだ。全部脱いでトイレ仕事してもう一回着なおすなんて、どれだけ手間かけるんだ。手間かけてでもスッキリしたいのかよ!

 ……でもソフトスーツでトイレを可能にするオプションパーツが、近頃発売されたような気がするな、いやいや、だとしたら余計アウトだろ!

 グーンは、ギャレーの奥に漂っていくサルバの後姿を、ジットリとした目で見送った。


 ボトルのストローから水を飲みながら、グーンはサルバが戻ってくるのを待っていた。するとサルバは、ものの五分ほどで戻ってきた。あれ、オナニーじゃなかったのかな。


「おうお待たせぃ」

「次俺もトイレ行ってくるッス」

「んー?りょーかい」


 ナニその下卑た笑顔。違うから!オナニー目的じゃないから!

 グーンはそう自己弁護したかったが、キャビンには女性二人がいて、そんなことを口走れば職場で孤立する未来が見えた。

 ぐぬぬとした顔で操縦席から滑り出て、トイレに向かうしかなかった。


 トイレに入って、グーンはすぐに気が付いた。


「やっぱりぃ……」


 宇宙開拓時代のメインベルトでは全く通用しない言い回しだが、そこは栗の花臭かった。

 グーンは泣きそうな顔になった。


「たかが五分くらいしか経ってねぇはずなのに、しっかり抜いてるとかよ……なんかもう色々と……」


 グーンは心底呆れた顔で用を足し、水流洗浄装置で洗い流した。


 トイレから出てギャレーで手を洗って戻ったグーンは、操縦席でニヤニヤ顔のサルバに気が付いた。

 目は口ほどにものを言っていた。お前も好きだねぇ、と。

 ものすごくイラっとしたグーンだったが、仕返しの手段は思いつかなかった。


次話は、第一〇話 初操縦権(訓練校・学校)です。

※分かり辛い言い回しを修正しました。


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