第八七話 人命救助(救助活動、救急)
前話は、第八六話 漂流船乗り込み(空間遊泳、救助活動)です。
目標船との連結が出来た後、一方十七号の船内では、ロリエが操縦席から降りていた。代わりにエリスが操縦席に座っている。
これはロリエからの指示によるものだったが、その理由はこういうものだった。
「ハードスーツ使いはデカくて邪魔だから、操縦席にでも座っとけ」
とりあえずエリスは素直に従ったが、救命活動の様子を直視させずに済むようにというロリエの配慮かと、なんとなく察していた。
『十七号、こちらサルバ。要救助者一名確保。エアロック準備頼みます、どうぞ』
「サルバ先輩、こちらエリス。エアロック準備整ってます、すぐに入れます、どうぞ」
その言葉を聞いて、船内の空気がピリッと引き締まった。
そうなるように努力した結果とはいえ、いよいよ十七号船に意識不明の他者が乗り込んでくる。
グーンとエリスは当然として、ロリエもまた緊張していた。他の船の救助を行う機会など普通はそうそうないので、当たり前ではあった。
やがてエアロックに何かが入れられた物音がして、空気が充填されるシューという音のあとで充填完了の電子音が鳴った。一人目だろう。
ロリエはエアロックを開けて、期待していた通りに入っていた救命カプセルを引き出した。救命カプセルのサイズはエアロック内側ハッチの規格寸法に合わせてあるので、最大に膨らんでいてもエアロック通過に何の妨げもない。
彼女は救命カプセルをエアロックから続いている調理室に引き込むと、すぐにエアロックを閉鎖して中の空気を抜いた。続いて運び込まれるはずの二人目への配慮だ。
そして救命カプセルを調理室から乗務員室に移した。太陽公転軌道を周回しているため無重力状態とはいえ、人間一人の質量を移動させるには苦労が伴うはずだが、ロリエの鍛え方は肉体労働者の中でも群を抜いていて、全く問題なかった。
その様子を振り向いて眺めていたグーンとエリスは、相談こそしていないものの二人とも手伝う気満々で、外したグローブを腰のラッチにつけて滑り降りてきた。
「ハードスーツ邪魔だから座ってろって言ったろ」
「そんな訳行かねッスよ、手伝うッス」
「ったく。カプセルから出して呼吸と脈拍診るぞ。二人とも手伝え」
「了解」
「ウッス」
そんな問答をしている間にも、ロリエは救命カプセルから要救助者を引き出していた。何らかの制服のような衣装を重ね着したソフトスーツ着用の、二十歳前後の黒人男性だった。
ロリエはエリスとグーンに手首での脈拍の有無を指示して、自らは要救助者のフェイスガードを取り外しての呼吸を診た。
「自発呼吸……弱いが一応あり。脈どうだ」
「脈拍、ありません」
「エリっさん、場所違うッス」
「え、あ、こっち?……脈あった」
その間ロリエは、制服の左胸に付いていた名札の名前を呼びかけていた。
「オジンエピアさん、大丈夫ですか。オジンエピアさん、オジンエピアさん」
しかし要救助者が意識を取り戻すことはなく、そのうち二人目の要救助者がエアロックに入れられた。
「グーン、受け入れ準備しとけ。エリス、脈拍をディスプレイパッドに入力しとけ」
「了解」
「了解ッス」
ロリエはフロントガラスを取ったフェイスガード越しに酸素吸入スプレーのマスクを捻じ込んで鼻と口に密着させて、吸入レバーを作動させた。あとは缶の内圧が続く一〇分間、放っておいても酸素吸入を続けてくれる。もっとも適切な酸素濃度までは調整できないが、十七号船内に満ちている空気よりは酸素が豊富だった。
「オジンエピアさん、救助で助かりましたよ、オジンエピアさん」
「二人目救助到着ッス、カプセルあけます」
「エアロックの空気抜いてきたか」
「あい、大丈夫ッス」
ロリエの指摘は、次のエアロック使用の配慮のため、あらかじめ空気ポンプを作動させたかの確認だった。グーンはそこを忘れてはいなかったようだ。
グーンはロリエがやった一人目の時と同じく、カプセルのジッパーを開けて中の要救助者を引きずり出した。同じ制服を着用した、四十歳前後と思われる成人男性だった。
そして同じくフェイスガードのフロントガラスを外して呼吸を確認して、愕然とした。
「こ、呼吸なし」
「二人目をテーブルに上げろ。エリス、一人目を診ててくれ」
ロリエの指示によって、グーンが二人目の身体を持ち上げてテーブルに横たえると、ちょうどそこにリリーフ社長がエアロックから船内に入ってきた。
「リリーフだ。入るぞ」
「お疲れ様ッス」
ロリエはリリーフには目もくれず、電動インパクトレンチでフェイスガードの取り外しにかかっていた。さらに制服の上着をめくって上半身のボルトも緩めていった。
グーンはロリエに代わってリリーフに簡潔に説明した。
「救助二人目、呼吸なしッス。一人目は心肺機能良好、でも意識不明ッス」
「状況報告ご苦労。ロリエ、俺もやるぞ。新人は脈診とけ」
さてロリエが要救助者をテーブルに上げさせたのには訳がある。
人工呼吸、心臓マッサージ、どちらを行うにしても身体への圧迫を伴うものだが、現在船内は無重力状態なので踏ん張りが効かないのだ。
テーブルに上げれば要救助者の身体を手と足で挟み込んで圧迫を行えるようになる、船ならではの工夫だった。
そしてロリエが既に準備を整えていたものの中には、酸素缶と延長チューブ、ポリ袋、ガムテープ、タオルがあった。
「脈ないッス!」
「グーン、脈やめて首の後ろにタオル巻いてあてがえ。頭が斜め上を向くようにな」
「ウ、ウッス」
ロリエは動揺著しいグーンに、簡単で分かりやすいがそれなりに重要な仕事を与えた。
その間にもロリエはポリ袋にチューブを挿して、酸素缶に繋いでいた。加えてリリーフが要救助者の腹の上にまたがり、胸の上に手を置いた。
「相手がソフトスーツだったのは、ん、ん、ん、不幸中の幸いだな。ん、ん、ん、ハードスーツなら、ん、ん、ん、直接胸を押せなかった、ん、ん、ん、ところだ」
リリーフはそう独り言を言って、胸を圧迫し始めた。それに合わせてロリエは片手でポリ袋の端を相手の口にかぶせて、もう片手でポリ袋を押しつぶした。
リリーフが一、二、三と押せばロリエは袋を離し、リリーフが押し終わればロリエが袋を一、二、三と潰した。絶えず二人はどちらかがそのカウントを行い、タイミングを合わせて心臓マッサージと人工呼吸を行った。
「新人、こっちはもういい。三人目の受け入れ準備やっとけ」
「ウッス」
「新人女子、一人目のフェイスガード外しておけ」
「はいっ。オジンエピアさん、助かりましたよ」
「脈拍低下……。くそ、戻んねぇな……」
リリーフは二人目の胸を押しながらも、グーンとエリスそれぞれに指示を出した。一方で呼吸の袋を押しつぶしながらも手首の脈を測っていたロリエは、そう苛立った。
ロリエは、仕方ないとばかりに、酸素吸入マスクを自分の鼻だけにかけ始めた。
「ロリエお前、一、二、三、嫁入り前の娘がマウストゥマウスなんてやるんじゃねぇよ、一、二、三、相手オッサンだぞ?」
「何を今さら……言ってる場合かよ」
ロリエはリリーフ社長に向かって、こともあろうにタメ口で反論した。きっと非常時のために気が回らなかったのだろう。
そしてその反論もそこそこに、ためらいなく相手に唇を重ねて息を吹き込んだ。
小さな体に見合わないほど鍛えているロリエの呼気は、袋を潰して得られていた圧力を上回り、相手の人工呼吸を順調に行っていた。
船内にはエリスの電動インパクトレンチによってフェイスガードを取り外されていく一人目と、心肺停止からの蘇生を試みられている二人目と、四人の物音しか聞こえなかった。
そこに船外のサルバからの通信が入り、つけっ放しにしているディスプレイパッドから全員に報告が入った。
『十七号、こちらサルバ。三人目の確保に成功。これよりエアロックに移動します、どうぞ』
「サルバ先輩、こちらエリス。了解です。四人目は何分後になりますか。どうぞ」
『エリス、こちらサルバ。四人目も一分ほどでエアロックに入れられます。どうぞ』
そうしているうちにエアロックの曝露側扉が解放され、すぐに閉じて空気が注入され始めた。まず間違いなく三人目の要救助者だろうと見込んで、グーンは船内側扉に流れていった。
エアロックの扉のインジケーターが緑色になり、グーンはなるべく急いでハッチのハンドルを回し開けた。だが丸く膨らんだ救命カプセルは両手で掴もうにも取っ掛かりがなく、グーンはおろおろとカプセルを回していた。
やがてカプセル端部に付いている持ち運び用リングベルトを見つけて、ようやくエアロックから引っ張り出すことに成功した。
そして出すなりハッチを閉めて空気を抜くまでで、一分以上かかっていた。
『十七号、こちらライフリー。まだか?四人目待機してるんだぞ。どうぞ』
「船長、こちらグーン。手間取りました、サーセンッス。現在ポンプ稼働中。しばらくお待ちください、どうぞ」
とっさに返答をしたグーンは、三人目のカプセルと共に乗務員室に流れていった。
乗務員室では、エリスの呼びかけの声と、社長とロリエによる一、ニ、三の掛け声が響き、焦りと戸惑いの空気が支配する空間となっていた。
「三人目到着ッス、カプセル開けます」
「新人交代しろ、三人目は俺がやる。来い」
「ウ、ウッス」
「タイミング合わせて胸を圧迫しろ。こうだ」
グーンは圧迫の仕方を一、二度見てだいたい掴み、そしてタイミングを計ると、リリーフと息を合わせてするりと交代した。
「俺が三人目を診ておくから、ロリエと新人は二人目を頼むぞ。女子の新人、一人目の呼びかけは後回しにして四人目の受け取りにエアロック行け」
「了解、しました」
エリスもまた焦燥感たっぷりの顔つきをしていた。一人目の呼びかけを中断した彼女は、どこかふらふらとエアロックに向かっていった。
三人目は三十歳前後の成人男性だった。
そして二人目の蘇生を試みてから約一〇分が経過した。
一般的に、酸素の供給が五分以上絶たれると脳細胞の活動が停止し、生涯回復することのない脳障害が残ることになる。まして一〇分それが続いたのなら、生還は絶望的だ。
自発呼吸も戻らなかったうえ、加えて心臓の鼓動も結局戻らなかった。二人目は死亡したと判断して良いだろう。
「二人目は処置終了にして、三人目をテーブルにあげてくれ」
ロリエはすっぱりと割り切って三人目の元に向かい、早速フェイスガードを取り外しに掛かっていた。
グーンにも、助けられなかった敗北感に身をゆだねている暇はない。グーンは二人目を抱えてテーブルから降ろして、乗務員室の片隅で寝ている一人目の隣に移動した。
「四人目到着です、カ、カプセル開けます」
「頼む」
二人目と同様に心肺停止状態だった三人目の処置で、リリーフとロリエは手いっぱいだった。だからリリーフはエリスのその言葉に、つい許可を出してしまった。
エリスはというと、救命カプセルのファスナーを開けて、中でぐったりとしている人間を引きずり出そうとして、そのぐにゃりとした腕を掴んだとたん、吐き気を催した。
「うぶっ」
心臓マッサージをしているリリーフも、人工呼吸を行っているロリエも、思わずエリスに振り向いた。これはまずい。
その様子にいち早く気が付いたグーンは、とっさに二人目の人工呼吸に使った後で放置されていたポリ袋を手に取って、エリスに近づいた。
「エリっさん、袋! ゲロはできれば飲み込んで、無理ならこれに吐き出して」
「うぼおろろろろろ」
一年前まで女学生だったエリスに、とっさに自分の吐瀉物を飲み込むような行動ができるはずもなく、あっさり嘔吐した。間一髪でポリ袋が間に合ったことはグーンの功績だろう。
無重力状態では液体は表面張力でへばりつくので、吐瀉物は窒息の原因にもなり得る。
エリスの身体の圧力で吐瀉物のほとんどは口の外に出たが、しかしわずかに残った胃液が、エリスの呼吸を止めていた。無理やり息を吸えば胃液が肺に入ってしまうことを本人もわかっていたからだ。
グーンはエリスがポリ袋を抱えていた時点で、すでにエリスのハードスーツの上半身ロックを外していた。あとはヘルメットと上半身を引き抜くだけだ。
「エリっさん、ちょっと呼吸を我慢して、手を上げて」
バンザイのポーズを取ったエリスから、グーンはヘルメットごと上半身を抜き取った。そのハードスーツはこちらに来ていたリリーフに受け取られた。
そしてグーンはエリスの背後に回り、声をかけた。
「エリっさん、腹を押すんで気道を確保してくださいッス。三、二、一、ナウ」
「ごげげげっ、かひゅー」
グーンは背後からエリスのみぞおちに裏拳をあてがい、肺の方に絞ったのだ。
これをやられるとたまらない。息が残っていないはずのエリスの肺から空気が絞られて、喉に貼りついた胃液を出し切ることには成功したが、ダメージはかなりのものだった。
呼吸こそ戻ったものの、これでエリスは戦力外となった。
しかしそんなエリスを世話できる者はいなかった。リリーフは胸部圧迫の仕事に戻ったし、ロリエも視線こそ寄こしてはいるが人工呼吸を続けていた。
そして四人目を引きずり出すのはグーンが代わった。生きている人間ならどこかに入っているはずの力がどこにも感じられないその身体は、脈や呼吸を診るまでもなく死んでいた。
人間の死というものを目の当たりにして、グーンもまたこみ上げるものがあった。だが必死にそれを飲み込んで、フェイスガードのバイザーを開けて呼吸を確認した。
「ぐ……四人目、三十代男性、呼吸ナシ、脈拍ナシッス」
グーンは四人目と一緒に空中に浮きながら、その胴体を足で抱えて心臓のあたりを圧迫した。腕を伸ばしきった掌底をあてがい、足と腹の筋肉で圧迫するのだ。
しかし残念ながら、四人目の拍動は戻らなかった。呼吸はもちろんのことだ。
その頃にはリリーフとロリエも、三人目が心肺停止から戻らないことに諦めを見せていた。
結果四人中、一人意識不明なるも生還、三人死亡。これが十七号船の救助活動だった。
次話は、第八八話 帰還計画策定(他天体、航路)です。