第八五話 漂流船発見(船舶・航海、方位方角)
前話は、第八四話 単独運航開始(操船、軍、グーンの過去)です。
警告音の鳴り響く状況下、グーンはコックピットのディスプレイパッドに表示される「SOS受信」の赤文字を見た。
「えっ、SOS受信ッス! 現在時刻〇四〇六、SOS受信」
「相手はどんな感じだ?」
そう言って同じく操縦席に座っているライフリーは、あわてず騒がずSOS発信源のおおまかな位置とベクトルをディスプレイパッドで確認し始めた。
一方でグーンはというと、初めてのSOSに気が動転して、思わず操縦桿を倒して、発信源に向かう航路に勝手に変更するところだった。
「ちっ、助けられちまうなぁ……そして周辺宙域に他の船も無し、と。救難義務はウチの船確定だなぁ、メンドくせえ」
「船長ぉ……」
「情けねえ声出すんじゃねえよ。宇宙で遭難なんて案外日常茶飯事なんだぜ」
ライフリーの言う通り、宇宙遭難というものはメインベルトだけで見ても割と頻繁に起こる事故で、衝突事故やデブリ事故などよりもずっと良く起きるものだった。ニュース報道にもならない程度と言えば、その頻度にも想像がつくだろうか。
しかし船舶関係の法律や船舶協会の通達に照らしても、船舶保険の責任問題上でも、もちろん船乗りの矜持で考えても、助けられる相手はできるだけ助けるというのが常識であり、マナーだった。
「しゃあねえ、グーン、操縦俺が代わる。権限よこせ」
それまでのボヤけ顔からライフリーの顔は急に引き締まった。
「了解、ユーハブコントロール」
「アイハブコントロール。発信源特定やっとけ」
「りょうかぐぅ……」
ライフリーはそう言いざま、操縦桿を派手にひねってスロットルを全開に叩き込んだ。
十七号船は普段のゆったりとした挙動から一転、一八〇度転回にわずか二秒弱という機敏さを見せた。
普通は操縦桿を倒すだけでは、船体後部にあるリアクションホイールを中心とした回頭しか出来ないはずだ。それをライフリーは、ベクターノズルによる偏向推進も併用することによって、大重量である船体後部を大回りさせて、重心から最も離れているはずの乗務員室ブロックを転回の中心に据えてみせた。当て舵(カウンター)すらもベクターノズルで行うことで、推進力に変えていた。
この操船により、船で脆弱な部分であるメインフレームと、さらに最も脆弱なパーツである乗務員を遠心力から守りつつ、加速重力をふわっと立ち上がらせることに成功していた。
(こいつは高等技術だ……)
グーンは間近でその操作を体験して、そう幸運に恵まれたことに感謝した。
肺の潰れるような加速の中、しかも足を天井に向けたような操縦席の態勢では、本来そんなノンキなことを考えていられない。
だが過去の高加速体験からグーンは、身体の内側筋肉に力を入れて血の偏りを防ぐ身体操作を実践して、それに成功していた。これでレッドアウトにも鼻血にも繋がらないだろう。
このためグーンには、ライフリーの操縦技術を味わう余裕があったのだ。
もっとも今は、発信源の位置を監視読み上げする任務を与えられたところだ。船搭載のコンピュータによって着々と範囲が絞られていくこれをおろそかにしたら、またライフリーの頭突きが飛んでくるだろう。
「いたた……何が起きた?」
「あいたたた」
起床時間はまだだったが、今の挙動で昼勤二班のロリエとエリスを起こしてしまったようだ。そのままでは船内を飛び回ってしまいかねない状況で、痛いで済んでいたのはサルバのおかげだ。
ちなみにSOS信号はいまだ発信されっぱなしなので、状況を聞かなくても何が起きているのかは全員が知ることができた。
「なーに抱き付いてんだサルテメー」
「誤解だって、非常時対処だって」
「サルバ先輩、重いです……」
現在船はフルスロットルで逆進をかけている状態なので、床で寝ていた二人に覆いかぶさったサルバは、守るどころか自重で押しつぶしていた。
その様子を見たリリーフは苦笑いをした。
「ついでの役得もほどほどにな、サルバ」
「あい社長」
へらっとした笑顔をリリーフに向けたサルバは、次いで床の二人に問いかけた。
「二人とも寝袋から出られっか?」
「アタシは平気。エリスは?」
「体が起こせません……」
「じゃエっちゃんは落ち着くまで横になってな」
そうこうしているうちに、特定された発信源をグーンが報告し始めた。
「発信源特定できたッス。距離約八〇〇〇〇キロ、東北東仰角〇三度、順行軌道で周回中」
「馬鹿野郎、こういう時は方位角で報告するモンだろ。やりなおし」
「ウッス、サーセン。方位角〇ー七ー一、仰角プラス〇四度」
この時代の航法方位(アジマス)は、黄道面の直上から見下ろした平面図上での方位を示すことになっていた。
これは彼らが普段生活している方角とは食い違う、馴染みのあまりない方位の言い方だ。だからつい言い間違えてしまったグーンを責めることは、同じ船乗りでない限り出来ないであろう。
方角は、人類が地球に暮らしていた時に馴染んだ、基準天体の北極を北、南極を南、自転・公転方向を東としたもの(例外あり)で、この場合基準天体は太陽だった。つまり太陽表面での方角を、太陽上空四億キロのメインベルトで運用するものだった。
一方で航法方位は前述通り、黄道面の直上から見下ろした平面図、つまり左手系北基準の黄道座標を標準としていた。航路図運用のための実用的な方位記法なので、平面に落とし込めないと問題があるのだ。
記法は、太陽中心を常に真北すなわち方位角〇度に置いた、角度記法だ。これを〇ー〇ー〇度と読む。東は軌道順行側で〇ー九ー〇度、南は外宇宙方向全体で一ー八ー〇度、西は軌道逆行側で二ー七ー〇度と表現でき、度以下の分(度の六十分の一)や秒(分の六十分の一)は通常は四捨五入で省略される。
そして基準は歴史的に地球黄道面とされていて、各星系からの文句が絶えないが、今のところこれが標準となっている。
なお、船の前方を示す船首角や推進角は太陽表面基準、現在位置から未来の進行方向を示す進行角は航法方位基準だ。これに自分基準の角度記法も入り混じって、非常にややこしい。
さらに言うならば、船のディスプレイパッドには全ての記法での方位方角が表示されるが、その計算の大本となる内部計算は実は全て銀河中心基準に統一されていて、地球黄道至上主義者や航路図至上主義者に対するプログラマーたちのささやかな抵抗と噂されている。各方位記法での数値などは、全てこの内部数値からの演算で表示されているのだ。
人間の都合によって、一つの座標が三通りもの記法に変わるという、なんとも度し難い一例だった。
「推定質量二〇トン、推定寸法一〇〇〇メートル四方」
「なんだそりゃ。水蒸気が救難信号出してるってか」
「知らねッスよ、そう表示されてるんスもん」
何かの間違いかと思われるような寸法だが、グーンは表示されているままを読む以外になかった。
「とりあえずその情報をシアリーズコントロールに報告しとけ。あと十五号……無理か。本社にもな」
「了解」
ライフリーはグーンの報告にそう答えて、目標の方角に進路を変更した。
とはいえ現状は目標とランデブーを行うには速度が付きすぎているので、制動をかけながら横滑りで近付くという、横滑り軌道の実践ともなっていた。
「船長、アタシがコパイ席で通信やるよ」
そんな中さっきまで床で寝ていたロリエが、コックピットのライフリーを見上げてそう言った。年中着っぱなしのドカジャン姿、寝起き顔のままだ。
「おうロリエ。起こしちまって悪いな」
「グーン、代わる」
「ロリエ先輩オザッス。……代わっていただけんのはありがたいんスけど、ここまで登って来られんスか?」
十七号船の操縦席は乗務員室から見て天井に位置した。床面から背もたれまでは二・五メートルほどあるうえ、加速重力がかかっているので飛び上がるのは無理がある。
ロリエは腕を上げて脇の下をアゴでさし示し、横柄に言った。
「サル、持ち上げろ」
「無理だってロリっちぃ。自分の身体で精一杯だよぉ」
現在の十七号船は、船長の妻ソフィがスペースデブリに倒れた時の帰還と同じく、全力運転での減速を行っていた。船の重さが出発時の四分の三程度に減っていた結果、その加速度は現在七・〇メートル毎秒毎秒程度にも及び、これは火星メインランドの重力の約二倍、金星重力にもせまる値だった。
そんな中で重さを感じさせない振舞いのロリエと、立ち上がるのがやっとのサルバ、そして上体を起こすのにも時間がかかっているエリスの図式は、カラダの鍛え具合が如実に表れていた。
「ちっ、ヒヨワめ。じゃあ壁に手ぇついて立ってろ」
「立つのもしんどいんだけどなぁ……しょうがねぇ、ふんっ!」
サルバは全身に力を入れて体を起こした。特に辛いのは首で、ちょっとでも気を抜くと酷い寝違いのような症状に陥る未来が見えていた。
さも重たそうに立ち上がったサルバは、言われた通りの体勢になった。
そこにまるで自重を感じていないかのようにロリエが足をかけ、スルスルっと操縦席に登った。その動きはまるで動画の早回しだ。
「グーン来たぞ。操縦席から降りたらハードスーツ着ておきな」
「了解ッスけど、この高さから降りんの恐いッスよ」
「いいからさっさとどけよ」
「ああああぁ!?」
シートベルトを外したグーンは、シートの背もたれをよじよじと移動してちゅうちょしているところを、ロリエに押されてごろりと転げ落ちた。
その先にはリリーフとサルバの手があり、なんとか床面に激突せずに乗務員室まで降りることができた。
「ひぃぃ……社長、先輩、アザッス」
「俺たちが補助してんだから、ひぃぃとか言うなよぉ」
「だからこそ心配……あいて、サーセン、もう言いませんってば」
二人の補助があってしても床面に寝転ぶ結果となったグーンは、加速重力に逆らってゆるゆると立ち上がった。
「ふぅー、やっと頭から血が下がってくれたッスよ」
「鼻血平気かぁ?」
「今回は平気ッス」
「んじゃとっととハードスーツ着ろよ、エっちゃんもな」
「了解」
その指示を聞いて、グーンは自分のハードスーツに向かった。
一方でリリーフは、エリスのハードスーツ着用のための準備を始めた。
サルバはと言うと、すでに室内にインパクトレンチの音を響かせていた。すぐにフェイスガードを着け終わることだろう。
グーンが加速重力にひーひー言いながらもハードスーツを装着した頃には、リリーフとサルバも準備が完了して、エリスのハードスーツ着用を介助していた。
「現在時刻〇四三〇、SOS発信源まで距離約五〇〇〇キロ、方位角〇ー九ー一、仰角〇六度。質量二〇トン、寸法一〇〇〇メートル四方変わらず」
「相変わらず謎なサイズだな」
ロリエの報告にライフリーの寸評が重なった。
推定寸法通りの大きさを持っているのなら、望遠カメラで見ることができても不思議ではない距離だ。しかし目標の方角には何も見当たらない。
「グーン、キャビンのディスプレイパッド使っていいから、目標のデータ読み上げとけ。更新された部分だけでいい。ロリエ、目標への通信語り掛け頼む」
「了解」
「了解」
ライフリーは、副操縦士業務を二人に割り振った。騒音や混線の中でも聞き取りやすくするには低い声の男声よりも高い声の女声が有効ということがわかっていたため、語り掛けをロリエに任せたのはライフリーの配慮だ。
『不明船、不明船、不明船、こちらMERRCN17、MERRCN17。救難信号を受信しました。応答を求めます。繰り返します、救難信号を受信しました。応答を求めます。どうぞ』
ロリエの余所行き声が先ほどから乗務員室に響いていた。
レーザー通信回線のほか、普段は使ってはいけないとされている電波回線でも語りかけていて、サーチライトを使ったモールス信号でも同じ内容を伝えていた。
しかし発信源からの応答は、SOS信号以外は今のところ一切なかった。
「返事ねぇなぁ」
「そっすねぇ」
床に置いたディスプレイパッドを囲んで、グーン、サルバ、リリーフ、エリスの四人は腰を下ろしていた。
返事がないということは、通信機器に破損があるか、通信手が身動き取れない状況にあるかのどちらかだ。前者ならともかく後者なら生命に危険がある。
だからこそ彼らは情報を欲していた。相手の船のコンピュータが勝手に返答することはあり得ないのだが、こんな状況ではそれですらも返事が欲しかった。
それから約一時間半ほどかかって、ようやく速度を合わせ終わった十七号船は、目標の遭難船と併進することができた。それにともなって船内の加速重力も消えていた。
しかし距離はいまだ数百キロ離れていて、船の望遠カメラでなければ詳細の観察ができなかった。
「目視サイズは縦二〇の横五ってところか。でも電波の反射じゃタテヨコ千メートルあるんだよな」
「社長、反射サイズはさっき更新されて、五〇〇カケル一八〇〇ってなってるッス」
「どっちにしろ謎な大きさだ」
ディスプレイパッドに望遠画像を表示させたリリーフは、そう唸った。
そこにエリスが便乗した。
「どうしてこんな反射サイズしてるんですかね?」
「考えられる可能性としては積荷の流出漂流だろ。でも拡散しないんだよなぁ」
リリーフが顎にあたる部分にグローブを当てながらそう呟いた。
無推進での軌道周回中は無重力となるが、積荷が散乱したのなら最初のベクトルに従って四方八方に散らばるはずだ。ベクトルを持たない積荷はそもそも散らばらない。
しかし電波反射サイズを見ると、観測精度が上がったための数値更新はあっても、拡散はしていなかった。そこが謎なのだ。
「積荷がロープやワイヤーで括られているから漂流しないとか」
「そりゃ変だろエっちゃん」
「変ですかね?」
「積荷に一つ一つ漂流防止のロープ繋ぐかぁ?」
「やりませんけど」
「だろ? 普通積荷ってのは荷崩れした後の漂流防止を考えるんじゃなくてさ、そもそも荷崩れしない、荷崩れしても漂流しない策を講じるモンだろぉよ」
「それもそうですね……」
エリスの質問にサルバが答えた。
よほど近距離の輸送でない限り、積荷というものは普通はコンテナに積載するか、大袋に詰めるか、とにかく一纏めにして輸送するものだ。これは古今東西を問わず当たり前の話だ。コンテナならば一つで済む漂流防止索を、積荷一つ一つに取り付ける手間をかける必要はない。そもそもコンテナに積んでいれば真っ二つにでもならない限り積荷が漂流するほどの事態には至らない。
とはいえ、一つ一つが繋いであるような挙動としか見えない現状では、その常識が通用しないでいた。
「じゃあそのココロは?」
「そこが分かんねぇんだよなぁ。厄ネタじゃなきゃいいけど」
エリスの追及にリリーフが答えた。サルバとグーンも交えて、四人が不安な表情でディスプレイパッドを目で追っていた。
そんな中操縦席のロリエは、謎の電波反射材には触れずにライフリーに質問した。
「船長、ランデブーの距離は二〇キロでいい?」
「いや、五キロまでゆっくり詰める。電波反射材が何なのか特定したい」
「了解」
十七号船は一〇〇メートル毎秒程度の慣性航行で接近を開始した。
徐々に近づいているはずだが、肉眼ではまだ薄暗い点にしか見えない。ここメインベルトでは太陽が遠いので明るさが限られるのだ。
「〇五〇〇、距離約四〇キロ、方位角〇ー八ー九、仰角一二度。目標質量一六トン、寸法五〇〇カケル一八〇〇変わらず」
そのグーンの読み上げを聞いて、リリーフはバイザーを下ろしながら言った。
「そろそろだな。ライフリー、俺とサルバで外に出とくぞ」
「お願いします社長」
リリーフの宣言にライフリーはそう返した。
ハードスーツとソフトスーツのコンビは、ハードスーツ二人分を入れる容量がないエアロックを一度で使えるため、外に出るのに都合が良いのだ。
だからハードスーツのリリーフとソフトスーツのサルバの二人は、外に出るなら自分たちになると判断して、それぞれ推進剤缶三つ空気缶四つの携行など、外に出る準備をすでに整えていた。
十七号船の室内には、エアロックから空気を吸い出すポンプの音が一定のリズムで響いていた。
現在距離は約三〇キロ。望遠では目標船の外観は細かいところまで見えていた。
次話は、第八六話 漂流船乗り込み(空間遊泳、救助活動)です。