第八四話 単独運航開始(操船、軍、グーンの過去)
前話は、第八三話 編隊航行訓練(操船、編隊航行)です。
『各船、こちら十五号。現時刻よりシアリーズ低軌道への帰還まで、単独運航を開始する。いよいよだぞ、みんな頑張れ。どうぞ』
『十五号、こちら十六号、了解。編隊から離脱する。どうぞ』
『十五号、こちら十七号、了解。離脱します。どうぞ』
『十五号、こちら十八号、了解。ボンボヤージュ。どうぞ』
復路出発後一日目の一二〇〇、かねてより予定されていた単独運航の開始が十五号船のルー監督見習から宣言された。
一般的に、宇宙を航行する航宙船は団体で運航するものだ。
これは、不測の事態や事故に対応するためには、人手や機材が多ければ多いほど有利という、当たり前な理由からきている。
しかし様々な理由で単独運航せざるを得ない場合もあり得る。先日十七号船の乗組員が被ったデブリ事故の際も、先行してシアリーズ星に帰還するために単独運航を行った。
そしていざ単独運航が必要な時に、新人だからと言って「自信がないのでできません」では困るのだ。
だからメリ建の社員は全員、定期的に単独運航訓練を受けていた。
現在操縦桿を預かっている昼勤二班のエリスを除いて、十五号から二十号は噴射影響圏から進路の軸線をずらして、フルスロットルのオレンジ尾を長く伸ばした。加速度はきっと三・〇メートル毎秒毎秒を超えているだろう。
一方で十七号船だけは、それまでの〇・一メートル毎秒毎秒から一・〇メートル毎秒毎秒に増速しただけだ。推進ベクトルは変更していない。
正操縦席のロリエが口を開いた。
「エリス、予定航路の復唱」
「はい、等加速度直進運航の太陽周回湾曲軌道で、黄道面と一致した航路です。シアリーズ到着は一日後の二〇三四の予定」
「グーン、確認」
「ウッス、手元の計算と一致してるッス。付け加えるなら、転回は明日〇四二〇の予定」
「あ、いけない、すいません……」
「フライトレコーダーへの報告は過不足なくな」
そう、メリ建の六隻のうち、十七号船だけが一メートル毎秒毎秒の等加速度直進運航を選択し、それ以外の五隻は先日のライフリーが見せたような全力航行での帰還を選択していたのだ。
副操縦席に座るエリスの背もたれにぶら下がるようにして、ジャージ姿のグーンは操縦室にいて、内心密かに「失敗したかも」と思っていた。
まさかこの通常の航路を選んだのが十七号船だけだったなどと、航路を決定したときには思っても見なかったのだ。
全力航行を選ぶのはきっと、横暴なクレシア先輩率いる十六号船、調子乗りのスーがいる十八号船くらいで、他の船は落ち着いていると思っていた。
まさかまさか……。
グーンは航路を決定した責任というものを感じ、そうした弱音を吐かないように気を張っていたのだ。
ライフリーの行う人力リアクションホイール運動の影響で、乗務員室の中にはぎしっ、ぎしっという音が聞こえてきていた。フレームがねじれストレスをため込む音なのだろう。
いつものロングドカジャン姿のロリエと、ジャージ姿のエリスは、無言で仕事を執り行っていた。と言ってもその雰囲気は気安く、喋る必要がないから喋らないというだけで、別に気まずい空気が流れている訳では決してなかった。
なおソフトスーツの上にシャツと短パンのサルバと、ハードスーツを着たままのリリーフ社長は、今は睡眠中だ。
「一二一〇、裸眼視認範囲からの各船の離脱を確認。周辺異常なし」
エリスによる周辺監視報告の声が乗務員室に響いた。
そんな中、グーンは背もたれから離れて壁を蹴り、ライフリーの運動の邪魔にならない位置でギャレーに落下していった。そろそろ第四食の準備時間だからだ。
さて、単独航行のコース決めは復路出発に先立ってグーンが決定していた。もともと新人が率先して決めるのが通例だが、エリスはまだ良く分からないとのことでグーンが代表した形だ。
その航路は、何の変哲もない、いつもの加速重力を得る軌道の航路だ。
理由はこうだった。
「それが、安全と時間と推進剤消費量の少なさを最も両立できる軌道だからッス」
航路候補には、以下のものがあった。
一、加速・慣性移動・減速がはっきりした慣性軌道。
二、一定加速度での湾曲軌道。
三、可変加速度(全力運転)での蛇行軌道。
四、可変加速度かつ進行角と船首角が一致しない横滑り軌道。
なお、大質量天体重力でのスイングバイ軌道や、太陽重力を利用した弾道軌道などは、ここメインベルトではあまりにも非現実的なため、最初から考慮に入れられていない。
このうち燃費が良いのは湾曲軌道だ。だからこそ普段の遠征移動でも採用されている。
そしてこの軌道が一般的だからこそ、他者から見ても出発点と到着点が容易に推察できることは、安全性が高いことにも繋がった。
加えてこの船には生身の人間が乗っていることから、時間は最も重要なファクターだ。
この軌道がグーンの口から語られた時、まだ良く分かっていないエリスを除いて、全員の気持ちは「何故?」だ。
本来この単独運航訓練は、新人に無茶をやらせて失敗させて教訓として学んでもらうためのものなのに、失敗しそうにない運航では意味がない。
しかしグーンとエリスはすでに、全力運航での蛇行軌道を体験している。徐々に軽くなる船体重量のせいでどんどんきつくなる加速重力に加えて、到着寸前での酸化剤枯渇・漂流というデメリットまで体験してしまっている。
慣性軌道は無人の宇宙船ならともかく、有人の船では論外だ。時間がかかりすぎる。
あと残すのは横滑り軌道だけだが、これは遠征からの帰還のような小惑星間航行には本来必要のない技術で、むしろ特殊機動と言うべきだろう。速度と燃料消費量が見合わず効率が悪いのだ。
もっとも、そうした大人たちの思惑などグーンの知ったことではない。グーンの感覚としては、普通の湾曲軌道を操船させてもらえるだけで充分なのだ。
そしてエリスはそうした違いまではまだ理解が及んでいない。
そんなわけで一二一五に始まった第四食でも、グーンとエリスに対する「なんで無茶しないかな」という疑問がライフリーとロリエの胸中にくすぶったままだったことは、無理もない事だっただろう。
その後一四〇〇の三班起床と一班就寝、一六〇〇の二班三班交代を経て、一七〇〇を間近に控えた時刻。
ふいに目を覚ましたグーンが、壁に据えられた寝袋からモソモソと出てきた。
「あれ、どうしたのグーン」
「ん……トイレッス……」
トイレから戻ったグーンは、引き続き壁の寝袋に入ってアイマスクをつけた。すぐに眠れると思っていたグーンは、しかしその後しばらく眠れずにいた。何故ならちょっぴり興味のある話題がそこで展開していたからだ。
「へぇ、それじゃロリエ先輩は社長と同じ家族なんですね」
「今のところ書類だけはって感じだけどな。なのにロリエは独身寮で暮らすって」
「社長、アタシのことはそのへんにして貰えますかね」
目を瞑っていてもわかる。ノリノリなのはエリスと社長だけで、ロリエはきっと苦虫を噛み潰したような顔をしているに違いない。そして操縦席から聞き耳を立てているサルバの図式まで想像できて、グーンは寝袋の中で苦笑いした。ライフリーは隣の寝袋で規則正しい寝息をたてている。
ちなみに微小重力環境下では、いびきをかく者はかなりの少数派だ。一方で小重力でいびきをかかない者も、大・中重力環境下で寝るといびきや無呼吸といった事態に繋がる。
「太陽周回速度喪失まで三〇秒。……三、二、一、ナウ。一七〇三、太陽周回速度突破。軌道逆行に入ります」
グーンがその後寝袋で聞いた話は、要約すると次のようなことだった。
リリーフとライフリーは、軍の平和維持活動として地球圏近傍に遠征したことがあること。
ある日、宇宙海賊の拠点を制圧、民間人拉致被害者として当時十四歳のロリエと三歳のサニーナを救出したこと。
そして色々あって前社長メリーが二人を引き取った、というのが大雑把な話の流れだった。
それ以降もグーンは話を知りたかったが、睡魔には勝てなかった。
さて二二〇〇の一班起床と二班就寝。
この遠征に入ってからろくに接点がなかったグーンとエリスは、ようやくわずかな会話の機会を得られた、と思っていた。
しかし二二〇二にはすぐに、会話が邪魔されてうやむやになってしまった。航行上の節目である、逆行での太陽周回速度再取得点突破だった。苦笑いと共に、エリスは就寝した。
そして翌〇〇〇〇の業務交代時間を控えての第一食。
ライフリーやロリエと同じく、新人二人の決断を疑問としていたサルバが、口を開いた。
「なぁグーン」
「もぐもぐ……なんスかサルバ先輩?」
「結局この軌道にしたの何でよ? この軌道じゃ競争に勝てねぇぜぇ?」
「や、スピードレースに興味はねッスもん」
「興味なくてもよ、他が全力運転を選択したなら、それに合わせるってのもアリだったんじゃね?」
「そこなんスよ、まさか他の船みんな全力組に流れるなんて、思ってもみなかったッス。おかげで広い宇宙でぼっち旅なんスよね」
もぐもぐと口を動かしながらも、グーンとサルバは言葉を重ねていった。
「本当の理由は、まぁ話しても良いんスけど」
「おう、聞かせろよ」
グーンとサルバがいるということは当然、ライフリーとリリーフもいるということだ。グーンはこの二人に本当の思惑を聞かれることに、気恥ずかしさを感じていた。
「少しでも長く乗船実績時間を積み上げるために、わざと時間がかかる航路を選んだってのも、ま少しゃ思惑にあるんスけど」
「あんのかよ。意外とコソクだねお前」
「へへへ、スピードレースに興味ねえって言ったじゃねッスか」
その話で四人とも苦笑いだ。乗船実績は確かに大事だ。
「でもそれより大事な理由ってのがあるんスよ」
「おう」
「この間船長の操船で全力運転帰還したとき、酸化剤が無くなって漂流しかけたじゃねッスか。あの時俺、ひそかにめっちゃビビってたんスよ」
「いや、はた目にもめっちゃビビってたの丸わかりだったぜ、グーンは」
「いや、そこはともかく!」
グーンは次いで少し顔を険しくして言葉を紡いだ。
「推進剤や酸化剤や水、ひっくるめて推進剤って言いますけど、それの余裕が欲しいんスよ。不測の事態があってもカバーできるくらい」
ライフリーが操船した鉱山炉建設からの緊急帰還の際、シアリーズ本星を目前にして酸化
剤を切らせてしまった。
あの時はシアリーズ星が裸眼でも見えるほど近くで、しかも沿岸警備隊の船がいることが分かっていたからこそ、それほど問題にならずに帰還できた。
だがもっと手前で切れていたらどうだったか。グーンはきっともっと取り乱していただろうことを、自覚していた。
その経験が判断に影響を及ぼしたのだろう。グーンは安全策をとっていたのだ。
「推進剤の余裕はあっても、食料の余裕はそんなに無ぇんだけどなぁ」
「機械と違って人間は我慢が効くじゃねッスか」
余裕がないという食料をガツガツと消費しているサルバは、そう茶々を入れた。そしてそれに口を尖らせつつ、我慢せずにガツガツと食事を続けるグーン。それを見てリリーフ社長とライフリーは少しだけ笑い合って、やはりガツガツと食事を楽しんだ。
「ま、悪いとは言わねぇけどな」
「そっすね。悪いどころか良い判断ではあるんですけど」
リリーフ社長の独り言にライフリーが相槌を打った。
他の船がやっているように、どこの船が先に到着するかの競争をすると、どうしても速度のために安全性に目を瞑ってしまう場面が出てきてしまう。それは安全のために進路変更をすべき場面で、都合の良い解釈で無理を押し通そうとしてみたり、航宙管制官からの安全な航路の提案をスピードのために却下したりだ。
それよりはずっと良いことは二人のベテランもわかるのだが、どこか若い者特有の覇気に欠ける気がしたのが、これらセリフの理由だ。
彼らとしては、フォローできるこういう機会に思い切り急いだ操船をして、そして失敗を重ねて叱られて、教訓として欲しいのだ。
食事を終えたグーンは、日付の替わった〇〇〇〇、副操縦席をリリーフ社長と代わった。これでようやく夜勤三班は終業して待機に入れるようになった。
現在サルバは食事の後片付けを行い、ライフリーは乗務員室のテーブルでディスプレイパッドを操作して、航路情報を確認していた。
「それにしても新人、ずいぶん達者に船を預かるもんだな、お前」
サルバに淹れさせたコーヒーの無重力対応カップを持ったリリーフ社長は、グーンの座る副操縦席の背もたれにぶら下がり、飲み口から中身を啜りながらグーンに問いかけた。
片手でディスプレイパッドを操作しつつ、目は表示内容と前方視界を行ったり来たりさせているグーンは、その社長の言葉に返事をした。
「アザッス、先輩方のご指導のおかげッス。でも正直いっぱいいっぱいッス」
「いっぱいいっぱいなのくらいは当たり前だろ、新人なんだから」
リリーフ社長はグーンの謙遜を切って捨てた。
「言いたいのはよ、そんな中でもとっ散らかんないで済ませてんのが大したモンだってこったよ」
「よして下さいッス、社長」
「本格的な操船は今回が初めてなんじゃなかったか?」
「管制とのやり取りとかは初めてみたいなモンッスけど、ゲンミツにゃ初めてじゃねッス」
グーンはそこで、訓練校での操船の経験を社長に明かした。
訓練校では一隻に十人が乗り組んで実習航宙に出ていた。三交代制の三人一組と引率の教官だ。
訓練校に来る連中はバカばっかりだったが、乗り物大好きな連中でもあったので、操縦はいつも取り合いになっていた。
何しろ個人でも宇宙船を持って宙域をブイブイ言わせてた連中なので、操船の技量には自信のある連中ばかりだった。ちなみに彼らの船はもちろん無保険だ。
ただしそれは、自由に操船を行って良い自分の船を操っている時だけだ。学校の船では自由な操船などほとんどない。
だからそうした自称腕自慢な連中は、出航時とか方向転換時とかの腕前を自慢できる場面以外では、むしろ面倒がって誰かに操船を押し付けていた。
その押し付けられていた存在がグーンだったと、そういうことだ。
社長はそんなグーンの話を聞いて、あえて短絡的な感想を言った。
「何お前、イジメられっ子だったのか」
「そういう訳じゃねッスけどね。大体のクラスメイトは気のいい奴らばっかりだったッスし、むしろ俺から頼んで退屈な航路の操船を代わって貰ったりしてたッス」
社長は残り少なくなっていたコーヒーの最後の一飲みを終わらせながら聞いた。
「そりゃなんでまた」
その問いかけを受けて、グーンは答えた。目はコックピットガラスの向こう、宇宙を見つめていた。
「俺、訓練校の体育科にいたんスけど、その間は航海実習とか休みがちだったんス。でも二年の時に、所属してた空手部を部員定数割れで潰しちまったんスよね」
「そんなことあったのか」
「ええ、でも不幸中の幸いってヤツで、体育科の活動が無くなったおかげで、宙技士免許に必要な乗船実績がギリギリで足りそうになったんスよ。それで追いつくために出来るだけ操船代わって貰ったんス」
グーンは代わって貰ったと一口で言うが、リリーフ社長は追及した。
「ふーん、頼んで代わって貰える奴らばっかりだったってか」
「いやまあ、むしろ定員割れっつーか、教官と二人っきりでとか……単独操船とか」
「え」
リリーフは目をむいた。
「なんでそんなことになるよ。三人ずつ三交代で乗り組んでたんだろ」
「その、サボりで実習欠席する奴が毎回ニ、三人は出るんで」
「クラスでか」
「いえ、船一隻当たりでッス」
「……」
ひとクラスを四〇名とすると船四隻分。五クラスあれば二〇隻分。その中で毎回二、三名の欠員が出ると、五十名ほどが航海実習をサボっていた計算になる。
リリーフは愕然とした。それはイジメられていたのと何が違うのか。その言葉を外には出さず、彼は心のうちだけでため息をついた。
(かー、そういう甘ったれが毎年入ってきてた訳か)
ここで入ってきたとリリーフが言った先は、メリ建ではなく軍を指していた。
訓練校を卒業してすら就職できなかった、そうした連中が毎年軍に入隊して、少なくない教育リソースを浪費している現場を、当時下士官であったリリーフは目の当たりにしていたのだ。
シアリーズ星を中心としたシアリーズ宇宙軍は、外征艦隊、海兵隊、沿岸警備隊その他を擁し、メインベルトほぼ唯一のまともな軍である。その規模はそこそこ大きいとはいえ、兵の練度や装備の先進性で他国の軍に水を開けられていた。
装備については、国力がもろに出る部分なのでまぁ仕方がない。
練度については、精強な兵がいない訳ではなく、上と下の差が激しいのだ。
理由は上記のような、民間で働けない者の受け皿となっているからだ。
どんなろくでなしでも一定の水準までは教育し直す軍のノウハウは、シアリーズ社会に非常に頼られている一方で、教育カリキュラムと人件費は予算を食いつぶし、装備の更新が割を食う形となっていた。
その一方でろくでなしを鍛えても所詮、マシなろくでなしにしかならないのだ。
もっともそれもこれも、火星メインランドから派遣される歴代総督の方針でもあったせいなのだが。
(セクハラ恐喝の実態といい、訓練校卒業生の採用はしばらく見送ったほうが良いな)
すっかり呆れ顔となってリリーフ社長は静かに立ち去った。
現在時刻〇四〇〇。
船は昨晩一七〇四のシアリーズ基準軌道速度を超えての逆行軌道突入、同昨晩二二〇二の太陽ーシアリーズ基準高度到達・超過を経て、〇四二〇の方向転換を目前にしつつ、太陽周回速度を徐々に捨てて太陽の方に切り込む軌道を一メートル毎秒毎秒という標準加速度で進んでいた。
つい数分前に第二食を食べ終えた乗組員は、一班は当直監視任務、二班は睡眠、三班は思い思いのプライベートタイムを過ごしていた。
コックピットガラスの向こうは漆黒の宇宙空間だけが見えていた。
メインベルトは小惑星が点在する地域だが、狙って進まない限り小惑星に出会うことなどない。
そんな空虚な空間を十七号船はしずしずと航行していった。
しかしそこに静寂を引き裂くような、短音三回、長音三回、短音三回の特徴的なビープ音が鳴り響いた。
次話は、第八五話 漂流船発見(船舶・航海)です。