第八話 初ベクトル変更(航路・船舶、ドール、リアクションホイール)
前話は、第七話 初当直(航路・船舶)です。
ちょうどその時に、ピピッというアラーム音が操縦席に響いた。当然キャビン(乗務員室)にもその音は筒抜けだ。
「え?何の警報だろ、接近警報じゃなさそうだし……」
「ベクトル変更三十分前のアラームだよ」
グーンの戸惑った声を制したのは、サルバだ。
「そんじゃ二班最後の仕事だね、エリスはキャビンの固定確認やっときな。アタシはギャレー(調理室)見るから」
「はい」
途端にガサゴソと動き出した女性二人を背後に感じ、グーンはサルバに質問していた。
「先輩、俺は何かすることあるッスか?」
「ワッチキープと並行して、荷台以外の各部をカメラで確認してくぞ。俺が右舷やるからお前左舷な、逆さまだからって間違うなよ」
「了解」
ワッチキープサポートシステムのおかげで、元々監視任務は時折のチラ見で充分だった。
だから労力の大半を外部カメラの切り替えに使い、二人は宇宙船外部の様子を確認していった。
ちなみに逆さまに座るグーンは、担当の左右を取り違えたりしなくて済んだことは、ここに記しておこう。
「右舷異常なし。新人そっちどうよ」
「左舷確認、もうしばらく待ってください」
相変わらずサルバ先輩は仕事が速い。グーンは自分との差を痛感し、ちょっと自信を無くしていた。
グーンの確認が終わるまで、サルバは右舷をもう一度目視確認していった。
「再確認、右舷異常なし」
「先輩速いッスよぉ」
「初めて触る宇宙船で確認できてんだけ上等だよ、ゆっくり確実にやれって」
グーンの泣き言に先輩風を吹かせるサルバ。くぅ。
「左舷終わりました、異常なし」
「おう、お疲れ。姐さんそっちどぉー?」
「アタシもエリスも終わってるよー」
エリスがキャビンの段ボールなどを確認している間に、ソフィはギャレー、トイレ、エアロックを確認したらしい。
「最後にロボットアームだ。新人二人、サルバの後ろで操作を見学しな」
「はい」
グーンとエリスはサルバの席の後ろにぶら下がり、空いた副操縦席には念のためソフィが着いた。
モニターはすでにロボットアームのカメラ視点に切り替えられていた。
「んじゃ荷台の固定始めまーす」
「了解」
サルバは、そう声をかけた。すでにゴーグルの着いたヘルメットを被っていた。
操作ジョイスティックに触れてもいないのに、アームカメラの映像がスルスルと動いていった。
それを見たエリスが声を上げた。
「あれ、何も操作してないのにアームが動いてる……なんで?」
「操作はちゃんとしてるぜ、エっちゃん」
サルバからのその気安い呼び方に、エリスは驚いた。
「え、エっちゃんって……」
「ぷ、エっちゃんは良いね、これからそう呼ぼうか」
「恥ずかしいから勘弁してくださいよぅ……」
アームカメラ映像は荷台のコンテナを順々に映し、マニュピレータでガクガクと揺すって固定確認をしていった。
そして最後に、船長のハードスーツを映して移動を止めた。
多関節アームの先に、並行して二本マニュピレータが装備されたロボットアームの左手には、すでにガムテープが握られていた。
「半年くらい前かな、この船のロボットアームが完全におシャカになったことがあったのさ。修理に出すとその間仕事になんねぇからって、社長がドールも扱ってるメーカーと交渉して、試作のドールアームをポン付けしたのさ、こんな古い船に」
サルバが操作するアームを見ながら、ソフィはそう解説した。
「ドールってあれッスか、第四世代宇宙服ってキャッチコピーの」
「そうそ。動かそうとする考えだけで動く、脳波コントロールのアレだよ」
グーンのつぶやきに答えるソフィ。
宇宙服は、伝統的な空気与圧の系譜のハードスーツを、第一世代としていた。
続いて出てきた、与圧を空気圧ではなく素材圧で行うソフトスーツを、第二世代。
与圧とパワーアシストを、人工筋肉などの自在圧力で行うパワードスーツを、第三世代。
そして近年、船外活動ユニットと操縦者を分離して安全を確保した通称「ドール」が、第四世代と提唱されていた。
もっともドールは宇宙服の枠からはみ出ているため、頑なに第四世代と認めない派閥もあったし、ドール技術から派生したドールスーツを第四世代と提唱したがっている派閥もあったので、本決まりではないらしい。
ともかく十七号線のロボットアームは、そのドールと同じ脳波だけで動く代物だった。
しかしサルバは、モニターに映るアームの動きと同じように、その両手を動かしていた。
「考えだけで動くんじゃなかったんスか?」
「うるせぇな、俺はそこまで慣れてねぇの!こういうのはロリっちが専門なんだよ!」
グーンの突込みにそうキレ気味に答えながら、サルバは船長をガムテープで船体に固定していった。
ついでにヘルメット前部のガラス部分に、ガムテープでバツマークを貼り付けていた。
「はい完了っと。姐さん確認」
「確認したよ。マジックペンでいたずら書きしたいところだけど、見逃してやっかぁ」
アームはサルバの脳波で、ゆるゆると待機位置に戻っていった。
動かす間、サルバは腰をよじったり足を突っ張ったりしていたのを、グーンはしっかり見ていた。
「待機位置ロック完了。これで準備全て良し」
「準備全て良し確認。おつかれ。エっちゃん、コーヒー四人分頼むわ」
「了解ですけど、エっちゃんはやめて下さいよぅ」
ソフィに指示されたエリスはギャレーに流れていった。
(なんかエリスばっかお茶汲みさせられてんなぁ、手伝えりゃいいんだけどなぁ)
その様子を背中に感じていたグーンは、心の中で独り言をつぶやいていた。
しかし現在エリスは引き継ぎ時間で、グーンは正規の勤務時間でワッチキープという重要な任務を負っている。それは自分でも分かっていた。
とはいえ、先ほども述べたワッチキープサポートシステムのおかげで、それほど見っ放しでなくとも当直任務はこなせていたので、むしろ自分が楽をしているようでどこか居心地が悪かったのだ。
「はいコーヒーどうぞ」
「あいよ、悪ぃな」
先にコーヒーを渡したソフィとサルバにさんざん「エっちゃん」とからかわれていたエリスに、グーンの口から出た言葉は「悪いな」だった。ちょっとした居心地の悪さがそう言わせたのだろう。
「さぁてそろそろ時間だね」
「姐さん、カウントダウンも流しときますぅ?」
「そうだね、新人もいることだしやっとこう」
「了解」
ソフィの指摘にサルバが答え、自動カウントダウンの音声をオンにした。
操縦席近辺のスピーカーから、合成音声が流れ出した。
「……三六〇秒前。……三五〇秒前」
普段、船のコンピュータから音声が聞こえてくることはなかった。この音声も録音されていた音声の再生に過ぎない。彼らメインベルトの船乗りには常識だが、コンピュータに人語を話させることは無駄なのだ。
なのにわざわざカウントダウンを再生するのは何故かというと、ただの雰囲気だった。
四人はコーヒーチューブをすすりながら、カウントゼロを待った。
「六〇。五九、五八、五七……」
「なんかカウントダウンって緊張しますね」
エリスのつぶやきに誰からも返答はないが、全員は視線とほほえみで同意を示していた。
「五、四、三、二、一、〇、一、二、三、四、五……」
カウントゼロと同時に、遠くでリアクションホイールが甲高い音を奏でだし、ピッチ方向にゆっくりと身体が持っていかれた。
「おっ、おおぅ……。振り幅、結構大きいッスね」
「まぁな、六艘も繋がってるかんな」
単独の宇宙船なら自分だけのベクトル変更だけで済むが、現在は六艘編成で連結している状態だ。一艘当たり三〇メートルとしても、全長一八〇メートルもの長さになる。どこを回転の起点とするかにもよるが、その振り幅が小さいはずがなかった。
繋いだままの転回は、コンピュータの緻密な制御なしには成立しない。そしてリアクションホイール、バーニア、ベクターノズルなしにも成立しない。
リアクションホイールは、自身の回転による反作用で船体に回転モーメントを与える姿勢制御機器だ。バーニア(小出力スラスタ)などの噴射装置と違って推進剤の消費なく三軸制御ができるので、普通の宇宙船にはほぼ標準装備されている代物だ。
なお三軸とは、ロールと呼ばれる機体の前後軸を中心とした左右回転、ヨーと呼ばれる機体の上下軸を中心とした左右回転、ピッチと呼ばれる機体の左右軸を中心とした上下回転のことを言う。
リアクションホイールの欠点は重いこと、電力を消費すること、回転数が上がるとジャイロ効果も発生すること、そして回転数には上限があるため無制限に使えないことだ。
今回使ったリアクションホイールはピッチ軸用のもののペア二基で、船体を回し始めるときに回転して、その回転にブレーキをかけることで船体の回転も止まった。
ちなみに同じ動きを、他の方法でも行える。バーニアなど姿勢制御スラスタでもできるし、方向によってはエンジンに付けられたベクターノズル(噴射方向制御型ノズル)でも可能だった。そして効率はかなり悪いが、同じ動きをロール軸用やヨー軸用のリアクションホイールで合成できる場合もある。姿勢制御の選択肢が広がることは、故障時の安全確保に寄与していた。
一八〇度回頭にたっぷり二十秒以上を費やし、やがて船の回転は止まった。カウントの音声も止まった。
「現在時刻、座標、ベクトルの順でチェック」
「チェック……問題なし」
グーンは副操縦席に表示されているモニターに映った二列の数字表を素早く目で追って、双方が一致していることを確認して声を上げた。
「新人、こういうときはちゃんと数字も声に出して、正副で読み合わせするんだぜ」
「あ、すいませんっした、やり直します」
「現在時刻、座標、ベクトルの順でチェック」
「実測数値読み上げ準備よし」
「読み上げはじめ。現在時刻一六五四、座標……」
グーンは改めて実測数字を読み上げ、サルバも同時に、正操縦席モニターの予測数字を読み上げた。
最後までその数字の朗読は一致していて、誰にでも結果が一致していることが理解できた。なるほど、重要な節目は読み合わせをするのか。グーンはまた一つかしこくなった。
「確認完了、おつかれさん」
「お疲れ様ッス、ふー緊張したー」
「新人にしちゃ上出来だけど、まだまだだかんな、チョーシ乗んなよ」
「ウィッス」
サルバのにやついた軽口も、グーンにはねぎらいの言葉にしか聞こえなかった。
次話は、第九話 初筋トレ(リアクションホイール)です。