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第七二話 テト攻勢(ハイヤー、グーン事情、旧正月、祖母心情)

前話は、第七一話 鳶資格試験(実技試験、姿勢矯正、エリスとアンネの接触、旧正月、筆記試験)です。

◆有給休暇一日目:初めての彼氏との旅行


 さて次の日。グーンは早朝から身だしなみを整えて、入社時のスーツを着こんでいた。


「じゃサルバ先輩、行ってキャス」

「お土産ヨロー」


 サルバは三段ベッドに寝転んだまま、グーンに返答した。顔も見せない。

 もう少し親身な見送りを期待していたグーンは、独身寮の玄関ロビーで待ち合わせついでに、寮監夫妻にも挨拶をした。

 やがて〇六三〇(マルロクサンマル)、エリスもその場にやってきた。同じくスーツ姿だ。四日目に入った生理痛は薬と気力で抑え込んでいるようだ。


「そんじゃ出発しますか」

「うん。寮監さん、行ってきます」


 メリ建の敷地を出て、そのまま宇宙港の旅客ターミナルに向かった二人は、あらかじめ予約していた搭乗券の手続きをして、待ち時間に朝食をとった。

 やがて〇七四〇(マルナナヨンマル)シンタナ発ハウラニ行きの便に搭乗し、ものの数十分で到着。

 ハウラニの地下鉄エアーチューブトロッコに乗って、今度は都市ブロックのバスターミナルに向かった。


「高速バスの待ち時間は五〇分か、順調順調」

「ハウラニを出て五か月たつけど、今のところ懐かしくは感じないね」

「港湾もバスターミナルも、どっちも縁遠かったッスからね」


 バスターミナル併設の土産物屋で時間を潰し、やがて時間になってボーディングブリッジからバスに移動した。ここらへんの流れは、先日のシンタナ居住ブロックに向かったときと一緒なので、戸惑うことなく乗りこめた。

 バスの車窓からは、訓練校の遠景が見てとれた。この行程で唯一の懐かしいポイントであったが、それはグーンにとってだけで、エリスにとっては思い入れも何もない場所だ。せいぜいバスの中で、訓練校でのエピソードを軽く話題に出来た程度だった。

 そしてバスは高速道路で遠心重力ブロックに同期して、まず北エアロック停留所に寄り、次いで西、南と寄って、東エアロック停留所のボーディングブリッジに接続した。

 下車した二人は、停留所から居住ブロックに足を踏み入れて、エアロック前のロータリーに出た。


「ふー着いた着いた」

「あ、グーンあそこ」


 エリスが指さした方向には、ルーフに行燈(あんどん)を載せた黒塗りの自動車が止まっていた。ハイヤーだ。

 ドライバーの爺さんが車の横に立って、グーンとエリスの名前を書いた紙を掲げていた。


「予約していたダイ・ヴォン・グーンです。これ予約番号」

「はい確かに。春節の帰省だね。お帰んなさい、ご苦労様」

「あ、はい、ただ今帰りました。……照れ臭いッスねそれ」

「この時期は、こう声をかけんのがハイヤー業界の礼儀なんでさぁ」


 ドライバーの爺さんはそうカラリと笑い、二人の手荷物を受け取ろうと手を出した。


「若奥さん、手荷物をお預かりしゃすよ。トランク開けるから待ってくだせぇな」

「……い、いや私たちは、その」

「ありゃ早とちりしちまったですかい? そんじゃ彼女さんかな? お若い方を乗せんのも久しぶりなんでね、勘弁してくださいや、あはは」


 そうして着替えなどが詰まったバッグはトランクに、手土産は車内で膝の上にという形で、ハイヤーは走り出した。

 旧正月の帰省ラッシュにモロ被りの時期ではあったが、早朝から行動していたおかげで、それほど渋滞に巻き込まれることもなく、グーンの家に到着できた。


◆初めての彼氏の家


 ハイヤーが走り去ったあとには、道路ギリギリまで建てられた間口の狭い家が建ち並んでいた。


「ゴクリ」


 そのうちの一軒に二人は歩み寄り、呼び鈴を押した。


『はぁい』

「グーンです。ただいま」

『あぁはいはい、今開けるよ』


 玄関から顔を見せたのは、グーンの祖母だ。


「おかえり、グーン」

「ただいま婆ちゃん。えー、こちら電話で伝えておいた、同僚のエリス・ザグレートさん」

「よろしくお願いいたします。お世話になります」

「はい、ようこそ。家におあがりくださいな」

「うん。それじゃ」

「お邪魔いたします」


 玄関で靴を脱ぐのは、元々は地球のアジア圏での風習だったのだが、宇宙時代の今日(こんにち)では、家のカーペットが汚れなくて良い、と広く受け入れられていた。もっとも靴は脱いでもスリッパは履くものなので、靴下そのままで家に上がる習慣は滅多にない。

 通されたリビングは玄関から続きの部屋で、壁にはグーンが初任給でプレゼントしたバッグが掛けてあった。


「こちらつまらないものですが、皆さんでお召し上がりください」

「あらあらご丁寧に。ありがとうね」

「俺からもシンタナ土産。後でみんなで食べよう」

「ありがとねグーン。まぁお座りなさいな」

「それじゃ失礼します」


 祖母、エリス、そしてエリスの椅子を引き終わったグーンの順で、ダイニングの椅子に座った。

 チャイナ式のお茶が出てきたその後は、到着が早かった賞賛と理由、エリスの詳細な自己紹介、初任給プレゼントのお礼と使い心地、グーンの他の家族の予定、職場の様子とエピソード、テト見物の見どころなどと、当たり障りない話題が続いた。


◆初めての彼氏のご両親


 そしてそろそろ話題が尽きたかと思われる頃、呼び鈴のチャイムが鳴った。


「ファリたちが来たのかねぇ。アンタ達はここでゆっくりしてな」

「はい。……ファリって人はどなた?」

「俺の姉ちゃんの名前ッス」


 そう言って、祖母は玄関に出ていった。玄関先で何か話しているが、さすがに聞き取れない。

 耳を澄ませているうちに、祖母は訪問者を家に招き入れて、リビングに連れてきた。

 姉夫妻かと思っていたのに現れた中年男女を見て、とっさにグーンもエリスも起立した。


「久しぶりだな、グーン」

「お久しぶりです、お父さん、お母さん」

「ん? ああ、うん」


 黒肌黒髪に黒縁ロイド眼鏡をかけた中年男性がグーンに話しかけ、グーンは十五度の会釈で返答した。どちらも緊張しているようだ。

 その短い会話に続けるように、グーンそっくりの顔に化粧をした中年女性が話しかけた。明らかに血縁者だ。


「ずいぶん言葉遣いが変わったのねぇ」

「もう学生じゃありませんので。……こちら会社の同僚のエリス・ザグレートさんです」

「はじめまして。グーンさんと同じ船に乗り組んでおります、エリス・ザグレートと申します。よろしくお願いいたします」


 そこにいたのは、グーンの両親であった。グーンも祖母も滅多に会った記憶のない二人が、今回テトの帰省でハウラニに来たのだった。

 これはもちろんグーンによる、テト見物をしたがっている女性同僚を家に招待する、との事前連絡の結果だ。祖母が気を利かせて両親にも伝えてくれたのだろう。


「これはご丁寧に。グーンの父のダイ・ヴォン・クホシッツ・ゼータです」

「母親のダイ・ヴォン・イーナです。テト見物にいらしたんですって? ようこそ」

「ご歓迎いただき、ありがとうございます」


 祖母のすすめによって四人はダイニングにかけた。

 訪問時と同じく、グーンはエリスの椅子を引いて、一番最後に着座した。

 父母はそこまで配慮せずそれぞれに座っていただけに、グーンのその仕草が堅苦しくも妙に初々しいものに、父母には見えていた。


「グーンの彼女さんかしら?」

「おいおいイーナ、初対面の人に……」


 中年男性は、イーナと呼ばれた中年女性の発言に苦笑を返した。

 しかしグーンとエリスはその言葉に照れたように俯き、視線をそらした。


「あら。……本当にお付き合いしているの?」


 イーナと呼ばれた母親がそう語りかけると、グーンはまるで面接を受けているかのように姿勢よく座ったまま、返答した。しかし顔は赤い。


「今回彼女を連れて一緒に帰ったのは、その件でご相談に乗って貰うためでもあるんです」

「ということは。……ということは、婚約?」

「……はい」


 両親も祖母も大人だ。だからグーンから帰省の際に女性を連れてくると聞かされた時には、薄々察していたし、もしそうだったら良いなという願望を抱いてもいた。

 だが本人による肯定を聞いて確信が持てたことは、彼らが思っていた以上の驚きだった。


「そうか、そうかぁ……グスッ」

「いやあの……参りましたね」


 大人三人は事前に身構えていたにも関わらず、その報告に感極まったようだ。


◆初めての彼氏の生い立ち


 グーンはそれに困惑しかしていないが、エリスは何故涙ぐまれるのか理解できなかった。


「……え、何故?」

「お父さんお母さん婆ちゃん、エリスさんに事情を話して良いですか」

「ああ」


 父親の賛成を得て、グーンは淡々と話し始めた。それはある意味ダイ・ヴォン家全員の恥だった。

 グーンをはじめとした父親、母親、祖母の四人の証言をまとめるとこうだ。


 グーンは物心ついてからずっと、反抗的で泣き虫な子供だった。

 祖母の口うるささに嫌気がさして、そして何よりも、年の離れた姉の横暴に押さえ付けられてのことだろう。

 他に兄弟もおらず親戚も一緒に住まなかったため、姉が高校に進学して家を出ると、グーンは祖母と二人っきりになり、祖母の口うるささの矢面に立った。

 ちょうどその頃から、グーンは習っていた空手の道場に入り浸るようになった。

 悪い友達とつるんで非行に走るよりはマシだったとはいえ、グーンと祖母は滅多に顔を合わせず、仮に会えばお小言と反発ばかりで、どんどんと心はすれちがい、なおさらグーンは道場か自室にこもった。

 もちろん学業の成績もメキメキ下がっていった。

 グーンの成績ではロクな高校に行けないと、当時の中等学校の担任に告げられた。そしてその予想のとおり、グーンが入学試験に合格できたのはハウラニ県立中央高等技術訓練学校だけだった。

 そして入学した訓練校で、ひどい境遇や成績や人格の生徒を自分と比較して、ひどい違法行為や暴力抗争や嫌がらせの現場を見て、ひどい教育体制や環境や風評をその身に感じて、色々思うところがあってグーンは資格取得に走った。更生したと言っていいだろう。

 だが時すでに遅かった。

 普通はその高校の時期は、将来の結婚相手を見つけるお見合いの時期でもある。

 気難し屋のバカ学校入学者として近所でも知られたグーンの元には、町内会や空手道場からのお見合いの話は来なかった。

 出稼ぎに出ている両親が提示してくる縁談も、嫁ぎ遅れとか離婚歴アリとか酷いものばかり。グーンがどれも断るからか、そんな話が来たのも一年生の時だけ。二、三年生時にはゼロとなった。

 そういう状態で卒業して、しかも誰一人として知己のいない遠くシンタナの建設会社に合格し、グーンは家を出た。

 だから家族は全員、グーンの適正年齢での結婚と、自分たちの世帯への大家族入りは諦めていたのだ。

 このように、グーンが諦められるに至ったのには、本人、姉、祖母、父母、いずれも責任があった。もっとも姉だけは認めないだろう。


 話の途中で、アタシの育て方が悪かったばっかりに、グーンをグレさせちゃって……と祖母が泣く場面があり、その祖母をグーンとエリスがなだめる羽目になった。

 その間両親は、話を聞きながらダイニングキッチンで昼食を作っていたが、ちょうど話が終わったところで昼食の準備ができた。

 とにかくこのようにして、グーンの生い立ちはエリスも知るところとなった。

 両親の作った料理は、目玉焼きとスープとパンという、テト前夜らしからぬ普通のものだった。


「それがねぇ、こんな気立ての良さそうな美人さんを捕まえてきて……」

「グーン、でかしたぞ」

「で、お嬢さん、あなたのご家族は何て?」


 ああ、聞いちゃった。でもまぁ聞くよなぁ。グーンはエリスの反応を心配した。

 しかしエリスはグーンの心配をよそに、淡々と語った。

 祖母とたった二人の慎ましくも楽しい生活、突然の祖母の事故死、児童養護施設行きと生活、選択できる最高学力の高校への入学、そこでの個性を埋没させた生活、ハウラニから離れるためのシンタナでの就職試験と合格などなど。もちろん祖母と木星との関係は伏せたまま。

 途端に二の句が継げなくなる大人三人を見て、若者二人は内心苦笑だ。

 食事時にふさわしい話題ではなかったことは確かだった。


「……ごめんなさいねエリスさん。その、なんか辛い事を思い出させてしまって」

「いえ、過去のことですし、現在は公私ともに充実していますので」


 そう彼女が言い切れるようになったのは、一つには、私娼窟船バンボで出会った店員のティウとの出会いが大きかったことだろう。

 遺伝子だけ同一の別人とはいえ、そして再会は禁じられたとはいえ、愛する祖母が生きていることは、エリスにとって卑屈さを払拭するきっかけとなったものだ。

 もう一つには、資格取得や体力増強による劣等感の払拭だろう。

 加えて、一人っ子のエリスにとって十七号船は、憧れていた兄弟ができたも同然のものだった。児童養護施設では得られなかった、ほどよい距離感の兄弟だ。

 そんな環境で五か月を過ごしたことによって、心身ともに(すこ)やかとなれたことが、最後の一つと言えた。


「それで、気になる出会いのきっかけは何だったんだい?」


 ああ、聞いちゃった。でもまぁ聞くよなぁ。グーンは大人三人の反応を心配した。

 グーンと時折エリスは、入社してからの出来事を時系列に沿って淡々と話した。

 入社式での出会い、初仕事での嫉妬、彗星片直撃寸前騒動、地獄の特訓、本社屋の講習中の貧血失神、小型船舶免許取得、宇宙服高額ローン未遂騒動、緊急遠征での共同勤務、高級レストラン船での打ち明け話、甲斐甲斐しい生理痛マッサージ、セクハラ謝罪騒動、そこから派生しての訓練校の恐喝の実態暴露。結果としての婚約、加えて上司のデブリ被弾、緊急帰還、その上司の妊娠発覚、などなど。

 その濃厚な五か月間に、大人三人は二の句が継げないどころか絶句した。まぁそうなるよなぁ。


「グーン、お前よく五体満足に帰ってきたな……」

「十七号船のみなさんのお陰です」


 サラリとそう言うグーンを眩しそうに見た父親は、視線をそらして呟いた。


「あの訓練校には子どもを入学させないように、同僚たちに拡める」

「私もそうするわ、ゼータ」


 両親は何やら、訓練校に対するアンチ活動を展開すると息まいていた。

 アンチ活動をするなら、訓練校に対してではなく、訓練校不良グループに対してであろうに。

 しかし、今はそんな横道に逸れて欲しくないグーンとエリスは、その流れをぶった切り、話を続けた。


「まぁそんな経緯(いきさつ)で、俺とエリスさんは船の上司に、お前ら結婚を前提として付き合っちゃえよ、と言われた訳なんです」

「縁談のなかったグーンを心配してたから、親として有難い話だわ」


 母親はその話を喜んだが、父親は疑問があるようだ。


「……これを質問しても意味がないとは自覚してるけど、でも好奇心で聞かせて欲しい」

「何でしょう」


 そこで父親は顔に浮かんでいた微笑みを消して、グーンに問うた。


「上司に言われたから結婚するのか?」

「えーと」


 グーンはかすかに驚いた。そんなことをいちいち気にかけるタイプとは思っていなかったから、父親の意外な側面を見た気がしたのだ。

 少しだけ嬉しく感じたグーンは、煙に巻いたりせずに真摯に答えようと決めた。


「それはきっかけで、最終的には総合的な判断ではあるんですが、短くまとめて返答はできそうにもないです。なので自分の思っていることから、ニュアンスを感じ取って貰う形でいいですか?」

「わかった、聞かせてくれ」


 グーンは、その判断に至った材料をズラズラと並べることにした。

 おおまかにまとめると、以下のような内容だった。


一、上司に言われたから。それを否定するなら、セクハラ問題が再燃するから。

二、持っていた社内恋愛否定思想は、良好な人間関係の構築と矛盾するし、自分のライフスタイルには合ってないと気づいたから。

三、天涯孤独の身の上を知ったエリスさんを放っておけないし、助けになりたいから。

四、客観的にはすでに交際同然の付き合いで、婚約が社員に広まって、今さら引っ込みがつかないから。

五、社会的に一人前と認められて、両親や祖母など家族を安心させたいから。

六、空手道場時代や訓練校時代に女性と知り合えなかった自分には、このチャンスを逃すと次はないかもしれないから。


「以上六つでしょうか。ひょっとしたら抜けてる理由があるかもですが、これらの複合と思っていただければ」


 その言葉を聞いて、両親と祖母はほう、と息を漏らした。


「訓練校入学のときはあんなに言葉が汚かったグーンが、こんな理路整然と……」

「エリスさんの影響なのかしらね、私の同年代の頃より大人だわ」

「誰かに言われただけで、もしくは何らかの反抗心だけで判断したんじゃなくて、安心したよ」


 さて、長い前置きが終わって、ようやく本題だ。グーンは居住まいを正した。


「ありがとうございます。エリスさんや諸先輩方のおかげです。そこで本題です」

「う、うん」


「結婚も絡む交際となると、家族の了承も必要と思うんです。言い辛いですが、エリスさんは家族がないので、家族の合流がないのがデメリットになります。それでもなお、エリスさんとの婚約について了承をいただきたいんですが、どうですか」

「どうって……」


 まず父親が口を開いた。


「俺は、近所での縁談がまとまらなかったグーンが……ん?」


 ちょうどそのタイミングで、呼び鈴のチャイムが鳴った。


◆初めての彼氏のお姉さん


「今度こそファリかね。迎えてくるよ」


 祖母が立って玄関に行き、さらには父親と母親もそわそわとして、それまで話していたことがすっかり中断してしまっていた。

 あげく両親二人とも玄関に向かってしまった。


「長男の縁談よりも優先される……。恐るべし、孫パワー」

「孫ってことは、お姉さんのお子さんが来たの?」

「たぶんそッス、義理の兄さんの実家で育てられてる、滅多に会えない孫がね」

「あー、それじゃそわそわしちゃうのも無理ないね」


 そして祖母に先導されて、リビングにゾロゾロと人が入ってきた。


「やー道スンゴイ混んでたー」

「お久しぶりッス、アテント義兄(にい)さん、ファリ姉さん」

「お邪魔しております」


 起立して十五度の会釈をピタリと同時に行った二人は、顔を上げた。


「お久しぶり、グーンくん。それと初めましてお嬢さん」

「グーン、その子が例のエリスちゃん? 美人さんじゃーん。紹介してよ」


 姉の軽口は流して、グーンは紹介を始めた。


「紹介シャス。十七号船同期のエリス・ザグレートさんッス」

「エリス・ザグレートです。よろしくお願いします」

「こちらは俺の義兄(ぎけい)のアテント・エリエールさんと、実姉(じっし)のファリ・エリエール」

「アテントです。それと今お義母(かあ)さんが抱っこしているのが、娘のナチュラです」

「ファリです。色々お話聞かせてね」


 お互いの紹介が一区切りしたところで、祖母は全員をダイニングテーブルに着くように誘導した。


「しかしグーンくん、スーツ姿のままだけど、今来たばかりなのかい?」

「や、ちと混み入った話もあったんで」

「分かってるわよグーン、婚約発表ってやつでしょ? おめでとう」

「先走んなよ姉ちゃん。まだお父さんとお母さんと婆ちゃんの意見を聞いてないから」


 そして全員の視線が、その三人に注がれた。いや、〇歳児のナチュラだけは違うが。


「さっきも言いかけたが、近所での縁談がまとまらなかったグーンが自力で相手を見つけてきたことは、誇れることだし喜ばしい。結婚に関して異存はないが、仕事を辞めるのは数年待って欲しい」

「私も異存はないわ。幸せになって、早く孫を育てさせてちょうだい」

「アタシは」


 祖母はそこまで言ってから沈黙し、ようやく口を開いた。


「今ここで、幸せのまま死にたい」


 口を開いたと思ったら涙をぽろぽろ零して、変なことを口走り始めた。


「……え」

「ちょ、ちょっと」

「何言い出すんだよ婆ちゃん。元気でいてくんないと困るよ。なぁ姉ちゃん」

「グーンの言う通りだよ。今が頂点なんて勘違いしちゃダメだよ婆ちゃん」


 御年七十二歳になる、いや先日誕生日を迎えて七十三歳になったダイ・ヴォン・エルルは、彼女の孫グーンをとても愛していた。その度合いは姉のファリとは比べ物にならないほどであった。父親が娘を、母親が息子を愛する図式と一緒で、異性の孫だからこその可愛さだった。

 だからこそ祖母はグーンに良い男になって欲しくて、日頃口うるさくあたった。

 そして彼女の愛が向いていることを察し、姉ファリは無意識に弟をいじめた。

 その結果歪んだグーンは、むしろ彼女の手を離れたことによって再び真っすぐとなり、清々しい男ぶりとなって再び顔を見せた。

 まして人並に結婚相手を見つけてきたことで、祖母の心配事は今この瞬間は一切なくなっていた。

 きっと近い将来にこの二人が祝言を上げてから先は、祖母は想像がついていた。

 自分は曾孫(ひまご)を託されることもなく、よそよそしい実子夫妻の世話になり、老いさらばえて身体を壊し、孫や子に金銭や人手で迷惑をかけながら、終わらない痛みのなか病院のベッドで人知れず死んで、タンパク質リサイクルプールに還っていくことだろう。

 そのことは彼女の知人・隣人や同級生の死にざまで知っていた。

 だからこそ、家族の集まったこの瞬間に死にたいというこの言葉は、偽らざる本音であった。


 一世代飛ばしで子育てをする弊害が、これである。

 育てた孫の成長に、自分の身体が付いていかないのだ。

 育てていない子の世話に、自分の心が付いていかないのだ。

 しかしそれが世の常識で社会の仕組みだ。なら老害は身が動くうちに席を譲るべきだ。

 感極まった祖母は、そんな飛躍をしていたのだ。


 その場にいた者は、乳幼児のナチュラ以外はその祖母を慰めることに従事した。

 今のところ赤の他人であるエリスすら、である。


◆初めての彼氏の部屋


 しかし正装で午前中に帰省したまま、荷物も置かず夕方を迎えているグーンとエリスのため、父ゼータと母イーナは二人が逗留する部屋を案内した。かつてグーンが自室にしていた部屋だ。


「こちらは任せて、しばらくゆっくりしていなさい」

「わかりました。ありがとうございます」


 ほとんど接触のなかった親子の振舞いはどこまでも他人行儀で、赤の他人であるエリスにあてた振舞いと全く同様であった。

 それを寂しいと思う常識は誰の心にもない。そういうものだった。

 案内された部屋に入って、まずは荷物を置いて旅装を解くことにした。


「ふぃー、緊張したぁ」

「お疲れ様」

「まいったッスね。ウチの婆ちゃんが失礼したッス」

「ううん、グーンって愛されてるんだなって認識できたよ」

「うん、そうかもッス。……アザッス」


 二人は部屋に手早く荷物を置いて、上着をハンガーにかけた。


「ところで身体の方大丈夫ッスか」

「実はちょっと辛かったから、部屋を案内してもらって助かっちゃった」

「マッサージするッスよ」

「ならトイレついでに着替えてくるから、その後ちょっとだけお願いね」

「お安い御用ッス」


 着替えと生理用品ポーチを持ったエリスを、グーンはトイレに案内して、ひと足先に部屋に戻って普段着に着替えた。初遠征のあとに買ったハーフパンツ姿だ。

 すぐにエリスもトイレから戻ってきた。ミニワンピースにジーンズを合わせた姿だ。

 そしてグーンが床に用意した布団にためらいがちに横になり、十分ほどグーンのマッサージを受けた。

 実はエリスにとって床でのマッサージは初めてだったが、グーンは遠心重力を巧みに利用して、体重を乗せた指圧を実現していた。もっとも、ジーンズはスーツのタイトスカートよりは揉みやすかっただろうが、いつものジャージよりも揉み辛かった。


 やがて二人が再びリビングに戻った時には、祖母の興奮はなんとか治まり、姉のファリがグーンに視線を合わせて無言でうなずいた。

 落ち着かせられたから、引き続き今度はアンタが頼む、というアイコンタクトだろう。

 グーンもまたうなずいて、祖母のそばに留まる任務をエリスとともに引き継いだ。

 父母に連れられて姉夫妻が部屋に行った。


 加えてグーンは父母に、お世話を焼いていただいてありがとうございます、と礼を言って、逗留すべき部屋に送り出した。

 思えば父母も荷物も置かず、祖母との話に乗ってくれていたのだ。


 姉夫妻と父母が部屋で旅装を解いている間、グーンとエリスは祖母とお茶の準備をした。

 特にエリスはキッチンに入り雑談でリラックスさせながらも、祖母がお茶をしまっている場所や保温ポットの使い方など、手伝うための情報をそれとなく得ていた。

 しばらくして再び全員がリビングに集合したころには、グーンもテーブルを拭き終わっていた。

 みんなの手土産を持ち寄ってお茶を飲み、談笑しつつナチュラを代わりばんこに抱っこして和んだ。

 女性陣はキッチンで食事の支度をして、意外にエリスが料理ができることを知った。

 男性陣はリビングで、所在なく当たり障りない会話をするという図式だった。

 癒しは乳幼児のナチュラで、危なっかしい掴まり立ちと愛らしい仕草を見るだけでも時間が過ぎて、正直有難かった。


 夕食の時間となったが、食事はほどほどに留めておいた。酒もそれほど飲まない。

 何故ならこのあと新年を迎えるにあたって、外に繰り出して屋台で大いに食べて飲むつもりだからだ。

 身を清めるためにシャワーを浴びること七人分。その間に深夜となってしまっていた。


◆賑やかなテト


 すっかりおねむのナチュラと、子守を申し出た父母を家に残して、祖母と孫たち五人は、テト前夜に沸く野外に繰り出した。


「わぁ、これがテト!」


 大通りの車道以外、歩道や路地にズラリと並べられた、鉢植えや花束。

 それぞれの風習や思い思いのやり方で飾り付けられた建物。

 天井の照明は暗くなる時間帯なのに、それ以上にライトアップされた街並み。

 居住ブロックに許される電力量以上を使うために用意された、内燃機式発電機の匂いと音。

 明らかに認可をとって営業していないとわかる、モグリの屋台。

 着飾って練り歩く、人、人、人。大通りで滞る、車、車、車。

 エリスはその光景を、大喜びでカメラに収めていた。


「スゴイね、色んな意味で」

「スゴイんスよ、色んな意味で」


 太陰暦の正月、旧正月、春節、テト。呼び方は移民たちの出身地によって様々だが、やっていることはおおむね一緒だった。

 一般に新年は夜明けとともに始まるものだが、宇宙時代のメインベルトでは夜明けが存在しないため、グリニッジ()標準()時刻()〇〇〇〇(マルマルマルマル)を便宜上の元旦としていた。

 街の屋台の長机で米麺(フォー)を啜っていた五人は、やおら始まったカウントダウンを聞いて、エリスを除く四人はドンブリを安っぽい長机から持ち上げた。


 そしてゼロの掛け声とともに、あたり中で炸裂する破裂音。

 バン、ボボボバババン!!


「きゃっ!」


 驚きで長机に膝をぶつけてしまい、ひっくり返しかけたドンブリを慌てて押さえ、遠心重力ドラムの小重力のおかげでひっくり返すことは阻止したが中の汁をこぼして、手を汚してギャーという声をあげてしまい、そんなエリスの仕草に四人は笑った。初笑いだ。

 あたりからは爆竹の破裂音と、車のクラクションが絶え間なく聞こえてきていた。

 たかが爆竹と侮ることなかれ。子ども用の小さいものとは違い、一本あたり大人の人差し指ほどもあるものが、何十本も束になっているのだ。しかもそれがあちこちで連続して使われている。

 大通りを行く警察のパトロールカーからは、やる気のなさそうな声が大音量で流れてきた。


『火薬のぉ使用はぁ禁止されてぇいます。速やかにぃ使ボボボボババババン!!』


 一応制止しましたよ、というスタイルのためのスピーカー音声だ。どうせ止まらない。

 あたりには濃密な火薬の匂いが充満していて、それだけで酔いそうなほどだった。


「すごいね、これがテトのお祭りなんだ」

「そッス、とにかく賑やかなんス」


 そう言っている間にも、一角ではビカビカとしたフラッシュが連続して焚かれて、ダンスミュージックらしき音楽が大音量でかかり、その周辺の若者が踊り始めた。

 その間にも爆竹が鳴り響き、一種異様なトランス状態に陥っている者もいた。


「目がチカチカする。ちょっと気分悪くなっちゃったかも」

「エリっさん酔っちゃったッスかぁ。姉ちゃん、どこか静かなところ行こう」

「そうねー、お寺なんかどう? 婆ちゃんもそれでいい?」

「アタシはそれでいいよ」

「僕も刺激が強すぎて、落ち着きたいよ」


 そして五人は、歩いてその場を立ち去った。

 さっきまでいた周辺が最も騒がしかったうちの一角だったようで、離れるにつれて喧騒と爆音は遠くなっていった。


次話は、第七三話 もうひとつの帰省(親子事情、政策方針、児童養護施設)です。

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