第六九話 緊急転院(路線バス、遠心重力ドラム、産休事情、ドール価格事情、自家用車)
前話は、第六八話 緊急入院(沿岸警備隊、ソフトスーツ、デブリ事情)です。
あくる朝、眠りまくって〇七〇〇に起床したグーンは、朝食を食べてから普段のジャージ姿で本社屋に寄った。
「オザッス。十七号船のダイ・ヴォン・グーンッス。出勤の有無を確認に来たんスけど」
「ん? 緊急帰還した十七号船か。ちょっと待ってろ、聞いてくる」
「ウッス、オナシャス」
そこで出勤の有無を確認したら、昨日を含めて四日間の休暇と伝えられた。今日を含めてあと三日の休暇だ。
礼を言って本社屋を出たグーンは、格納庫や独身寮を通り過ぎながら独り言を口にした。
「しかし昨日の事情聴取、あれ休暇扱いかぁ。……なんか、なんとも……」
その日はゼロG空手の基礎稽古、洗濯、ハードスーツの清掃と貸し出し延長届提出、一人で地獄の特訓、鳶資格試験の実技試験対策の自己訓練、十七号船格納庫の視察と整備員からの挑発、洗濯物取り込みを行った。
さらに寮の食堂でロリエとエリスの二人組に捕まった。
そして午後に急遽出かけた街で、さんざん散財させられた。
とはいえ、女子二人に連れられてショッピングと軽食を楽しむというのは、悪い気分ではなかったことは確かだった。
なお、衣料品店の店員に紹介されたたこ焼き屋は、非常に美味しかった。とはいえたこは模造品だったようで、ロリエの評価はそれほど高くなかった。
夕食の後には、グーンは寮監室に挨拶をして、そのままマッサージを二人ぶん行った。
そして休暇三日目。この日はみんなで総合病院にお見舞いに行く日だ。
「おうグーン、ちゃんと衣装着て来たな」
「オザッス、ロリエ先輩。なんかこっ恥ずかしいッス」
「普段のカッコの方がはるかに恥ずかしいだろ。自覚しろお前」
グーンは前日に買わされた、モノクロストライプのシャツと茶色のジャケット、そして細身の黒いパンツに茶色の革ウォーキングシューズという恰好だった。
おまけにロリエの指示でしゃがまされて、エリスに櫛で整髪料を塗りたくられ、ささっとセットされた。
グーンは、肌が浅黒く、髪も真っ黒の上に天然パーマで、さらに言えばドングリ眼に団子鼻にほんのり出っ歯だ。
だから自分では、外見をいじったところでどうせ見栄えしない、と諦めているのだが、こうまで自分の外見を気にかけてくれているというのは、グーンにとって感謝と恐縮だった。
三人で地下鉄に乗って総合病院に向かい、ホール隣接の売店で金を出し合って手土産を買った。妊婦の栄養補給に良さそうな、高級フルーツゼリーの詰め合わせだ。そこそこ日持ちもするだろう。
そして二日前に訪れた病室に到着したが。
「あれ? ソフィさんの名前が病室に書いてない」
「移動したか? ……ナースセンターで聞いてこいよ」
「俺がッスか、了解ッス」
この程度の使い走りならと思い、グーンはロリエの言うとおりにナースセンターで質問した。
「すいません、ここに入院してたソフィ・ユニッヒアルムさんのお見舞いに来たんスけど」
「ユニッヒアルムさんなら、重力棟に移りましたよー」
「それってどちらになりますか」
「居住ブロックですー」
「えっ、居住ブロック? なんで??」
足に大穴が空いて緊急手術だったはずなのに、ソフィは突然病棟移動したという。
しかもこの敷地内での病棟移動ならともかく、移動に時間がかかるはずの居住ブロックだ。
そこまで離れると、ただ系列なだけの、実質的な転院ではなかろうか。
「ユニッヒアルムさんはご妊娠なさってましたので、胎児の発育にある程度の重力が必要なんですよー」
「そ、そうなんスか」
胎児の発育に重力が必要という説を、グーンは聞いたことがなかった。振り返って視線で聞いてみても、ロリエもエリスも首を振っていたので、きっと二人も聞いたことがないのだろう。
「アザッシタ。そちらに向かってみます」
「はいー」
看護師の返事を聞いたグーンは、ロリエに向き直った。
「……居住ブロックにあるほうのシンタナ中央病院ですって」
「あっちか……しょうがねぇ、時間かかっけど行っか」
病棟の通路を歩きながら、エリスがポロっと言った。
「受精卵が胚胞に育つのに重力が必須だってのは、確かに聞いたことあるけど、ある程度まで育った後の胎児にも必要なんですかね……」
「そういう学説が出てんだろ」
三人は総合病院を出て、地下鉄でバスプールに向かった。
到着してからバス時刻表を見ると、幸いにもそれほど待たなくてもバスが来る模様で、ロリエが公衆電話でどこかに電話をかけ終わったタイミングで、居住ブロック行きバスが来た。
「シンタナの居住ブロックなんて、道わかんねッスよ?」
「アタシが知ってる」
「あ、ロリエ先輩、グーン、こっちの席が空いてるよ」
バスは時間が経つにつれて徐々に乗客が多くなり、やがて六割ほどの席が埋まったあたりで動き出した。
グーンはハウラニの居住ブロックにしか出入りした経験がないことを明かし、どこが一緒でどこが違うのか、ちょっと楽しみだという話をしていた。エリスも同様に楽しみにしているようだ。
バスと言っても、エアロックこそないが造りは宇宙船の与圧ブロックと変わらない。バスの外寸からすると車内は驚くほど狭く、ハードスーツでは他の乗客に迷惑がかかるだろう。そして外を眺められる窓は小さい。
その小さい窓に貼り付いたグーンは、はたから見ると子どもそのものだ。
「おいグーン、恥ずかしいからヤメロ」
そしてロリエにいくら言われても直らないのも、子どもそのものだ。
バスは遠心重力ドラムの端についている高速道路にアームで載せられ、自らの駆動力で遠心重力ドラムの回転に同期していった。
遠心重力ドラムとは、大きなドラム内部に遠心重力を発生させて、人間が暮らすのに快適な重力を得るための施設だ。
大きなドラムの具体的な大きさはまちまちだ。
例えば、現在いるシンタナコロニーは、シアリーズ本星上にあるシンタナクレーターの外輪山をそのまま使用していて、直径五八キロだ。
グーンやエリスの出身コロニーであるハウラニクレーターは、直径三四キロ。
作中には出てこないが、島三号スペースコロニーは直径六キロで、設定重力は九・八メートル毎秒毎秒。
鉱山炉として二度も登場した島一号スペースコロニー、別名バナール球は直径五〇〇メートル。鉱山炉用は〇・五メートル毎秒毎秒、居住用は九・八メートル毎秒毎秒。
参考までにタンカー船コンフォートの重力ブロックは直径一〇〇メートルで、設定重力は一・二三メートル毎秒毎秒。
上記を設定重力三メートル毎秒毎秒に統一して計算すると、次のような表になる。
| 名前 | 半径 | 遠心力 | 回転数 | 接線速度 |
| 単位 | m | N | rph | m/s |
| --------- | -------: | ------: | -------: | --------: |
| シンタナ | 29000 | 3 | 5.83 | 294.96 |
| ハウラニ | 17000 | 3 | 7.61 | 225.83 |
| 島三号標 | 3000 | 3 | 18.12 | 94.87 |
| 島一号標 | 250 | 3 | 62.76 | 27.39 |
| タンカー | 50 | 3 | 140.35 | 12.25 |
| 島三号居 | 3000 | 9.8 | 32.75 | 171.46 |
| 島一号鉱 | 250 | 0.5 | 25.62 | 11.18 |
| 島一号居 | 250 | 9.8 | 113.44 | 49.50 |
| タンカー | 50 | 1.23 | 89.86 | 7.84 |
* https://keisan.casio.jp/exec/system/1305265056
回転半径と必要な遠心力が定まれば、回転数が算出できる。
回転半径が小さければ回転数は速くなり、人間の立ち座り程度の高度変化で回転半径比率に差が出てしまい、遠心力の違いでめまいを引き起こす。遠心重力酔いというやつだ。コリオリ力も強く働く。
回転半径が大きければ、回転数は遅くなり、立ち座り程度でめまいは起こさない。コリオリ力も穏やかだ。
そして内部を自動車など物体が移動する場合、接線速度と移動速度次第では遠心重力が効かなくなり、非常に危険だ。
回転半径が大きければ、接線速度は速くなり、自動車程度で遠心重力は消えない。
これによって、居住性・快適性が決まるのだ。
やがて完全に同期したバスは、北、西を経由して、南エアロック停留所のボーディングブリッジに到着した。
下車した三人は、これでようやく居住ブロック内部に入ることができた。
「ひとまず中に着いたな。んじゃ歩くぞ」
「歩くんスか、何分くらい?」
「軽く四十分かな」
「ちと長いッスね、路線バス乗ったほうが良くないッスか?」
「そう思うなら見てみろよ、そこのバス停の時刻表」
バス停を見つけて路線図を見ると、下り方向の六つ先の停留所に、シンタナ中央病院前バス停の文字を見つけた。
さらに時刻表を見ると、バスは上りと下りがそれぞれ二時間おきに一本。下りは待ち時間があと一時間ほどあった。
「うぅわ、少なっ」
「馬鹿らしいだろ、一時間待ってバスとか」
こういった事情はシンタナでもグーンの実家のあるハウラニでも、だいたい変わらないはずだ。しかしそれをグーンが知らなかったのは、路線バスに乗ったことがないからだった。
基本的に居住ブロック内では、富裕層か業務用トラック以外では、滅多に自動車が走っていることは無かった。交通手段の主役は、ご先祖様譲りの二本の足なのだ。
エアロックに行く用事が滅多になかったのも大きいだろう。居住ブロックから通勤ができる恵まれた職場に勤めている人間は、だいたい自家用車も持っているような富裕層だからだ。
これらは当然、行政によってそう誘導された結果だ。旧時代に行き過ぎたモータリゼーションが社会をひどく歪めてしまった反省の元に立っているのだ。
途中一三二〇ごろ、グーンが腹が減ったと主張し、ロリエもエリスも確かに空腹感を覚えていたので、遅い昼食を食べることになった。
ロリエが連れて行ったのは、居住ブロックの中央を貫く大通りから少しはずれた、小洒落た軽食喫茶店だ。
ここはバス停から離れていて寄れない場所なので、少し得をした気分だ。
とはいえ考えてみれば、バスプール近辺で食事をして待っていれば、とっくに到着していただろう時間になっていた。
まぁ、急ぐ見舞いでもないし良いだろう。
「ここだよ」
そこには道路を挟んで両側に、居住ブロックの天井まで届く建屋があった。
シンタナ中央病院重力棟、確かにここだ。
三人はそのまま中に入り、外来受付の奥にある面会受付で面会票を記入して、ソフィの名前で案内された病室に向かった。
現在時刻は一五二〇。ちょうど午後の回診が済んだあたりだ。
「この部屋……だな。うん、船長がいる」
「こんにちは、お見舞いに来ました」
「おう、良く来たな」
そこは個室だった。緊急手術後まだ三日ということもあるのだろう。
足を釣り、ベッドの床板を起こして背中にもたれかけさせたソフィと、ベッドの向こうにはパイプスツールに腰かけたライフリーの姿があった。
加えて二人の女性がいた。
ライフリーの隣りに座っている片方の女性は六十がらみの老女で、やけに男気溢れる顔つきと視線が印象的だ。
もう片方の女性はソフィのベッドに座っていて、ロリエそっくりなのに、はるかに背が高く大人びた顔つきで細マッチョ体形の女子だ。どう見てもロリエの血縁者だろう。年のころ十三、四歳くらいに見えるが、チビのロリエから換算すれば二十代後半くらいでも驚かない。
「あ、初めまして。ユニッヒアルムさん夫妻の船に乗り組んでおります、自分はダイ・ヴォン・グーンと申します」
「同じく、私エリス・ザグレートと申します」
グーンとエリスは、明らかに目上である老女に向けて、十五度の会釈を行った。
「婆ちゃん、サニーナ連れて来ちゃったのかよ。あ、これ、アタシらからのお見舞い」
「おう、ありがとな」
ロリエはライフリーに土産物を手渡しながらそう言った。
その気安い声に、丁寧に挨拶したグーンとエリスは戸惑ってしまった。
「礼儀のなってる子たちだね、感心だよ」
「ライフリーおじさんの部下さん?」
……おじさん?
ロリエそっくりの二十代後半と見た女性が、二十代後半であるライフリーをおじさんと呼ぶのは、どこか違和感を感じた。
「それに較べてロリエときたら……アタシらを紹介しておくれよ」
「あー、それもそうか」
ロリエはライフリーの隣に移動すると、グーンとエリスに紹介した。
「こちら先代社長のメリー・ロワデフルールさんと、養孫のサニーナ・ロワデフルール。アタシの……妹だ」
「うぇっ」
先代社長と聞いて、グーンとエリスはガツンと気を付けの姿勢になった。
「アタシがメリーだよ。先代つっても今や隠居さ。あんまり固くなりなさんな」
「サニーナ、十歳です。もしかして歳上に見えちゃった?」
「十歳……大きいですね」
「エリス、そこでアタシ見んな」
ロリエはサニーナに招かれる形で、ソフィのベッドにそっと腰を下ろした。
それ以上の椅子の用意はないので、エリスとグーンは立ったままだ。もっとも二人とも座るなんて畏れ多いと思っていた。
「ソフィ姐さん、具合どッスか」
「骨折で熱持ってるけど、今のところ痛みも出血もないよ。心配かけたね」
「よかったです」
「つっても薬で抑えてるだけなんだろうけどね」
ロリエとサニーナが座っている隣には、天井から釣られたソフィの右足があった。
ちなみにロリエは現在サニーナにペッタリと甘えられて、肩に頭を乗せられている。十歳児なりの行動ではあるが、なまじ発育が良いだけに小さなロリエとのデコボコ感が激しい。
「で、仕事への復帰ってどんなアンバイッスか」
「復帰? 復帰はぁ、んー、このままだと二年後だね」
「えっ」
ソフィの返答に、グーンは目が点になった。二年は遠すぎるんじゃ?
「事情があんだよ」
そんなグーンに、ライフリーが横から補足してくれた。こういうことだった。
一、切迫流産治療のため、二か月後の妊娠安定期に入るまで絶対安静。
二、その間に足の大穴は塞がるが、リハビリもできないまま筋肉が衰える。
三、妊娠中期ごろ回復しても、リハビリ無しでは仕事に耐えられない。
四、そもそも妊婦の高放射線環境暴露は法で禁止されて、移動できない。
五、出産後は満一歳まで母親による養育が義務なので、仕事ができない。
六、その後も母乳育児の場合、離乳まで高放射線環境暴露は禁止。
七、ついでに、救急外来でソフトスーツが切断された。畜生。
八、さらに言えば、なんか知らん学説のせいで、無重力を病院が許可しない。
「ソフィはよ、第一子妊娠の時も復帰時期の関係で、船長昇進がオジャンになったことがあんだよ」
「前にも聞いたッスけど、もったいないッスよねぇ、それ」
ライフリーは肩をすくめながら軽い溜息をついた。
「仕事する意欲はある。現場仕事の技術も、デスクワークのノウハウも、実績もある。でも、身体や制度がついていかない。しょうがねんだ」
「それって会社から見ても、損失ッスよね。ソフィ姐さん以外も困ってる人多いんじゃ?」
グーンはメリーに視線をやった。
「なんでアタシを見るんだよ」
「いや、先代社長なら魔法のような解決法を知ってるかと」
「んなわけねぇだろ」
「ですよねぇ」
「仕方ないだろ、怪我と妊娠のダブルと来たら」
「個人的にゃ、そういう時こそドールの出番だ、って思ってるんスけどね」
ドールは一般的には、安全な場所から危険な場所で活動を行うための、身代わり人形という認識だ。
しかし一部では、活動を行いたくても行えない者の義体(義肢や義足と同じ扱い)としても需要があった。
まさにロリエがドールを使っている理由である。
「わかるけど、ドールは魔法のような解決法じゃないよ」
「ねぇ婆ちゃん。ドールってなに?」
「ああ、サニーナはまだ知らないか。ロリエ」
「説明めんどい」
「ちっ。ライ坊、教えてやんな」
指名されたライフリーとソフィが、サニーナにドールについてを説明し始めた。
前かがみになったライフリーの頭の後ろで、メリーはグーンとの会話を再開した。
「んで、アンタなんて言ったっけ」
「グーンとお呼びください」
「グーン。若いアンタがドールに夢見ちまうのは、気持ちは分かるけどねぇ。何しろ高いんだよアレ」
そう、ドールは高い。かつてロリエがため息混じりに教えてくれたほど高い。
「そッスねぇ」
「何故高いかわかるかい」
「事実上の独占市場だからッスか」
その後グーンも、仕事終わりの船内ディスプレイパッドで調べて知った。
「なんだ、知ってんじゃん」
「宇宙船だの宇宙服だの機械モノが好きなんス」
「だったら分かるだろ、無理なんだよ」
基本的にドールはどれも、地球の企業連合が作った中核コンポーネントを使っている。
コンポーネントは、制御マイコンと脳波解析チップとボディコントロールソフトウェアを焼いた読み出し専用メモリなどを、基盤に取りまとめたものだ。
その機能はまさに中核で、当然ながらブラックボックス化されているし、特許でガチガチに防御されている。そして代替品がない。
各メーカーはそれを年単位のリース契約で仕入れて、製品に組み込むのだ。
実はこのコンポーネント、販売ではなく年リースであるところがミソで、現状維持義務と返却義務がある。
おまけにリース契約時に審査される返却義務履行能力の維持のため、さらに経費が掛かる。
だからそのコンポーネントを使ったドールも、高価となるのである。
というより、高価になるように仕向けられていた。
企業連合自身が作った製品を、高値で維持するために。
「価格の面でも無理だけど、ドール取扱メーカーと関わり合いになんのもヤだね。あんなヤクザ紛いと会社単位で付き合いたくない。せめて中間業者通さないとさ」
「理解できるッス。おっかなそうッスもん」
メリーの評価はこのようなものだった。
きっと彼らが提唱している第四世代宇宙服ドールスーツも、おっかなくて売り込み方がゴリゴリで市場独占する気マンマンだからこそ、宇宙服協会に嫌われて認可が出ないのだろう、とグーンは想像した。
とか言いつつ、リリーフ社長の代になってから十七号船に付けられたドールアームの例があるが、あれはいいのだろうか。グーンは黙っておくことにした。
「となると、ソフィ姐さんは二年間現場から離れて、収入額低下と筋肉量低下とブランクを受け入れなきゃなんない、ってことッスか」
「残念なことみたいに言ってるけどね、子どもができるのは目出度いことなんだよ?」
「そりゃ分かりッスけど、目出度いだけの話にできないモンかなって、つい考えちゃうんス」
「ずいぶん優しいこと考えるもんだね、お前さん」
「いずれ我が身って考えると、他人事じゃねんス」
ロリエがそこで口を挟んだ。
「この間電話で話した、入社二か月でスピード婚約した新入社員ってのが、コイツらだよ」
「ああー、あの」
「なにそれなにそれー」
そこからは、グーンとエリスに根掘り葉掘り話を聞く、メリーとサニーナのターンだった。
グーンとエリスはほとほと困惑していた。
面識のある相手とは言えず、かといって邪険に扱える相手ではなく、二人以外はまるで大きな家族のように親し気で、そういう無邪気な追及を許す空気に溢れていたから、切り上げて別の話題に替えることが出来なかったのだ。
もっともその発端となった、グーンのセクハラへの認識について聞いた時には、メリーは非常に渋い顔つきになっていた。
ソフィがそれをレポートとしてリリーフ社長に提出したから、きっと改善されるはず、と発言してもなお、である。
しかしそんな難しい話をしているとサニーナがつまんないと言い出して、周囲を苦笑させ、結局グーンとエリスの失敗話に行きつくのだ。
そんな話をしているうちに、夕食の配膳が来て、下膳の受け取りも来て、いつしか病院の面会時間が過ぎて、看護師に注意を受けてしまった。
「……ここは怪我や病気を癒す場所であって、雑談ロビーではありません。周りの部屋にも話声が筒抜けです。他の患者さんへの配慮もお願いします。それに、患者さんへの負担も大きいことをご自覚ください」
「はい、もっともです、気を付けます」
代表してライフリーが看護師に謝ると、そのまま看護師は部屋を出ていった。
ひょっとしたら別の病室の患者にナースコールを押されて、うるさいのを注意してくれと言われたのかもしれない。
「……怒られちゃったね」
「それじゃうるさいババアは退散するよ。また来るからね」
「じゃあねソフィ姉ちゃん、ライフリーおじさん」
「ありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい」
先代社長のメリーと孫娘のサニーナに、ライフリーは安静中の妻ソフィに代わって頭を下げた。
「じゃ、また」
「おう、今日はありがとな」
「それじゃ失礼します」
「シャシタ」
ロリエ、エリス、グーンもまた退出した。
面会時間を過ぎた病院は、静まり返っていた。何しろ居住ブロックの中にはグリニッジ標準時刻に従って朝昼夜の区別があり、そして今は一九四〇。世間では夕食も過ぎて寛ぎの時間だったからだ。
そんな静かな病院の通路を、五人は何もしゃべることなく、粛々と通り過ぎていった。
しかし病院の通用口から一歩外に出てしまえば、あとはもう入院患者に配慮する必要もなく、メリーがおどけた口調で口を開いた。
「ふぃー、いやいや叱られちまったなぁ、あはは」
「食いつきすぎだよ婆ちゃん」
「何言ってんだい、女はいくつになっても恋バナが大好きなんだよ」
メリーとサニーナはそうして笑うが、ロリエ、エリス、グーンの三人は笑えない。
何しろ追及の矢面に立った二人と、そこに追い込んだ張本人なのだ。
五人は病院の出入り口から駐車場に歩きながら、話をした。
「そんでロリエ、この後どうするつもりだったんだい?」
「ノープラン」
「なにやってんだい」
「まさか居住ブロックに来る羽目になるなんて思ってなかったから」
先頭を歩くメリーが立ち止まったのは、一台の自動車の前だ。
「ならせめてエアロックのバスプールまで送ったげるよ」
「えー婆ちゃん、お泊りはぁ?」
「サニーナ、また今度な。……お世話になります」
メリーに頭を下げるロリエに合わせて、エリスとグーンもまた頭を下げた。
「キャデラック・フリートウッドッスか。こりゃ良いクルマをお持ちッスねぇ」
「宇宙船や宇宙服ばっかりじゃなく、クルマも好きなのかい。男の子だねぇ」
グーンはそのセダン車を褒め、メリーはグーンの興味に微笑んだ。
シアリーズのような微小重力の星では乗用車の需要は少ないが、遠心重力ブロック内なら話は別だ。
しかもこの車は真空対応なので、微小重力で運転性が劣悪になるのを我慢すれば、一応このまま港湾ブロックのメリ建本社にまでだって行ける。
バスを乗り継いで四時間の道のりも、まっすぐ自家用車なら三十分だ。
このようにメインベルトという人類生存圏の最果てにおいても、富裕層ならばそれなりに快適な生活が送れるものなのだ。
メリー運転の車は、夜の街を滑るように走っていった。走行音で最も大きな音は、真空対応のエアレスタイヤが転がる音だった。
「ロリエ、もうちょっと頻繁に帰っておいで」
「うん」
「そっちの二人も、ロリエやライフリーを頼むよ」
「はい、まだ新人ッスけど、精一杯恩に報います」
「私も頑張ります。本当にありがとうございました」
「ああ、それじゃ気を付けて帰るんだよ」
「じゃあね、今度はゆっくり遊びに来てね」
メリーの車が帰った後、都市ブロック行きのバスを待つのに四〇分かかったので、その間に手早く夕食を食べた。
そしてバスが居住ブロックのボーディングブリッジを離れ、東エアロックを経由して都市ブロックにたどり着くまでに三〇分。
加えて都市ブロックバスプールから地下鉄で港湾ブロックの終点まで、待ち時間含めて八〇分。
そして三人は無事独身寮に帰りつき、着替えて寝た。泥のように寝た。
次話は、第七〇話 居残り組の帰還(宇宙スクーター、マッサージ、サルバ評価)です。
※20200203 地名、施設名などを修正。お先祖様って何だよ。ご先祖様だよ。