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第六五話 足場完成までのダイジェスト(ドールアーム、ワーカホリック、ニッター、敷き板)

前話は、第六四話 ここはお風呂のパラダイス(入浴作法、男子身体、内装業)です。

 コンフォートでの入浴と休憩が終わって船に帰った後、十七号船の夜勤三班は、それぞれの宇宙服のメンテナンスや乗務員室(キャビン)内荷物の整理を、日付が変わるまで行った。なお朝勤一班は帰船後すぐに睡眠、昼勤二班は二二〇〇(フタフタマルマル)の就寝時間を前に休憩だ。

 船外活動を伴うメンテナンスは、グーンが十七号船ロボットアーム末端に併設されているドールアームを借りてやることになった。何故なら、日付が変わるまでは月間累積被ばく線量がリセットされないので、宇宙服で外には出られないためだ。


「うお、気持ち悪っ! エリっさんの言う通り、確かにいつも通りに動く」

「遊んでねぇで早くカッパ着ろっての」


 現在グーンは本来休日であるにも関わらず、ロボットアーム先端のドールアームにカッパを着せる作業を行っていた。これからスラスター清掃を行うにあたり、ドールアームが汚れないよう処置する必要があったのだ。

 ちなみにドールアームは、人型をしていない。腕と目が人と同じ位置に付いているだけで、他は似ても似つかない構造なのだ。なのでカッパを着ると言うのは簡単でも、やるとなるとかなりの面倒さだ。

 なのでグーンは、その工夫も含めて勉強ということで、操縦席に放置された。サルバはグーンに指示を出したあと、自分の仕事に戻っていった。ひどい。


「まずは、ドールアームにカッパを着せるために何が必要か……」


 人型が着る前提のカッパを着せるには、ドールアームも人型をしていなければならないだろう、という発想をグーンは抱いた。そこで荷台のコンテナ―に積んでいた雑巾(ウェス)とガムテープでドールアームを人型にして、カッパを着せることにした。

 思いのほか手間取ったおかげで、この作業に四時間かかった。

 次にスラスター清掃を行った。グーンはこれで二度目だったので、スラスターをひとつ三十秒で清掃を行う程度しかスピードが出なかった。一箇所のコンポーネントあたり六軸のスラスターが束ねられているので、単純計算で約三分。しかし各コンポーネント間の移動をドールアームにさせるのに、ついゼロG空手の足捌きを思い描いてしまうため、そして実際に体が動いてあちこちにぶつけてしまうため、ひどく時間がかかった。結局約二時間かかってしまった。

 加えて、カーボンで汚れたドールアームをエアーダスターで清掃してカッパを脱いで雑巾をはがして片づけるのに、約二時間。

 途中の小休止二回と大休止一回も含めると、完全に休日出勤のような時間がかかってしまった。


「サルバ先輩、お待たせしたッス、できました」

「え、なにが?」

「……スラスター清掃ッス」

「え、まだやってたのかよ、何やってたんだよ」


 サルバはグーンの報告に、指示を出した時刻を思い出してたしなめた。ゆっくりやっても二時間程度の仕事量と思って任せたのに、八時間かかるというのはサボっていたとしか思えなかったからだった。

 グーンはサボりの誤解を解くためもあり、手順を詳細に報告した。そしてそのグーンの手順説明はサルバの他に、起床した一班のライフリーやロリエにも聞かれていた。


「こんのバカたれ、ろくに教えてない新人に何させてんだ! 時間かかんの当たり前だろが!」


 そしてライフリーの平手がサルバの頭に炸裂した。


「あいた! えー、このっくらい気付くと思ったんすよぉ!」

「んな訳あるか!」

 

 一方グーンには、ロリエが説明していた。


「グーン、わざわざ人型にしてカッパ着せたのはご苦労だけど、キッチリ着せる必要なかったんだ」

「え」

「カッパを前後逆に着せれば、カーボン粉が飛び散る時だけフードをあげてメインカメラを覆えるだろ」

「それじゃ掻き出しの様子が確認できねッスよ」

「ロボットアーム側のカメラで確認できるだろ、メインカメラじゃなく」


 その発想はなかった。ドールアームだけで全てを完結する必要はどこにもなく、臨機応変に周りを利用するという視点が、自分の頭からすっぽり抜け落ちていたことに、グーンは改めて気が付いた。その顔は見る見る歪んでいった。


「あぁ……ああー! 言われてみりゃそッス、うわ先に言って!」

「あとドールアームな、わざわざ苦労して空間遊泳で移動させなくても、ジョイスティックで動くだろ」

「ああー! それも先に言って欲しかったッス!」


 グーンは頭を抱えた。


「かー、俺の頭固すぎッスね……」

「新人が気付けるはずねぇよ。ま次から覚えときな」

「ウッス……無駄骨ッシタね」

「何かの役には立つさ」


 休暇中の新人への要求として、あまりに不憫なその様子を見た船長のライフリーは、半分の四時間を業務時間にカウントして良いとグーンに言った。しかしグーンは、みんな業務時間にカウントせずに船務を行っているのに、自分ばかり貰えないとして固辞した。

 この固辞はグーンにとっては、従業員としての筋を通すとか遠慮とかそういった理由での話ではなかった。業務時間へのカウントを貰ってしまうと、サルバとの間に嫉妬心などからの軋轢(あつれき)の原因になる。バディで後輩のグーンとしては、その状況は避けたかった。


「スンマセンッス、サルバ先輩。俺がドン臭ぇばっかりに」

「ああ、んまぁ、俺も任せっきりで悪かったよ」


 グーンから先に頭を下げることで、サルバを意固地にしてしまうことも阻止できたようだ。


 稼働〇八日目、十五:制御、十六:足場、十七:足場、十八:休み、十九:補給、二十:足場。

 ようやく累積被ばく線量がリセットされた。一班のライフリーとロリエはいつものフォーメーションで仕事を始めた。

 一方で夜勤の三班であるサルバと特にグーンは、一緒になって仕事をしようと思っていたが、仕事前に船長に止められていたのだ。就業時間延長での残業はやむを得ないが、休み明けで残業だけをやるような真似は許容できないと、船長はグーンを諭していた。


「グーン、お前そんなに働きたいのか?」

「ウッス、できるだけ働きたいッス。今は仕事楽しいッスから」


 ライフリーは腕を組んで困った顔をした。ここで新人のやる気をスポイルするのは気が引けるが、部下の業務管理もできない船長という評価には繋げたくないのだ。


「仕事を気に入ってくれたのは嬉しいけどな、休むのも仕事のうちだぜ」

「ウッス、それも理解できるんスけど」

「じゃあ素直に休んどけ。ロリエ行くぞ」

「あいよ」


 ライフリーはエアロックから外に出ていった。ロリエはドール操作用のバイザーを額に乗せたまま正操縦席に着いていた。ともにいつも通りのフォーメーションだ。

 グーンはどこか仲間外れにされたような気分でいたが、特にそう思ってもいなさそうなサルバが声をかけた。


「グーンお前、鳶試験の勉強できてんの?」

「え、まぁ、ぼちぼち」

「ぼちぼち程度じゃなくて、完璧にしといた方がいんじゃねぇのぉ? エっちゃんが受かってお前が落ちるとカッコ悪いぜぇ?」

「う、そりゃそうなんスけど」

「なまじ新人二人だから、比較されちまうぜぇ?」

「試験勉強するッス」


 その後グーンは、ディスプレイパッドでの模擬試験で八十点台を取った。もっとも、心配なのは実技試験のほうだったのだが、こればかりは重力下で練習するしかないので、動画で我慢した。

 そして〇六〇〇(マルロクマルマル)に二班と入れ違いに就寝して、一四〇〇(ヒトヨンマルマル)に一班と入れ違いに起床し、本来の始業時間である一六〇〇(ヒトロクマルマル)の一時間前から仕事に入った。

 これは、一時間早出をしてソフィやエリスと一緒に働きながら、おしゃべりをする楽しみを知ってしまったからだ。そして就業中も、バディのサルバはもとより、やはり残業しているソフィやエリスと仕事をしながら一緒の時を過ごし、加えて当たり前のように朝勤一班を手伝って、船長やロリエと言葉を交わしながら仕事を教えて貰っていた。

 そうした楽しい仕事を〇二〇〇(マルフタマルマル)あたりで終えた後は、勉強や運動や身支度をして、眠りにつく。

 この早出残業が常態化したルーティンワークが、グーンには快く、楽しく、充実していたのだ。


 稼働〇九日目、十五:制御、十六:足場、十七:足場、十八:足場、十九:休み、二十:補給。

 この日も十七号船クルー全員は、いつも通りのルーティンワークを行った。

 人はそれをワーカホリック症候群と言うだろう。その場のメリ建社員全員が見事にワーカホリックに陥っていたため、そしてなまじ規則正しい食事と睡眠が確保されていたため、そのデタラメな働き方に違和感を感じなかったのだろう。小休止や大休止を含めた拘束時間は、平均で十二時間、日によって十四時間に及んでいた。

 ところが現在のメリ建現場では、超過勤務は黙認状態となっていた。何しろ作業員全員がフルスペックで働けているわけではなかったからだ。

 理由は、先月までの累積被ばく線量の関係で無理をした社員が、何人かが軽いけがや病気で戦線離脱していたせいだった。怪我をした十六号船の新人も含めて、休んだり片腕で出来る仕事だけになったりしていたからだ。

 そしてその分のしわ寄せが、まだ元気な社員に降りかかっていたが、楽しんで働いてくれるならと、見てみぬふりが横行してしまったのだ。


 これは本来、ゆゆしき事態だ。早出残業は会社の人件費を跳ねあがらせ、せっかくの収益を食いつぶす。まして個人の楽しみに由来していたり、周りがやっている中で自分だけ定時に終業しづらいから、などといった理由で残業が増えては、管理職の力量を問われかねない。

 現場監督が集合した十五号船内部では、今日もミーティングが開かれていた。


「まずいね、作業員の労働時間がちょっと多すぎる」


 ミーティング内容は、作業進捗状況と、作業員の労働時間の是正についてだ。


「予定では今日の一四〇〇(ヒトヨンマルマル)あたりで、足場は半分に到達するね」

「そうですねマミー。ニッターのほうはスケジュール通りです」

「で、ニッターを支える支持フレームの進み具合はどうなんだい」

「弓は出来てます。弦と矢がまだ一本しか出来てないっすね」


 この場合、弓とは支持フレームのうち足場の丸みに沿った円弧の部分、弦とはその円弧の端と端を繋ぐ直線部分のことだ。矢は十五号船から弦までの最短距離を繋ぐ直線で、延長線上に円弧の中心点があり、高さ(高度)に相当する。

 弓矢など、メインベルトでは物語や文献の中にしか出てこない代物だが、形だけは誰もが知っていたので、説明の簡便さもあって伝統的にその呼び方が使われていた。

 弓は、正三角形を連続させた平面トラスの板を、さらに断面が正三角形になるように配置した、立体トラスで作られていた。これにレールの役目を持つ単管パイプを並行に二本並べれば、ニッターが移動できるようになった。

 弦と矢が一本づつしか出来ていないというセリフは、仕上がり寸法まで出来上がっているのが、文字通り単管パイプ一本しかないことを示していた。これはニッターの荷重どころか自重すら支えられるものではない。しかし引っ張り方向になら、その微小な重力と微小な遠心力のおかげもあって、一応役に立っていた。だから遠心力を利かせることによって、弦と矢に引っ張り方向の荷重しかかけないようにしていた。

 なお、残念ながら弦は直線では作れなかった。何故なら直線で作ると、半径一〇〇メートルの中心小惑星の赤道地表と、弦の通過高度が一致してしまうからである。足場の南北極開口部半径を一〇〇メートルとして設計しているので、それは当たり前だ。だから、計算上の長さが一五〇メートルである矢を一〇〇メートルに抑えて、弦をVの字型にしているのだ。


「弦と矢ができるのはいつごろだい?」

「矢は今日か明日には。弦は三日ってところですかね」

「じゃあそこまでは残業も黙認として、それが終わったら残業なし。足場を一減らして補給を一増やすことにしようか」

「了解ですマミー」


 足場を一減らすというのは、現在三隻分のクルーが従事している支持フレーム建設を二隻分に減らす意味で、補給を一増やすというのは、補給を一隻体勢から二隻体制に移すという意味だ。休暇が一隻なのは変わらずだ。

 これは、ニッターの緯度が上がるにつれて向心力(集成小惑星の重力)と遠心力のベクトルがずれて、支持フレームへの応力が増加してしまうため、ニッターそのもののペイロードを減らす必要があるからだ。そうすると、補給の頻度が上がって一隻では回しきれなくなるので、二隻に増やすのだ。

 現在の緯度は約二十五度。三日後には三十五度に達するだろう。その一方で仕上がりは六十六度まで作るので、確かにそろそろ潮時だった。


「支持フレームさえ出来ちまえば、あとは足場に敷板を敷くぐらいだからね。別業者さんに迷惑かけないためにも、工期通りの仕上げを頼むよ」

「はい、マミー」


 稼働一〇日目、十五:制御、十六:補給、十七:足場、十八:足場、十九:足場、二十:休み。

 昨日の夜勤三班就業中に支持フレームの矢の部分を作り終えて、メリ建作業員たちは弦の部分の仕上げに取り掛かっていた。

 それまでも何度かあったが、別の船の作業員と同じ作業テントで過ごす時間は、グーンにとっても有意義な時間となった。決して作業の合間のおしゃべりが新鮮だという意味ではない。人によって少しだけ違う作業手順を観察するのが、グーンにとって新鮮だったのだ。

 十七号船のクルーは、新人を除く四人とも優秀な作業員だ。しかし他の船と比べてという意味ではなく、他船クルーもまた優秀なのだ。

 人間、優秀なグループに所属するだけで、その優秀さに影響を受けて知らず知らずに追いつくものなのだ。特に、それまで自己流でやっていた作業の正しいやり方を目の当たりにしたり、先輩から習ったやり方よりも効率的な技を盗んだり、そうして自力が向上するさまを自覚できた時、仕事を楽しく感じるものなのだ。

 惜しむらくは、実り多い支持フレーム現場仕事は恐らくこれで最後だということだ。十七号船が明日の補給、明後日の休暇を終えて、また現場に戻った頃には、きっと支持フレームは完成してしまっていることだろう。

 なお、その日の深夜頃の天気予報配信で、ついに宇宙線注意報が解除された。


 稼働一一日目、十五:制御、十六:休み、十七:補給、十八:足場、十九:足場、二十:足場。

 この日十七号船は補給の当番だ。いまだニッターへの補給には、資材パッケージの全量七トンを入れるだけで済んでいた。しかし支持フレーム完成と同時に、一度の補給でパケ半分の三・五トンに制限される見込みだ。

 これは先に説明した、ニッターのペイロードが低下することに伴った処置だ。

 ニッターの緯度が高くなってくると、本来の理想周回軌道つまり赤道から遠く離れることによって、向心力(集成小惑星の引力)と遠心力のベクトルがずれることになり、遠心力で向心力を相殺しきれなくなるためだ。

 もっともどちらも微小な力の合成であるため、ペイロードを含んだニッター質量が一〇トン(本体二トン+資材七トン+その他一トン)に及んだとしても、緯度六六度地点での合成向心力は二二・三二ニュートン(地球重力下の重量にして約二・三キログラム)程度の力しか及ぼさない。しかし支持フレームの弦の長さは南北片側だけで二二三メートルあり、そのたった二二ニュートンの力が及ぼす応力は馬鹿にできないのだ。


「で、いつから半分ずつ補給することになるんスかね」

「監督から指示来てねぇから、今日は全量のままだぜ」


 残業中のグーンの質問に、ライフリー船長が答えた。つまり今日の作業は今まで通りということだ。

 とはいえこの補給作業も、次回には様子が違っていることだろう。

 残業での手伝いのあと、寝て起きて補給仕事をしたグーンは、そう考えた。


 稼働一二日目、十五:制御、十六:足場、十七:休み、十八:補給、十九:足場、二十:足場。

 普通は、仕事をした後の休暇は待ち遠しいものなのだが、暇をつぶせる娯楽に欠けるこの宇宙の僻地では、他にすることもない者はだいたい風呂に来ていた。

 休暇に入った十七号の全員もまた、推進剤や食料の補給ついでに風呂を楽しんでいた。五日前とほぼ同じスケジュールで訪れたコンフォートは、ほんの少しだけ様相が変わっていた。


「ランニングをお楽しみいただけるように、従業員用通路を一部開放いたしました」

「おおー。それじゃ早速楽しませていただきますね」

「はい、お一人さま二時間五ダラーとなります。ごゆっくり」


 遠心重力ブロックの端にあった通路は、もう片方の端にも存在したらしく、そちらは従業員用通路として使われていた。しかし従業員の行き来と一緒で良ければという条件で、そちらの通路もランニングに使えるようになったのだ。

 グーンは大いにランニングを楽しみ、その汗を大浴場で流して、軽食を食べて昼寝をし、またランニングをするというループを行っていた。

 しかしその趣味を理解してくれる者は、少なくとも十七号船には一人もいなかった。サルバやロリエは身体を動かすことに喜びを感じるタイプかと思っていたし、初回こそ付き合ってくれたが、二度三度と走るグーンには呆れた顔を向けるだけだった。


 稼働一三日目、十五:制御、十六:足場、十七:足場、十八:休み、十九:補給、二十:足場。

 十七号が休暇をとっていた間に、支持フレームは一通り完成していた。だからこの日からは、十六号船担当の支持フレームの補強と同時に、組んだ足場への敷き板敷きが十七号船の作業に加わった。


『グーン、敷き板持ったかぁ?』

『ウッス先輩、でもこれ相当重いッス』

『あんだよ、案外だらしねぇなぁ』


 敷き板とは、高所作業用の足場にかけるメッシュ状の鉄板のことだ。普通は幅二四〇ミリ、長さ四メートル程度の規格寸法のものを使うが、今回の仕事ではバナール球建設専用の敷き板を使うことになっていた。その寸法は一辺五メートルの正三角形を半分に割った直角三角形で、一枚当たり七三・三キログラムの質量だった。

 この寸法になっているのには訳があった。一辺五メートルの正三角形である足場のトラスにピッタリ合い、かつ開口部から中に入れられるサイズで、しかも荷重がかかっても折れたりせず、人間が持ち運べる程度の重さである、という理由でこうなったのだ。

 それでも七〇キロを超える敷き板は充分に重量物で、このような重量物を手作業で持ち運ぶなど、地球上の常識では考えられないことだ。しかしほぼ無重力である周回軌道上では、動き出しと停止に質量ぶんの踏ん張りが必要となるが、人力で扱うことが可能だった。

 足場の周回軌道上空約二十メートルまで幅寄せした十七号の資材パッケージから、二人は敷き板を一枚ずつ持って足場に流れていった。


『よっ、ほっ、くぅ、重てぇ』


 球形足場の外側からアプローチして、一辺五メートルの正三角形トラスの間から一度敷き板を内側に入れて、敷き板のロックを噛み合わせて正三角形にすると、足場の正三角形とのサイズ違いから脱落することはなくなる。そのうえで、足場の単管パイプにタイラップで固定する。その作業はバディの息が合っていないと一枚当たり数分かかってしまうことだろう。サルバ・グーンのバディの場合、サルバがロック噛み合わせをしている間に、グーンはタイラップ固定を担当していたので、到着から取付完了までは約一分で済んでいた。

 とはいえその一分の間にも、十七号船は軌道周回速度の違いで離れてしまう。二人はそのたび船を追いかけて跳躍していた。

 そして敷き板を持って再び足場に。到着したら敷き板を敷いて、再び船に。


『あ、やべ』


 この作業を繰り返すうち、グーンは一辺五メートルの正三角形をしたトラスの、ちょうど中央に身体を流してしまった。これでは足場の単管パイプどこにも足を着けないし、スラスターで軌道をずらせる距離でもなかった。

 しかしサルバの身のこなしを見て、グーンはこういう時の対処法を知っていた。足が届かないなら、手持ちの敷き板を届かせれば良いのだ。グーンは敷き板をトラスの二辺に渡すようにして、手の力で接触のショックを逃がそうとした。

 そして足場全体に響くゴーンという接触のショック。グーンの技量では腕の屈伸だけで足場接触のショックを吸収しきれなかったようだ。


『単管パイプにキズ付けんなよぉ、納品する商品なんだからなぁ』

『ウ、ウッス、サーセン』


 身のこなし方法を知っていても、実際に出来るかは別問題だ。グーンはこの方面でも精進が必要と痛感した。

 よく見ればサルバはそういうケースでは、手足を全て使って敷き板でサーフィンでもするような恰好で接触していた。あの柔らかい動きをハードスーツで出来るか自信はなかったが、練習してみよう。


『ふぅ、やっとパケ一つ終わりかぁ。先長ぇなぁ』


 資材パッケージには敷き板が百枚入り、合計七・三トンとなっていた。これでトラスが五十埋められる計算だが、メリ建担当の足場だけでもトラスの数は六六四九五箇所にものぼるので、この一時間半でようやく五十箇所という速度では、完了までに八十日以上かかる計算となる。

 もちろんそれはバディ一組だけで作業を進めた場合の計算だから、この先複数のバディを投入すれば、スピードアップは可能だ。

 当面は二人の習熟度と技量を上げておくためにも、ひたすら敷き板敷きを繰り返した。

 ニッター緯度はついに四十度に達した。編みあがりの六十六度まであと少しだ。


 稼働一四日目、十五:制御、十六:補給、十七:敷板、十八:敷板、十九:休み、二十:補給。

 支持フレームの弦が出来上がった。この日からは補強は一段落させて、ひたすら足場の敷き板敷きだ。朝勤、昼勤と続けて夜勤でも同じ作業を行い、だんだんとコツが掴めてきた気がするほどだ。

 そして高高度軌道で水回りパイピングのアッセンブリーを組み立てていた、協力会社のナクレ建設が敷き板敷きに加わってくれた。彼らとしても、これ以上作業を進めるためには、とっとと足場が完成してくれないと困るからだ。

 なので十七号と十八号はひたすら敷き板の運搬だ。ロック噛み合わせとタイラップ固定はナッ建(ナクレ建設)におまかせなので、かなりのスピードアップが見込めた。


『お、グーン見てみろよ。支持フレームが回ってきたぜ』

『結構威圧感あるッスねぇ。あれが通過してる間は敷き板敷けねッスけど』


 現在地から二〇メートルほど離れた場所には、支持フレームの弓と直行する補助フレームが迫ってきていた。補助フレームの五〇メートル後ろに支持フレーム本体、さらに五〇メートル後ろに補助フレームが続く。編みあがった足場軌道の二五センチ内側を〇・〇四六メートル毎秒(二・七八メートル毎分)でゆっくりと迫る巨大な構造物は、しかし近くで見れば簡単にすり抜けられそうなほどスカスカなフレームだった。

 その場で作業をしていたナッ建作業員たちは、作業の手を止めてフレームの隙間をひょいと抜けてフレーム通過済みの箇所に降り立ち、すぐさま作業を再開していた。


『手慣れたすり抜けッスね』

『あのくらい簡単だろ。でも支持フレームって動きがゆっくりすぎるからよ、見くびってギリギリまで作業続けて、逃げ遅れて挟まれる事故が多発すんだよ』

『ああ、なんか気持ちは分かるッス』

『絶対やんなよ。支持フレーム曲げたら最悪、足場全部崩壊すっからな』

『ウ、ウッス』


 なお、一度ご挨拶したナッ建の社長さんは昼勤シフトらしく、再度のご挨拶が出来た程度で、一緒に仕事はできなかった。


 稼働一五日目、十五:制御、十六:補給、十七:補給、十八:敷板、十九:敷板、二十:休み。

 今回の補給からは、資材パッケージ七トンの半分、三・五トンをニッターに補給する手筈になっていた。なので従来四時間ごとだった補給タイミングは二時間ごととなり、南北二機のニッター補給時刻が一致してしまった。

 なので補給担当は、二隻に増えることになった。今日についていえば十六号船と十七号船の二隻だ。


『で船長、今までとの違いって何になるんスか?』

『一度に補給する量が半分になる、補給残りパケ背負ったまま船動かす必要がある、空きパケの片付けやゴミ袋の交換も毎回じゃなくなる、くらいだな』

『そッスか、まぁそのくらいなら……』


 十六号船との打合せの結果、十七号船は南側ニッターを担当することになった。補給タイミングは今まで通り二時間半に一度で、補給量は今までの半分である三・五トン。この程度なら取り立てて大変というわけでもなく、充分に対処できる補給頻度だ。

 ただし、補給をしながら並行して他の業務がこなせるほど、暇でもない。


『こんな感じで、だいたい半分のあたりに単管パイプをねじ込んで、流す量を半分にしておくの。ロープの結び方は自由だって』

『了解ッス』

『引継ぎ事項はこんな感じかな。よろしくお願いします』

『アザッス、エリっさん』


 昼勤から夜勤の引継ぎを受けて、グーンは今まで通りの補給を続けた。


 稼働一六日目、十五:制御、十六:休み、十七:補給、十八:補給、十九:敷板、二十:敷板。

 この日も昨日と同じように補給だ。


『水と油の補給しとくッス、先に軌道に戻っててください』

『りょーかい』


 グーンは十七号船の荷台から冷却水と潤滑油のパックを降ろし、ニッターに運び込んだ。その後サルバ操る十七号船は、グーンの作業完了を待たずに上空の軌道に遷移していった。

 グーンは冷却水補給口の蓋を開けて、冷却水パックの口金を接続した。その間に冷却水タンクの中にあった水蒸気が抜けて、あたりにキラキラとした氷の粒が舞った。グーンはそれに構わずに冷却水パックの胴体を両手で絞り、中の液体をタンクに移した。口金を外すと再び水蒸気が勢い良く吹きあがり、あたりに霜が付いていったが、グーンは補給口の蓋を急いで、しかしネジをなめることなく締め付けて、これでようやく補給が完了した。

 同じように潤滑油も補給するが、こちらは霜になることはなくむしろ楽だった。

 このようにニッター稼働中は、冷却水も潤滑油も消耗品だ。

 潤滑油はパイプの切断潤滑や内部マニュピレータ―関節潤滑などに使われるが、同時に鉄粉の吸着という大事な役目があった。これはパイプの切れっ端と一緒にゴミ袋に入り、ベタベタの産業廃棄物となる。

 冷却水は動作熱やパイプ切断に伴う摩擦熱などを、気化潜熱を利用して冷却する。気化した水蒸気も鉄粉除去に必要なので、循環してラジエーターを使うような高級な機構は搭載されていないし、これからも搭載されないだろう。


 稼働一七日目、十五:制御、十六:敷板、十七:休み、十八:補給、十九:補給、二十:敷板。

 また五日に一度の休暇がやってきた。再びライフリー船長の操船で小型タンカーであるコンフォートに接舷し、各種補給と軽いメンテナンス、そして船内での洗濯と入浴と休暇を楽しんだ。

 グーンは相変わらず遠心重力ブロックをひたすら走ることを好んだ。一緒に走っていたのはロリエとエリスで、もはやライフリー、ソフィ、サルバは付き合ってもくれなかった。

 グーンの走り方はある程度のハイペースで淡々と長距離を。ロリエとエリスは全力で中距離を走って間に何度も休憩を挟む走り方だった。身体能力の違いもあるが、だから三人は走るペースが合わず、しかし通りすがりに一言二言会話することが、妙に楽しかった。


 稼働一八日目、十五:制御、十六:敷板、十七:敷板、十八:休み、十九:補給、二十:補給。

 ついにニッターは前日に、緯度五五度に到達した。ここからは補給は船のロボットアームを使わず、人力でえっちらおっちら単管パイプを運ぶ手筈になっていた。もっとも足場完成まであと四八時間という予定になっているので、再び十七号船に補給の順番が回ってくることはない。

 一方で足場への敷き板敷きは、南北ともに緯度二五度程度まで進んでいたものの、まだまだといった感じだ。こちらは現在すでに人力でえっちらおっちら運んでいる状況だ。


 稼働一九日目、十五:制御、十六:補給、十七:敷板、十八:敷板、十九:休み、二十:補給。

 足場完成まで約二四時間となった。

 現在集成小惑星の低軌道を周回する船は、高度一七〇メートル、軌道傾斜角二五度を回るメリ建の足場組と、高度二七〇メートル、軌道傾斜角六〇度を回る補給組があった。

 この他厳密には軌道周回物体ではないが、集成小惑星の南北極ポールに固定された、高度四〇〇メートルの太陽炉反射ミラー制御船および施工業者の船と、高度三五〇メートルの足場フタがあった。この足場フタは南北極の足場開口部にかぶさるフタの部分で、メリ建ではない鳶会社が請け負って作っていたものだ。

 さらにその上空には、高度一〇〇〇メートル地点に水回りパイピングのアッセンブリ―(一式)があり、高度二〇〇〇メートル地点に資材パッケージ列があり、高度二五〇〇メートル地点に太陽光反射ミラーのアッセンブリーがあった。それ以外の船は高度五〇〇〇メートルより遠くの軌道に配置されていた。

 実は数日前から、太陽光反射ミラーによって中心部の集成小惑星が加熱されていて、この日ようやく全体がほんのりと赤く発光した。これは加熱テストだった。

 集成小惑星とは自然の小惑星ではなく、大まかに崩した小惑星のくずをまとめた集成材だ。なのでこの成分をキチンと攪拌して頑丈な構造に作り替えるためには、一度液体にまで溶かさないとならないのだ。

 とはいえ、このように人間が周囲にたくさんいる状況で、液体になるまで加熱して良いはずがない。

 本格的な加熱は、足場組みが終わり、ニッター支持フレームを分解して、水回りパイピングアッセンブリーを設置してからだ。


 稼働二〇日目の〇一〇〇(マルヒトマルマル)、ニッター稼働が終了した。足場組みが仮締めまで完了したということだ。あとは人力での作業となる。


『やっと終わった……長かったッス』

『何言ってんだよ、まだ終わってねぇよ』


 どこかやり遂げた気になっていたグーンを、サルバがたしなめた。


第二部 仕事に慣れた頃が一番危ない 第一章 仕事上の細かな怪我や病気など、終了です。

第二部 仕事に慣れた頃が一番危ない 第二章 選手交代、ソフィに代わって社長、始まります。

次話は、第六六話 アクシデント発生(ニッター片付け、支持フレーム撤去、スペースデブリ、緊急帰還)です。


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