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第六四話 ここはお風呂のパラダイス(入浴作法、男子身体、内装業)

前話は、第六三話 レジャー施設で遊びたい(運動、鉱山炉、営業)です。

 〇二三〇(マルフタサンマル)にソフィ、エリスと合流し、十五号船のサラ・コバヤシ監督と遭遇して、鉱山炉のレジャー施設転用案について盛り上がった。

 なんだかんだで既に時刻は〇三〇〇(マルサンマルマル)。貴重な休暇の三時間を消費していた。


「さて、そろそろ風呂行くかぁ」

「ウッス」


 十七号船クルー六人に、十五号船のサラ・コバヤシ監督を加えた七人は、そこで男三人女四人の小グループに分かれた。


「じゃ後で」

「おう」


 ソフィと船長が言葉を交わし合い、それぞれが紳士の暖簾(のれん)と淑女の暖簾に分かれて入っていった。

 入った先は更衣室。当たり前だが、先日グーンが一人で来たときと同じ場所だ。ロッカーや身長計、体重計、冷水器、扇風機などが並んでいるのも同じように変わらなかった。

 時間帯が中途半端なのか、客は多くない。


 三人とも全裸となり、タオルと入浴セットを持って浴室に入っていった。

 そして向かう先は、まずは洗い場であった。汚れた体のまま浴槽に入る真似は、この大浴場の壁にかけられた心得でも否定されていたし、一般的な入浴マナーでもご法度だった。

 グーンの出身校である訓練校の大浴場では、実はこの入浴マナーが守られていなかった。先に浴槽に入って身体をふやかすと、身体を洗う時に垢がふやけて取れやすいんだぜぇ、などという理屈で、先に浴槽に入る者が後を絶たなかったのだ。郷に入れば郷に従えの格言通り、グーンもまた同じように先に浴槽につかる方針としていたが、心の中ではいつも疑問符が(またた)いていた。

 三人並んで身体を洗いながら、そんな話を話していたら、サルバが言った。


「そいつぁあれだぜ、訓練校だけのローカルルールって奴だよきっと。不特定多数が入る風呂じゃなくて、後から入るのは後輩とか立場の弱い同学年とかなんだろ? それなら後から入る奴の気持ちなんて考えずに、自分の都合優先で先に風呂入ってもおかしくねぇさぁ」


 サルバの言い分は、恐らく的を射ている。実際、下級生ほど後に入浴する時間割となっていたからだ。


「やっぱそうッスよねぇ。でも俺気が付いたことあるんスよ」

「何に?」

「メリ建の独身寮でも同じく大浴場じゃないッスか。んで先輩後輩分かれて入るんじゃなくて混在じゃないッスか。だからみんな気ぃ遣って身体洗ってから風呂入ってるッスけど、風呂水の汚れっぷりは寮のほうが酷いんスよねー」


 訓練校も独身寮も大浴場形式のバスルームだった、そしてどちらの風呂掃除も経験した、グーンだからこそわかる共通点だった。気を遣って先に体を洗ってから風呂に入っても、落としきれなかった垢が湯の中ではがれて浮く分、見た目の白濁が酷いのだ。

 そんな話をすると、船長が唸った。


「俺は独身寮が初めての大浴場だったからな、そういうもんだって思ってた」

「俺もそっすねぇ、実家も学校もずっとシャワーばっかりだったし」

「そんな訳で、どっちが大人数が入った時に汚れずに済むか、って観点では、このマナーは出来てねぇ気がするんスよねー」

「ふーん、なんでこんなマナーになったんだろうなぁ」


 サルバが、さして興味もない風にそう返した。


「風呂に入る前に身体洗っても、どうせ風呂から上がる時にも身体洗うじゃねッスか。水虫菌とか恐ぇし。手間増やされてるんスよね」

「あそうか。確かに手間増えてんな。誰だこんな妙なマナー広めた奴」

「ついでに言えば、その分洗剤も減るって訳で」

「なんだよ、風説広めて利益誘導って奴かよ、洗剤会社最低だなぁ」


 グーンの言葉で手のひらを反すサルバ。


「でもよ、特に汚れてる人間が先に湯船に浸かっと、一緒に入ってる奴にとっちゃ気分悪いってのは、紛れもねぇホンネだと俺は思うんだけどなぁ。店側としてもそういう客のせいで余計なクレーム欲しくねぇだろしな」

「あー、そんならまぁしょうがねぇっすかねぇ、風呂屋も辛ぇなぁ」


 再び手のひらを返すサルバ。

 メインベルトの人々は、大多数が快適に利用できるのであれば、自らが多少の手間を(こうむ)るのは、まぁ仕方がないことだよな、と思える人たちばかりなのだ。


「それにしてもサルバ先輩って、ホント体毛無いッスね」

「ん? おう、気ぃ遣ってんだよ。特に耳周りとヒゲと陰毛は永久脱毛したしな」

「え、そうなんスか」

「これも紳士の嗜みだよ、チミィ」


 そこに体毛濃いめのライフリー船長の声が被さった。


「なーにが紳士の嗜みだコノヤロ。お前のはソフトスーツの都合じゃねぇか」

「そうっすけど、紳士の嗜みでもあるんですって」


 ソフトスーツ使いの間では、フェイスガードのフィッティングパッドと、排泄インナー開発前に主流だった小便エアロックのフィッティングパッドが当たる部分は、除毛することが常識だった。何故なら、フィッティングパッドと素肌の間に毛が挟まると、そこから空気与圧が逃げるからだ。これは生命維持に関わることなので、見た目などよりも優先される。

 加えてサルバのやっていた宙球(スペース・ポロ)競技者のような、日頃からソフトスーツの脱着の頻度が高い人間は、除毛・剃毛・脱毛しがちな傾向があった。何故なら、ソフトスーツのタグボルトを締め付けると、生地に毛が巻き込まれて痛いのだ。この他にも、スーツの生地でこすれる箇所はどんどん毛が薄くなり、そうでない箇所とくらべてまばらに見えるという美観の面もあった。


「そんな訳で、ソフトスーツ使いは永久脱毛すんのが、まぁ常識なんすけどねぇ、俺はやっぱアレっすね、清潔感と体臭予防ってのも付け加えてんすよ」


 サルバはそう言った。まぁ確かに体臭は毛根や汗腺から匂うと聞くし、清潔感があるのも理解できる。


「でも先輩、耳の周りも永久脱毛したんスよね」

「おう、耳のせいで剃るのが面倒な部分だかんなぁ」

「将来ハゲたらどうすんスか?」

「……それは」


 サルバは黙ってしまった。


「グーン、サルバはきっとこう思ってんだよ。ハゲたからってサイドから毛を寄せて盛るような真似は、紳士らしくねぇってな」

「おお、(いさぎよ)いッスね、さすが先輩」

「ま、まぁな」

「ヅラも潔くないッスもんね、先輩」

「お、おう。まぁな」


 船長とグーンの二人がかりでサルバをからかいながら、一番大きな浴槽に場所を移した。


「でも先輩、陰毛もないじゃねッスか。そのせいで余計チンコが目立つんスよ」

「おう、なんかナマナマしいよな」

「それが良いんじゃねぇですかぁ」


 それは紳士と違う何かの性癖だ。


「そうそう船長、グーンってこう見えてやたらチンコでけぇんすよぉ、叱ってやってください」

「いや、チンコでかいからって、なんで叱らんなきゃなんないんスか」

「ん、普通だろこのサイズ。それとも膨張率が高いのか?」


 船長はグーンの股間を一瞥して、こともなげにそう言い切った。船長のサイズもご立派だった。


「くっ……」

「先輩、大丈夫ッスよ。男にも巨乳好きもいれば貧乳好きもいるんだし、同じように女にだって、巨根好きも貧根(ひんこん)好きもいますって、きっと」

「貧根! あはははは! その言い方初めて聞くわ」

「るっせー! 男はサイズじゃねんすよ! ハートっすよ! それに膨張率だったらグーンにだって負けねっすよ」

「つってもなぁ、男風呂で膨張率勝負なんてやっても、妙な目でしか見られねえぜ」

「いやまぁ、ここじゃちょっと」


 サルバの顔つきはなんとも悔しそうだ。


「てんめぇグーン、覚えてろよぉ」

「普段イジメられてるお返しッスよ、やれオムイチだの夢精クンだの」

「ま、仲良くな」


 船長は苦笑いしながらも、二人をそうなだめた。


 男子三人は存分に風呂を堪能して、風呂上がりにも身体を改めて洗い直し、大浴場エリアのロビーに戻ってきた。

 しかしそれでもなお、女性陣は風呂から上がってこなかった。何しろ髪の毛が長いので、ドライヤーで乾かすにも時間がかかるのだ。特にソフィは空気与圧されないフェイスガード使用者なので、濡れ髪のまま宇宙に出られないこともあって、確実に乾かす必要があるのだろう。濡れ髪で真空に出ると、水分が気化して潜熱を奪うことで気化しきれなかった残りの水分が凍結し、そのせいで髪の繊維が破壊されるのだ。


「船長、女性陣はまだまだ上がってこないと思うんスけど、何か食ってていッスか」

「お前さっき食ったばっかりだろ」


 そう言ったグーンはいつもの開襟シャツにスラックス姿。船長は緑色のランニングシャツと緑色のジョギングパンツ。サルバは黒いTシャツに柔らかなハーフスウェットだ。


「あんな牛丼なんて、オヤツの量ッスよ」

「んじゃ飲み物選びに俺たちも行くか、サルバ」

「行きましょっかぁ」


 グーンはもう一杯牛丼を頼み、先日も飲んだフルーツ牛乳を買った。船長とサルバは缶ビールだ。さきほどサラが飲んでたのが羨ましかったのだろう。

 このロビーでは食べ物の売店と飲み物の売店がそれぞれ別となっていたので、政府の酒食分離政策に抵触せずに酒と食べ物の両方を楽しめるのだ。ただしどちらもクオリティは高くないので、わざわざ飲み目的でここに来る者はいない。そういう飲み目的の者には、エアロック脇の自称フードコートという立ち食い屋で充分なのだ。


「そういや船長」

「なんだ?」


 牛丼をもしゃもしゃ頬張りながらグーンはライフリーに話しかけていた。


「こないだ来たときに知ったんスけどね。ここの風呂屋って別料金の個室休憩処があったんスよ」

「ああ、この手の施設にゃ付き物っぽいな」

「それがね、俺も話にしか聞いたことなかったんスけど、内装がすっかりラブホテルのそれで」

「ほう?」

「後でソフィ姐さんとご一緒にいかがかなって」

「おう、分かってるなグーンよ、それじゃ女性陣が帰ってきたら俺たち抜けるぜ。そうかそうか、分かってるなここの風呂屋もよ、へへへ」


 その会話を聞いていたサルバは、怪訝な顔をしながらビールを一口すすり、グーンに聞いた。


「なんでそれ知ってるん?」

「いや、その部屋に案内されたからッスよ、店員さんに」

「あ、グーンテメー、もうエっちゃんとエッチしちまったのかよ、手ぇ早ぇなおい」

「してないッスよ。エリっさん具合悪そうでマッサージしただけッス」

「やだわぁ、今どきの若い人ってダイタンだわぁ」

「しつこいッスね。さっきのからかい、まだ根に持ってんスか」

「別にぃー。それに口では何とでも言えるもん」

「うわすっげえムカツク」


 サルバの態度に呆れたグーンは、多少強引ではあるが話題を変えようとした。


「船長。鳶って建築の最初の工程ッスけど、最後の工程である内装の仕事って、経験したことはあるッスか?」

「内装は……俺はねぇなぁ。ウチの会社で内装経験者なんて居んのかね」


 船長は経験がないと言ってきた。ところがサルバが口を開いた。


「俺あるよ」

「ええっ、居たよここに。なんで?」

「バイトでちょっとな。合わなくて鳶にしたけどよ」

「へー、どんなだったッスか」


 食べ終わったグーンが丼を置くと、サルバは残り少ない缶ビールをすすって飲み切った。


「バイトのやることなんて大したことねぇよ? 巾木(はばき)に接着剤塗ったり、内装工事やる部屋に壁紙やカーペット運んだり、什器(じゅうき)運んだり、ゴミ掃除したりだよ」

「そんでも貴重な体験じゃねッスか」

「あー、ラブホテルの内装工事もやったな。酷ぇんだよ、ベッド動かしたら使用済みのコンドームが落ちてて、誰が拾うかバイト仲間で押し付け合っちまったよ」

「マジッスか、生々しいッスねー」

「ビジネスホテルでもコンドームは落ちてたなぁ」


 サルバの話は特別に実のある内容ではなかったものの、どうやら機嫌は直ったようだった。


「なんつーか、鳶の仕事もミリメートル単位で精密なもんだろ。でも内装は、特に壁紙貼りなんかマイクロメートル単位で精密さが要求されんだよ。しかも建築工程の最後だから、納期のしわ寄せが一番来る工程でよ、バイト期間中だけでも社員が消耗していくのが目で見て分かっちゃうのよ。助けらんねぇの辛かったぜ」


 最後の最後で実のある話が出てきた。


「気の毒とは思ったけど、自分の進路としてはナシだぜありゃ」

「そうッスかぁ」

「じゃああれだなサルバ。せめて下流の職人に迷惑かけねぇように、俺らがまず納期通りに仕上げることを心がけねぇとな」

「そっすね、船長」


 いい話で締めくくれたようだ。サルバの機嫌を直すことにもなったし、グーンは安心した。


「つか、なんで急に内装業のことなんて聞いたん?」

「いや、さっき話したラブホっぽい部屋の内装が、今まで見たことないくらい派手だったんスよ。こういうの作るのも楽しそうだなって」

「内装業が内装決めてる訳じゃねぇぞ? それ設計の仕事じゃん」

「あーそっか」

「なんだよ、分かってて興味抱いてたんじゃねぇのかよ」

「まだまだだなグーンよ、ははは」


 いい話で締めくくれなかった。くそう。


「お、来た来た」


 男性陣が風呂から上がって約三十分後、ようやく女性陣がロビーに戻ってきた。

 三人は背の低いパーティションに区切られた休憩処から、四人に手を振った。

 ソフィとサラの同期同士が、話ながら歩いてきた。他二人は後ろからついてくるだけだ。


「……アンタとカップ数は変わらないはずだよ、昔も今も」

「だっておかしいだろ、明らかにデカさが違うもんよ」

「仕方ねぇだろ、アタシアンダーだけで九十前後あるもん」

「つまりそれ全部大胸筋ってか、ちっ、偽乳が」

「監督になって身体動かさなくなった贅肉に言われたかないよ」

「くっ……」


 ロリエとエリスにとってはどちらも先輩にあたるので、そのどちらにも何も言えないでいた。それにロリエとエリスどちらから見ても、ソフィとサラどちらもご立派なモノに見えるのだろう。きっと口を挟む気にもならないに違いない。


「何の話してんだかよ。みんな楽しめたか?」

「ああ、いい湯だったよライフリー」


 そう答えるソフィは、湯上りにTシャツ一丁とハーフパンツという挑発的な姿だ。先ほどの話でも分かるようにソフィは一般的な女性の体形とは違うため、合うブラジャーがないという理由もあって普段からノーブラ派だ。とても目に悪い。

 サラ・コバヤシ監督は同じくTシャツ姿だが、ちゃんとブラジャー着用のようだ。下は長いスウェットパンツで、肩に下げたタオルも相まって、まるで部屋着だ。

 ロリエはピンク色のキャミソールと紺色のバミューダパンツだ。完全に女児のそれだ。ブラジャーは付けているかどうかわからないし、どうせ変わらない。

 エリスは先日と同じTシャツにホットパンツだ。こちらはちゃんとブラジャーは付けていると思う。


「ソフィ姐とサラ姐と一緒には、二度と入らねえ」

「なにがあったん?」

「ずっとあの調子で、お互いがお互いを挑発しててよ、気が休まらねぇったら」


 ロリエの愚痴をサルバが誘発した。だからそちらは任せて、グーンはエリスに話しかけた。


「お疲れさんッス。(あった)まれたッスか」

「うん、まあね、うん」

「風呂の中で別行動とってれば、口喧嘩に巻き込まれなかったでしょうに」

「そうしたんだけど、結局来るんだもん」 


 そう言いながらも、飲み物を買ってくる宣言にはソフィもサラもビールを要求するし、全員で休憩処の狭いスペースにも座る。仲が悪いわけではなく、元々そういうやり取りを楽しむ間柄なんだろうな。グーンはみんなに頼まれた缶ビールを休憩処の低いテーブルに置きながら、そう察した。


「お飲み物をお持ちしたッスよー」

「サンキューグーン」

「ゴッチー」

「奢りじゃねッスよ、ちゃんと払って下さいよ」


 五人が缶ビールを掲げ、グーンはお替りしたフルーツ牛乳を、エリスはコーヒー牛乳を掲げ、狭い休憩処での控えめな乾杯がされた。

 幸い会話のグループは、ソフィとサラに巻き込まれた船長のグループと、ロリエとサルバのグループに分かれたおかげで、グーンとエリスは放置された格好だ。


「エリっさん、湯冷め大丈夫ッスか?」

「うん、平気」

「いやいや、首筋もう冷えかかってるッスよ、このタオル乾いてるんで、首と肩にかけてください。ちっと摩擦で温めるッスから」

「あ、うん、ありがと……」


 膝立ちになったグーンがエリスの後ろで肩をさすっていると、その様子を目ざとく見つけたのがサラだった。物凄く睨まれている現状にグーンは気付いた。


「なんだよ、早速フィアンセとスキンシップかよ。入社二か月で手が早ぇことだなぁ」

「監督ぅ、酔うには早いッスよ」

「なんだい、お前までアタシに説教すんのかい、ちぇ、いいよなぁ、結婚の心配も何もなくてよぉ」

「監督も黙ってりゃ美人さんなんですし、結婚相手なんてどうとでもなるでしょうに。なんでまたこっちに絡むんスかぁ」


 その言葉にサラはニヘラっと笑い、機嫌をよくした。


「お? 美人ってか? へへー、ほら見ろソフィ、あたしだって捨てたモンじゃねんだぞ」

「良く聞きなよ、黙ってりゃって言われてんだろ」

「んだとぉ、入社二か月の新人がナマイキに!」


 せっかく上向いた機嫌を落とすの、ホントやめて欲しい。

 そういえばサラは風呂の前にも一本、上がってからも一本のビールを飲んでいた。きっと温まったせいでアルコールの巡りが早くなっているのだろう。グーンはそう理解した。

 グーンはサラに向かって口を開いた。


「それよりなんか、俺らのナリユキがメリ建全船に広まってるんスけど、あれどういうことッスか」

「あん? セクハラ直後のプロポーズのことか。いいじゃん夢があって」

「俺ら広めてくれなんて一言も言ってねッスよぉ」

「他にゴラクがねぇから、勝手に広まったんだよ」

「やらかした俺にならともかく、彼女にも酷いヤッカミが来てるんスよ。火消しオナシャス」

「なーんでアタシがぁ」

「監督のうち広めた当人に、火消を頼んでくださいって話ッスよ」

「しばらく待ってりゃそのうち鎮火すんよ」


 そんな話をしてると、低いパーティションから顔がヌッと出てきて言った。その眼鏡をかけた三十代後半と見える、不健康そうな肥満顔の男の顔に、誰も見覚えがなかった。


「ちょっとうるさいですよ。もう少し静かにお話しください」

「ああ、すんませんッシタ。気を付けます」

「ったく……だから職工は……」


 男は、ブツブツ言いながら自分の休憩処に座り直していった。恐らくこの現場に来ている中でも頭脳労働のタイプの人間で、しかも肉体労働者を職工と(あざけ)るところから、太陽炉調整のプログラマーかシステムエンジニアのどちらかなのだろう。

 ほんの少しの反発心が生まれたが、それを飲み込んでグーンはサラに念を押した。


「頼んますよ」

「……かったよ。伝えりゃいんだろ伝えりゃ」

「ウッス、オナシャス」


 すっかり冷や水を浴びせられた形になり、それ以上楽しく話す気分では無くなってしまったので、ライフリーとソフィは立ち上がった。


「そんじゃ俺ら二人は個室休憩処に行ってくるぜ」

「その部屋見るだけ見てみたいな」


 意外なところから声があがった。ロリエだ。


「俺らが借りるときに、ちょっと中を見せてもらうだけなら、たぶん良いんじゃねぇか?」

「じゃ見学行こうぜ。ほれサル立て」

「せっかくなんで俺らも行きましょ。ほら、コバヤシ監督も」

「えー、なんでアタシが」

「サラ姐、例のプレゼンの役に立つんじゃない?」

「ああ、先方さんの好みとか仕上げの質とかのリサーチか、しゃあねぇなぁ」


 飲みかけていた飲み物を全員が飲み干し、手荷物とゴミを持ってその場を立った。

 全員がぞろぞろとカウンターの店員に向かうところ、一人グーンだけは隣の休憩処に顔を見せていた。


「ご迷惑おかけシャシタ。失礼シャス」

「あ、はい……」


 そこにいたのは先ほどの男も含めて、年齢層はバラケているが一様に不健康そうなメガネ男ばかり三人組だった。

 まさか席を立つ時の挨拶をされるとは思っていなかったのだろう、うろたえたような視線をさまよわせていた。

 グーンはニッコリ笑ってその場を去った。


「なにもそんなにキョドんなくていいんだけどなぁ」


 グーンは六人に追いつき、合流した。グーンの行動にご苦労さんと声をかけたのはソフィだ。他のみんなも視線でねぎらってくれているようにグーンは感じた。


「あの、七名様がお休みいただけるお部屋はちょっと……」

「や、休憩処使うのは二人だけですよ。他は数分間の見学です」

「はぁ、それでしたらこちらにどうぞ。ご案内いたします」


 店員と船長のやり取りで、ほんの少しの見学ならということになった。

 グーンとエリスが以前案内された通路を再びなぞり、一つ隣りの部屋に案内された。


「こちらになります、どうぞごゆっくり」

「ありがとうございます」


 七人全員でぞろぞろと入ったその部屋は、部屋の面積、設備の種類、その他のほとんどが一緒だったが、唯一壁紙の色が違っていた。


「へー、こっちの部屋はこうなってるんスか、なるほど」

「新人、アンタ他の部屋入ったの?」


 グーンのつぶやきにサラが反応した。


「ええ、先日こちらの彼女とちょっと入ったんスけど」

「ちッ!」


 盛大な舌打ちをされてしまった。


「グーンにエリス、アンタら手ぇ早いね、もう童貞と処女散らせちゃったのかい」

「ソフィ姐さん、もうちょっと言葉選んでくださいよ。それに俺ら部屋は借りたッスけど、ふしだらな真似やってねぇッスってば」

「しなかったのかい、何やってんのさ部屋代もったいない」

「他の客の視線を気にせず、エリっさんをマッサージしてあげたかったんスよ」

「エッチなマッサージじゃなく?」

「そんな余裕なかったッスよ! そりゃそっちもしたかったけど!」


 そして隣の部屋との壁紙の差異を、グーンはみんなに説明した。

 隣は下の濃紺から紫を経て上に空色を配置してあった。しかしこの部屋は下にエンジ色から若草色を経て上に桜色が配置してある壁紙だった。メインベルトでこの配色は馴染みがなかったが、ロリエは気が付いたようだ。


「へぇ、隣の部屋は夜明けもしくは夕暮れのイメージで、こっちの部屋は春の桜のイメージか。どこの文献を調べたか知らないけど、デザイナーは古い地球の配色を知ってるね」


 配色に意味があったらしい。確かに隣の部屋はどこか荘厳な雰囲気だったし、この部屋はどこか和らぎを感じる雰囲気だ。


「壁紙の色ひとつでそんなに雰囲気を変えられるモンなんスねぇ、へぇ、面白い」

「カラーコーディネーターっていう専門職があるくらいだからね」


 サラは監督らしい顔つきになって、その配色をメモに記していた。

 一方でサルバは間接照明の様子が気になったらしく、天井の複雑な造形の奥をジャンプして見学していた。

 ロリエはベッドに乗っかった。女児がラブホのベッドに四つん這いになって尻を向けて、枕もとのスイッチを操作する光景は、なんとも背徳的に感じた。とりあえずモニターに表示されていたアダルトビデオのハイライトを集めた番組宣伝を消して、照明を徐々に暗くしていった。

 するとそれまで桃色だった壁紙と天井が、蓄光塗料で光り出した。星空だ。


「わぁ……」

「へぇ……」


 声が漏れたのは、エリスとグーンだ。二人の感嘆の声に、操作をしたロリエの意外な声が被さった。


「なんだよ二人とも、これ知らなかったのか?」

「照明落としてなかったッスもん、気が付かなかったッス。こいつぁロマンチックッスねぇ」

「私こういう部屋ならずっと見ていたい」


 グーンとエリスは知ってか知らずか手を繋ぎ合っていた。そしてその初々しい様子を、サラは苦々しく見た。


「……図らずもエッチしてない証明になっちまった。つまんねぇのぉ」

「まーだ疑ってたんスか、ウソ言わねッスよ、俺」


 そして照明が元の明るさに戻されて、とりあえずのまとめに入った。発言したのはサラだ。


「恐らくこうだろうって基礎の部分は、しっかり押さえてる印象だね」

「アタシは、よくメインベルトでここまでやるよって思ったな。大浴場内部の造りも含めて、案外高レベルだ」

「つまり、そこそこ練ったアイディアをプレゼンしないとまずいってことッスか」

「これで食べ物が美味しければ、言うことなしなんですけどね、ここ」


 それらのロリエ、グーン、エリスの意見もサラはメモに書き留めて、サルバの姿を探した。するとそれまで妙に静かだったライフリーとソフィの間に入って、なにかをブツブツ見ているのに気が付いた。

 サラは問いかけた。


「おい三人、何見てんだ」

「これ、すごくね?」


 そこにあったのは自動販売機だった。小さな扉の付いたアクリル張りの小箱がいくつも並び、そこにはドリンク剤、何かの錠剤、液体の入ったビニールボトル、親指大のピンク色の卵のような何か、男性シンボルの形のプラスチック玩具、その他が並んでいた。

 抑制的なメインベルトでは、少なくともシンタナの都市部では、滅多にお目にかかれない代物だった。

 特にその男性シンボルのモノを見て、エリスは驚きの声をあげていた。


「えー、そんなの何に使うんですか……」

「そりゃアンタ、女の股に突っ込んで楽しむんだよ」


 あまりに直接的なソフィの物言いに、グーンは健全の使者の足音を聞いた気がした。


 そしてライフリーとソフィを除く五人は、気が付けば部屋の外の廊下に立っていた。

 きっと健全の使者によって、間の描写をカットされたに違いない。

 扉の向こうからは、ソフィとライフリーの笑い声が聞こえてきた。


 その後サラ・コバヤシ監督は、コインランドリーの洗濯が終わったからという理由で一行を離れていった。残された四人はそのまま、元のロビーに戻っていった。時すでに〇五〇〇(マルゴーマルマル)となっていた。


「あー、やっと居なくなってくれた」

「ロリエ先輩、そりゃさすがに失礼ッスよ」

「お前にゃ分かんねぇんだよ」


 そして案の定、何が分かんないのかの説明はない。ロリエの話法は相変わらずだ。おおかた、「あの二人の一見喧嘩しているようにしか見えないじゃれ合いが、どんだけ周りをウンザリさせるか、お前にゃ分かんねぇんだよ」が省略されているのだろうが。

 休憩処に向かいながら、サルバが質問した。


「これからどうするぅ? もう大部屋で寝るかぁ?」

「俺はどっちでも良いッスけど。エリっさんどうッスか」

「え、いやそりゃちょっとは眠いけど、我慢できるよ」

「昼勤は寝てる時間帯なんだから、無理すんな」


 エリスの遠慮を聞いて、ロリエが率先して大部屋へ向かった。


「行くよ」

「は、はい」


 大部屋には、ちらほらと寝ている客が壁際に散らばっていた。とはいえ見る限り、本気で睡眠をとっている者はいなかった。あくまで少し昼寝をする場所だからだ。

 この現場のような遠隔地での建設では、それぞれの業者は自らの船に乗って集まるのが普通で、そして作業員は船のクルーを兼任するのが普通だ。加えればメインベルトでは昼夜の区別は非常にあいまいなので、他業種の者との連携などを考えれば二十四時間操業にならざるを得なかった。

 つまり、例え休暇時間中であっても船自体が休暇中でなければ、クルーは緊急時に対応を行う義務があるため、船から離れたここで本格的な睡眠を摂るわけにはいかないのだ。一方で十七号船は船自体が休暇だ。

 ロリエは大部屋で三人に向かって言った。


「話すにしろ何にしろ、とりあえず横になってろ」


 言われた通りに横になる三人。すると忘れていた眠気が蘇ってきた。


「あー、眠気が」

「私も。スゴい早起きさせられたの思い出しました」

「俺も……かはぁ……」

「じゃあ寝てな。荷物はアタシが預かってロッカーに入れておいてやるから」

「ウッス、アザッス」


 その場で三人は川の字になって横になった。サルバ、グーン、エリスの順番だ。

 ほどなく、三人とも落ちるようにして眠りに入った。


「グーン、起きろ」

「あい……あえ?」


 一三〇〇(ヒトサンマルマル)にグーンを起こしたのは、ライフリーらしい。


「おう、起きたかぁ。ひとっ風呂浴びたら十七号船に戻ろうぜ」

「あー……。あそうか、ここ実家じゃなかったッス。オザッスみなさん」

「寝ぼけてたか」

「みたいッス。久々に重力下で眠ったんで、気持ちよくて」


 ふとグーンは、嗅ぎ慣れた匂いを自分の服の胸元から感じた。エリスの匂いだ。ひょっとして寝てる間に抱き付かれていたのかな、と想像することも楽しかった。

 欠伸(あくび)を連発しながらも男性三人は風呂に向かった。女性三人はすでに一時間前に向かったらしい。

 毎回この風呂を巡回する経路どおりにグーンは次々と風呂を楽しみ、ほかほかになって風呂を上がった。もちろんライフリー、サルバも一緒だ。

 ロビーの休憩処にはすでに女性陣三人が待っていた。


御待遠様(おまっとさん)

「あいよ。何か飲むかい」

「五日後まで飲めねぇからビールだな」


 おのおの好みの飲み物で一息ついたあとで大浴場エリアを後にして、コインランドリーエリアで着替えをし、荷物を抱えて遠心重力ドラムから飛び降りた。


「あーあ、ゆったりタイムも五日間おあずけかぁ」

「しょうがねッスよ先輩。仕事頑張りましょ」


 十七号船クルー六名は船に戻り、コンフォートを離れて所定の軌道に戻っていった。

 なおロリエだけは大浴場にとんぼ返りして、サラと一緒に名刺を渡しに行ったらしい。


次話は、第六五話 足場完成までのダイジェスト(ドールアーム、ワーカホリック、ニッター、敷き板)です。

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