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第六〇話 セクハラから始まる男女交際(生理痛マッサージ、セクハラ、訓練校、爆発案件、社内報告)

前話は、第五九話 ニッターへの補給(ニッター支持フレーム、補給作業、女性生理)です。

 稼働〇二日目、十五:制御、十六:足場、十七:休み、十八:補給、十九:足場、二十:足場。

 上記の通り十七号船は休暇に入ったが、船の運航に休暇はない。

 現在ロリエは正操縦席に座って、ディスプレイで小説か何かを読んでいた。

 船長は天井近くで逆さまに浮いて、自分と新人のハードスーツの点検をしていた。

 その傍らにはソフィが寝袋で寝ていて、船長は時折ソフィの髪をなでていた。

 サルバは調理室で、第一食の保存食を電子レンジにかけていた。

 エリスはというと、テーブルの上の寝袋に半分包まれて、うつぶせに横たわっていた。

 そしてグーンは、エリスを飽きることなくさすって温めていた。


「船長」

「ん?」


 グーンは、近場で唯一起きている船長に話しかけた。


「船長も、こうしてソフィ姐さんをさすってあげてたんスよね」

「ソフィから聞いたのか。そうだなぁ、ここんとこそんな余裕なかったけどな」

「参考までに、どこらへんが生理痛のツボなのか聞いとこうかなと」

「あー、……前側の足の付け根だな。股関節と骨盤の間あたりがソフィには効いたみたいだけど、やめといたほうがいいぞ」

「そこはリンパ節とか近くて恐いし、ちょっと失礼に当たる場所ッスね」

「さすがにな」


 やがて船の中にいた者も、それぞれの自分の用事に散っていったが、グーンは変わらずそこにいた。正直腕がパンパンだ。

 ナイショだが股間もずっとパンパンだった。途中エリスが寝ている間にトイレで落ち着かせたが、それでもすぐに元通りになったのは、もっとナイショだった。


 そんな感じで、グーンはそのまま〇六〇〇(マルロクマルマル)の自らの就寝時間まで、起きてはまどろむエリスの身体をひたすら撫でさすっていた。

 撫で疲れて、グーンはそのまま眠ってしまった。エリスの腰を枕にして、右腕で尻を掻き抱き、左腕でエリスの肩甲骨に覆いかぶさるように。


「ったく、しょうがねぇなぁ」


 その様子を見たサルバは、欠伸(あくび)をしながらも、グーンとエリスに毛布をかけ、マジックテープベルトで床に軽く拘束した。

 サルバはロリエが寝ていた寝袋に潜り込んでいった。


 やがてグーンは目を覚まし、背中から毛布がかけられ、マジックテープベルトで軽く拘束されていることに気が付いた。場所は乗務員室(キャビン)のテーブル脇だ。

 今朝までグーンは、ひたすらエリスをマッサージし続けていたことは覚えていたが、寝袋に入った覚えはなかった。居眠りしたままガッツリ寝ちゃったんだな、と恥ずかしくなっていた。


「う、オザッス……今何時スか」


 そのグーンの声に応えたのは、操縦席のソフィだ。


一五三〇(ヒトゴーサンマル)だよ。よく寝てたね、正直邪魔だったよ」

「あ、サーセンッシタ。まさかこんなトコで寝るなんて思ってなくて……あれエリっさんは」

「エリスならギャレーでメシ食ってる。行ってやんな」

「アザッス。ついでにサルバ先輩は?」

「あいつぁタンカーに遊びに行ってるよ」


 グーンが訪れた調理室(ギャレー)では、エリスが例の美味くも不味くもない保存食をもそもそ食べていた。


「オザッス、エリっさん。調子はどッスか」

「う、うん、お陰様で調子は……うん」


 グーンを見たとたん、エリスは顔を赤くして俯いてしまった。生理痛は小康状態なのだろうか。


「なんか歯切れが悪いっスね。体調悪いの隠してんじゃないッスか?」

「う、そうじゃなくて、その、だって、グーンが」


 そこに操縦席から忍び足で近寄ってきたニヤニヤ笑いのソフィが、グーンに船の汎用モニターパッドを見せてきた。


「これなーんだ」


 モニターには、うつぶせになったジャージ姿のエリスと、両手でその身体を抱え込んで、尻のあたりに頬を寄せている、幸せそうなグーンの寝顔が写っていた。


「なっ!! なっ……」

「アンタずっとこのカッコで、エリスに抱き着いて寝てたんだよ。目ぇ覚ました時のエリスの慌てっぷりって言ったら」

「キャー! 消して! その画像消してください!」

「おっと駄目だよ、もうみんなに画像は回してあるんだから」

「ギャー!!」


 このカッコでずっと……? エリスの様子がおかしかったのも、ニヤニヤ顔で見せつけてきたソフィも、腑に落ちた。

 そしてエリスを見て、モニターの画像を見て、自分の手を見て、ソフィを見た。

 やっちまった。

 グーンの顔は無表情のまま青ざめ、それすら通り超えて土気色に近くなっていった。視点が定まっていない。


 グーンは無重力下に関わらず、一見落ち着いた様子でゆっくりエリスに向き直り、見事に四十五度に頭を下げて言った。


「申し訳ありませんでした。寝ている間のこととは言え、婦女子の身体に抱き着いて居眠りするなどという、大変失礼な真似をしてしまいました。さぞかしご不快なことでしょう。自分が個人的にできる範囲で償わせていただきますので、会社にセクハラ被害届をご提出なさることと、その証拠写真を外部にお出しになることだけは、なにとぞ、なにとぞご容赦をお願いいたします」


 グーンの謝罪を聞いたソフィとエリスは、ものすごく困惑顔だ。


「えっ。……えっ?」

「ソフィ副船長にも、ひらに、ご容赦をお願いいたします。自分が今この会社を不祥事でクビになったら、年老いた祖母を抱えて路頭に迷い、ローン返済も不履行になってしまいます。家族に会わせる顔がありません」


 お辞儀を続けるグーンの身体は、細かく震えていた。本気で自分のやらかした行為と、待ち受ける結末に恐怖しているのだ。


 確かにこれは、事情を知らない者が見ればセクハラの決定的証拠写真だ。痴漢行為かもしれない。船のフライトレコーダーにも発言が録音されている船内での撮影なので、被害者が訴えれば勝訴確実な話だ。

 そして刑事裁判で有罪となれば、確実に会社は懲戒免職となる。そして履歴書の賞罰欄に記入しなければならなくなるので、転職時に相当不利な条件が付くと思って良い。ぶっちゃけまともな職業への転職は無理だ。

 さらに民事裁判の敗訴によって、グーンには程度に応じた慰謝料の支払い義務が発生する。

 だが慰謝料にさらに積み増した額による示談が成立すれば、グーンは刑事事件としては起訴されずに済む。ただし示談のためには第三者に知られることは免れない。

 だが示談金にさらに積み増した額による口止め脅迫に応じれば、互いの犯罪行為の交換ということで、グーンは脅迫の約定破りへの対抗策を得ることができる。第三者にも知られない。

 どちらにしろ、グーンの人生はこれで詰みだ。


 しかし、こんな微笑ましい微エロ案件で、そこまでする奴がいるか? 普通この程度は冗談の範疇(はんちゅう)だろ。キャーやめてー、アハハ、で済む話だろ。ソフィはそう思っていたし、今までだってそれで通用していた。

 もし強硬なセクハラ批判論者がいたとしても、ソフィの行為を社内イジメと断じることはあっても、それを指摘せずにセクハラだけを言い募るなどという人間がいるとは、とても思えなかった。

 ソフィもエリスも、かなりドン引きしていた。

 そこまで思いが至って、ようやく思い出した。グーンは思いがけない非常識を隠し持つ男だ。

 ソフィは頭を下げたまま上げようとしないグーンに、恐る恐る話しかけた。


「グ、グーン」

「はい」

「ひょっとしてなんだけどさ、その、訓練校で、似た状況で(おとしい)れられたクラスメイトでもいたのか?」

「はい、学生や教師や職員に、知る限り数人、噂ではもっと」

「それ全部、セクハラ……?」

「はい、訓練校じゃセクハラと脅迫はつきものです」

「かー……」


 ソフィは、その質問で確信が得られた。グーンがバカ学校と呼ぶあそこは、同時にクズ学校でもあるようだ。あの訓練校の卒業生は今後採用しないように、社長に進言しよう。

 同時に彼女は、自らのイタズラ心がグーンを追い詰めたことを知った。微笑ましい微エロ案件を大事(おおごと)にしたのは、他でもないソフィなのだ。

 ソフィは柄にもなく狼狽(ろうばい)していた。


「グーン、アタシらはそんな風に脅迫したりしないよ……」

「そう仰られても、人生が掛かっていますんで、対価なしにハイそうですかとは信じられません」

「お前な、アタシだって監督責任ってのがあんだぞ? 部下から犯罪者なんて出したくねぇよ、それは理解できるだろ」

「それは理解できますが、もうみんなに画像を回したとのこと。誰がこのネタで強請(ゆす)り出すかわかりません。ですんでそうなる前にせめて、みなさんから強請(ゆす)りを受けたという互いの弱みの交換で、事を収めて戴きたいと思います」


 グーンは犯罪起訴や示談をすっ飛ばして、いきなり口止め脅迫を受け入れると言っていた。


「どんだけ歪んだ体験したんだお前……」

「ですんで俺の出来る範囲でご要求を仰ってください」


 エリスはあまりのドン引き案件にフリーズしているのか、顔面蒼白のままピクリとも動かない。

 グーンは頭を下げたまま、ふるふると震えている。

 二人をこんな状況に追い込んだのは、他ならぬ自分だ。たった二か月しか経っていない新入社員の若者をだ。違うんだ。こんなつもりじゃなかったんだ。

 自らの行いに恐怖したソフィは思わず、自分を棚に上げて口走っていた。


「だったらお前、エリスと結婚を前提としたお付き合いしてたことにしろ! エリスの同意があれば文句ねんだろ!」

「えっ」

「えっ」


 思わず顔を上げたグーンも、一瞬にしてフリーズから再起動したエリスも、何言ってんのこの人、という顔をしていた。


「アタシからの要求は交際事実の捏造だ! どうせお前らにとって望むことだろ」

「……や、やだー! やだーそんなのー! 私がやだー! 犯罪の脅迫で始める交際なんて、絶対やだー!」

「エリス、混ぜっ返すなよ……」


 エリスこそ涙を振りまいて叫んでいた。


「こんなの普通じゃないよ! 私は普通で充分なの! どこかおかしいメリ建での出来事を、これも普通の範疇(はんちゅう)だよね、なんてやっと達観(たっかん)できるようになってきたってのに! 記念すべき初めての男女交際がこんな形なんて、私が絶対に嫌! グーン、私のことが嫌いなの!? セクハラ訴訟を起こすふりして延々と金品を強請(ゆす)るような性悪女に見えるの!? グーンの人生をたった十八年でぶち壊すことを喜ぶ人間に見えるの!? グーンが疑ってるのは、そういう意味になるんだよ!」


 その言葉を受けて、グーンは反論した。

 ソフィのちゃぶ台返しのような発言で、グーンの神妙な態度という化けの皮が剥がれてしまっていた。両者酷く感情的になっていた。


「いま現在そう考えてる人でも、状況が変わればどう転ぶかなんて分かんねぇじゃねッスか! 現にエリっさんだって俺のこと、今は嫌ってないけど、ちょっと前まで大嫌いだったじゃねッスか! たまたま自分に免許がないってだけで俺が臨時に操縦受け持ったこと嫉妬(しっと)して勝手にコンプレックスこじらせて! 俺はずっと大好きなのに! そんな風にコロコロ変わる人の心を……」

「あ、それを言う!? コンプレックスなんて今だっていっぱいあるわよ! なによ、運動神経抜群で、ブルーカラー系資格オバケで、空手の達人でしかも優しいとか、どこの筋肉超人よ! そんな超人に敬語使われて飼い主に甘える犬みたいに懐かれて、どれだけ自分と比較して悔しい思いをしたか知ってるの!? どれだけその優しさと甲斐甲斐しさに救われたか知ってるの!? どれだけ泣いたか知ってるの!? なのに何故よりによってセクハラなの!?」

「大体想像ついてたッスよ、見くびんねえでくんねぇスかね! エリっさんだって俺が、どんだけエリっさんの頭脳と潜在能力に自信を無くしたか、どんだけそのコンプレックスを刺激しないように立ち回ったか、どんだけプロットにない細かい所に爆弾が潜んでるせいでボツ稿を重ねたか、知ってるって言うんスか!」

「こっちだって察してたわよ、舐めないで! 十三歳から児童養護施設の大人の顔色伺って、しかも女学院なんて伏魔殿でも顔色伺って低空飛行してた私が、グーンの顔色ごときを伺えない筈がないじゃない! いつもチラチラとサルバ先輩と一緒になって私の姿を目で追って、顔とか胸とかお尻とかおマタとかエッチな視線で舐め上げてたくせに! 気の弱そうな小娘だから御しやすそうなんて馬鹿にしないでよ!」

「それはエリっさんが、可愛いくて、賢くて、可哀想で、放っとけなくて、いい匂いして、柔らかくて、すべすべしてて、可愛いせいッスよ! でも!」

「でも何よ! だったら理想とはちょっとずれるけど、私から告白したことにするわよ! グーン、入社式で初めて話しかけてくれた時から、どんどん好きになっていきました。今では貴方の匂いに包まれていないと夜が不安で仕方ないほどです。愛しています。結婚を前提としたお付き合いをしてください! どうこれでいいでしょ!? セクハラ被害届の前にお付き合いを始めたっていう証拠があれば、たとえ滑り込みセーフでもそれでいいんでしょ!?」

「お断りッス、こういうのは男から告白するモンッス! エリスさん、俺も入社式で初めて出会った時から、もう心惹かれていました。貴女を想って毎晩自分を慰めているほどです。素敵な貴女と情けない俺では明らかに不釣り合いと思って、今までずっと思いを心に秘めてきましたが、もう止められません。愛しています。結婚を前提としてお付き合いをさせてください。全身全霊をかけて幸せにいたします! さあ返答やいかに!」

「駄目よ、私の方が早かったもん、グーンの告白は無効よ!」

「エリっさんの告白を一度断ってから告白し直したから、滑り込みセーフッスよ!」

「なによっ!」

「なんスか!」

「あーっ、お前ら論点が全然一貫してねぇぞ、ガキか!」


 そしてそこには、一瞬前まで寝ていましたという眼差しの船長とロリエが、安眠を妨害されて不機嫌そうに顔を現わせていた。


「ちょっとー、うるせぇんだけどー。何の騒ぎだよー」

「グーンとエリスの告白合戦だよ」

「あ? 何を今っさら……。とにかく大声出すんじゃねぇよ、酷ぇ安眠妨害だ」

「中坊かよ、馬鹿らしい」


 グーンは涙目でソフィを睨み、なおも言ってのけた。


「だいたい、俺らにとって益にしかならねぇ交際を交換条件にあげるなんて、姐さんもどうかしてるッスよ! じゃあ俺はエリっさんの告白を受けて、結婚を前提としたお付き合いを始めるッスよ。でもこれは姐さんの強請(ゆす)りで始めた交際じゃねッスから、ノーカンッスよ! セクハラ容疑と釣り合う別の要求を提示してくださいよ!」

「お前エキサイトしすぎて頭回ってねぇぞ」

「誰のせいッスか!」


 ソフィはため息とともに言った。


「交際してるならあれはセクハラじゃなくてイチャツキだ。根本の前提が崩れた」

「え」

「セクハラじゃねんだから、強請りも無しだ」

「それじゃ納得いかねッスよ、言いくるめッスか、口車ッスか!」

「だったらセクハラ目撃の口止め料として、お前ら交際してたことにしろ」

「やだー!」

「可愛い彼女が嫌がってるぜ?」

「く、くく……」


 グーンはどこか納得いっていないようだ。意地になっているのだろうが、何かソフィからの要求を受け入れないと気が治まらないらしい。とことんめんどくさい。


「じゃあアタシのレポート作成を最後まで手伝え。そんでチャラだ」

「なんのレポートッスか」

「そいつぁ後で話す。今んところはそれで飲み込め」

「……ウッス」


 問題の先送りがお気に召さなかったのか、グーンはひどく不満気だ。

 一方エリスはというと、危うく初めての男女交際を汚される寸前だったため、見たことがないほどぷりぷり怒っている。


「じゃあ船長命令だ。お前らここで抱き合ってキスして仲直りしろ」

「ライフリー! アンタねぇ!」

「起こされてムカついてんだよ、そんくらいさせろ!」

「ああサーセンッシタよ! やりゃ良んでしょやりゃ!」


 二人は仏頂面のまま向き合って立ち、お互いがお互いを挑発的な視線で威嚇していた。そして自分こそが身体を寄せて抱き締めてキスしようと、顔を寄せた。

 どちらかが止まっていれば目測を誤ることはなかったはずが、双方が同時に動いたためちょうど中央で激突する羽目になった。


 ガツン。


 二人のファーストキスは血の味だった。前歯が折れなかったことは幸運だった。


 三十分後の一六五〇(ヒトロクゴーマル)、二人の唇は青黒く腫れあがっていた。

 船長とロリエは寝なおして、サルバはいまだ帰ってきていない。


「落ち着いたかい」

「ウッス」

「はい」

「それじゃ改めて二人に謝罪するよ」


 そこでソフィは二人に向かい直して、直立不動から頭を下げた。


「申し訳なかった。写真を撮って見せたのは、お前たちの困惑する反応を楽しみたかったからだ。みんなに回したっていうのもウソだ。アタシの中ではこの程度はほんのイタズラ、冗談の範疇(はんちゅう)のつもりだったけど、冗談で済む範囲を超えていたらしい。アタシの未熟が招いたこの事態こそ、社内イジメ案件と言える。許して欲しい。もしグーンがまだ対価が欲しいと言うのなら、この事実とアタシの反省をもって、釣り合うだけの弱みの提示とさせてくれ」


 言い終わって頭を上げて、ソフィはなおも続けた。


「アタシは本当に進歩がねぇよなぁ。こうしてしょっちゅう失敗やらかしてさ。十二年勤めあげても、このザマだ」


 ソフィの顔つきは、いつもの自信満々の女傑ではなく、まるで不安を抱えた少女のようだった。三十路を迎えてまだこの表情ができる女性は、そうはいない。


「で、さっき言ったレポート作成の件だけど、これは是非ともやりたい。協力してくれ」

「内容がふえー(不明)なんスけど」

「ああ、そういや説明してなかったな。でもその前にエリス、しんどいんだろ? テーブルで横になって、グーンにさすって貰いな。同時に説明と聞き取りをやろう」

「はい……」


 それまでいた調理室(ギャレー)から乗務員室(キャビン)のテーブルに、エリスはグーンに付き添われながらゆるゆると移動していった。


 そして二〇三〇(フタマルサンマル)、グーンはソフィといまだに話を続けていた。

 これに先立つ本日〇六〇〇(マルロクマルマル)以降のグーンの言動と、それにまつわる事情を聞き出して、レポートにしたためていたのだ。


 ソフィはそのレポートを「社員A供述による、ハウラニ県立中央高等技術訓練学校におけるセクハラ脅迫の実態、並びに我が社への危険性とその対策について」と題して、十五号船のマミー・ポコ監督長経由で、社長に提出するつもりだった。

 内容はまず、グーンのセクハラ騒動において問題が発覚したことの説明から入っていた。

 次に訓練校における学生・教師・職員の区別なしの、他者の弱みに付け込んだ脅迫の常態化と、被害者の実態、そして第三者への影響についてまとめていた。

 そしてこれら脅迫の実態が、訓練校卒業生を通じて会社に伝播する危険性、会社の外に対する会社イメージの損失について続いていた。

 最後に短期的な対策として、来年度以降の訓練校卒業生の採用見合わせ、中期的な対策として、警察と建設業組合連合会からの訓練校への改善要求、長期的な対策として、社内教育への道徳課目の必要性が書かれていた。

 さらには、いずれこの件をマスコミに公表して社会問題化し、世間に注意を喚起したい旨も書かれていた。

 ソフィは訓練校の脅迫横行に、よほど腹に据えかねている模様だ。


「その脅迫ってのは、先輩から後輩に受け継がれる悪しき伝統で、学校の指導からは隠れて続いてるってことか」

「そッス」

「聞けば聞くほどクソだな、生徒もガッコも」

「俺が()カ学校ってえんこ(連呼)する気()ち、分かっておら()えたッスか」

「まあな、卒業生の所持資格だきゃ優秀なんだけどなぁ」


 グーンの唇は青黒く腫れあがっていた。打撲傷だ。

 そこにサルバとエリスがエアロックから帰ってきた。一応外でエアダスターで吹き飛ばしたようだが、全身ススだらけで真っ黒だ。


『スラスター清掃、終わったっすよぉ。……まぁだ面談やってたんすかぁ』

「ああ、もう大体終わりだけどな。ご苦労さん、サルバ、エリス」

『書いたレポート、俺にも見せてくださいねぇ』

「ああ、トップにアイコン置いてあるよ」


 サルバはカーボン粉避けのカッパを脱いで、フェイスガードをインパクトレンチで外していた。エリスもまたハードスーツを脱いでいるが、もたもたしていて体調の不良を伺わせていた。


「エリっさん、身体辛そうッスよ。ハードスーツの清掃、俺がやっとくッス」

「うん、いつ()ありがとうね、ご()んなさい」


 エリスの唇も青黒く腫れあがっていた。打撲傷だ。


「あサルバ、ちょっと早いけどライフリー起こしといてくんな。一緒に十五号船行くから」

「了解ぃ。レポートも読んで貰っとくっすよぉ」

「頼む」


 ソフィは長時間にわたる文書作成の疲れを、目を揉み解すことで解消しようとしたが、普段そんな風に疲れたことがないので、どこを揉んで良いのかわからず、結局諦めた。

 代わりに四人分のコーヒーを淹れることにして、エリスの牛乳を含めて五つのパックを電子レンジに入れた。


「とりあえずグーン、計画の第一段階はこれで終わりだ。最終段階まで付き合ってもらうから覚悟しとけよ」

「ウッス」


 計画とは、グーンの心を歪めた原因を根絶するための、一連の行動のことだ。

 原因はグーンの卒業した訓練校の、裏にはびこる体質。

 打開策は、今回の一件をあえて会社にレポートとして提出し、社会的に問題提起し、裏にはびこる体質を改善できない訓練校に対して、建設業協会を通じて是正勧告もしくは採用拒否としたいと語った。

 その原因の追求と根絶は、社会的には義務に等しく、会社から見れば利益があり、部下を管理するソフィの立場からも良いことではあるが、平社員にとっては一ダラーにもならない余計な仕事で、むしろ当事者のグーンにとっては当時の脅迫実行犯に知られるリスクが伴う仕事だ。

 しかしあえてグーンに協力させる事は、グーンの望んだ口止め料の追加だ。ソフィは自ら告発した社内イジメでは、グーンの心の中のセクハラと釣り合わないと思っていた。

 そしてグーンに協力させることによって。彼の心のうちに巣食った、極端なまでのセクハラと脅迫の短絡、心的外傷(トラウマ)を払拭してあげたいと、ソフィは思っていた。

 これ自体が、かつてエリスが初遠征の帰りにソフィに提出した、グーンの個人課題「常識の擦り合わせ」に相当するとは、(つゆ)とも思わずに。


 現在まだ寝ているロリエを除いた五人は、ひとときのコーヒーブレイクを楽しんだ。

 と言っても、そのハードコアな内容のレポートを読む船長とサルバの顔は、楽しむという言葉からは程遠く、むしろ眉間にしわを作っていた。

 そして唇を打撲傷で腫らせている二人の新人も、飲み物を楽しむ余裕は無かった。痛みで。

 さらに言えばソフィ自身も、コーヒーで疲れが楽になる訳ではなかった模様だ。


「さーて、十五号船に行ってくっかぁ。多分遅くなるから、エリスは先に寝てていいからね」

「はい、わかり()した」

「行くよライフリー」

「おう」


 ソフィはフェイスガードをインパクトレンチで手早く装着し、やはり手早くハードスーツを着込んだ船長と連れ立って、エアロックから出ていった。


 さて所変わって二三〇〇(フタサンマルマル)、十五号船船内。船長とソフィは監督長のマミー・ポコと三者面談を行って、例のレポートを読んでもらったところだった。


「なっるほど、セクハラと脅迫ねぇ……。ライ坊(ライフリー)、アンタんトコの船は、ホントに厄介ごと抱えたヤツばっかだねぇ。アンタ含めて」

「面目ねぇっす、マミー」


 船長のライフリーとソフィが、こうしてマミー・ポコに船員の身の上相談で訪れることは、初めてではない。むしろ常連だ。普通は船に一人いるかいないかレベルのめんどくさい相談事を持つ社員が、十七号船ではこれで全員となった。

 ライフリーはソフィへの愛が深すぎて。ソフィは資格能力実績抜群なのに上層部入りを固辞して。ロリエは過去のことで。サルバは女性社員からの苦情で。エリスは酷いコンプレックスと部署異動について。そしてグーンが今回、出身校の腐敗の影響で。

 わざと纏めてるんじゃなかろうかと疑うほどだ。


「ただコイツぁ社内で済む問題じゃないから、一筋縄じゃぁ行かないよ。タダでさえ船長と副船長で仕事抱えて、二人っきりの時間もろくに取れてないだろうにさぁ。この上この問題に頭突っ込んだら、それこそ過労で倒れる可能性もあるよ?」


 マミーはモニターパッドから目を離して、ソフィを見つめた。しかしソフィは母性愛に溢れる表情でこう言ってのけた。


「でもウチの可愛い坊主(グーン)のことですから」

「おや、ソフィもいっぱしのマミーっぽい顔じゃないか。……()けるだろライ坊」

「いやぁ、そんなこと、ないっすよぉ」


 言葉とは裏腹に、ライフリーの顔には不必要に力が入っていた。


「社長にはレポート送っとくよ。でも音声は通信じゃ送れないから、帰ってからコピーするからね。アタシからも整備に言っておくけど、アンタたちも忘れないようにして、会社に帰還した後にフライトレコーダーをリセット消去されないようにね」

「はい」


 そして真面目な顔をくしゃっと歪めて、マミー・ポコはソフィに質問しだした。


「……で、その痴話喧嘩の様子、みんなで楽しみたいから早く音声送っとくれよ。動画では保存してないのかい」

「そんな余裕なかったっすよ。もー、グーンの非常識があんまりヒドいし、エリスまで売り言葉に買い言葉だったんすから」

「そんでマスコミにも別アングルからリークするんだっけ? どうせ今回の前にもその二人、何度かやらかしてるんだろ? どんな笑える記事になるか楽しみだねぇ、ひっひっひ」


 ソフィとマミー・ポコは野次馬的な笑顔を見せ合っていた。本当に女って奴は、いくつになっても恋バナが好きなことだ。

 ライフリーには他人の色恋沙汰を聞いて楽しむ趣味はなかったので、そこからの話に興味はなかったが、彼だけ船に帰ることはできなかったので、その後しばらくは居心地の悪い思いをすることになった。


次話は、第六一話 健全の使者の暗躍(遠心重力ドラム、公衆浴場、散髪、個室休憩処、爆発案件)です。

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