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第五四話 再びのバンボ入り前編(私娼窟、食事、カクテル、タバコ)

前話は、第五三話 足場の調整と合体(夢精、足場の整形、接舷)です。

 そして〇四五〇(マルヨンゴーマル)、時間割の上では第二食大休止の終了時刻。

 船長以下四名はあえて第二食を摂らず、その分の保存食四食をバンボへの手土産に持って行って、食事は現地で注文することに決定していた。もちろんこれは、ソフィに相談も何もしていない独断だ。


「船長ぉ、腹減ったっすー」

「ちっと待ってろ、ガキかお前」


 バンボに遊びに行くのは全員で、ということになったため、船長はソフィを、ロリエはエリスを起こした。

 サルバとグーンはそれを、腹を空かせながら遠目に見ているだけだった。


「おはようござ……なんでロリエ先輩?」

「ああ、遊びに行くからよ」


 ロリエはエリスを優しく起こしていた。

 一方船長はソフィを起こすのに、ハイテンションでガチャガチャと起こしていた。


「おうソフィ、起きろ起きろ」

「うう……あーん?」

「接舷してるバンボに行って、メシ食ってひとっ風呂浴びてこようぜぇ」

「なにを……まだ〇五〇〇(マルゴーマルマル)じゃないか、疲れてるんだから寝かせとくれよ、明日も仕事あるんだし……」

「仕事なら済ませたぜ、ちょっとの間は全員休みだ」

「終わらせたのかい、じゃあしばらく寝れるね、おやすみ」


 その様子を見ていた四人は、嫌な予感をヒシヒシと感じていた。巻き添え、誘爆、とばっちり、言い方は色々あるが、まぁそういうことだ。

 グーンとエリスは急いでハードスーツを身につけて、サルバもまたフェイスガードを着けるためにインパクトレンチを響かせた。ロリエはヘルメットを被るだけなので、エリスの着付けを手伝った。


『じゃ船長、先に行ってまーす』


 サルバとグーンが先にエアロックから出て、続いてロリエとエリスが出るあたりで、ソフィが爆発した声音が、船のフレーム越しに耳に届いてきた。

 脱出成功。どうせ無理やりに迫ったんだろうな、と何となく察していた。


『それにしても船長ってあれッスね、必死ッスね』


 バンボのエレベーターに向かう道すがら、グーンは傍らのサルバに語りかけた。


『そりゃあお前、こんだけ休みなく残業続けてたんだもんよ、人肌恋しくもなるってもんだろ』


 グーンはこの鉱山炉足場組みの仕事を思い返していた。

 物珍しさと、新たなことを教えて貰った喜びと、エリスと一緒に仕事をする楽しさは、せいぜい初日だけ。

 二日目には早速失敗して組み直し、三日目も失敗して組み直しを経験した。ここでバンボに行ったのは良いリフレッシュになったが、船長にはそのリフレッシュは無かった。

 四日目、五日目で作業が済んだのは良かった点ではあるが、この間ずっと残業続きだったし、場合によっては早出までした。仕事終わりに勉強する余裕などなく、まして船長は監督への報告書の作成など、業務も溜まっていたことだろう。

 グーンですら人肌恋しくて切ない夜を過ごしたくらいなのだから、愛妻家の船長にはさぞや辛かっただろう。安らぎが欲しかったに違いない。

 四人がぞろぞろとエレベーターに乗っても、グーンの考察は止まらなかった。


『あー、まぁそう考えれば、船長も可哀想だったんスね、分かるッス』

『分かるんだ……』


 サルバとグーンの会話に、エリスは合いの手をつい入れていた。

 エレベーターのカゴはやがてコリオリの力で、自転方向の後ろに吹き流されていった。


『そりゃ分かるッスよ。だって俺だって……』

『え?』


 オスとは、身体が生命の危機を感じると、子孫を残したい本能が働くものだ。

 グーンも何度、仕事中に勃起してしまったことか。寝起きのエリスの唇に吸いつきたくなる衝動を感じたことか。夢精してしまったことも含めて、原因は明らかに疲れだった。

 しかし口を滑らせてそれを言ってしまって良い筈がない。グーンは押し黙った。

 徐々に強まる遠心重力と、軽くかかり始めたブレーキに身を任せていた。

 

『アンタも分かってやんな』

『は、はい』


 訳知り顔のロリエにエリスは諭されていたが、頭には大量のクエスチョンマークが浮かんでいたことだろう。

 ブレーキの力はますます強くなり、しかし遠心重力と相殺されることもなく、エレベーターは最下部にたどり着いた。


『ロリエ先輩はそういう男の人の心の機微って、分かるんですか?』

『分かんないよ。知識として知ってるだけさ』


 ロリエはそう切り捨てた。

 四人は正面玄関風のエアロックに、次々と入っていった。


『まぁアレだよ、どうせ姐さんも、船長が寝かせてくんねぇことくらい分かってるはずだからよ、そのうち二人でヒョッコリ店に顔出すと思うぜ』

『あんだけ怒鳴られても寝かせないとか、さすが船長ッスね』


 エアロックの赤い照明が緑の照明に変わり、正面扉が開いた。


「いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました」


 先日も見たスーツをきっちり着こなした老紳士が、入店した四人にお辞儀をした。

 ロリエ、エリス、グーンの三人はヘルメットを外し、サルバはフェイスガードのグラスを開けようとしていた。


「四名様ですね、当店を初めてご利用の方もいらっしゃるようですが、ご説明の必要はございますか?」

「いえ、こちらで説明しますから大丈夫です。後から私たちの関係者二名が来店するかもしれませんので、そこだけご注意ください」

「左様ですか。それではあちらの部屋で宇宙服をお脱ぎください。終わりましたらご案内差し上げます」


 受け答えは何故かエリスが代表していた。

 四人は更衣室でスーツを脱いだ。もっともサルバとロリエはソフトスーツなので、流石にここで脱ぐわけにはいかない。


「席にご案内いたします」


 相変わらず店の中はほんのり薄暗く、しかしテーブルの上はピンスポットライトによって明るく、近くに寄らなければ相手の表情が読めない程度の、絶妙な暗さだった。

 快適な音量でジャズが流れる店内には、花の香りの奥に少しヤニっぽい木の香りが見え隠れする、不思議な香りのする空間だった。

 席まで案内してくれた老紳士に、ロリエはチップとして小切手(俗にチャージャーと呼ばれる換金カード)を渡していた。そういえば前回来たときは、チップを渡すなどという余裕すらなかった。グーンはそのような用意を全くしていない自分を恥じた。


 テーブルに案内された四人は、その場に来たホステスと面会した。


「ようこそいらっしゃいました。ご案内差し上げますティウと申します」


 金髪ストレートの髪を揺らしながら会釈をした彼女に、四人側もよろしく、と声をかけた。エリスは早くも甘えたくて仕方ないという表情をしている。

 まずは席料をそれぞれのクレジットカードから支払い、最初の飲み物を頼むことにした。サルバはビール、ロリエはバーボンをハーフロック、つまみは野菜サラダというのはすぐに決まったが、ティウとの相談の結果、サルバのビールはヴァイツェン、エリスのカクテルはミモザ、グーンはモスコミュールを頼むことになった。ティウへの一杯については、フローズン・ダイキリなるものだった。

 ティウの頼んだ酒の異様さに、ロリエ以外の三人は怪訝な顔をする羽目になった。そこにあったのはカクテルグラスに浮かんだかき氷だったからだ。


「まずは、乾杯」


 チン。

 使っているグラスも、アクリル製のフェイクではなく本物のガラスだった。

 グーンは一口含んで驚いた。これは生姜の辛味だ。ジンジャーエールと何かのカクテルだ。

 エリスのカクテルは一目見てわかるオレンジジュースベースのものだった。美味しそうに飲んでいる。

 サルバは先日飲んだピルスナービールとは違う味わいのビールを、本当に味わうように傾けていた。

 そしてロリエは、一口飲んで天井を仰ぎ見ていた。


「模造バーボンかと思ったら、フォアローゼズ。こんな所で飲めるなんて」


 そして生野菜サラダに至っては、ロリエも満足の出来だった。ロリエは地球出身なので、誤魔化しがあれば見抜くはずなのだ。


「この店、酒と料理は別にはできないってのが分かってるね。気に入ったよ」


 舌の肥えたロリエのお気に入りとなったようだ。それと同時にこのセリフは、酒の店と食事の店を別々に分ける行政の指導を、分かっていないと批判した内容だ。どこの市民団体の圧力でこうなったかは知らないが、本当に分かっていない。

 おのおのが酒を楽しんでいる中、サルバが切り出した。


「そうそう、ティウちゃん。これお店のみんなにお土産」

「まぁ、ありがとうございます。これは何ですか?」

「俺たちが普段食べてる保存食だよ。船内食、戦闘糧食とも言うかなぁ? 俺たちの食生活がどんなもんか知ってもらいたくて持ってきたんだ」

「わかりました、情報のご提供ありがとうございます」


 四食分の保存食を両手に持ったティウは、そう微笑んだ。


「で、俺たち実はものすごく腹が減っててさ」

「まあ」

「空きっ腹にアルコール入れるのはアレだから、ガッツリ食べられる料理を出して欲しいんだわ。お任せでいいから四人前頼めるかな、それと後から二人来るかもしんないから、念のために準備だけ頼むわ」

「お任せですね、承りました。厨房に伝えてまいります。少々お待ちください」


 そう言ってティウは席を立ち、ほんの少しして戻ってきた。手に四枚の皿を持って。


「それでは早速ですが、オリエンタルピクルス盛り合わせとなります。メインディッシュまでこちらでお待ちください」


 出された皿には、薄くスライスされた数種類の野菜が乗っていた。いくつかは見たことがあるが、いくつかは見たことのないものだった。

 ロリエが唸った。


「おいおい、メインベルトでジャパニーズラディッシュ(大根)かよ……。こっちはキューカンバー(キュウリ)の浅漬けか、瓶詰め酢漬けしか出回ってないシロモノだぞ」


 いずれも塩辛いが、ティウの選んだ酒にはよく馴染んだ。しかし最も合うのは……。


「ティウさん、この間飲んだビールをお願いしたいッス」

「ピルスナーですね、承りました」


 届いたビールはやっぱりグーンの舌には苦かったが、塩辛いピクルスを食べた後だと、不思議と旨味が際立った。やっぱりこれが一番合う。新たな地平を切り開いた感覚だった。


「ところでティウさん、ここではお風呂も提供していると聞いたんですが、私たちにも入らせていただけますか?」


 エリスの言葉に、ティウは口を濁した。


「お風呂でございますか、はい、可能ではありますが……」

「エリス、ここは一応私娼窟だから、女を買わないと風呂も入れないんだよ。そうだよね?」

「……はい」


 ロリエの私娼窟という言葉とティウの肯定に、エリスは口に手を当てて驚いた。


「そうだったんですか? 私はてっきりレストランが主だとばっかり……」

「正直に申し上げられず、申し訳ありませんでした」


 私娼窟。読んで字のごとく、政府に認められていない、つまり公娼ではない私の娼婦が居揃う場所のことだ。大体は民宿など宿泊施設のついでに置かれるもので、女性店員が娼婦を兼ねる。

 このバンボという店では、むしろ娼婦がいるついでに風呂が用意され、待ち時間を潰すためと、一応の表向き職業という扱いで酒場をやっている、とのことだった。

 しかし現在の主目的は、とにかく食事だ。酒場のついで扱いの料理だが、どれほどのものを食べさせてくれるのか。


 やがて提供された料理は、予想外の代物だった。一見普通のステーキだが、肉の味が違うのだ。


「マジか……」


 かろうじて言葉を発することができたのは、ロリエだけだった。他の三人は、一口食べた途端に夢中でステーキ肉を口に運んでいた。

 そこにあったのは、シアリーズで一般的とされる牛肉という名前の培養肉ではなく、ちゃんと生物として育てた牛肉だった。

 ロリエの口にはいささか固くて筋張って粗野な味だったが、噛みしめるたびに口の中に広がるヤニっぽい脂と牛肉の味は、ロリエの記憶にある本物の味だった。


「……どうなってんだこの店は。どこから仕入れてんだ」

「企業秘密です」


 ティウは優しく微笑んでそう言った。ちなみにピクルス盛り合わせが十五ダラー、ステーキは二百ダラーした。グーンのような十八歳の若造がおいそれと食べられる金額ではないが、その価値は十二分にあった。むしろロリエは安いとまで思ったほどだ。


 食後の酒として、サルバにはブラック・ルシアン、ロリエにはゴッド・ファーザー、エリスにはチチ、グーンにはピニャ・コラーダがお勧めされた。詳細は各自ググって欲しい。

 四人が四人とも、そのチョイスに唸った。すごく好みの酒を提供されたのだ、唸らない訳にはいくまい。

 サルバがコーヒー好きなことは、初見で分かる筈がないのに、ティウはこれを選んだ。

 ロリエが高級酒好きなのは先ほどの反応で分かるだろうが、ストレートではなくカクテルの選択。

 エリスとグーンのカクテルが、使う酒が違うだけの姉妹カクテルなのは、ティウのイタズラ心だろうか。二人は互いに交換して味見をして、改めてティウがチョイスした方を好みと言った。


 四人は、とても満足のいく食後酒を楽しんだ。

 次は、風呂だ。


「ティウさん、お願いです、一緒にお風呂に入ってください」

「え、あの、よろしいのですか?」

「ロリエ先輩も一緒に入りましょう」

「ちょっと待てエリス。アタシはそんな趣味ないぞ」


 ロリエはエリスがティウに懐いている理由を知らない。だからこの提案を、女だけの三人プレイかよ高度だな、と思っただけだった。

 現在ロリエは、エリスとティウから事情を聞かされている。これで誤解も解けるだろう。

 その間にサルバは老紳士に、先日のアンという店員を指名していた。

 グーンはその様子を、カクテルをちびりちびりと舐めながら、ゆったりと眺めていた。何しろ口も挟めないし手も出せないのだ。


 そしてロリエ、エリス、ティウの三人と、サルバとアンの二人は、二階にあるという風呂場に消えていった。

 この時間帯に客の応対ができる女性店員は二人っきりだった模様で、グーンは薄暗い店内に一人残された。

 しかしそれこそグーンの望むところなのだ。正直クレジットカードの残高が心配だったのだ。とは言えそれを直接的に周りに言うことは、見栄を失うことになり嫌だった。


 そんな中に、新たな来店者が現れた。


「いらっしゃいませ、お二人様ですか」

「いや、先に来ている四人組の連れなんだが」

「左様でございますか。宇宙服はお脱ぎになりますか?」

「ヘルメットとフェイスガードを取るだけだ」

「それではご案内差し上げます。お席にインパクトレンチをお持ちいたしましょうか」

「ああ、頼む」


 そんなやり取りをしつつ現れたのは、船長とソフィだった。


「ようグーン。他の三人は?」

「風呂に行ってます」

「お前は留守番ってか」

「まぁそんなとこッス」


 実は金がないんッス、などとは言えず、苦笑いを浮かべるグーン。

 ひょっとしたら察せられているかもしれないが、やせ我慢させておいて欲しいな、と思っていた。

 案内の老紳士がインパクトレンチを持ってきて、案内できる店員があいにく出払っておりまして、とお詫びの言葉を口にしたが、船長とソフィはその老紳士にお気になさらず、と声をかけてチップの小切手を渡していた。


「お二人は食事はどうしました?」

「ああ、思ったより時間がかかったから、保存食を食ってきちまった」

「そうだったんスか、高いけどべらぼうに旨いステーキを食べたんで、いかがかなって」

「ほお、そんな良いモン食ったのか、グーンは」


 グーンは満面の笑みで、そのステーキの素晴らしさを伝えようとした。


「ほっぺが落ちそうってのは、ああいうモン食ったときの表現なんッスよね、語り草に出来る味ッシタよ」

「それじゃそのステーキと、そうだな、俺はウォッカかな」

「アタシは、うーん、サケだね」

「うし、そんじゃ店員呼んで注文だ。注文お願いします」


 二人は老紳士に注文を言い、そして老紳士はしばらくお待ちくださいと残して去っていった。


 そして案の定、船長とソフィはオリエンタルピクルスにビックリしていた。さらには頼んだウォッカとサケも、飲み慣れたシアリーズプラント製の合成酒ではなく、味が数段上のシロモノが出てきたあたりで、この店はなんか違うと気が付いたようだ。

 さらに真打のステーキがやってきて、二人は目を丸くしていた。

 グーンは自分が受けた衝撃を、他者が同じように衝撃を受ける姿を見て、何故か我が事のように嬉しい気持ちになった。

 二人はステーキをつまみに酒を重ね、話題も重ねていった。加えて、老紳士に食後の酒をお任せで一杯ずつ頼んでいた。


 船長たちがもうすぐ食べ終わるタイミングで、店の奥から二人の女性と一人の女児が歩いてきた。ティウとエリス、そしてロリエだ。

 ロリエとエリスは軽く化粧と髪のセットもしたらしい。

 ロリエは普段は、茶髪をオールバックにして後ろでまとめていた。だが今は、髪を下ろして顔にかかった前髪を左目の上あたりで左右に分け、その切れ長の細い目に引いたアイラインを覗かせていた。ソフトスーツの上から着たのもいつものジャージではなく、エリスのTシャツをミニドレスのように纏っていた。少し濃いめの口紅も相まって、大人びて見えた。いや、実年齢は充分に大人なのだが。

 そしてエリスは、髪型はいつも通りではあるが、ティウさんと同じメイクをしていた。水商売の店員にしてはサッパリ目のメイクだなとはグーンも思っていたが、それがエリスに適用されると非常に似合っていた。エリスが自慢してきた小型船舶免許の顔写真よりも、よほど良い。しかも彼女は、持ってきていた簡単な私服、Tシャツとホットパンツを着ていた。風呂上がりのジャージ姿のままシックなバーに姿を見せるような真似はしなかったようだ。

 グーンは生唾を飲んだ。化粧顔は入社式や打ち上げ飲み会で見たことがあったが、やはりロリエもエリスも二人とも美人だった。


「いや、二人とも化けるもんだな」

「ライフリー、こういう時に素直に褒めてやらなくてどうすんだい」

「ソフィの前で他の女を褒めるなんて出来ねぇよ」

「二人を娘と思っちまえば、素直に褒められるだろ」

「そいつぁ思い込むにも無理がある」

「メンドくさいねぇ。ゴメンよ二人とも、綺麗だよ」


 船長とソフィの夫婦漫才はいつものことだ。苦笑しつつもエリスはありがとうございますと感謝していたし、ロリエのほうも笑みを浮かべていた。


「お? グーンは二人に掛ける言葉はないのかい? それとももうボッキして身動き取れないのかい?」

「あ、姐さん!からかわないで欲しいッス、もう」


 とは言え、ソフィの指摘は半分がた当たっていた。勃起こそしていないものの、グーンの目はエリスに釘付けになっていた。エリスは見られて恥ずかしいのか、もじもじしている。


 そんな中に、老紳士が食後の酒を持ってやってきた。


「失礼します、食後のお飲み物をお持ちいたしました。旦那様にはオールド・ファッションド、奥様にはカルーア・ミルクでございます」

「ありがとう」


 グーンはソフィによる追及が途切れて、ホッとしていた。

 エリスはグーンの隣りの端に座り、ティウはさらにその隣に座った。一方ロリエは、帰ろうとする老紳士を呼び止めて、何かを注文していた。


 船長とソフィはそのお任せカクテルを一口飲んで、真顔で見つめ合った。よほど好みの味だったらしい。どちらからともなく笑みがこぼれていた。


 しばらくして老紳士は木箱を持ってロリエに近づき、それを渡した。

 受け取ったロリエはそれをテーブルに置いた。


「ちょっと匂うよ。悪いけど」


 蓋のない木箱、というよりもむしろ深いトレイになったそれの中には、白い布が敷かれており、革張りの小箱、黄金色の金属塊、複雑なカットのガラスの深皿があった。

 内心のドキドキを隠しきれない様子で、ロリエは箱を愛おしそうに開けた。中に入っていたのは、細長く巻いた白い紙の筒だった。

 ロリエはそれを一本取り出して、鼻の前で横にしてゆっくり香りを嗅ぎ、満足したのか口にくわえた。

 次いで、箱に添えられていた金色の金属塊をキンッという澄んだ音を立てて開け、横に着いたダイヤルらしきものを親指で擦った。

 ジポッ。

 その金属塊は火を作り出す器具だったらしく、小さな炎が空調の風に揺らめいた。ロリエはその火で口にくわえた紙の筒をあぶると、とたんに火が燃え移り、次いで消えて煙が立ちのぼった。器具を閉めるときのキンッという澄んだ音がまた響いた。

 形容しがたい何かの焦げる匂いが、あたりに立ち込めた。グーンはともかく、エリスはほんの少し眉をしかめていた。

 ロリエはその紙筒をほんの少し口で吸い、煙を口の中で味わった後ゆっくりと口から出した。

 グーンはそれを訓練校のクラスメイトの付き合いで知っていた。タバコだ。古い映画が好きな船長も、知っていることだろう。エリスはどうだろうか。

 ソファに腰かけた小さな少女は、そのタバコの煙をくゆらせて、一粒涙をこぼした。


「うまい……本当にあるたぁ思わなかった……」


 正直その煙の臭いは、ロリエ以外の者にはただ(いぶ)臭いものだっただろう。だがその香りを懐かしむ者は、少数ではあるがメインベルトにも存在していたらしい。

 ロリエはその煙を口に含むたびに、涙をこぼした。味や香りだけではなく、思い出も味わっているに違いない。紙の筒の長さが半分ほどになったころ、ロリエはそれを皿に押し付けて、火種を消した。その一連の動作の間、誰も言葉を挟めなかった。それほどに濃い時間がそこにあったのだ。


 タバコを楽しみ終わったロリエは、そのまま天井を仰ぎ見たまましばらく動かなかった。


「おタバコをお下げいたします。お楽しみいただけましたか」

「ああ、ボヘミアングラスの灰皿、デュポンのライター、タバコの銘柄はキャメルの両切り。これは分かってる人のチョイスだ」

「お褒めにあずかり光栄です。実は当店では表立ってタバコの提供はしておりませんでして、これは私物なのです」

「とても懐かしい記憶に浸れたよ。礼を言わせて欲しい」


 ロリエは潤んだ瞳を老紳士に向けて、ゆるゆると追加のチップを手渡した。

 その小さい体に似合わぬ濃厚な色気は、老紳士に非常に危険な感情、口に出した途端に社会的に死ぬ、その感情を芽生えさせたのかも知れない。アンとティウだけに分かる特別なセリフを老紳士はかけていた。


「是非またお越しください。全身全霊でおもてなし致します」


 タバコ盆を両手に抱えた老紳士は深々と一礼すると、店の入り口の方に去っていった。


次話は、第五五話 再びのバンボ入り中編(貞操観念、家庭事情、グーンの過去)です。

※次話のタイトルを変更しました。

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