第四七話 SRB点火(船舶、地球事情、運動)
前話は、第四六話 急な長期遠征(感染症、船舶整備、航路・航海)です。
現在時刻一五〇〇。船団が港湾から二百キロ離れた外海に出た後、ソフィと十五号船との通信が頻繁になった。エリスは副操縦席に座って、手の離せないソフィのぶんまで当直監視任務を行っていた。
「なんか慌ただしいッスけど、もうなんか始めてるんスか?」
「おう、SRBのキャリブレーションやってたんだよ」
傍らの船長が答えてくれた。
今回の航海では、船に標準装備されているロケットエンジンだけでは速度が稼げないので、固体ロケットブースターを使うことになっていた。
固体ロケットブースターは、メインエンジンの推進力では不足する場合に、追加で推進する装備品だ。具体的には、約一三〇キロニュートン四基のメインエンジンの推力に、約四七〇〇キロニュートンの推力を一二〇秒間だけ追加することができる。
「SRB推進中って、なんか気を付けることあるんスか?」
「んー、そうだな、あらかじめ床に寝ておくこと、かな? 俺はそのまま寝ちまおうって考えてるけどな」
「今回は荷台で寝たりしないんスね、ちょっと安心ッス」
「荷台なんかで寝たら、振り落とされちまわぁ」
そんな話をしていたら、いよいよ点火の時間が迫ってきたらしい。ソフィが声を上げた。
「みんな、あと六〇秒で加速開始だ。耐加速姿勢をとっておきな」
「了解。床に寝るだけッスよね」
「そうそ。あとロリエ、はしゃぐんじゃないよ」
「わかってるよ、ソフィ姐」
「どーだか。エリス、シートベルト大丈夫だね、加速は一二〇秒だ、しっかり気を持って気絶しないようにしなよ」
「は、はい」
全員で床に座り込み、加速開始を待った。
「五、四、三、二、一、ナウ」
その途端、船尾の方からシューという音のあと、暴力的な爆音が船尾と、前の船に繋がっている船首側連結装置の両方から聞こえてきた。それと同時に、床に押し付けられるような巨大な加速力。船のあちこちがミシミシと音を立て、時折小刻みなスラスターのラッパ音が聞こえてきた。
グーンは、自分の身につけたハードスーツが重たくて腕すらも上げられない状態となった。それどころか呼吸も怪しい。自分の胸郭が重たくて、呼吸のために膨らますことが難しいのだ。これが加速Gって奴かとグーンは感嘆していた。
そんな、誰もが身動きできずに床にあおむけで転がるしかできない中、一人ロリエだけが顔に笑みを浮かべて、床に立ち上がっていた。あまつさえその強烈な加速Gの中、早送りの動画のような動きでピョンピョンと跳躍までする始末。なんだそれ!って体操始めてるよ、おい!
周りを見渡すと、船長とサルバはその様子を見て苦笑していた。どちらも顔が苦しそうだ。それなのにロリエだけは平気な顔で、いやむしろ喜んでその加速重力を満喫していた。
暴力的な爆音が少しの余韻を伴って沈黙して、同時に加速重力もおさまった。
そうしてやっと、グーンは深呼吸が出来た。
「ちょ、ちょっと、ロリエ先輩、なにやってたんスか!」
「え、折角の加速重力だからトレーニング」
「ええーっ」
副操縦席のエリスが身じろぎしたのが視界に入った。失神はしていなかったらしい。
ソフィの声が聞こえてきた。
「ロリエ、けが人はいないかい?」
「……大丈夫そう。エリスは?」
「大丈夫です、なんとか」
「それじゃ全員無事だね」
全員無事なのは良いが、ロリエの奇行の説明がまだだ。
「ロリエ、ちゃんと説明してやんな」
「え、面倒い」
「説明するんだよ! このまんまじゃアンタ非常識人のまんまだよ」
「しゃあないなぁ、了解」
ロリエが説明を行う相手、つまりグーンとエリスを向いて、口を開いた。
「んで何が聞きたい?」
「まずは、何から聞けば良いかを教えてください」
「なんだよそれ」
エリスのハイブロウな皮肉は通じていないらしく、ロリエは腕を組んだままグーンに視線を向けた。アンタは質問あんの?と言わんばかりの態度だ。こちらから質問しない限り、ロリエは何も言わずに済ませるに違いない。
「じゃ、あの大重力で平気で身動きできていた理由についてオナシャス」
「加速中の重力強度のことか? あんなの大重力じゃないぞ?」
「え」
「せいぜい中重力だよ。十メートル毎秒毎秒くらいじゃね?」
明確に法律に規定されている訳ではなかったが、重力強度についてはマスコミなどメディアの基準というものが存在していて、一般市民もそれに準じた使い方をしていた。
無重力は当然〇メートル毎秒毎秒のことで、天体系の周回軌道上でしかあり得ない。
微小重力は〇以上一未満で、メインベルトの全ての天体重力はこれに当てはまる。
小重力は一以上五未満で、火星メインランド、居住ブロックの遠心重力、地球の月、木星のガリレオ衛星、土星のタイタン、あとは人は住んでいないが水星があてはまる。
中重力は五以上十未満で、地球メインランド、金星メインランドがあてはまる。
大重力は十以上で、木星や土星など人の住めない星ばかりだ。
「えー、居住ブロック基準だと、それだって三倍もの重力じゃないッスかぁ。俺呼吸できなかったッスもん」
「だーからよ、ヒヨワなんだよお前ら」
その言葉とは裏腹に、その表情には嘲りの色はなく、むしろ同情や憐憫の色が出ていた。
「なんかしょっちゅうその言葉聞かされてるッスけど、ロリエ先輩はどっかの居住ブロック出身じゃないってことッスか?」
「言ってなかったっけ、アタシは地球出身だよ」
「え、聞いてねぇッス……」
「ごめんグーン、私聞いてた……」
地球出身ということは、確か重力は九・八メートル毎秒毎秒。ギリギリ大重力ではない中重力ということだ。そんな環境で生まれ育てば、さきほどの暴力的な加速も、むしろ懐かしく感じることだろう。
「ああ、エリスに話したから、言った気になってたのか。悪いなグーン」
「いえ、それは別に気にしてねッスよ。むしろ勝手に他人の個人情報をベラベラ喋んなかったエリっさんを、褒めたげて欲しいッス」
ロリエはその言葉に片眉を上げて反応した。殊勝じゃないか、と。
「そんじゃロリエ先輩がチビなのも地球出身のせいッスか」
「アタシは小人症じゃねえ! アンタらが巨人症なだけだ!」
そんなこと言われても、生まれたときから大人はこのくらい、子どもはこのくらい、という常識の中で育ったのだから、ロリエが子どもに見えるのは仕方ないじゃないか、とグーンは心の中で反駁した。しかし表情には出ていたようだ。
「クチとんがらせてんじゃねぇよ。アタシは……まぁ平均よりは少し小さいけど、常識の範囲内だ。ちゃんと一五〇センチあるんだから」
ちなみにロリエの正確な身長は一四五センチだ。五センチもサバを読んでいるが、ロリエ本人は四捨五入と言い張るつもりだった。
もっとも一五〇センチなどは、ここメインベルトでは十歳程度、早い子なら七歳で達成する身長だ。ロリエを除いた五人の中で最も背の低いエリスですら、一八〇センチあるのだから。
「俺らが巨人症だ、なんて言われても、自覚ねッスよ」
「巨人症の人間は見た目でわかるよ。主要な器官はそのままで骨だけ伸びるから、顔が間延びしてて、相対的に目が小さく見える」
「つっても俺らの顔のバランスが普通って思ってたから、むしろロリエ先輩の顔が、まだ乳歯の残った子供の顔に見えるッス」
「まぁ、よく言われる」
顔と見た目と名前のせいで、どこに行ってもあだ名はロリだったであろうことは、充分に察することができた。
「巨人症は生まれつき、骨粗しょう症って言って、骨の強度がなくなる症状を持つんだよ。それこそ五〇センチの高さから地面に倒れるだけで骨折するほどのな」
骨粗しょう症とは、骨の中がスカスカに空間が空いてしまうことによって骨がもろくなり、簡単に骨折をするようになってしまう症状だ。転んだだけで骨折に繋がる、恐い病気だ。
「そりゃさすがにいないッスよ、老人ならともかく」
「地球上での五〇センチだからな」
「え、ってことは居住ブロックで一五〇センチの高さッスか……」
一メートル半の高さから地面に激突する様子を想像して、グーンは少し口を濁した。受け身を取れないと、グーン自身も骨折しないで済む自信はない高さだ。
「うーん、人によっては折れるッスかねぇ?」
「歯も弱いから、飴玉なんて噛めないよな」
「う」
「ホラ巨人症じゃねぇかよ」
「なんか言いくるめられた気ぃするッス」
船長とサルバはその様子を、どこか懐かしい感じで見ていた。ということは同じ反応をしたことが二人にもあるんだな、とグーンは察した。
「まぁともかくだ、あの程度の加速重力の中で身動きできねぇなんて、ヒヨワな証拠だ。身体鍛えろ、カラダ」
「またそういう無茶を言う……」
船長がそのやり取りを遮って言った。
「ロリエ、んじゃ寝る前にあの運動教えてやりゃどうだ?」
「どの運動?」
「ホラ、天井と床を往復するヤツだよ」
「あー、アレか」
船長とロリエの話に興味をそそられたグーンは、食いついてみた。
「運動ッスか、面白そうなヤツなら教えてくださいよ」
「面白いってほどかね、アレ」
ロリエは、なにか不本意な評価を貰ったような難しい顔をしていたが、まぁいいだろうと快諾してくれた。ただしグーンがハードスーツを脱いでからの話のようだ。
「ハードスーツ片づけ終わったか?」
「ウッス」
「んじゃやり方説明。床を蹴って天井に飛んで、天井を手で押して床に戻る。こんだけ」
「そんだけ?」
「できれば静かにな。やってみ」
グーンは上靴を脱いで靴下姿になり、キャビンの床に立って手を上に上げた。手は天井に届いてしまった。
「お前らみたいなノッポでも、身体を縮めれば往復できるだろ、やってみ」
「ウッス、じゃやるっすよ」
「おう」
俺らがノッポなんじゃなくてロリエ先輩がチビなんじゃ、と思ったグーンだったが、余計なことを口走らない努力には成功していた。
グーンは天井を手で押して、その反動で床にしゃがみ込み、飛び上がった先で天井を押して床に戻った。スピードは往復一秒程度なので、音もたてずに着地に成功した。
「遅いよ、そんで何度もやるんだよ」
「もっと早くッスか」
グーンはもう一度やってみせた。一秒間に二往復程度のスピードに上げて、何度か往復して見せた。しかし着地の時にドン、ドンと音を立てていた。
「ま、初めてだもんな。サルバもやってみ」
「おう」
グーンはサルバに場所を譲り、隅から見学した。
サルバもまた一秒間二往復程度のスピードで往復していたが、足音は立てなかった。
「足音たってねぇッスね、すげぇや」
「ロリっちはもっとすげぇんだよ」
「え、想像付かねッス」
「じゃ次ロリっち」
「ロリっち言うなっ」
そう言ってロリエは唐突に軽くジャンプして、キャビンの天井に手をついた。それはちょうどバレーボールのトスを上げる手の形だ。そしてそのままキャビンの床まで戻ってきた。一秒で二往復のスピードはグーンやサルバと変わらないが、当然音はたっていない。
そう思っていたら、そのスピードが突然一秒間に四往復にまで上がった。さすがにトストスという音が床から聞こえてくるようになったが、それでも静かだった。
しかも、ロリエのフォームは綺麗だった。着地のときの残像がブレないのだ。もっともドカジャンはその動きについてこれず、めくれあがって中のズボンが見えていたが。
そして始まりと同じく唐突に、その往復運動は終わった。
「おそまつ」
「おぉー」
グーンは拍手をしていた。サルバも拍手に付き合ってくれた。
そんなささやかな喝采にも動じず、顔色を変えないままロリエは言葉を続けた。
「本当はわざとカカトで着地して、全身の骨に衝撃を与えたほうが効くんだけどな。ともかく、今の運動を毎日やんな。結構いい運動になっから」
「ウッス」
「あとこの運動やっていいのは、リアクションホイールが効いてる時だけな」
「ウッス」
グーンはこのトレーニング法の名前をサルバに質問した。返答は「ロリっちに聞いてみんよ」だった。
「ロリっち、このトレーニング名前なんつーの?」
「名前聞かれんのは初めてだな……んー、往復運動?」
「そのまんまじゃん」
「知らねぇよ、勝手に付けろ」
「そんじゃロリピストン」
「おいっ!その名前ヤメロ!」
「勝手に付けろって言ったじゃん」
ハードスーツを着直しながら、やっぱりこの二人仲いいよな、と思ったグーンであった。
「んじゃおやすみ船長」
「おう、おやすみ」
ロリエはいつもの定位置である天井の寝袋に入っていった。船長はその真下あたりの床に座り込んで壁に寄りかかった。ハードスーツ脱いで寝たりしないのかな、とグーンは思ったが、その次には、俺もああやって寝なきゃいけないのかな、とも考えた。
「地獄の特訓中の俺も、船長みたいに床に座って寝なきゃダメッスかねぇ」
「さすがに寝るときぐらいは好き好きじゃねぇの?」
「ああ、ライフリーのは真似しなくていいよ」
グーンの素朴な疑問にサルバは好きで良いと言ってくれ、さらにソフィが言い切ってくれたことに、グーンは安心した。彼は晴れ晴れとした顔つきでサルバに話しかけた。
「しかしアレッスね、ロリピストン運動ってカラダの芯まで効くッスね」
「ロリピストン言うな。あとピストンの後に運動付けんな。誤解を招く言い方すんな」
まだ寝ていなかったのか、ロリエは寝袋から顔を出してグーンに抗議した。あっという間に眠りに入った船長を見習ってほしい。
「ったく……」
「おーコワ」
グーンの心境を、サルバが代弁してくれた。一つ苦笑いをしたグーンは、おもむろにロリピストン運動を始めてみた。
「ロリエ先輩みたく秒間四往復、達成してみたいッスねぇ、よッ!」
ガッドンガッドンガッドンガッドン。
「うるせえッ!」
グーンのハードスーツを着たままのロリピストン運動は、ライフリー、ソフィ、ロリエ、サルバの四者の一斉ツッコミによって阻止された。出遅れたエリスも口をパクパクさせていた。
船長寝てなかったのかよ、とグーンは騙された気になった。
次話は、第四八話 仕事の予習(バナール球、建設手順、道具、頭痛)です。