第四二話 初任給(給与、個人売買)
前話は、第四一話 近場の仕事(都市ブロック、鉄骨鳶)です。
入社後約二か月を間近にしたある日のこと、明日は初任給の日である。
「そんでグーン、お前結局どうすんのよ」
仕事終わりの地獄の特訓を見に来た船長にそう問われた。船長がこう言う時の主語は、宇宙服の件に決まっていた。何しろ数週間も前から、サルバと共に相談に乗って貰っていたのだ。
「実はまだ迷ってんスよ、ソフトにしろハードにしろ、それなりに高いじゃないッスか」
「なにも初任給で買うことねぇんだぜ? 半年もすりゃ直販来るし」
「いや、社用スーツは一刻も早くオサラバしてぇんスよ、そこは変わんないんス」
「コレ恥ずかしいもんなぁ」
船長はグーンの着ているハードスーツを眺めた。あちこちが黄色地に黒ストライプになっていて、無地の部分にはメリ建ロゴがデカデカと貼り付けられていた。
きっとこの恥ずかしい見た目は、新人に自分のスーツを持つことをうながす理由も含まれているに違いない。なにしろ社用ハードスーツは訓練用を含めて約四十着あるが、二年目の先輩でも着ている者はチラホラいるので、数は不足がちなのだ。来年度の新人が入ったときに、人数分のスーツが用意できていないと仕事にならない。
「んじゃ中古の安いので間に合わせて、その間に新品買う金を溜めるか? 中古スーツの分、新品買うのが遠くなるぞ?」
「そこなんスよねぇ……どなたか先輩で、お古を安く譲ってくれるクチないッスかねぇ」
「俺もよ、船長なんてやってっけど、まだ入社六年目のペーペーなんだよなぁ」
「安く譲れって強く言える相手が多くない、ってことッスね」
「なんだお前、ヒトをカツアゲするみたいに悪く言いやがって」
「あれ、違ったんスか? ははは」
グーンは入社から約二か月が経過して、船長とも臆せず会話が出来るようになっていた。
そうこう話していると、他船社員が一人やってきて船長とグーンのそばの網フェンスに寄りかかった。
「ふー疲れる疲れる、おうライフリー、今あがりか」
「ええ、ついさっきあがりました」
「何の話してたんだ?」
「いや大した話じゃないっすよ」
「あんだよ、教えろよ」
「……ここのグーンが宇宙服欲しがってるんすよ、相談受けてて」
「んー? お前新人だよな、まだ早ぇんじゃねぇかぁ?」
「ウッス、皆さんにそう言われるんスけど、コレ恥ずかしいんスよ」
「分かるけどよー、まぁ面白ぇ遊び教えて貰ったしな、俺も相談に乗るぜ」
「お!アザッス! じゃ俺、そろそろ上がりまス、お疲れ様っした!」
「じゃあグーン、明日な」
「はい、お疲れ様っした!」
ライフリーはもう少し残る模様だ。きっと先輩と話をするのだろう。
グーンはその場を去って寮に戻り、するべきことをこなして寝た。明日の初任給も楽しみだが、先ほどの先輩による宇宙服の仲介が、ひょっとしたらあるかも?という楽しみもあった。
そして次の日。いよいよ初任給の日だ。
グーンは未だにスーツをどうするか、決めかねていた。常識的に考えれば、会社貸与の社用ハードスーツでお金をためて、それを頭金にして新品を買うのが一番安心だ。しかしグーンは十八歳男子。まだまだメンタルは子供のままだった。欲しいとなったら我慢が効かず、頭の中はそれでいっぱいになってしまうのだった。
朝の始業直前に十七号船格納庫の前で全員が集まって、毎朝恒例のミーティングが行われた。俗に朝礼と呼んでいる。
「礼。……今日の伝達事項は、特になし。昨日と一緒だ。各員は資格勉強と自己鍛錬を進めてくれ。それじゃ給与明細を渡す。俺とソフィの分はもう貰ってるから、呼ばれた順に前に出てくれ」
船長の言葉に、ロリエ、サルバ、エリスが前に出て、最後にグーンが呼ばれた。アザッスと言ってグーンが受け取った給与明細は紙切れ一枚で、別に現金がここに入っているわけではない。というよりメインベルトには現金がなく、全てクレジットまたはプリペイドカードで電子決済されていた。
「それでは今日も一日よろしくお願いします。礼。解散」
朝礼が終わり、この後は本社屋の大会議室で勉強だ。全員そそくさと移動を開始した。
グーンは明細を見たくてたまらなかったが、このタイミングでは見ることは叶わなかった。
そして二時間の勉強のあとの小休止。グーンはエリスと連れだって本社屋前の自販機で飲み物を買い、訓練用ハードスーツのグローブを外して、給与明細の封を開けてみた。
「えっ……なにこれ……」
勤怠の欄には、出勤十一日、残業二十三時間、休日出勤〇日と書かれていた。
支給の欄には、基本給八八〇、残業二三〇、手当二一〇、計一三二〇ダラー。
控除の欄には、住民税、健康保険、雇用保険など諸々合わせて計七九四ダラー。特に寮費の三〇〇と財形貯蓄の一〇〇が痛い。
差引支給額、五二六ダラー。グーンの場合、ここから生命保険、共済、礼服の二六〇ダラーが引かれる。
予想手取り額、二六六ダラー。
「ええ……あんなに頑張ったのに、学生時代のバイトより手取りが少ないとか……」
「約半額になってるね」
グーンはなんだか居たたまれなくなった。なんだか自分が会社からこれっぽっちも評価されていないような、そんな気分がしてきた。
そういうわけでグーンは、午前後半の自習にサッパリ身が入らないまま、昼の大休止を迎えたのだ。グーンはサルバを待つために、本社屋から寮玄関ロビーまでハードスーツのまま急いで戻って、無事合流できた。
寮の食堂でトレイに昼食を盛りながら、グーンは隣のサルバに話しかけた。
「サルバ先輩、給与明細の件なんスけど」
「お? なんか変な点あったのか?」
席に着きつつグーンは、ハードスーツの腰ポーチに入れてあった給与明細を、サルバに渡した。
「あー、うん、こんなもんだろ」
「学生時代のバイトより安いって、モチベダダ下がりッスよ」
食事の挨拶のあと、もくもく食べながらサルバは解説してくれた。
「お前これよ、一か月フルに働いた額じゃないって気付いてる?」
「え、なんで? 入社二か月になるッスよ?」
「お前、給料の締め日と支給日の違いも知らないだろ」
曰く、締め日は前月十六日から当月十五日までで、支給日は翌月二十五日と決まっているらしい。
入社から締め日までが半月ほどで、その間の休暇を除いて実働十一日間。残業二十三時間。遠征手当七日間。残業内訳の半分は地獄の特訓で、この船長の優しさがなければ手取りがたったの三十六ダラーになっていたところだ。流石に二桁は小遣いの額だ。
控除の欄とローン支払いに関しては、入社式の日のグーンによる自業自得だ。
「この寮費三〇〇ってのが、痛いッスよ」
「お前、住むところと食い物が保証されてて、これっぽっちの金額で済んでるんだぞ?」
サルバは怒るわけでもなく諭してきた。
もし寮住まいじゃないとしたらどういう額が降りかかるか。アパートを借りるとしても、港湾ブロックだと最安値でも月々五〇〇、食べ盛りのグーンの食費は月々三〇〇として、それでもやっていけると思ってるのか、と。
グーンはぐうの音も出なくなっていた。
「そもそもよ、入社式で調子に乗りすぎたんだよ、礼服はさすがに要らねぇだろ」
「う、ごもっともッス」
礼服のローンは月々五十ダラーで、これが二年間続く。
サルバとほぼ同時にグーンもまた食事を食べ終わった。この二か月で食事のスピードはサルバに追いついたのだ。トレイを片付けながらも会話は続いた。
「でもスーツ欲しいッス、礼服じゃなくて宇宙服のほう」
グーンは、既に仕立て終わって手元に届いている礼服を、実は持て余していた。普段は着もしない服に大金をかけてしまった彼は、クーリングオフという制度を知らなかったのだ。
「こんな恥ずかしいの着てたくねッス」
「分かっけど待てって。来月の給料は今月の倍くらいにゃなるはずだから」
「はぁ」
「それより、その初任給のうち一〇〇くらいで、世話になった家族になんか買ってやれよ」
「え、この少ない額から一〇〇減るんスか……」
「何ケチってんだっつーの、家族にとっちゃ記念品だろ? そのくれぇの甲斐性は見せるモンだぜ?」
そして玄関ロビーの自販機で飲み物を買って、二人は外に出た。
「あとな、次の休みにでも家族へのプレゼント持って、里帰りしてやれよ」
「ウッス。……その上交通費かぁ、社会人になると金かかるんスね」
「もうしばらくして生活が安定すれば、ここまで困るこたぁねぇよ、きっと」
この調子じゃスーツの購入なんてしばらく先の話だなぁ。グーンは嘆息した。
午後の講習は、午前ほど身が入らないこともなく、順調に進めることができた。サルバに相談したことで少し心のささくれが落ち着いたのだろう。
そして終業後の地獄の特訓タイム。グーンとエリスは揃って先輩方に揉まれ、指導され、頑張った。今となっては教官はサルバだけではなく、ここにいる全員だった。
今ではエリスも、なかなか良い動きをするようになってきた。もちろん彼女も空間遊泳士はとっくに取得済みだったし、日々訓練用ハードスーツで過ごしていたから、良い動きも当たり前だ。他船の新人もちょくちょく顔を出して遊んでいくようになり、十九号船のハクも徐々に腕前が上がってきていた。
そんな中先日の先輩が、網フェンスで休憩兼順番待ち中のグーンに近寄ってきた。
「あ、先輩、チャス」
「おう、グーンつったっけか、スーツ余らせてる奴に話付けてみたぞ」
「え、見つかったんスか! スゲェ!」
「まぁよ。ただそいつよ、金欠なんだわ」
「はぁ」
「お前、五〇〇〇用意できるか?」
「えーっ! そんな大金!?」
そのグーンの大声に、周りやゲーム中の者すらもグーンに振り向いて、視線を浴びせかけてきた。その中でもサルバはグーンと先輩のほうに近寄ってきた。心なしかいつもより顔が真面目モードだ。
「どしたんすかクレシア先輩、ウチの新人になにか?」
「おうサルバ、昨日ライフリーに聞いたんだけどよ、この新人がスーツ欲しがってるって話だから、良さそうなネタ持ってきてみたんだよ」
「いや、初任給貰ったばっかの奴っすよ、まだ早ぇんじゃないっすかね」
「俺もそう思うけどよ、ホレ、年度末いっぱいで辞めたウチの船の奴いたろ、アイツが早急に金が欲しいって話でよ」
サルバはかすかに、ほぉら来た、というような顔をしていたが、付き合いが短い者にはきっと分からないだろう。
「へー、いくらっすか」
「五〇〇〇」
「五〇〇〇っすか、あのソフトスーツの程度だと、ちと高ぇっすねぇ。……ちなみにクレシア先輩のマージンは?」
「お前、俺がそんなことするように見える?」
「やっだなぁ、見えなきゃ言わねっすよぉ」
ヘラヘラ笑って笑い話風にしているが、なるほど、先輩を通じて安く個人売買で手に入れようと考えるのも、危険な話なんだなぁ、とグーンは思った。
いや、サルバは自ら口を開くことによって、このクレシアという先輩の話の危険性を、グーンに気付かせてくれたんだろう。グーンは内心気を引き締めた。
クレシアはグーンに向き直り、問いかけた。サルバとの交渉はしない構えっぽい。
「まぁ何にしろ、選ぶのはそこの新人だろ、おいどうする?」
「やー、モノ見てみないと何とも返事できないッスよ」
グーンはその問いかけに、出来るだけ平静を装って返答した。
「あー、んー、モノか、ま確かにそうだ。じゃ明日持ってきてやるよ」
「あいや、俺とサルバ先輩とウチの船長で見に行くッスよ、住所教えてください」
「そいつぁ悪いよ、お前は客の立場なんだしよ」
ん、訪問されると困る何かがある?
「いや、話も聞きたいし」
「そもそも会えねえよ、アイツ実家帰ってっからよ」
んん? 露骨に隠してきた?
「先輩、明日までにその人の実家まで行って、スーツ持ってくるつもりだったんスか?」
「スーツだけ預かってんだよ」
はいアウト。ヘタすると盗品だコレ。
「……サーセン、この話無かったことにオナシャス」
「おいおい、中古市場じゃ一六〇〇〇くらいする奴だぜ?」
さすがにサルバもジト目になっていた。
「お話いただいてアザッシタ。そんじゃ失礼シャス。サルバ先輩、アザッス」
「そんじゃクレシア先輩、俺らもう帰りますねー、お疲れさまっす」
サルバはエリスにも声をかけて、一緒に帰ろうぜと誘った。サルバもグーンも、正直この場にエリスを置いて行けないと考えていた。
グーンも一緒にいたので、エリスは警戒せずに一緒に帰ることにした。
「……船長ぉー、頼むぜぇ……」
帰り道でのサルバの唸り声が、全てを物語っていた。
そしてその日の夜、グーンは久しぶりに、居住コロニーの実家に一人残った祖母に宛てて、電話をかけていた。
「うん、うん、わかってるって、ああ、それじゃ十日後の休みに帰るから、うん、うん、それじゃ」
彼女はグーンの初任給を大層喜んでいて、一人前、一人前と言葉の端々に登らせていた。おだて上げられたわけではないが、その一人前と喜ぶ孫を育てたのは彼の祖母だ。サルバに忠告されたこともあってか、初任給の記念品は贈らねばなるまい、とグーンは思っていた。
エリスに相談して、婆ちゃん向けの贈り物を見繕いに行こう。そう決めた。
次話は、第四三話 実家への帰省(買い物、交通事情)です。