第四〇話 生理痛(女性生理、頭痛、マッサージ)
前話は、第三九話 勉強会(宙球、対空警報、免許資格)です。
本社屋の勉強会が始まってから、気が付いたことがあった。
それは勉強会が毎日、人数が変動していたことだ。変動のパターンは、一号船、二号船、三号船から八号船まで、九号船から十四号船まで、十五号船から二十号船までの五グループごとの変動であることがわかった。
メリ建ではこのような分け方になるかは知らないが、さしずめ業務部に鳶一課から鳶五課まである、という形だろうか。その分類なら十七号船は、業務部鳶五課実務二係か。もしくは工兵科鳶大隊第五中隊第二小隊……の規模じゃないから、工兵科鳶中隊第五小隊第二分隊って程度か。おっと脱線した。
ある時は部屋に八人しか残らない時もあった。ある時は二十八人全員が揃う時もあった。
つまり現場勤務がある人間はここに出ないで済み、仕事のない奴は勉強していろ、ということでもあるのだろう。ひょっとしたら入社式の翌日から、いきなり勉強をしていたグループもあるのかもしれない。
「アンネさん、オザッス」
「おはようございます」
一号船のグループには、主席のアンネもいた。彼女は別に主席だからと言ってお高く留まった冷たい女というわけではなく、それなりに人当たりの良い人柄をしていたようだ。とはいえグーンには特に接触する理由がなかったので、挨拶程度で自分から近寄ることはしなかった。
むしろグーンが接触する理由を持つのは、エリスのほうだ。
「エリっさん大丈夫ッスか? 具合悪そうッスよ」
「あ、うん、大丈夫」
その日、エリスは朝礼の時からずっと元気がなかった。なんとなく顔色も白っぽい気がするし、動作が緩慢だ。
勉強会の合間の小休止、グーンはエリスの様子を見に行った。しかしエリスは何でもないと言う。何でもない筈がないだろうに、健気にもグーンに心配をかけまいとしているのだろう。しかしそう言われてしまうとグーンには何もできず、自分の席に戻るしかなかった。
昼の大休止では、エリスは昼食を抜いた。グーンはなおさら心配になった。
そして午後の勉強の最中、エリスは突っ伏して勉強をしていた姿勢のまま、横方向にふらりと倒れ込んでいった。微小重力のおかげで床に激突する前にグーンが助けることができたが、明らかに尋常ではない。
「エリっさん、具合悪いんでしょ、医者に連れて行くッスよ」
「……」
「エリっさん、返事して! ちょっとコレどうしよう」
抱き締めたエリスは、いつもと違う匂いがした。濃密でまったりとした匂いは、グーンに覚えのない匂いであった。ちなみにお互いハードスーツ着用なので、抱き締めた喜びはない。
そこに寄ってきたのは新人主席のアンネだった。
「床に横たえて、頭だけ水平横向きに固定して。……呼吸正常。脈拍正常。体温低め」
「……ありがとうございます、心配かけてすみません、これ生理痛の貧血なので、ご心配なく」
エリスがそう言って体を起こそうとすると、アンネはその起き上がりを制止し、表情を変えずに答えた。
「貧血を見くびっては駄目よ。それに生理は長く付き合う現象だから、一度医者にかかって、サプリメントの相談をしておいたほうがいいわ」
誰かが呼びに走ったのか、そこに鬼軍曹のような経理担当が慌てて入室してきた。アンネは鬼軍曹に状況を過不足なく説明し、今日は早退させて、船のバディに医者に連れて行かせたほうが良いとまでアドバイスしていた。さすが出来る女だ。
そして鬼軍曹が一言残して立ち去り、すぐにロリエを連れて再入室した。
「エリス、大丈夫かい」
「ロリエ先輩……」
「しかし困ったな、アタシじゃ肩貸してあげらんないよ、なぁグーン」
突然話を振られて、グーンは鬼軍曹をみやった。鬼軍曹は仕方ない、同行を許可すると頷いてくれた。何しろロリエのチビは社内では有名だったからだ。
グーンはハードスーツ姿のまま、同じくハードスーツを着たエリスを抱き上げようとした。しかしさすがに二人分の質量約四百キロは重く、持ち上がらなかった。
「ダメだ、ハードスーツ脱ぐッス。ロリエ先輩、エリっさんのスーツ頼んます」
「ああ」
「ハク悪ぃ、あとで俺たちのスーツを、十七号船格納庫前に運んどいてくんね?」
グーンはそう言いながら、大急ぎでハードスーツを脱いだ。その時間わずか二十秒。周囲はその見事なグーンの脱ぎっぷりに、早!とか、やるな、とか口々に漏らしていた。もっともグーンにとってはそれどころではない。
「う、うん、わかった。エリスちゃん大丈夫かな」
「心配かけて悪いな、ハク」
そう言いつつも、エリスのハードスーツを脱がせる手伝いを行った。自らのハードスーツを脱いだグーンは、二人ぶん三百キロの質量をものともせずに、エリスを立ち上がらせることに成功。そのすきにロリエはスネ部分のロックナットを緩めていた。腹部のロックレバーはすでに解放されていて、グローブは脱がせてあった。
「エリっさん、スーツ上半身抜くッスよ、三、二、一、ナウ。どこもぶつけてねッスか? 大丈夫ッスね、次ブーツ抜くから、俺に寄りかかってください」
「ブーツ脱がせた。次下半身抜くよ、三、二、一、ナウ。オッケ」
グーンはエリスをこの時点で、右脇から左脇にかけて右腕一本で支えて、臀部を左腕一本で支えていた。下半身を抜くと、濃密な気配が強まった。
鬼軍曹に言われたのだろう、ちょうどそこに別の社員が毛布を持って現れた。エリスを負ぶったグーンごと、毛布でエリスの身体を隠してくれた。
「あと、この会社のかかりつけ医ってどこだか知ってるッスか?」
「それならアタシが知ってる。大丈夫」
「それじゃ行ってキャス。お騒がせシャシタ」
ロリエはすでにエリスのハードスーツを物色して、エリスの財布など私物を全て抜き出していた。続いてグーンの私物もスーツから抜いて、どこから調達したのか、ビニール袋に入れて手に提げていた。
忘れ物はないだろうと判断し、皆に軽く挨拶をして退室した。
エリスを負ぶったグーンとロリエの三人は会社の敷地を出て、エアーチューブの地下鉄駅に向かい、都市ブロックに移動した。
向かった先の総合病院に入り、エリスを待合室の長椅子に座らせて、グーンも隣に座った。受付などはロリエがしてくれていた。
「エリっさん、具合はどうッスか?」
「うん、なんとか起きていられる。ありがとね、倒れる寸前で助けてくれて」
「なんもなんも」
エリスは青白い顔のまましょんぼりしていたが、時折身体を折り曲げてうずくまる姿勢を見せた。これが生理痛なのかな、とグーンは思い、丸まった背中をさすってあげた。
「……受付してきたよ。しばらくしたらこの番号で呼ばれる」
「アザッス、ロリエ先輩」
「あとグーン、さするのはそこじゃない。腰と尾てい骨の間あたりの左右を、手のひらで温めるようにしてさすってあげな」
「アザッス、エリっさん失礼」
「ありがと。……うん、ちょっと楽になる」
しばらくの間グーンは無言でさすっていたが、さすがに口寂しくなったのか、ロリエに話しかけていた。
「男の生理はエロがらみっぽくて笑い話にできるッスけど、女性の生理はなんかこう、洒落になんないッス。俺、生理痛ってのがこんなに辛そうなことだなんて知らなかったッス」
「ああ、人によるけどエリスのは酷いな」
「みんながみんなこうじゃないって事ッスか」
「そりゃな」
苦しんでいるときに耳元でベラベラ喋られるのも苦痛だろうと思い、グーンはそこでひとまず口をつぐんだ。
生理痛。初潮を迎えて閉経に至っていない女性全てに起こりえる現象。病気ではないが、痛みや苦しみが激しい場合は、別の病気が隠れている恐れがある、案外怖いものだ。
一般的には痛みのほか、頭痛、イライラ、だるさなどがあるが、症状は千差万別、対処法も千差万別。何度も経験して、自らの生理痛のパターンを掴むしかないとも言われる。
酷い人の生理痛は腎結石に匹敵する痛みがあるらしい一方で、ほとんど自覚症状無しに血だけが出るという人もいるらしい。
番号が呼ばれたので、産婦人科の前の待合室に移動することになった。男性の自分がいて良い場所とは思えなかったので、エリスの移動を手伝った後、グーンはさっきまで座っていたところに戻ろうとした。
「そんじゃロリエ先輩、後オナシャス」
「ああ」
「ありがと、グーン」
総合待合室に戻って長椅子に腰を下ろし、あとはひたすら待つことにした。
長時間の暇つぶしには、寝るのが一番だ。ということでグーンは腕を組んだまま居眠りを始めた。
「もしもし、もしもし」
誰かがグーンに呼びかけていた。
「はい」
グーンは急速に覚醒して、現在の姿勢を知った。どうやら座ったまま俯いてしまい、まるで、腹を押さえて痛みを耐えている間に失神したような恰好になっていたようだ。
「あの、大丈夫ですか? お気分が悪いようなら病院のスタッフを呼びますが」
「あいや、お構いなく。居眠りしていただけッスから」
「そうですか?うなされていましたけど」
寝ている間にうなされていたとは知らなかった。夢を見ていた覚えはない。しかし頭の奥がずんと重く、鈍い痛みがあった。
「ありゃ、そうだったんッスか。ご親切にありがとうございます」
見れば、年のころ二十代前半程度に見える綺麗な女性だった。肌の色は抜けるように白く、髪の毛は長くまっすぐな金髪だ。あまり直視していると体に良くないタイプの女性だった。
「ちょっと頭痛がしますんで、気晴らししてきます。失礼します」
そのままグーンはカップベンダー自動販売機に向かった。しかしホットコーヒーでも飲もうとしたところで、クレジットカードがないことに気が付いた。そういえば、ロリエがエリスの私物とまとめて持っているはずだな、と思い出し、重い頭に手を当てながら産婦人科の待合室に向かった。
しかしすでに診察室に入ってしまったのか、ロリエとエリスの姿はなかった。
グーンは仕方なく元の席に戻り、いまだ重い頭をさすりながら座った。
「……頭痛、治まりませんの?」
「ええ、コーヒーで紛らわせようと思ったんスけど、ツレが財布を持ってることを思い出してしまいまして」
「あら、それじゃ痛み止めのお薬いります?」
「あいえ、薬は結構ッス、それにしばらくすれば、ツレも診察終わって出てくるだろうし」
他人から出所不明の薬を貰って飲むリスクを、グーンは避けた。
実家の祖母の薫陶もあり、グーンは日ごろからそういった、日常に潜むリスクを意識した生活をしていたからだ。
財布は簡単にすられるようなポケットなどには入れない。金持ちに見えるような贅沢や、付け入るスキがありそうに見えるだらしなさを慎む。儲け話には裏がると思って疑う。そういった思想の中に、他人から貰ったものを軽々しく口にしないという教えもあった。
もっともそれを祖母に指摘されると、グーン自身はうるさいな、好きにさせろよ、と反発心が生まれるのだが、指摘されない部分でもその教えは息づいていた。
「そうですか。でしたらせめて頭痛の止め方でも」
グーンは話の流れで聞くことになったが、正直民間療法のたぐいは一通り試したことがあるのだ。数年来の頭痛持ちである彼は、首、肩、腕の筋肉は頭痛時確かに凝るが、それを揉みほぐしてもそれほど痛みは引かないし、いわゆる頭痛のツボを刺激するなど、色々やってみたことはあるが、それでも効果的なのはコーヒーくらいしかなかったと伝えた。
それを聞いた女性は、それではこういうのはどうかしら、と言ってきた方法が、意味不明だった。曰く、目の奥や鼻の奥にある、痛みを我慢するときに無意識に力を入れる筋肉を逆方向に動かして、血をせき止めないようにするのだという。それができたら次にこめかみ、あご、歯茎、鼻と喉の間ののどちんこ付近、声帯付近と力を抜いて、血や体液の停滞を解除するのだと話した。その状態で足を振るなどして、遠心力で頭から血を吸い出すのも効果的と言った。
グーンは、言ってる意味こそわかるが、それをどうやって動かすのか、サッパリわかんなかった。
彼女は微笑んで、練習してみてくださいな、と言った。
待合室に、新しく番号を呼び出す放送が流れた。それを聞いてその綺麗な女性は、番号札を持って立ち上がった。
「番号を呼ばれましたので、これで失礼いたします。頭痛、お大事に」
「お話しいただき、ありがとうございました。いってらっしゃいませ」
女性が去ったあと、五分ほどしたらロリエとエリスがグーンの近くにやってきた。どうやら診察が終わったらしい。エリスの足取りはまだちょっと怪しかったが、微小重力のおかげもあって転倒するほどにはなっていなかった。
「お疲れ様ッス」
「ああ。エリス、一人で座れるか?」
「はい、大丈夫です。グーン、待たせてごめんね」
毛布をかき抱いたままのエリスが、長椅子にゆっくりと腰を下ろした。
「で、すいませんロリエ先輩。俺のクレジットカード返していただいて良いッスか」
「ああ、忘れてたよ、悪いな」
「いえ、ちっと頭痛がするんでコーヒー買ってきたかったんス。ロリエ先輩とエリっさんもなにか欲しいのあります?」
「アタシは水がいいな」
「私は本当はコーヒーが飲みたいけど、医者にあんまり飲みすぎるなって」
「そんじゃ果汁とかのジュースがいいッスね、行ってきます」
グーンは右目をヒクつかせながら、そう言った。頭痛はすでに目に至っていた。
グーンはできるだけ頭痛に意識を持って行かないように努めながら、三人分の飲み物を購入して戻ってきた。
「ああ、うまい……」
カップベンダーのコーヒーは、船の中で飲むチューブのインスタント品とは違って、しっかりと香りのあるブラックコーヒーだった。
カフェインを摂取して三分ほどで頭痛は弱まり、脳が軽くなったような感覚を自覚した。
エリスもまた、ピーチジュースを少しずつすすって甘さを味わっていた。
ロリエのほうはというと、五百ミリリットルの水を一気飲みして、すでにボトルを捨てに行っていた。
「結局、酷い生理痛の原因とかは判ったんスか?」
「レントゲンでは異常なしだった。ただ医者が言うにはストレスじゃないかって」
「ストレス」
「うん、悩むこと多かったから」
戻ってきたロリエは、エリスを挟んで向こう側に座っていた。
グーンはとっさに、それって同じ新人の俺が原因のストレスだよな、他に思い当たる要因はサルバ先輩くらいしかないもんな、と思い至っていた。
とはいえ、グーンにどうにか出来る問題ではないのだ。彼の見立てでは、エリスのストレス源は彼本人ではなく、彼の持つ資格やスキルへの劣等感だった。
だからグーンは、それに対して深く掘り下げることはせず、違う行動をした。
「エリっさん、腰さするッス」
「え、でも疲れちゃうでしょ」
「いや、今の俺にゃそんぐらいしかエリっさんにしてあげられる事ないんス。だから腰さすらせてください」
「うん……それじゃ」
エリスは肩からかぶっていた毛布を取って、身体の前に丸めて抱いた。少しだけ椅子の前に座り直したそこには、ジャージの上下に覆われたエリスの腰があった。
グーンは先ほどロリエに言われた腰のあたりを、ゆっくりさすった。確かにこの位置は、背中の筋肉と尻の筋肉のちょうど隙間にあたるので、痛みを我慢して力み続けて筋肉が凝るせい、ということも考えられた。しかしエリスの腰は特に凝ってはいなかった。
ならばここをさすって気持ちいいのは、内臓の痛みとしか思えなかった。
「ごめんねグーン」
「なんもなんも。……むしろエリっさんが痛ましくて見てらんないんで、少しでもお役に立てられんなら」
「本当にありがとう。……ごめんついでに、もうちょっと強くして」
「了解。そんじゃロリエ先輩の方向いてください」
エリスは椅子の上で横座りの体勢になって、腰をグーンに向けた。グーンはエリスの腰を手で軽く押さえて、親指で指圧を始めた。実家の祖母にやっていたような強い力はかけず、グーンの手のひらの体温を浸透させるように、ゆっくり優しく。
エリスの腰は細くもなく太くもなく、しかし最近の地獄の特訓によってか筋肉量が増してきている感触があった。
人間、揉んでほしいポイントは時間とともに移動する。背中のかゆいポイントがあちこちに移動するのと同じだ。だからグーンは、自分ならここあたりだなと察した周辺ポイントをも揉み上げていた。
エリスの腰の緊張が徐々にほぐれてきたのは、揉んでいる感触で分かっていた。むしろ上半身の体重を毛布にかけているのか、全体の筋肉の緊張もなくなった。
やがて清算の呼び出しに、ロリエが立ち上がって窓口に向かっていった。エリスは微動だにしていない。
戻ってきたロリエに聞いてみたら、今眠ってるから、起きるまでマッサージしていてやんな、とのことだった。グーンとしては望むところだ。
結局エリスが目を覚ますまで、一時間半ほどかかった。その間に先ほどまでの綺麗な女性が通りかかり、会釈を交わした。
そしてもちろん、起きた後のエリスは恐縮し切りで、さんざん謝られた。
独身寮に戻ったあと、グーンはロリエに何かあったら呼んでください、と伝えていた。
「どうやって呼べって言うんだよ」
「懐中電灯で男子二〇一号室を、二回照らしてください。気付いたら返事して玄関ロビーに向かいます」
「なるほどね、了解」
「エリっさんも聞いてたッスよね、またマッサージ欲しかったら呼んでください」
「うん」
結局その後、夕食と風呂が終わったあとの消灯時間前に、呼び出しがあった。
グーンは玄関ロビーの長椅子にエリスを横たえさせて、マッサージをした。サルバにアドバイスされた、「三十分間:十ダラー」と書かれた紙を壁に貼って。
野次馬的な他の社員はその値段を見て、ちょっと高くねぇか? とか声をかけてくるだけで、俺も俺もとか、何公開セクハラしてんだよとか、変なことを言い出す奴は排除できていた。
マッサージし終わったエリスは、足取り軽く女子寮に戻っていった。しかし、ニヤニヤと笑顔を浮かべる寮監と寮母の夫妻だけは、排除できなかった。
結局グーンは、消灯時間の一時間後までマッサージを続けさせられて、二十ダラーを手に入れた。
整体師の資格を取って、料金上げようかな。
次話は、第四一話 近場の仕事(都市ブロック、鉄骨鳶)です。